第5章 森毅の老年人生論

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第5章 森毅の老年人生論
 高齢者の人口比の増加は出生率の低下と平均寿命の上昇に起因する。80年代の若者には人生論は不要だ。けれども、未知の少子高齢化社会で、長い老後の高齢者が増えていく。若者に代わって高齢者が人生論を必要とするようになる。

 森毅はこの80年代において著作で高齢者にしばしば言及している。ただし、それは老年人生論ではなく、若い読者に向けたものの見方を広げるための比喩である。学校に漂う緊張感や無理強いの空気によってがんじがらめになったり、結果を先読みして無駄な努力などしたくないとシニカルになったりする若者に、森毅は自分の見聞きしてきた高齢者のエピソードを示して、そうした極論や呪縛から解き放とうとしている。それは、祖父母が孫に語り掛け、無条件の愛情によって受容する姿である。

 その高齢者は経験を積んでいるために引き出しが多く、社交家、洗練され、力が抜けてユーモアのセンスがあり、新旧の融合が得意、社会の変化に強くてレジリエンスがある。子や孫に囲まれて穏やかに余生を送るご隠居ではない。もちろん、それは森毅にとって年をさらに取ったらそうなりたいという理想像である。そうした作品は森毅自身にとっての老年人生論である。

 その中に湯川秀樹博士がいる。この1949年のノーベル物理学賞受賞者は1970年に退官するまで京都大学において森毅の同僚である。1907年生まれなので、森毅よりも20歳以上上だ。1970年の男性の平均寿命が69.84歳であるから、当時の感覚で言うと、同年に63歳の博士は「老人」である。

 森毅は湯川博士をめぐる次のようなエピソードを『ブタにとってSFとはなにか』(1980)を始め何度か著作に置いて記している。

「森クン、君は輪廻を信じんやろ?それは楽観論やぞ。わしはな、死んでもしブタに生まれ変わったらどないしようかと思うとった。ところが年をとるとだんだん悟ってきたんか、ブタになったら、それはそれでおもろいやないかという気になってきた」。

 社会では青年や想念が中心に活動している。そのため、彼らの認知行動が支配的になり、往々にして絶対視されやすい。その価値観が慣習的道徳と化し、規範として若年層に強制される。けれども、経験に乏しい彼らはそれに対抗することが難しい場合も少なくない。対して高齢者は元社会の中核層であり、過去によって現在を相対化できる。今ここへの反省的認知行動を提示して、若年層に広がりや自由を用意する。「京大学内でいろんな研究会あったりするでしょ。けったいな研究会があると、いつもいたのが湯川秀樹さんで、湯川さんが来るとみんな喜ぶ。…やたらにアホな質問するわけ。…なんせ愚問、ほんまに愚問なの。しゃべってるやつは30そこそこ、20代くらいの若いやつもいる。それにたちまち、それはこうですって答えられると、落ち込むわけです。…ところが落ち込んでも、また性懲りもなく愚問を発するわけ。だいたい7,8割は愚問なんだけど、2、3割はだれも考えなかったようなことを言う。湯川さんが来てくれると、割合は低いけど妙な話が出て、それで議論が盛り上がるというので、評判よかったね(森毅『東大が倒産する日』)」。

 子どもや若者を読者対象にした森毅の作品には人生論を含んだものが少なくない。ただし、それらは「人生とは何か」の考察ではなく、「こんな見方もある」という自由への励ましである。前者が大きな人生論とすれば、後者は小さな人生論である。最も人生論になじんできた元旧制高校生の森毅は、そのジャンル自体の柔軟な認識の広がりを具現する。大きな人生論は不要かもしれないが、極論や独善からの解放させる小さな人生論は依然として若者にも必要である。

 小さな人生論は森毅自身にとっては老年人生論である。読者対象を別にすれば、彼は非常に早い時期から老年人生論を書いていたことになるだろう。先の引用は1980年であるが、見方によっては70年代後半には高齢者の人生論を著わしている。非常に先見的である。「批評か」として自らの認知行動を評する際に、そうした理想によって相対化する。そのような姿勢がそれらの作品に見出せる。

