第5話
文字数 11,136文字
8・ 水滴
時間が、秋が進んで行く。
何度も何度も陽は昇り、沈み、星も昇り、沈み、その時間の流れに空気も湖も冷えてゆく。
……アルアシオンの城内では、大怪我を負ったハンシスが必死で自分に出来る事を行っていた。
ハンシスは、とにかく寝続けた。寝続けることで、脈打つ拷問のような激痛から自らを守った。起きてしまった時間には、朦朧としながらも何でも良い、何とか食べられる物を食べていった。それが自分に出来うる唯一の、最大の事だと信じて、夢中で行っていった。
この単純で地味な努力が、慈悲深い神の同情を惹いてゆく。彼は高熱に陥ることも無く、傷口が腐り出すことも無く、少しずつ、少しずつに危険の状態から抜け出していった。まだほとんど身体を動かせない。勿論、右腕は動かせない。ズキズキと肉を打つ痛みは傷口に残り、意識すらもぼやけがちだというのに、しかし彼は不屈の気力をもって困難を乗り越えていった。
……時間は、進み続ける。
ブハイル湖に秋は進み、やがて、神の御加護の許にハンシスは痛みから解放される。正常に物事を思考できるまでを取り戻す。
そしてついに、ようやく、人と長く真っ当に会話ができるまでになる日が来た。その時最初に行ったのは、ルアーイドを呼び出して質問をする事だった。
その時が来たのだ。
その時、ハンシスはいきなり訊ねた。
「なぜ、君がここにいるんだ?」
そこは何も無い、がらんとした室内だ。
大きく取られた窓からは、秋の薄日を受けた淡い色合いの空、そして鈍い色のブハイル湖が見える。簡素な寝台に横たわったままのハンシスが、僅かに顔を横に傾けて真っ直ぐに見てくる。荒い息が苦しそうなのに、それでも彼はゆっくりと、立て続けに、知りたくてたまらない事を重ねて訊ねてゆく。
「今、私がここにいて負傷していることは、誰が知っているんだ……?」
「ナガの包囲戦の経過は……?」
「この怪我はいつ頃完治するのか? 腕は元通りになるのか……?」
ルアーイドは、その真っ直ぐの視線にさらされ続けていた。
二人きりの空間で、寝台の横の椅子に座り、窓からの冷えた風を受けていた。彼は感情を錯綜させた、強張った表情をさらしていた。茶色の眼が神経質に揺らしながら、主君でもある友の質問の一つ一つを、堅い態で聞き、堅い低い声で答えていった。
「なぜ居るかって? だって――。貴方の突然の失踪を私が探さないはずないだろう……?」
「貴方の負傷について、というか貴方がここに居る事を知るのは、この城内で働く数人を除けば、貴方の従姉殿と、ナガのイッル……カティルと、私だけだ……」
「ナガ城館は、とっくに降伏をした。貴方の勝利だ。ナガの豪族達も貴方を認めているそうだ。貴方が一族の当主だ。ともかくワーリズム家は貴方の望む通り、一つにまとまったんだ」
「傷は本当に酷かったんだ! 手を尽くしてももう駄目かと――だから私達はひたすら神に祈り……。
だから、回復が叶ったのは、貴方自身の体力と気力と、あとは神の御加護だったと思う」
そして。
「――私に矢を射たのは、誰だ?」
ついにその時が来た。真っ直ぐに見据えながらハンシスが訊ねた。冷えた風が抜ける中、
「誰が、私とシャダーに向けて巻上式の弩弓を撃ってきたんだ?」
「……。貴方に矢を射たのは――」
ルアーイドの回答が、一度、喉で途絶える。
寝台の上から、ハンシスの眼がじっとみている。著しく体力を損なっているはずなのに、なのに強い力をこめてその眼は見ている。返事を待っている。ルアーイドの瞳が不安定に揺れ動きながら瞬く。冷えた風の中に長い沈黙となり、
「――分からない」
そう答えた。
「イッル……カティルも、――彼も貴方を追いかけて来た訳だが――、彼が言うには、おそらく誰か、ナガに属する兵の誰かだろうと……。彼はそう言っていた。包囲戦の決着ならばとっくに付いたっていうのに、何を今さら……。呪われた奴だ……」
ハンシスの眼が、じっと、無言で見ている。
「……」
ルアーイドは、本当に風が冷たいと感じる。なのに体の芯が厚くなってゆく。室内に何の物音もしない事に、体中を締め上げられるような感覚がする。
「その矢はあるのか?」
「……。何?」
「私の体から抜いた矢だ。今、どこにある? 見れば誰の者か判るかもしれない」
「……」
当惑と緊張に、必死で耐える。
矢――。それでシャダーを殺そうとし、失敗して、それで貴方を瀕死に追い込んだとは、それをやったのが自分だとは、それだけは知られてはいけない。何が有っても知られてはいけない。神の御前にも嘘は守られなければいけない。だから。
「……矢は、捨てた」
「捨てたのか? なぜ? どこに?」
「カティルが、捨てた」
「カティルはどうして来ない? 今、城内にいるのか? それに、君はさっきイッルと言った。奴の事を知っているのか?」
「……いや。知らない――いや、違う――。違う、いや、知っている。本人が少しだけ話してくれたから。……驚いたよ。貴方の知り合いだったんだ。彼はつまり、貴方の――」
「私の?」
相手の視線に縛られて、ルアーイドの防衛はそろそろ限界に達した。悲愴な表情で首を横に振った。
「いや! ――だから、私は、知らないっ。矢も、イッルも分らないから……だから……。信じてくれ……だって私はいつも貴方の未来を思っているから……、頼むっ、嘘はついていないから!」
違う! 嘘だ、嘘をついている。自分はハンシスに重大な噓をついているっ。全能の神様っ、私を罰して下さい!
呼吸する胸が大きく上下し、思わず何かを喚き出そうとする。だがその直前、扉が開いた。両者は同時に振り向いた。
シャダーが、立っていた。
青色の簡素な服をまとったシャダーが、食事の皿を持って立っていた。その眼をもう、ハンシスへと向けながら。
ハンシスの眼の方ももう、彼女の眼を追っている。同じくルアーイドもまた、彼女を見てしまう。
シャダーは落ち着いていた。確固たる存在になっていた。そして何よりも綺麗だった。愛を得ることで一つ高い場に移ったのだろうか。つい過日に自分が殺そうとした存在は、時間の中で大きく転じてしまっていた。
「貴方はもう出て行って。これ以上ハンシスに話をさせないで」
静かな口調だ。
「彼を疲れさせないで。もう出て行って。早く」
なのに、反論の余地を与えない。
「……」
ルアーイドは逆らえない。逆らうことが出来ない。
いや。それ以上に、この二人が共にいる様を見ていたくないと思ってしまう。ふるえそうな唇を抑え、眉間に力を入れ、強張る脚で椅子から立ち上がると、
「……。じゃあ。ハンシス。必要な時にはいつでも呼んでくれ。貴方の為に何でもするから」
言い残し、ルアーイドは部屋から出て行った。通廊に出て扉を閉じ切った時、呻くような息を吐いてしまった。そして、――思った。
これから二人きりで何を語り合うのだろうか?
