第8章 二番が一番

文字数 4,968文字

第8章 二番が一番
 近代は極論が育ちやすい。ナチスを始めとしてそうした過激な考えは世界さえ揺るがす。極論を育てないために、社交が必要である。それがもたらすのが「二番が一番」、すなわちセカンド・ベストの発想だと森毅は説く。彼はその概念をタイトルにした著作『二番が一番』を1999年に刊行している。

 近代では政教分離原則により価値観の選択が個人に委ねられている。何を理想にするかは個人の自由だ。しかし、それは、すでに述べてきた通り、極論につながりかねない。また、理想を個々人が絶対視すれば、話し合いにさえならない。そこで必要とされるのがセカンド・ベストの発想であり、それには「社交」が必須である。

 理想は曲論をしばしば導く。それを防止するのが「社交」である。個々人が独自の理想を持つことはかまわない。けれども、それを実現しようとすれば、他社との摩擦や対立が生じる。理想を参照しつつ、「社交」を通じて他者と調整し、セカンドベストを目指すことが現実的である。誰もが理想そのままを達成することなどない。だが、全員が自身のセカンドベストを模索する決定過程を共有しているので、衝突は回避される。社交によって理想のセカンドべストのコンセンサスを形成することが、言わば、パレート最適ならぬ「森毅最適」である。「ホラは理想ではない。理想になると、ついそれを目標として身を誤ることにもなる。ホラを嘘の力としながら現実を扱うことこそ、現実主義というものだ」(森毅『「ウソツキクラブ」嘘解説』)。

 政治をセカンドベストの実現と述べたのが先に言及したアクィナスである。 アクィナスはアリストテレスに影響を受けながら、この点が異なっている。アリストテレスはポリスを自明視し、そこから内在的に政体を考察している。それはベストを目指す完成主義である。一方、アクィナスは神の国を超越的に想定し、その理想との比較から政体を検討する。神の国は主が支配している。人間には実現できない。そのため、この世で行われる政治は完成主義ではなく、あくまでセカンドベストである。

 政治をセカンド・ベストと捉える発想はマキャベリやホッブズのような近代の政治理論に受け継がれる。こうした非完成主義的理論家は道徳に基づく政治を斥ける。彼らは有徳者でなくても統治できるようにするにはどうしたらいいか、あるいは道徳の政治が対立・戦争の原因となるのでその代替案をどうすればいいかを考察している。

 「二番が一番」とする森毅は「一匹コウモリ」を始めさまざまな言い方で一つの理想に囚われない態度を推奨している。それは「日和見主義者」と呼べるだろう。政治理論の伝統においてその姿勢を自称していた政治家がいる。それが17世紀英国のジョージ・サヴィル・ハリファックス(George Saville Halifax)である。彼は1633年に生まれ、95年に亡くなっている。この時期は清教徒革命や名誉革命が起きた激動の時である。森毅の姿勢はこの革命期の政治家の主張と重なる。

 当時、トーリーとホイッグの党派対立が激しかったが、ハリファックスはいずれにも属せず、その都度是々非々で態度を表明している。ただし、何度か職を追われている通り、時の権力におもねるわけでもない。確固たる理念に基づいていないと同時に、保身のために行動してもいない。

 一貫した党派的立場をとらなかったために、ハリファックスはさまざまな政治プレーヤーから非難されている。それに対し、彼は『日和見主義者とは何か(The Character of a Trimmer)』(1688)を著し、自らの政治行動について述べている。

 ハリファックスは激しい党派対立が暴力と熱狂につながり、無秩序を招くと憂慮、中道こそ賢明な態度だと説く。その彼は自身を「トリマー(Trimmer)」と呼ぶ。船の上下方向の傾きを「トリム(Trim)」と言う。「トリマー」はそれを制御して船の転覆を防止するものである。政治のバランスをとって、国が転覆しないようにするのが自分の役割、すなわち日和見主義者の効用だというわけだ。