 そうした執筆活動を経て、90年代に入ると、森毅は本格的に高齢者の人生論を書き始める。その代表作が『人生20年説 人は一生に4回生まれ変わる』(1992)と『人生忠臣蔵説 年をとるのが愉しくなる本』(1998)である。前者は人生を20年一区切りとする四段階説で、「人生二十年説」と森毅は呼んでいる。後者は人生を『忠臣蔵』の構成に準えた11段階説である。なお、両説共にこの著作だけで展開されているわけではない。ただ、前面に出しているのがこれらだということで挙げている。

 森毅の段階論はライフサイクル説に含まれるだろう。「ライフサイクル(Life Cycle)」は人生の経過を円環によって説明したもので、精神分析家で発達心理学者のエリク・H・エリクソン(Erik Homburger Erikson)の『ライフサイクル その完結(The Life Cycle Completed)』(1987)に由来する。

 「還暦」という概念があるように、ライフサイクル説は古来より各共同体に認められる。日本で最も有名なのは『論語』の「子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」だろう。また、「青春」も中国のライフサイクル説に由来している。それは、人の一生を四季に振り分け、青春・赤夏・白秋・黒冬という易経の分類段階にし、そこに四聖獣、すなわち青龍・朱雀・白虎・玄武が守護神としてついているという考えである。前近代では、共同体の認める美徳に沿って生きることがよいとされる。しかも、社会的変化も近代より緩慢である。こうした背景の下、年齢に応じた道徳的課題の実践の規範がライフサイクルとして共同体において共有される。

 近代においてもライフサイクル説がいくつか提示されている。ただし、それらは慣習的道徳ではなく、発達心理学に基づいている。近代は政教分離、すなわち公私分離に伴い価値観の選択が個人に委ねられている。理論が立脚するのは経験科学でなければならない。近代の段階説がライフサイクルとするなら、成長と老化を対にして捉えるなど前近代は「ライフスパン」と呼べるだろう。

 ライフサイクル論の代表例としてエリクソンの8段階説とレビンソンの25年周期4段階説を挙げることができる。

 精神分析に影響を受けたエリクソンは「アイデンティティ(Identity)」を提唱したことで知られる。アイデンティティは時間を越えて自己が同一・連続であるという主観的な認識で、人生全般において個人が取り組むべき諸課題と関連している。エリクソンはこのアイデンティティを軸として発達の8段階説を示す。その段階は「乳児期(0~2歳)」・「幼児期初期(2~4歳)」・「幼児期(4~5歳)」・「学童期(5~12歳)」・「青年期(13~19歳)」・「成人期初期(20~39歳)」・「成人期後期(40~64歳)」・「老年期(65歳以降)」である。

 各段階にはアイデンティティにかかわる発達課題があり、その成否による影響が認知行動にもたらされる。乳児期は基本的信頼感・不信感、幼児期初期は自律性・疑惑、幼児期は積極性・罪悪感、児童期は勤勉性・劣等感、青年期はアイデンティティ形成・拡散、成人期初期は親密性・孤独、成人期後期は生殖・事故吸収、老年期は自己統合・絶望である。高齢者の人生論で言うと、老年の課題はいかに自分の人生を肯定できるかどうかになる。

 ダニエル・レビンソン(Daniel J. Levinson)はカール・グスタフ・ユングの心理分析に影響を受けている。彼は成人期の発達をライフサイクルの四季になぞらえ四つの時期を経るとし、各発達期の間に過渡期があると主張する。4発達期は「児童期と青年期(0〜22歳)」・「成人前期(17〜45歳)」・「中年期(40〜65歳)」・「老年期(60歳以降)」である。また、過渡期は通常4~5年で、それまでの生活の基本パターンを根本から修正する時期であり、発達期をつなぐ。

 レビンソンは、成人の発達が生活構造の安定期と過渡期とが交互に現われ進んでいくとし、そのいずれにも課題があると言う。安定期の発達課題は、重要な選択を行い、それを中心に生活パターンを構築し、自身の目標と価値観を追求することである。他方、過渡期の発達課題は、それまでのパターンを見直し、内的・外的変化の可能性を探求して、次の安定期に備えて新しい生活構造の基盤となる重要な選択をすることである。

