#03-009「パンドラの匣に手を掛ける」

文字数 2,650文字

『GSL』

 短く応えたカタギリに、アキは絶句する。なぜカタギリがGSLを出現させられるのか、理解できなかったからだ。

「やはりね。きみは、そういうことか」

 エメレンティアナは頷くと、カタギリと同じように空中に何かを描いた。空間を引き裂いて現れたのは、巨大なドラゴンのような何かだった。カタギリが生じさせたのもまた、ドラゴンのような何かだった。身の丈三十メートルはあるだろうか。そんな二つの青白い()()()()()が、アキたちをまるで無視して戦い始める。

「悪魔とかドラゴンとか、最近の流行っていったい何なの!?」

 アキは破れかぶれにそう叫ぶと、傍らで腕を組んでいる少年を見下ろす。

「それにさっきの()()って何?」
『この空間はな、In3ネットによく似た別物だ』
「エメレンティアナの独自ネットってこと?」
『同時に、環地球軍事衛星群(グラディウス・リング)の中の局所ネットでもある』
「え?」
『試作段階で廃棄された新世代ネットワーク、Agn(アグネス)模倣品(ミーム)だ』
模倣品(ミーム)って……」

 アキにはさっぱり意味がわからない。だが、カタギリは構わずに続けていく。

『エメレンティアナは、環地球軍事衛星群(グラディウス・リング)に至ったということだ』
「至るって……そんなのアサクラさんやあなただって」
『そうではない』

 カタギリは咆哮するドラゴンたちを見遣りながら首を振った。

「そう、わたしはAgn(アグネス)ネットを解析し我が物にした」
『……偽物だがな』
「わたしこそがAgn(アグネス)の管理者」

 エメレンティアナは朗々と告げる。

「わたしこそがすべてのIn3ネットを従える上位構造」
『そう思っているぶんには勝手だが』

 そっけなく切り捨てたカタギリは、挑発的に目を細める。アキはそんなカタギリとエメレンティアナの神々しい姿を交互に眺めるだけだ。

『私のモノに触れようとしたことは赦し難い』
「きみのものだって? Agn(アグネス)が?」
『そう、あらゆるノードは私のモノ』
「なんと烏滸(おこ)がましい。人間風情がわたしの高みに至れると――」
「ちょっと待った!」

 アキが右手を突き出した。

「エメレンティアナはあたしと同じ機械化人間(マキナドール)だって聞いた。だとしたら、()()()()っていう表現はないんじゃない? あたしたちを蘇らせてくれたのは、再戦の機会を得られたのは人間たちのおかげじゃない」
「ははは! はははははははは!」

 エメレンティアナはその姿に似つかわしくない笑声を上げた。

「人間の()()()、だって? そう、そうか。きみは確かにそうかもしれない。きみは戦いの中で死に、戦いのために蘇った」
「う……なんか心外だけど、その言い方」
「再戦というのもそうだ。きみはきみの心にバイアスを埋め込まれている。きみは未だ、その事実に気が付いていないんだ」
「……バイアスってなんだっけ?」

 アキはむっとした表情を見せる。エメレンティアナは侮蔑するような様子もなく、歌うように告げた。

安全装置(セイフティ)とでも制御装置(コントローラー)とでも呼ぶといいけれど、きみは機械化人間(マキナドール)になるにあたって、そんなプログラムが組み込まれたっていうことなんだ。マインドコントロールみたいなものだよ」
「あたしはあたしだし。別に昔となんも変わってないよ」

 アキは両手を腰に当てて、エメレンティアナを睨む。そんなアキを見て、カタギリは無表情に言った。

『アキ、それでいい。認知バイアスの類からは、私以外のなんぴとたりとも逃れられない』
「傲慢な」

 エメレンティアナが唇の両端を吊り上げる。吐き出された言葉とその表情には、奈落と天頂ほどの落差があった。

「わたしは八木博士によって生み出された究極の人間。あらゆるノードを睥睨し、支配し、管理するために生み出された(D.E.M.)
D.E.M.(デム)?」
「そう、機械化人間(マキナドール)の究極の形。人の創りし量子の()
『ふん』