二人で、何の曇りもない互いの眼を見ながら、思う通りを、感じる通りを語り合うのだろうか? そうやって語り合うことで一層に、信頼と愛を深めていくのだろうか?
薄暗い通廊の、右側の端を見た。そこにある螺旋の石段を、呼吸を詰めながら登っていった。
登り切り、城の上階にある物見のテラスに達する。そちらに出た瞬間、全身に冷たい外気を感じる。薄れた空色の下に、黄葉の木々とぼやけた湖が広がっているのを見つめる。
(世界は、良い方向へ進んでいくのだろうか?)
ルアーイドは、鈍い色合いのブハイル湖を見捕える。
ハンシスは、望みの通りシャダーを手に入れた。シャダーはハンシスの愛を受け入れて、受け入れる事でより高い場へ昇ったのだろうか。
もう、弟への執着も消したのだろうか。二人は揃ってより良い場へ、曇りの無い調和の場へ立つのだろうか。
(ハンシスを中心において、世界は光の射す方へ進んでいくのだろうか?)
薄曇っているのに、光が眩しい。なのに風は身を切るように冷たく、体の底にぞっとする寒さを覚える。眼下のブハイル湖の色は黒くて暗くて、見続けていると息が詰まる気がする。
嘘は湖の底へと沈めてしまえるのか?
沈めてしまえば、湖に光は戻るのか? 本当に?
本当に、自分もまた、光の射す世界へと進んでゆくことが出来るのだろうか?
・ ・ ・
その時から、ルアーイドは憑りつかれてしまった。
(世界は――ブハイルの湖とアルアシオンの城は、そしてハンシスの未来は、光の射す方向へと進んでいくのだろうか?)
この考えに、憑りつかれてしまい、夜に眠れないことが当たり前になってきた、その眠れぬ床を抜け出した後に、物見のテラスに立つことが日課になっていた。この高い場より神経質な眼で湖面を見通し、胸底に沈むような不穏を覚えることを繰り返していた。
(早くここを去りたい)
秋だけが、何日も進む。これに合わせて樹々の黄色も、ブハイル湖の色も、複雑に変化を続ける。ルアーイドの思いは日ごとに増していく。カティルが当たり前のように独り城を出発する時――それって、いつだった? 確か、昨日? 確か、城門の脇で、だったか? 言ったことを思い出す。
「“この世は万事、ことも無し”って事か」
……そう。その時こうカティルが言った。
「ハンシスは完全に危機を越えた。しっかりと体力を回復させている。見事に耐え抜いたな。
もう心配は要らない。月が半分に痩せる頃には、奴も馬での遠乗りが出来るようになるだろうから、そうしたらコルムに帰れるな」
口調には、ごく単純な喜びが込められていた。
「向こうでは皆が、新当主のハンシスが戻って来るのを待ってる。ワーリズム家の新しい時代が来るのを皆が待ち望んでいるんだ、勿論俺もだ。これからはハンシスが中心に立って、世の中が上手く回っていくんだよ。
――おい、何を悲壮な顔をさらしてるんだよ。悲嘆主義者のルアーイド殿よ」
そう言って、カティルは珍しく素直な笑顔を見せたのだ。
「……」
だが。自分は、笑えなかった。
だって、本当に、万事世はことも無しなのだろうか?
だって、イッル。君だってまだ隠していることがあるんじゃないか? 今もそうだ。君は毎日の様にどこへいくんだ? アール城へ通っているとか言っているが、それは本当なのか? 実は私の知らないところで、勝手に物事を動かしてないのか? 以前もそうだったように? それに、
あの、猫の様な少年。
「――。ラディン」
「ラディンか? 奴ならずっとアール城内に閉じ込めている。
おい。何度もそう言っただろう? 心配するな。心配ばかりで身動きの取れない老婆か?」
そう言ってもう一度、カティルはからかうように笑ったのだ。
だが、その時も自分は思った。今も思っている。確かに思っている。
――本当にそこにいるのか? 本当にあの猫の様な少年は閉じ込められているのか? 今度こそ信じて良いのか? 今度こそ、神の前に自分は安心して良いのか? イッル!
「ルアーイド」
びくりと身がすくむ。唐突の声に身が縮まる。と同時に苛立ちと怒りを覚える。
またか? また気配を消して背中から近づき、そうやって私を愚鈍と、臆病とからかうのか!
「いい加減にしろ! 私をからかうな、イッル!」
引きつる顔で振り返った。
「――。どうしたの?」
ちょうど、曙光が差し込む場所だ。淡い光に縁どられるように、彼女は独りで立っていた。ルアーイドを驚かせた。
「……。失礼をしました。――申し訳ありません。イッルと……、カティルだと勘違いをしました」
「どうしたら私とカティルの声を間違えられるの?」
驚くでも怒るでも茶化すでも無い、シャダーは静かに続けた。
「カティルは、昨夜戻って来たの? 今、どこにいるの?」
「彼ならば昨夜の、かなり遅くになってから戻りました。運良く滋養の為の薬草を手に入れたとかで、急いで運んで来ました。今は自室で仮眠をとっているはずです。起こしましょうか?」
「そう。いいわ。自分で行きます。彼に訊ねたいことが有るから」
それって?
イッルに訊ねたい事って? 私の知らない事か? 二人で何について話し合うんだ?
夜明けの光が白い色を増してゆく。冷たい朝の風が吹き抜けている。シャダーは髪を押さえて立ち、毛先だけがゆっくりと揺れている。
光の中、あらためて間近から見る姿に、当惑を覚えた。それ程に彼女は落ち着いた、成熟をした女性になっていた。もう過去の姿が思い出せないほどに、いつの間にか、見違えるほどに、彼女は内面から満ち足りた美しさを示していた。
「……なに? ルアーイド」
訊きたい。
“本当に貴方の心はもう、ハンシスだけで占められているのですか?”
訊きたい。今こそ聞いて、安心したい。
“本当に? 本当にもう、ラディンへの執着は消えたのですか? あれ程の執着を今はもう? 本当に? 今さらハンシスから離反し、ハンシスを哀しませることはもう。本当に無いのですか!”