 森毅の著作を読んでも、精神分析や心理分析からの影響を見出すことができない。彼は自身の思想に構造主義との類似性を認めている。森毅のライフサイクル説はジャン・ピアジェの発達心理学の拡張と考えられる。発達心理学に構造主義を導入したピアジェは思考発達段階を4つに分けている。また、ローレンス・コールバーグがこの指向発達段階説を道徳性に拡張し、6段階に分けている。教育学にも通じた森毅は、精神分析や心理分析ではなく、構造主義から影響されたと見るべきだろう。

 ライフサイクル論は発達心理学だけでなく、経済学など他分野でも利用されている。「事業ライフサイクル」がそうした例である。ただ、人の一生が多様化・脱制度化・個人化したため、近年の社会学はライフサイクル説よりも、むしろ、「ライフコース(Life Course)」や「ライフイベント(Life Event)」、「コーホート(Cohort)」などを用いて分析している。ポール・バルテスは、未成年では年齢、成年では社会、老年では個性がそれぞれ人生に影響すると述べている。また、フラッシュバルブ記憶のように、社会で広く経験する出来事であっても、その年齢によって反応や印象が異なるだろう。社会学は、個人と社会との関連から人生の道筋を考えようとするので、ライフサイクル説による説明に不十分さを見て取るのも当然だろう。

 森毅はライフサイクルとして「人生二十年説」を示し、その後、「人生忠臣蔵説」に修ージョンアップしている。前者はレビンソン、後者はエリクソンを思い起こさせる。

 「人生二十年説」は誕生から80歳までを20年ごとに4期に分けたものである。「第一の人生」は「自分の世界をしっかりつくる」時期である。それは「差し当たりこの人生として、輝かそうと考える」ものだ。「第二の人生」は「“明日の自分”をつくる仕事について」の時期である。それは「まったく新しい人生として生きる」ことだ。「第三の人生」は「自分の新しいレールを走る」時期である。それは「この辺で気分をかえて楽しく過ごそう」というものだ。「第四の人生」は「人生を徹底的に楽しむ! 」時期である。それは「のんびりと構える」ことだ。

 20年という区切りに科学的根拠はない。森毅は、他の著作でも、一つのことを20年するといいアイデアは出尽くすという経験則を持っており、それに基づいた時期区分である。「そういう学派というのが形成されるわけやけど、これには原理的には矛盾した面があって、集まってなんかするんやから、いくらか同じ方向を向いてないと生産性が出ないです。とくに秀才が集まってくると、生産性高まる。ところが、その分だけオリジナリティーは減る、当然のことですけど。最初の段階はいわゆる梁山泊で、なにがどうなるかわからん。そのままポシャることもあるっていう、そういう構造です、学派の典型は。それでピークのころは生産性は上がっているようだけど、方向が単純化しちゃうから、あと20年くらいすると、昔やってたなって話になる」(『東大が倒産する日』)。

 以上の4段階である。ただ、森毅はその後もエピローグ「『第五の人生』も捨てたものではない」において言及している。その時期は「ただ置物になるのが理想」である。森毅は黒澤明やバートランド・ラッセル、泉重千代を例にして「存在それ自体に意味がある」と説く。自身は「おしゃべりな置物」もまるだろうと予想する。

 「人生二十年説」の特徴は、「しっかり過去を切り離して、生まれ変わってほしい」と言っているように、「第二の人生」以降、リセットして前の時期を引きずらないことを強調することである。各時期に臨むべきことがある。けれども、それを次の段階に引きずっいぇはならない。人生は一度きりではなく、そのなかで4回以上生まれ変われる可能性がある。

 森毅はこの4段階を四季になぞらえている。人がおしゃれをする際、季節に合わせる。同様に、年齢のおしゃれとは時代の風の中で生きることである。若者は時代そのものだが、高齢者はそうではない。時代の風の中にうろうろする。しかし、自分の中に子どもや若者がいる。往々にして間違うのは、時代が変わっているのに、過去の自分を引きずってしまうことだ。60歳の自分の中にも20歳がいる。だが、40年前の20歳で今を生きようとすれば、齟齬が生じるものだ。今の20歳として自分の中のそれを楽しませる方がよい。「しっかり過去を切り離して、生まれ変わってほしい」とはこういうことである。