 日和見主義は極論を批判し、中道を指向する。穏健な中道だから、独裁にも党派対立にも与しない。保身が目的なら、極論をとっていようと、時の権力におもねればよい。しかし、日和見主義者は政治のバランスを重視する。だから、急進的・独善的な権力には、職を賭してでも、抵抗する。

 日和見主義者は現前の政治言説・行動の中間を意味しない。急進的・独善的な極論を批判、政治のバランスを保とうとする姿勢だ。時の権力がグロテスクであれば、それに妥協することではなく、国が転覆してしまうと抵抗して穏健な方向に戻さねばならない。理想の政治を求めないが、現状に甘んじるわけでもなく、やりくりして漸進的に状況を改善していくことである。

 日本の戦後政治の文脈で言うと、ハリファックスの説く「日和見主義者」は田中派=経世会である。森毅は『ボクの京大物語』の中で学生運動の頃の自分を「金丸信」になぞらえている。金丸信は竹下登を会長にする経世会のナンバー2で、総理総裁を目指さず、調整役に徹し、「政界のドン」とも一時呼ばれた政治家である。まさに「二番が一番」だ。

 森毅はリーダーシップでなしに、コンセンサスの政治を指向する。pでおろぎーに囚われず、複雑な問題を巧みに調整する政治を好み、決断のそれには冷ややかである。それは木曜クラブ=経世会の保守本流の姿勢だ。そんな森毅は政治的立場において中道左派を自認する。なぜ左派と言われれば、人は保守化しやすいので、真ん中より少し左を取るようにしていると塩梅がいいからである。森毅は極論や狂信、教条主義を忌避し、中道を指向する。

 森毅の理想をめぐる「二番が一番」論は、近代倫理学を批判して徳倫理学の復権を提唱したアラステア・マッキンタイアに対する問い直しでもある。極めて現代的な課題へのオルタナティヴな認識である。しかし、森毅ほどの知識を持たないので、この洞察の示唆する意義にほとんど気がつかない。

 森毅は近代主義者、それも本流の個人主義者・自由主義者である。彼は近代の可能性をさりげなく発展させる。ところが、近代についての基礎的理解もないまま、声高にその批判をする論者も少なくない。しかし、その姿は、わかる人が見れば、要領のよさを示しているだけである。それは無知の知を忘れないようにしようと己に対する戒めを分かる人に自覚させる。

 コロナウイルス禍やグローバル化、少子高齢化、地球温暖化、低成長、財政難など困難な状況により政策選択の幅が狭くなっている。こうした現実下、急進的・独善的な極論を唱える政治家・勢力が登場すると、現状に苛立つ世論がしばしば虜になってしまう。しかし、極論は、往々にして、悲観的な現状認識に対する根拠の曖昧な楽観的な解決法の提示だから、統治は嘘とごまかしに終始する。結局、やりくりの政治を地道にやるほかない。それには「社交」の蓄積が欠かせない。

 鄧小平語録がいろいろ紹介されているが、ぼくの感心したのはあまり出ていない。南巡講話のときと言われるが、「わしの最大の発明は議論しないこと」という発言。未来へ向けての政治の道はどうせ紆余曲折していて、AにするかBにするか、いくら議論していても決まりっこない。さしあたりは、議論で決めずに、ともかくAでやっていって、調子が悪ければBにすればよい。これはすごい自信。Aで進んでいるのをBに移るのには、Aを続けるよりもずっと大きな力がいる。
 毛沢東の場合は、いろいろややこしいなかで、これぞ「主要な矛盾」ととらえて集中するのが得意だった。困るのは、なぜそれが「主要」かを判断する基準がないこと。それでも、一つの道を突き進んで、文化大革命まで行った。鄧小平の場合は、開放路線を突き進んだということでもあるまい。
 それで、政治改革を否定して天安門事件になったと言われるが、民主化運動というのも、いくらか毛沢東風で、裏返しの文化大革命のような気分がしないでもない。
(森毅『中国という謎』)