だが、不安で訊けない。どのような回答を聞く羽目になるのかと思うと怖くて、訊ねることが出来ない。
「……。ハンシスに……」
「ハンシス? 彼もまだ寝ているわ。昨日は馬に乗って一緒に湖沿いを進んでみたの。そのせいで疲れたみたい」
「――。そうですか。ハンシスに充分に体力が戻って、本当に良かったです……。
シャダー様。ならば、そろそろここを出発出来るのではないでしょうか? この城には兵がいません。警備に不安があります。加えて、コルムとナガの状況を考慮するならば、一日でも早くハンシスを帰途につかせた方が良いと、私は思います」
「それはまだ駄目よ。まだ充分じゃない。ハンシスの体に障るから」
「ですが――」
「今後の予定についてもカティルに相談したい事があったのに。――ねえ。彼は毎日のようにどこに行っているの?」
「……私も良く分かりません。でも、勿論、ハンシスとワーリズム家の為に動いているはずです」
「ハンシスと、ワーリズム家と、ラディンの為でしょう?」
びくりとルアーイドの表情が揺らいだ。ラディンという単語をシャダーが口にした、それだけで恐怖を覚えた。
シャダーは、本当にもう弟への執着を消したのか?
あの不気味な猫は今、本当に拘束されているのか? もしかしたら連日イッルはラディンに会いに行き、二人で何かを画策しているのでは?
解らない。
誰も、真実を教えてくれない。自分が誰を信じてよいのか、何をすれば良いのか解らないのに、一日の時間は途方もなく長い。ブハイル湖の色だけが確実に変わってゆく。
……
シャダーが去った後も物見のテラスに残り、ひたすらに、ひたすらに湖を見続ける事しか出来なかった。ルアーイドがようやく足を踏み出すことが出来た頃には、すでに淡い雲に覆われた太陽は天頂を過ぎかけていた。
ただ城の中を歩き、だが行き先を決められない。漠然と歩き続けた果てに、気づくと城門を出ていた。その位置からまた、ブハイル湖を見てしまう。何をすれば良いのか解らない時間は、ルアーイドの神経を蝕んでいく。秋の昼過ぎ、雲越しの薄い陽射しを受けて、湖面は淡い青色を帯び始めて……、
はっと、物音に振り返った。
「イッルっ」
カティルが馬に跨りながら城門から姿を現した。
「また行くのか? どこへっ。昨夜遅くに戻ったばかりなのに、もう行くのか、アール城に行くのか?」
相手が無視して進もうとするのを、ルアーイドは強引に馬の手綱にすがり付いて停めた。うんざりといった眼が鞍上から見下してきた。
「邪魔だ。ルアーイド、退けよ」
「教えてくれっ、アール城に行くのか? もう昼過ぎなのに今からいくのか? 行先はアール城か?」
「なんで何度も同じことを訊くんだ? ――そうだ。アール城だよ。あそこに行けば、鳩を飛ばしてナガの老ワシールと連絡を取れる」
「ラディンは? 閉じ込めているのか?」
「勿論だ」
「ならば私も行く。ラディンを確認したい」
「馬鹿か? 貴様まで外へ出たら、ハンシスに何かあった時にどうするんだ。阿呆で無能な事ばかり言いやがって」
薄い陽射しの中に、カティルの瞳も明るい淡色に浮かび上がっている。その明るい色彩だけで相手のことが解らなくなる。相手の言葉が本当なのか判じられなくなる。
「でも――本当は、何か私に隠している事があるんじゃないか?」
「そんなに俺の言葉が信じられないのなら、信じなくて良いぜ」
「やっぱり嘘なのか! 真実を教えてくれっ、隠さないでくれっ」
「しつこいっ、馬鹿が」
「頼むから! 止めてくれ、教えてくれ! 毎日どこで何をやっているんだ!」
カティルのうんざり顔が突然、にやりと、嫌みっぽい笑に変わった。真っ向から、からかった。
「――そんなこと、誰が貴様に教えるか」
その一言にルアーイドが真顔になり、動きを止めてしまった。そのあまりに蒼ざめた顔に、カティルの方が驚いた。
「何だよ、その顔は。冗談だよ。貴様があんまりしつこいから悪い。
大体、何がそんなに心配なんだ? 外敵か? それだったら、このアルアシオン城は外周のほとんどが湖に突き出している。地続きの部分は、ここの城門部分だけだ。固く城門が閉まっている限り、誰も侵入出来ないんだから安心しろ。老婆野郎」
「……」
「物事は良い方に進んでいるんだぞ。少しは笑え。陰気な顔ばかりさらすな」
「……。ならば、私は今、ここで……何をすれば良いのかな……?」
「俺に訊くな、阿呆が。自分で考えろ。好きにしろ」
あっさり言い切った途端、もう見向きもしなかった。カティルはそのまま馬を走らせる。湖沿いに去って行ってしまった。
「……」
ルアーイドは、独り残された。その体に、湖からの冷気が吹くつけてゆく。
体の芯が冷えてゆく。カティルの背中はとっくに消えているのに、動けない。世界にはなんの音もない。それだけで不穏に陥る。どうしてよいのか分からない。
「そうだな。自分で、考えないと。自分が、やることを……。ハンシスの為に……」
長い静寂の後、独り呟く。ふと、冷気を覚える。追われるように、逃げるように城内へ戻ろうと思う。その為にようやく踵を返した時だ。
ぞくりと背筋に冷気が走った。
視界の上方に、映った。湖を見下ろす城の物見のテラスに、シャダーとハンシスが立っていたのだ。
そこは、今朝も自分が立っていた場所だ。そこに二人が並んで立っていた。
秋の薄日を受けて、二人の顔が良く見える。螺旋の石段も何とか歩けるようになったことを喜んでいるのだろうか、両者ともが穏やかな笑顔だ。こちらには全く気付かず、流れる雲と青い湖面を見ながら互いに目を交わし、笑い、長々と喋り合っている。嬉しそうに、幸福そうに喋り合う二人の美しい姿が、薄日の中に輝くように映えている。
「……光の射す方に……。神様……」
唇が、勝手に呟いた。ルアーイドは、自分の感情を理解できなくなった。意味すら解らない涙が目ににじんだが、その自覚も無かった。そして、
……
時間の流れは止まらない。夜が来る。
ブハイル湖からの冷たい風に、水の感触を覚えた気がする。
夜闇の中に、水を覚える。
・ ・ ・
星が、時間が、流れる。
いや。とどまっているのか? もう解らない。真夜中だった。
……感じた。水の匂いがする。
水の匂いが漂っている。水の匂いと冷たい空気。そして、僅かな音。水滴が硬い床に落ちる、微かな音。それを感じ、ルアーイドは闇の寝台から身を起こした。
室内は闇だった。
今夜も一晩中燭台の灯を付けておくはずだったのに、その灯を見て過ごすつもりだったのに、いつの間にか寝ていたのか。その間に火が消えたのか。
「誰かいるのか?」
闇に、何かの気配を感じたのか。気のせいか?