 森毅はこの「人生二十年説」のエッセンスを残しつつ、年齢区分を4から11に変更する。その際、彼は均等分けを避け、対数目盛を利用する。若い時の方が老いた時よりも同じ年月であっても心身の変化が大きいからである。

 人生忠臣蔵説は人の一生を『忠臣蔵』の11段構成と内容になぞらえて、11期に分けたライフサイクル説である。『仮名手本忠臣蔵』は大序「鶴岡の饗応」・二段目「諫言の寝刃」・三段目「恋歌の意趣」・四段目「来世の忠義」・五段目「恩愛の二つ玉」・六段目「財布の連判」・七段目「大臣の錆刀」・八段目「道行旅路の嫁入」・九段目「山科の雪転し」・十段目「発足の櫛笄」・十一段目「合印の忍び兜」という構成である。「人生忠臣蔵説」の11の時期は格段の数の2乗までの年齢によって区分されている。1段目は1の2乗で1歳、2段目は2の2乗で4歳といった具合である。11の時期の各年齢区分は1・4・9・16・25・36・49・64・81・100・121である。人間の最澄寿命は、現在の研究で、120歳とされているので、全人類がこのライフサイクル説によって包摂される。直観的であるが、この年齢区分は汎用性があるように思われる。

 1段目は乳児期で、「単なる動物から人になるのは、この最初の一年間だ」。2段目は幼児前期、3段目は幼児後期、4段目は「少年少女期」、5段目は「青春期」で、これらの時期はエリクソンとさほど違いはない。なお、9歳は教育学において「9歳の壁」と言われる時期である。この頃から学習カリキュラムに抽象的問題が入ってくるため、学力や意欲の格差が拡大し始める。6段目は「人生ドラマ」が「佳境に入る」時期だ。すでに述べた通り、この時期に現場や研究などで最も活発に働く。7段目は「いわゆる働き盛り」で、「組織をどう作るか、他人をどう使うかに、腐心しなければならない」。8段目は「組織の安全弁」で、組織のために不祥事の際に責任を取る役割を負う。以降の三段は組織から離れて、「老年の自立」の時期である。9段目は「シルバー」、10段目は「ゴールド」、11段目は「プラチナ」の時期にそれぞれ当たる。これは「人生二十年説」の第5の人世で、「存在それ自体に意味がある」。

 森毅は、こうしたライフサイクル説を提示した上で、高齢者にとってのテーマを「自立」だと説く。これは自分の過去からの自立を意味する。人の人生は一つではない。もっと可能性がある。各段階を新たな人生として生きるなら、その可能性が現われる。新しい段階委に入っても、過去の自分に囚われていると、ルサンチマンがたまり、生き難さしか覚えない。その都度、生まれ変わり、新たな人生を送ることを楽しんだ方がよい。ライフサイクル説は人生を対象化し、見通しをよくしてくれる。それは人生の物語を描きやすくする。森毅はライフサイクル説をナラティブ記述のために示しているのであり、実証性などきにしていない。生まれ変わりは新たな物語の始まりである。多くの物語を持つことこそ豊かな人生というものだ。物語には、それを共有する多くの登場人物が必要である。それには人と交わる必要がある。人生の物語りのためにも、森毅は「社交」の重要性を語る。

 せっかくの自分にとっての人生というドラマなのに、早くから計画を固めてしまって、その通りに進むのではつまらない。実際には時代のほうが変わってくれるので、思ったようになることはあまりない。そのときに、計画を優先していると、思ったことにならないことがマイナスになってしまう。それよりは、人生のドラマの転回のきっかけになると、プラスに考えたほうがよい。転ばぬようにしたいが転んでしまうこともあるのが人生で、せっかく転んだからには、なにかを拾ったほうが得。
 このことは自分の生き方のようだが、人間の文化というものは、そのようにして発展してきた。計画によって進んだのではない。人生のドラマは、人間文化のドラマと似ている。ぼくだって、小さな計画くらい持つことはあるが、それは理想としてではなく、進路のための一種の必要悪と考えている。大学にいたころ、いちばん嫌だったのは、いろんな将来計画を作文させられることだった。何が創造の府だ。計画通りに進んだりしたら、創造なんてない。未来は、人間のちっぽけな創造を超えているからドラマなのに。
(森毅『地図にない未来』)

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