 老年人生論にしろ、社交の哲学にしろ、森毅が目指すのは「自立」した生き方である。それは過去の自分を含め何者かに依存して自己決定しないことだ。その都度、メタ認知を働かせ、バランスをとってあれやこれやと認知行動することは、ややこしくて邪魔くさいけれど、それが自由というものだ。森毅を今読むことはその線形成に驚くためではない。むしろ、森毅の現代的意義の大きさを認識するためだ。

 競争社会と言いながら、コースが決まっていては、そのなかでガンバリ競争するしかない。フェアな競争というやつだ。それよりは、違うコースを通るほうが、本当の競争であって、進歩が生まれるのはこっちの競争によってである。新しいコンセプトを考えれば、相手を出しぬける。そのかわり、他人と違うコースだから、クマに会って食われてしまうかもしれぬ。学問でも芸術でも、そしておそらく産業でも、そうして進歩してきたはずだ。二十一世紀はおもしろい。ぼくは生きられぬのが残念。
(森毅『二十一世紀大予言』)

 森毅は、2009年2月27日、自宅で卵料理を作っていた時、ガスコンロの火が着衣に燃え移り、腕を始め全身の30%以上に火傷を負う。翌年7月24日午後7時30分、敗血症性ショックにより大阪府寝屋川市内の病院で亡くなる。遺体は故人の遺志により検体に提供されている。

 一人くらいいてもいいこんな人がいなくなった2010年代、日本社会は森毅の思想と正反対と言っていいほどの状況に陥っている。批評が忘れられ、曲論が幅を利かせる。森毅を失ったことはあまりに大きい。彼を詠むことは忘れてしまった大事なものを探す試みでもある。特に、パンデミックにより他者との接触機会が制限されている。そのため、社交がミクロからマクロまで社会に影響を与えていたことを改めて知る。社交がいかに大切だったかを人々は痛感し、そのあり方を問い直している。そう考える時、森毅を思い起こさずにいられない。だから、森毅は21世紀も時代と共に生きている。
〈了〉
参照文献
赤瀬川源平、『老人力』、筑摩書房、1998年
稲垣恭子、『教育文化の社会学』、放送大学教育振興会、2017年
上野千鶴子、『『おひとりさまの老後』、法研、2007年
NHK放送文化研究所編、『NHK ことばのハンドブック 第2版』、MHK出版、2005年
柏倉康夫他、『情報と社会―ここから未来へ』、放送大学教育振興会、2006年
/竹内洋、『学歴貴族の栄光と挫折』、(講談社学術文庫、2011年
田中康夫、『なんとなく、クリスタル』、河出文庫、1,983年
同、『ぼくたちの時代』、新潮文庫、1989年
水木しげる他、『ゲゲゲのゲーテ』、双葉新書、2015年
向田久美子、『発達心理学』、放送大学教育振興会、2017年
森毅、『数学区受験指南術』、中公新書、1981年
同、『佐保利流数学のすすめ』、ちくま文庫、1992年
同、『数学の歴史』、講談社学術文庫、1988年
同、『数学的思考』、講談社学術文庫、1991年
同、『数学と人間の風景』、NHKライブラリー、1995年
同、『ボクの京大物語り』、福武文庫、1995年
同、『一刀斎の古本市』、ちくま文庫、1996年
同、『人は一生に四回生まれ変わる』、知的生きかた文庫、1996年
同、『二番が一番』、小学館文庫、1999年
同、『自由を生きる 人生は芸能、そしてゲームだ』、東京新聞出版局、1999年
同、『ええかげん社交術』、角川oneテーマ21、2000年
同、『21世紀の歩き方』、青土社、 2002年
同、『年をとるのが愉しくなる本』、ベスト新書、2004年
同、『ぼくはいくじなしと、ここに宣言する』、青土社、2006年
森岡清志、『都市社会の社会学―都市社会学の基礎概念と応用』、放送大学教育振興会、2012年
山岡龍一、『西洋政治理論の伝統』、放送大学教育振興会、2009年
ノーマ・フィールド、「『なんとなく、クリスタル』とポストモダニズムの徴候」、上野直子訳、『現代思想』、1987年12月臨時増刊、23~35頁
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