第3話  2034年、シラフ

文字数 1,352文字

 その薬は通称シラフと呼ばれた。そして、世の中の人はシラフ派と反シラフ派に分かれた。

 亮太は大学で有機化学を専攻していたが、大学院では酒害を修士論文のテーマにした。

 シラフ以前、酒の有害性は賛否両論あるテーマだったが、シラフ後は、統計的に有意な確率で有害であることが立証され、それが一般に定着していた。


 亮太は博士後期課程には進まず、酒害研究者として働くことを選んだ。

 現在、奈良県の国営平城宮(ならのみやこ)跡歴史公園内で、内裏(だいり)の東側に再建された巨大な造酒司(さけのつかさ)内で仕事をしていた。

 亮太の与えられた仕事場は地下一階の1000㎡程の部屋のほぼ真ん中であった。

 そこへ赤ら顔の所長がフラフラ歩いてきた。
 所長「あ、中森くん。どう?最近は?」

 所長の「最近は?」は、「最近は、何かうまい酒を飲みましたか?そしたらそれについて教えて下さい」、の省略形だ。

 亮太 「すみません。今、論文が佳境なもんで」

 所長は残念そうに「あ、そうですか」と言って、フラフラと所長室に向かった。

 ここは古(いにしえ)から国営の酒造所なのだ。所長は試験中の酒の味を確かめるので、いつも酔っ払っている。


 亮太はシラフの寿命効果に関するメタ論文を既に書き上げ、その見直し中であった。

 酒に関して現在のマスコミを始めとする人達の一番の興味は、シラフを飲まずに酒を飲んでいる人が何年早死するかであった。

 より細かくいうと、シラフを飲まないで酒を飲んでいる人が、酒を飲んだらシラフを飲んでいる人と比べ、年齢、性別、年収等が同じ条件の場合、何年早く死ぬか、ということである。

 亮太の論文では、日常的に飲酒する男性の場合、20. 05年早死すると算出されていた。

 亮太はある程度予想してたとは言え、余りにも数値が大きいので心配になり隣席の女性職員に聞いた。
「あの、えと、あなたは、岩手さん、でしたっけ?」

 臨席の女性の名前は岩手で合っていた。
 彼女は時々亮太のことを見ていたのだが、亮太は全く気づいてくれなかった。
 1年も隣席なのに彼から話しかけてもらったのは初めてだ。

 岩手「 はい、そうです。光栄です。中森さんに私の名前を呼んで頂けるなんて!」
 岩手は潤んだ目で亮太の目を見て、続けた。
「あ、あの、中森さんのお姉さんって、あの有名ブランドの社長をしてらっしゃるんでしょう?」
「は、はあ?まあ」
 姉は本当は社長ではなく、副社長なのだが、その話をすると長く掛かりそうなのでそれには触れずに聞いた。
「この私のメタ論文の最終的な20.5年という数値なんですが、高すぎないでしょうか?
 何処か私の気付かない間違いがないでしょうか?」

 岩手はいやいや亮太の顔から目を話すと、数学オリンピックに出た人間の目になって、論文をもらうと、流し読みした。


 5分くらい経ったろうか。

 岩手「手を…」
 亮太「は?」
 岩手「手を出しては頂けませんか?」
 亮太はとにかく右手を出した。
 岩手はその手に読み終えた論文を乗せ、両手で論文と亮太の右手を挟んで優しく力を込めながら言った。
「残念ながら私には間違いは一つも見つけられませんでした。数学的には満点ですわ」

 岩手の心の声(さすが、中森社長の弟さんねぇ。超イケメン。私、隣の席にいるだけで幸せだわ)
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