 カタギリは腕を組んだまま横目でエメレンティアナを見ていた。そこにはやはり、表情の類は欠片も見当たらない。

『その八木博士を亡き者にし、そしてその頸木(くびき)を逃れたつもりやもしれんが。それがお前の限界だ、エメレンティアナ』

 カタギリの言葉に合わせるように、ドラゴンが咆哮する。虚無の空間が震動する。

「さて、そろそろ」

 エメレンティアナが右手を上げた。その突き上げた人差し指を中心にして、空間が輝く。

「邪魔者には退場願おうか」
『ふ……』

 カタギリはその少年の顔に、表情らしい表情を浮かべた。アキがその横顔に見たのは、圧倒的な余裕だった。アキとしては、もう事ここに至っては何もできることはないと完全に傍観を決め込んでいた。いまさら慌てたところで、なるようにしかなるまいと。その諦観(ていかん)の念こそ、一度()()()彼女ならではの観念なのだ。だが、彼女自身にはそういった死生観は、もはや認識できないレベルに重要度(プライオリティ)の低い問題でしかなかった。

『ここが真のAgn(アグネス)であったなら、お前の勝ちだっただろう』
「なに……?」
『言っただろう。()()()()()()()()()()()()()と』

 カタギリはおもむろに右手を突き出した。その指先に黒とも紫ともつかぬ球体が生じ始める。そしてそれがカタギリ自身ほどの大きさまで成長した所で、カタギリはそれをドラゴンの方へと(ほう)った。

「なに……!?」
『お前が私の挑発に乗ってGSLを出現させた時に、このAgn(アグネス)偽物(ミーム)構造(ストラクチャ)は解析された。油断したな、エメレンティアナ』

 その暗黒の球体はドラゴン二体を巻き込んで、至極あっさりと消滅した。アキはその光景をぽかんとした表情で眺めている。自分とミキだったら、悪戦苦闘して少なくない損害を出したうえでようやく撃退できるか否か……そんな類の化け物だったからだ。

「ありえない」
『現実を見ろ、エメレンティアナ。お前が(D.E.M.)だとするならば、私は(ジ・イネイン)だ』
「イネインだと?」
『検索してみろ、その優秀な量子の頭脳でな』

 カタギリは泰然と腕を組む。エメレンティアナは美しい表情を険しくし、そしてカタギリを冷たい視線で見た。アキは思わず自分の両肩を抱いた。二人の間には()え切った鋼のような殺気が()ちていた。

「そんなことが有り得るはずがない。Agn(アグネス)の――」
『そういうことだ』

 カタギリは『今すぐに散りたくなければ退()くがいい』と言って、目を細めた。

「え、ちょっと、カタギリさん。逃がすの?」
『ここで奴を殲滅したところで得るものは少ない』

 カタギリは口を動かさずにそう答えた。

「でも、こいつ放っておくと、ベルフォメトとやる時邪魔されるかも?」
Agn(アグネス)()()()の構造解析は完了している。おかげで私も環地球軍事衛星群(グラディウス・リング)のパンドラの(はこ)に一歩近づけた。その点だけは、感謝するよ、エメレンティアナ』

 カタギリはフッと微笑した。
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登場人物紹介

アキ。本作の主人公。

ほぼ全身を義体化した、機械化人間(マキナドール)。近接戦闘を得意とする。無茶と無鉄砲を足して二で割ったような性格。

ミキ。

アキの相棒。こちらも機械化人間(マキナドール)だが、ミキが得意とするのは中長距離での砲撃・銃撃戦闘。また、超重装甲。

アキのサポート役に回ることが多いが、単騎でのミッションもしばしばある。

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