「いるのか? 誰だ?」
闇を見ながら、右側に腕を伸ばす。壁に立てかけておいた長剣を掴もうとし、
その瞬間、右腕に激痛が走った!
潰れた悲鳴を発した途端、体を引っ張られて寝台から落ち、床へ崩れこむ。途端、次の苦痛が右腕の同じ場所を襲った。
「誰――っ」
やっと振り上げた顔に、右頬に、ひやりとした水の一滴が落ちた、と次の瞬間、襟首を掴まれ強い力で引き上げられた。
「ハンシスはどこだ」
水の生臭みが酷い。荒く息を吐き、もう一度闇に目を凝らそうとした途端、強か脇腹を蹴られた。痛みの残る右の上腕を、相手が激しく踏みつけ圧した。
「言え。ハンシスはどこだ」
この声を……覚えている。
「ナガの、ラディン――」
やっぱり嘘だったじゃないか!
心配無いと言ったくせにっ、確実に拘束していると言ったくせにっ、イッル!
「早く言え。シャダーもいるんだろう? どこだ」
「どこから入ってきたんだ……?」
闇に慣れた目がやっと捕えた。今、自分の顔の前に、小柄な輪郭の顔が有る。闇を通してすらはっきり分かったのは――怒りの感情を剥きだした大きな黒い眼!
突然ラディンが身をかがめる。その右腕が振り上げられ顔を殴ろうとした瞬間、ルアーイドは夢中で叫んだ。
「待て! 止めろっ、話すから!」
「早く言え!ハンシスとシャダーはどこだ」
「――今は、ここに、いない」
「嘘をっ、この場で腕をへし折るぞ!」
「嘘じゃない、二人とも今朝から――城を離れて――、
ナガのラディン殿、どこにいたんだっ、ハンシスがずっと探していたものを、どこに……」
すると、――ラディンがにんまりと、嗜虐的に笑った。
ルアーイドも笑みを作り、相手の敵意を消そうとする。その間にも、頭の中では猛烈な勢いで様々な考えを巡らす。とにかくこの状況を崩さないと。この圧倒的な不利を何とかしないと。視線を僅かに流す。闇の右隅に、壁に立てかけられたままの長剣が映る。
「おい!」
びくりと視線を戻した時、ルアーイドは気づく。相手の髪から水が滴っている。汚れ切り、いたる所が破れた服もまた、ぐっしょりと濡れている。まさか、
「……まさか、――泳いで来たのか? この寒空の夜に湖を、まさか……泳いで……」
さらに気付く。自分の襟を掴む掌が酷い傷を負っている。本当に酷い、見るだけで痛々しい、数え切れないほどの傷や腫れが両掌を覆い、血と体液が一面ににじんでいる。
「……それに、その両掌……。何が――」
「訊いているのは俺の方だぜ」
濡れた傷だらけの右手が、しかし平然と脇にあった燭台を掴んだ。顔を打ち殴るべく大きく振り上げた。
「止めろ! だから二人とも、ここにはいない。ハンシスの傷を診てもらうために、近くの村に行っている」
「しゃあしゃあと言うぜ。真実だけを言えよ、糞がっ。ふざけやがって――おいっ、俺を見ろ! 打つぞ!」
「分ったから! ラディン殿、真実を言うからっ、だから殴らないでくれっ」
ルアーイドの顔が恐怖に歪むのを見て、猫じみた笑みを見せつける。獲物を追い詰めた眼だ。絶対的に上位に立った側の冷虐の笑みだ。
その笑みが一転した! 猫が凄まじい苦痛の悲鳴を上げた。
ルアーイドが相手の左掌を掴むと力づくで引き寄せ、思いきり噛んだのだ。即座、相手を押しのけて転げるように石床を動く。ぽつんと立て掛けられたままの長剣を目指す。
「剣!」
両者が同時に叫んだ。同時に剣に手を伸ばした。
(掴める!)
一瞬早く掴む。これで勝てるとルアーイドは思う。今ならできる。まとまらない思考の中でずっと考えてきた事、決意しきれず躊躇していた事、未来の為の事。それが難なく今なら出来る。
今、猫を殺せるっ、ハンシスの前から永久に抹消できる!
(神様!)
なのにルアーイドは悲鳴を上げた。燭台で右肩を思い切り打たれた。握ったはずの剣が手からこぼれる。それをラディンが素早く奪い取る。はっと視線を動かし、相手の顔を見る。
何の躊躇もなく人を殺せる眼――その眼が自分を捕えている!
「殺す! 言え!」
恐怖が身を縛る。本能的な恐怖に縛られ動けない。
「今すぐ殺す、言えっ、ハンシスは!」
動けない。思考が出来ない。判断が出来ない!
「止めろ! ハンシスは最上階の奥だ!」
しまった――!
なぜ言ってしまったんだ! なぜ――!
夢中でラディンに手を伸ばす。だが目の前でラディンは素早く立ち上がり走り出し、部屋の扉を抜けてしまう。
「待て! 違うっ――ラディン、待て!」
即座追いかけたその鼻先、扉はすさまじい音を立てて閉まった。
「開けろ! 待て――違うっ、ラディン、違うから――、教えるから、起こった事……聞いてくれっ。頼む、扉の錠を開けて――ラディン! ――ハンシス!」
閉じた扉越しに相手が石床を走る足音が響き、消えた。
ルアーイドは恐慌に陥る。自分のせいでまたハンシスが傷付く。傷付き――死に追いやるっ、自分のせいで!
「開けろ! 止めろ! ハンシス――!」
自分の剣がハンシスを殺す!
同じ頃。カティルは夜闇の中を夢中で馬を駆る。
(急げっ)
ついに前方にブハイル湖が見えてくる。対岸のはるか遠く、雲間の月光を受けて、湖に付き出したアルアシオンの輪郭が僅かに浮かんでいる。彼は水際の小石混ざりの泥に、全力で馬を走らせる。それでも足りないと焦る。夜闇を嫌がって脚を鈍らせる馬を必死で駆る。
つい先ほどアール城で見た光景が頭にこびりついて消えない。相手の力を甘く見ていたことに猛烈な後悔を、歯ぎしりすらを覚える。
そうだ、なぜあれで充分だと思ってしまったんだ?
あの猫なんだ。欲するものの為には苦痛どころか、死すら恐れない猫なんだ。それを、ただ城内の一室に閉じ込めただけで充分と思ったなんて、自分の読みが甘かった。甘すぎた。でも、まさか。
まさか、扉に火を点けて破るなど!
……
黒く焦げて破られた木扉を見た時、横に立つアール城主が唖然の顔をさらしたのが記憶に残った。元来が冷静なはずの男が、呆けたように吐き捨てたのも。
「ここまでをやるのか……? ナガのラディンは?」
それこそは、自分と全く同じ感想だ。まさかここまでをするなんて、誰が思ったか!
配された食事の油と、燭台の火を用いたのだ。勿論その程度の火では、木扉は燃えない。扉を破る道具など何もない。
だから、両掌で力づくで、ひたすらに打ち続けたはずだ。凄まじい苦痛と大怪我を覚悟で、扉を燃やした上で、叩き、蹴り、体をぶつけ続けたのだ。それらりを繰り返して、破ったのだ。その執念に絶句した。
「この様子ならば、相当の怪我を負っているはずだぞ、まだ城内に潜んでいるはずだ」
冷静を取り戻して判断するアールの言葉に、カティルも一度は納得する。即座、城内を走り回り始めた。必死で探し続けた。しかし見つからず、時間だけが進み、そして――。
厨房の貯蔵庫の片隅を探っていた時、はっとカティルは気付いた。
“奴ならば、絶対にそんな事はしない”
なぜ気付かなかった。奴なら決して、城内に潜んで夜を待つなんて、そんな慎重な常道は取らない。そんな暇が有ったらとっくに走り出している。怪我の痛みなど無視してアルアシオンへ向けて走り出しているはずなんだ。あの凄まじい猫ならばっ。
なぜ気付かなかった? なぜ時間を無駄にしてしまった!
判断の失敗を後悔しても遅い。時間は戻らない。急げ、とにかく急げっ。
カティルは馬を駆る。アルアシオン城の輪郭が黒く、僅かに夜闇に浮かび上がっている。その 城の上部に、たった一つだけ、小さな光が漏れている。その頼りない光が、カティルの背筋に極めて現実的な恐怖を生じさせる。
(急げっ。早くっ。ハンシス――ラディン!)
【 続く 】
時間が、秋が進んで行く。
何度も何度も陽は昇り、沈み、星も昇り、沈み、その時間の流れに空気も湖も冷えてゆく。
……アルアシオンの城内では、大怪我を負ったハンシスが必死で自分に出来る事を行っていた。
ハンシスは、とにかく寝続けた。寝続けることで、脈打つ拷問のような激痛から自らを守った。起きてしまった時間には、朦朧としながらも何でも良い、何とか食べられる物を食べていった。それが自分に出来うる唯一の、最大の事だと信じて、夢中で行っていった。
この単純で地味な努力が、慈悲深い神の同情を惹いてゆく。彼は高熱に陥ることも無く、傷口が腐り出すことも無く、少しずつ、少しずつに危険の状態から抜け出していった。まだほとんど身体を動かせない。勿論、右腕は動かせない。ズキズキと肉を打つ痛みは傷口に残り、意識すらもぼやけがちだというのに、しかし彼は不屈の気力をもって困難を乗り越えていった。
……時間は、進み続ける。
ブハイル湖に秋は進み、やがて、神の御加護の許にハンシスは痛みから解放される。正常に物事を思考できるまでを取り戻す。
そしてついに、ようやく、人と長く真っ当に会話ができるまでになる日が来た。その時最初に行ったのは、ルアーイドを呼び出して質問をする事だった。
その時が来たのだ。
その時、ハンシスはいきなり訊ねた。
「なぜ、君がここにいるんだ?」
そこは何も無い、がらんとした室内だ。
大きく取られた窓からは、秋の薄日を受けた淡い色合いの空、そして鈍い色のブハイル湖が見える。簡素な寝台に横たわったままのハンシスが、僅かに顔を横に傾けて真っ直ぐに見てくる。荒い息が苦しそうなのに、それでも彼はゆっくりと、立て続けに、知りたくてたまらない事を重ねて訊ねてゆく。
「今、私がここにいて負傷していることは、誰が知っているんだ……?」
「ナガの包囲戦の経過は……?」
「この怪我はいつ頃完治するのか? 腕は元通りになるのか……?」
ルアーイドは、その真っ直ぐの視線にさらされ続けていた。
二人きりの空間で、寝台の横の椅子に座り、窓からの冷えた風を受けていた。彼は感情を錯綜させた、強張った表情をさらしていた。茶色の眼が神経質に揺らしながら、主君でもある友の質問の一つ一つを、堅い態で聞き、堅い低い声で答えていった。
「なぜ居るかって? だって――。貴方の突然の失踪を私が探さないはずないだろう……?」
「貴方の負傷について、というか貴方がここに居る事を知るのは、この城内で働く数人を除けば、貴方の従姉殿と、ナガのイッル……カティルと、私だけだ……」
「ナガ城館は、とっくに降伏をした。貴方の勝利だ。ナガの豪族達も貴方を認めているそうだ。貴方が一族の当主だ。ともかくワーリズム家は貴方の望む通り、一つにまとまったんだ」
「傷は本当に酷かったんだ! 手を尽くしてももう駄目かと――だから私達はひたすら神に祈り……。
だから、回復が叶ったのは、貴方自身の体力と気力と、あとは神の御加護だったと思う」
そして。
「――私に矢を射たのは、誰だ?」
ついにその時が来た。真っ直ぐに見据えながらハンシスが訊ねた。冷えた風が抜ける中、
「誰が、私とシャダーに向けて巻上式の弩弓を撃ってきたんだ?」
「……。貴方に矢を射たのは――」
ルアーイドの回答が、一度、喉で途絶える。
寝台の上から、ハンシスの眼がじっとみている。著しく体力を損なっているはずなのに、なのに強い力をこめてその眼は見ている。返事を待っている。ルアーイドの瞳が不安定に揺れ動きながら瞬く。冷えた風の中に長い沈黙となり、
「――分からない」
そう答えた。
「イッル……カティルも、――彼も貴方を追いかけて来た訳だが――、彼が言うには、おそらく誰か、ナガに属する兵の誰かだろうと……。彼はそう言っていた。包囲戦の決着ならばとっくに付いたっていうのに、何を今さら……。呪われた奴だ……」
ハンシスの眼が、じっと、無言で見ている。
「……」
ルアーイドは、本当に風が冷たいと感じる。なのに体の芯が厚くなってゆく。室内に何の物音もしない事に、体中を締め上げられるような感覚がする。
「その矢はあるのか?」
「……。何?」
「私の体から抜いた矢だ。今、どこにある? 見れば誰の者か判るかもしれない」
「……」
当惑と緊張に、必死で耐える。
矢――。それでシャダーを殺そうとし、失敗して、それで貴方を瀕死に追い込んだとは、それをやったのが自分だとは、それだけは知られてはいけない。何が有っても知られてはいけない。神の御前にも嘘は守られなければいけない。だから。
「……矢は、捨てた」
「捨てたのか? なぜ? どこに?」
「カティルが、捨てた」
「カティルはどうして来ない? 今、城内にいるのか? それに、君はさっきイッルと言った。奴の事を知っているのか?」
「……いや。知らない――いや、違う――。違う、いや、知っている。本人が少しだけ話してくれたから。……驚いたよ。貴方の知り合いだったんだ。彼はつまり、貴方の――」
「私の?」
相手の視線に縛られて、ルアーイドの防衛はそろそろ限界に達した。悲愴な表情で首を横に振った。
「いや! ――だから、私は、知らないっ。矢も、イッルも分らないから……だから……。信じてくれ……だって私はいつも貴方の未来を思っているから……、頼むっ、嘘はついていないから!」
違う! 嘘だ、嘘をついている。自分はハンシスに重大な噓をついているっ。全能の神様っ、私を罰して下さい!
呼吸する胸が大きく上下し、思わず何かを喚き出そうとする。だがその直前、扉が開いた。両者は同時に振り向いた。
シャダーが、立っていた。
青色の簡素な服をまとったシャダーが、食事の皿を持って立っていた。その眼をもう、ハンシスへと向けながら。
ハンシスの眼の方ももう、彼女の眼を追っている。同じくルアーイドもまた、彼女を見てしまう。
シャダーは落ち着いていた。確固たる存在になっていた。そして何よりも綺麗だった。愛を得ることで一つ高い場に移ったのだろうか。つい過日に自分が殺そうとした存在は、時間の中で大きく転じてしまっていた。
「貴方はもう出て行って。これ以上ハンシスに話をさせないで」
静かな口調だ。
「彼を疲れさせないで。もう出て行って。早く」
なのに、反論の余地を与えない。
「……」
ルアーイドは逆らえない。逆らうことが出来ない。
いや。それ以上に、この二人が共にいる様を見ていたくないと思ってしまう。ふるえそうな唇を抑え、眉間に力を入れ、強張る脚で椅子から立ち上がると、
「……。じゃあ。ハンシス。必要な時にはいつでも呼んでくれ。貴方の為に何でもするから」
言い残し、ルアーイドは部屋から出て行った。通廊に出て扉を閉じ切った時、呻くような息を吐いてしまった。そして、――思った。
これから二人きりで何を語り合うのだろうか?
二人で、何の曇りもない互いの眼を見ながら、思う通りを、感じる通りを語り合うのだろうか? そうやって語り合うことで一層に、信頼と愛を深めていくのだろうか?
薄暗い通廊の、右側の端を見た。そこにある螺旋の石段を、呼吸を詰めながら登っていった。
登り切り、城の上階にある物見のテラスに達する。そちらに出た瞬間、全身に冷たい外気を感じる。薄れた空色の下に、黄葉の木々とぼやけた湖が広がっているのを見つめる。
(世界は、良い方向へ進んでいくのだろうか?)
ルアーイドは、鈍い色合いのブハイル湖を見捕える。
ハンシスは、望みの通りシャダーを手に入れた。シャダーはハンシスの愛を受け入れて、受け入れる事でより高い場へ昇ったのだろうか。
もう、弟への執着も消したのだろうか。二人は揃ってより良い場へ、曇りの無い調和の場へ立つのだろうか。
(ハンシスを中心において、世界は光の射す方へ進んでいくのだろうか?)
薄曇っているのに、光が眩しい。なのに風は身を切るように冷たく、体の底にぞっとする寒さを覚える。眼下のブハイル湖の色は黒くて暗くて、見続けていると息が詰まる気がする。
嘘は湖の底へと沈めてしまえるのか?
沈めてしまえば、湖に光は戻るのか? 本当に?
本当に、自分もまた、光の射す世界へと進んでゆくことが出来るのだろうか?
・ ・ ・
その時から、ルアーイドは憑りつかれてしまった。
(世界は――ブハイルの湖とアルアシオンの城は、そしてハンシスの未来は、光の射す方向へと進んでいくのだろうか?)
この考えに、憑りつかれてしまい、夜に眠れないことが当たり前になってきた、その眠れぬ床を抜け出した後に、物見のテラスに立つことが日課になっていた。この高い場より神経質な眼で湖面を見通し、胸底に沈むような不穏を覚えることを繰り返していた。
(早くここを去りたい)
秋だけが、何日も進む。これに合わせて樹々の黄色も、ブハイル湖の色も、複雑に変化を続ける。ルアーイドの思いは日ごとに増していく。カティルが当たり前のように独り城を出発する時――それって、いつだった? 確か、昨日? 確か、城門の脇で、だったか? 言ったことを思い出す。
「“この世は万事、ことも無し”って事か」
……そう。その時こうカティルが言った。
「ハンシスは完全に危機を越えた。しっかりと体力を回復させている。見事に耐え抜いたな。
もう心配は要らない。月が半分に痩せる頃には、奴も馬での遠乗りが出来るようになるだろうから、そうしたらコルムに帰れるな」
口調には、ごく単純な喜びが込められていた。
「向こうでは皆が、新当主のハンシスが戻って来るのを待ってる。ワーリズム家の新しい時代が来るのを皆が待ち望んでいるんだ、勿論俺もだ。これからはハンシスが中心に立って、世の中が上手く回っていくんだよ。
――おい、何を悲壮な顔をさらしてるんだよ。悲嘆主義者のルアーイド殿よ」
そう言って、カティルは珍しく素直な笑顔を見せたのだ。
「……」
だが。自分は、笑えなかった。
だって、本当に、万事世はことも無しなのだろうか?
だって、イッル。君だってまだ隠していることがあるんじゃないか? 今もそうだ。君は毎日の様にどこへいくんだ? アール城へ通っているとか言っているが、それは本当なのか? 実は私の知らないところで、勝手に物事を動かしてないのか? 以前もそうだったように? それに、
あの、猫の様な少年。
「――。ラディン」
「ラディンか? 奴ならずっとアール城内に閉じ込めている。
おい。何度もそう言っただろう? 心配するな。心配ばかりで身動きの取れない老婆か?」
そう言ってもう一度、カティルはからかうように笑ったのだ。
だが、その時も自分は思った。今も思っている。確かに思っている。
――本当にそこにいるのか? 本当にあの猫の様な少年は閉じ込められているのか? 今度こそ信じて良いのか? 今度こそ、神の前に自分は安心して良いのか? イッル!
「ルアーイド」
びくりと身がすくむ。唐突の声に身が縮まる。と同時に苛立ちと怒りを覚える。
またか? また気配を消して背中から近づき、そうやって私を愚鈍と、臆病とからかうのか!
「いい加減にしろ! 私をからかうな、イッル!」
引きつる顔で振り返った。
「――。どうしたの?」
ちょうど、曙光が差し込む場所だ。淡い光に縁どられるように、彼女は独りで立っていた。ルアーイドを驚かせた。
「……。失礼をしました。――申し訳ありません。イッルと……、カティルだと勘違いをしました」
「どうしたら私とカティルの声を間違えられるの?」
驚くでも怒るでも茶化すでも無い、シャダーは静かに続けた。
「カティルは、昨夜戻って来たの? 今、どこにいるの?」
「彼ならば昨夜の、かなり遅くになってから戻りました。運良く滋養の為の薬草を手に入れたとかで、急いで運んで来ました。今は自室で仮眠をとっているはずです。起こしましょうか?」
「そう。いいわ。自分で行きます。彼に訊ねたいことが有るから」
それって?
イッルに訊ねたい事って? 私の知らない事か? 二人で何について話し合うんだ?
夜明けの光が白い色を増してゆく。冷たい朝の風が吹き抜けている。シャダーは髪を押さえて立ち、毛先だけがゆっくりと揺れている。
光の中、あらためて間近から見る姿に、当惑を覚えた。それ程に彼女は落ち着いた、成熟をした女性になっていた。もう過去の姿が思い出せないほどに、いつの間にか、見違えるほどに、彼女は内面から満ち足りた美しさを示していた。
「……なに? ルアーイド」
訊きたい。
“本当に貴方の心はもう、ハンシスだけで占められているのですか?”
訊きたい。今こそ聞いて、安心したい。
“本当に? 本当にもう、ラディンへの執着は消えたのですか? あれ程の執着を今はもう? 本当に? 今さらハンシスから離反し、ハンシスを哀しませることはもう。本当に無いのですか!”
だが、不安で訊けない。どのような回答を聞く羽目になるのかと思うと怖くて、訊ねることが出来ない。
「……。ハンシスに……」
「ハンシス? 彼もまだ寝ているわ。昨日は馬に乗って一緒に湖沿いを進んでみたの。そのせいで疲れたみたい」
「――。そうですか。ハンシスに充分に体力が戻って、本当に良かったです……。
シャダー様。ならば、そろそろここを出発出来るのではないでしょうか? この城には兵がいません。警備に不安があります。加えて、コルムとナガの状況を考慮するならば、一日でも早くハンシスを帰途につかせた方が良いと、私は思います」
「それはまだ駄目よ。まだ充分じゃない。ハンシスの体に障るから」
「ですが――」
「今後の予定についてもカティルに相談したい事があったのに。――ねえ。彼は毎日のようにどこに行っているの?」
「……私も良く分かりません。でも、勿論、ハンシスとワーリズム家の為に動いているはずです」
「ハンシスと、ワーリズム家と、ラディンの為でしょう?」
びくりとルアーイドの表情が揺らいだ。ラディンという単語をシャダーが口にした、それだけで恐怖を覚えた。
シャダーは、本当にもう弟への執着を消したのか?
あの不気味な猫は今、本当に拘束されているのか? もしかしたら連日イッルはラディンに会いに行き、二人で何かを画策しているのでは?
解らない。
誰も、真実を教えてくれない。自分が誰を信じてよいのか、何をすれば良いのか解らないのに、一日の時間は途方もなく長い。ブハイル湖の色だけが確実に変わってゆく。
……
シャダーが去った後も物見のテラスに残り、ひたすらに、ひたすらに湖を見続ける事しか出来なかった。ルアーイドがようやく足を踏み出すことが出来た頃には、すでに淡い雲に覆われた太陽は天頂を過ぎかけていた。
ただ城の中を歩き、だが行き先を決められない。漠然と歩き続けた果てに、気づくと城門を出ていた。その位置からまた、ブハイル湖を見てしまう。何をすれば良いのか解らない時間は、ルアーイドの神経を蝕んでいく。秋の昼過ぎ、雲越しの薄い陽射しを受けて、湖面は淡い青色を帯び始めて……、
はっと、物音に振り返った。
「イッルっ」
カティルが馬に跨りながら城門から姿を現した。
「また行くのか? どこへっ。昨夜遅くに戻ったばかりなのに、もう行くのか、アール城に行くのか?」
相手が無視して進もうとするのを、ルアーイドは強引に馬の手綱にすがり付いて停めた。うんざりといった眼が鞍上から見下してきた。
「邪魔だ。ルアーイド、退けよ」
「教えてくれっ、アール城に行くのか? もう昼過ぎなのに今からいくのか? 行先はアール城か?」
「なんで何度も同じことを訊くんだ? ――そうだ。アール城だよ。あそこに行けば、鳩を飛ばしてナガの老ワシールと連絡を取れる」
「ラディンは? 閉じ込めているのか?」
「勿論だ」
「ならば私も行く。ラディンを確認したい」
「馬鹿か? 貴様まで外へ出たら、ハンシスに何かあった時にどうするんだ。阿呆で無能な事ばかり言いやがって」
薄い陽射しの中に、カティルの瞳も明るい淡色に浮かび上がっている。その明るい色彩だけで相手のことが解らなくなる。相手の言葉が本当なのか判じられなくなる。
「でも――本当は、何か私に隠している事があるんじゃないか?」
「そんなに俺の言葉が信じられないのなら、信じなくて良いぜ」
「やっぱり嘘なのか! 真実を教えてくれっ、隠さないでくれっ」
「しつこいっ、馬鹿が」
「頼むから! 止めてくれ、教えてくれ! 毎日どこで何をやっているんだ!」
カティルのうんざり顔が突然、にやりと、嫌みっぽい笑に変わった。真っ向から、からかった。
「――そんなこと、誰が貴様に教えるか」
その一言にルアーイドが真顔になり、動きを止めてしまった。そのあまりに蒼ざめた顔に、カティルの方が驚いた。
「何だよ、その顔は。冗談だよ。貴様があんまりしつこいから悪い。
大体、何がそんなに心配なんだ? 外敵か? それだったら、このアルアシオン城は外周のほとんどが湖に突き出している。地続きの部分は、ここの城門部分だけだ。固く城門が閉まっている限り、誰も侵入出来ないんだから安心しろ。老婆野郎」
「……」
「物事は良い方に進んでいるんだぞ。少しは笑え。陰気な顔ばかりさらすな」
「……。ならば、私は今、ここで……何をすれば良いのかな……?」
「俺に訊くな、阿呆が。自分で考えろ。好きにしろ」
あっさり言い切った途端、もう見向きもしなかった。カティルはそのまま馬を走らせる。湖沿いに去って行ってしまった。
「……」
ルアーイドは、独り残された。その体に、湖からの冷気が吹くつけてゆく。
体の芯が冷えてゆく。カティルの背中はとっくに消えているのに、動けない。世界にはなんの音もない。それだけで不穏に陥る。どうしてよいのか分からない。
「そうだな。自分で、考えないと。自分が、やることを……。ハンシスの為に……」
長い静寂の後、独り呟く。ふと、冷気を覚える。追われるように、逃げるように城内へ戻ろうと思う。その為にようやく踵を返した時だ。
ぞくりと背筋に冷気が走った。
視界の上方に、映った。湖を見下ろす城の物見のテラスに、シャダーとハンシスが立っていたのだ。
そこは、今朝も自分が立っていた場所だ。そこに二人が並んで立っていた。
秋の薄日を受けて、二人の顔が良く見える。螺旋の石段も何とか歩けるようになったことを喜んでいるのだろうか、両者ともが穏やかな笑顔だ。こちらには全く気付かず、流れる雲と青い湖面を見ながら互いに目を交わし、笑い、長々と喋り合っている。嬉しそうに、幸福そうに喋り合う二人の美しい姿が、薄日の中に輝くように映えている。
「……光の射す方に……。神様……」
唇が、勝手に呟いた。ルアーイドは、自分の感情を理解できなくなった。意味すら解らない涙が目ににじんだが、その自覚も無かった。そして、
……
時間の流れは止まらない。夜が来る。
ブハイル湖からの冷たい風に、水の感触を覚えた気がする。
夜闇の中に、水を覚える。
・ ・ ・
星が、時間が、流れる。
いや。とどまっているのか? もう解らない。真夜中だった。
……感じた。水の匂いがする。
水の匂いが漂っている。水の匂いと冷たい空気。そして、僅かな音。水滴が硬い床に落ちる、微かな音。それを感じ、ルアーイドは闇の寝台から身を起こした。
室内は闇だった。
今夜も一晩中燭台の灯を付けておくはずだったのに、その灯を見て過ごすつもりだったのに、いつの間にか寝ていたのか。その間に火が消えたのか。
「誰かいるのか?」
闇に、何かの気配を感じたのか。気のせいか?
「いるのか? 誰だ?」
闇を見ながら、右側に腕を伸ばす。壁に立てかけておいた長剣を掴もうとし、
その瞬間、右腕に激痛が走った!
潰れた悲鳴を発した途端、体を引っ張られて寝台から落ち、床へ崩れこむ。途端、次の苦痛が右腕の同じ場所を襲った。
「誰――っ」
やっと振り上げた顔に、右頬に、ひやりとした水の一滴が落ちた、と次の瞬間、襟首を掴まれ強い力で引き上げられた。
「ハンシスはどこだ」
水の生臭みが酷い。荒く息を吐き、もう一度闇に目を凝らそうとした途端、強か脇腹を蹴られた。痛みの残る右の上腕を、相手が激しく踏みつけ圧した。
「言え。ハンシスはどこだ」
この声を……覚えている。
「ナガの、ラディン――」
やっぱり嘘だったじゃないか!
心配無いと言ったくせにっ、確実に拘束していると言ったくせにっ、イッル!
「早く言え。シャダーもいるんだろう? どこだ」
「どこから入ってきたんだ……?」
闇に慣れた目がやっと捕えた。今、自分の顔の前に、小柄な輪郭の顔が有る。闇を通してすらはっきり分かったのは――怒りの感情を剥きだした大きな黒い眼!
突然ラディンが身をかがめる。その右腕が振り上げられ顔を殴ろうとした瞬間、ルアーイドは夢中で叫んだ。
「待て! 止めろっ、話すから!」
「早く言え!ハンシスとシャダーはどこだ」
「――今は、ここに、いない」
「嘘をっ、この場で腕をへし折るぞ!」
「嘘じゃない、二人とも今朝から――城を離れて――、
ナガのラディン殿、どこにいたんだっ、ハンシスがずっと探していたものを、どこに……」
すると、――ラディンがにんまりと、嗜虐的に笑った。
ルアーイドも笑みを作り、相手の敵意を消そうとする。その間にも、頭の中では猛烈な勢いで様々な考えを巡らす。とにかくこの状況を崩さないと。この圧倒的な不利を何とかしないと。視線を僅かに流す。闇の右隅に、壁に立てかけられたままの長剣が映る。
「おい!」
びくりと視線を戻した時、ルアーイドは気づく。相手の髪から水が滴っている。汚れ切り、いたる所が破れた服もまた、ぐっしょりと濡れている。まさか、
「……まさか、――泳いで来たのか? この寒空の夜に湖を、まさか……泳いで……」
さらに気付く。自分の襟を掴む掌が酷い傷を負っている。本当に酷い、見るだけで痛々しい、数え切れないほどの傷や腫れが両掌を覆い、血と体液が一面ににじんでいる。
「……それに、その両掌……。何が――」
「訊いているのは俺の方だぜ」
濡れた傷だらけの右手が、しかし平然と脇にあった燭台を掴んだ。顔を打ち殴るべく大きく振り上げた。
「止めろ! だから二人とも、ここにはいない。ハンシスの傷を診てもらうために、近くの村に行っている」
「しゃあしゃあと言うぜ。真実だけを言えよ、糞がっ。ふざけやがって――おいっ、俺を見ろ! 打つぞ!」
「分ったから! ラディン殿、真実を言うからっ、だから殴らないでくれっ」
ルアーイドの顔が恐怖に歪むのを見て、猫じみた笑みを見せつける。獲物を追い詰めた眼だ。絶対的に上位に立った側の冷虐の笑みだ。
その笑みが一転した! 猫が凄まじい苦痛の悲鳴を上げた。
ルアーイドが相手の左掌を掴むと力づくで引き寄せ、思いきり噛んだのだ。即座、相手を押しのけて転げるように石床を動く。ぽつんと立て掛けられたままの長剣を目指す。
「剣!」
両者が同時に叫んだ。同時に剣に手を伸ばした。
(掴める!)
一瞬早く掴む。これで勝てるとルアーイドは思う。今ならできる。まとまらない思考の中でずっと考えてきた事、決意しきれず躊躇していた事、未来の為の事。それが難なく今なら出来る。
今、猫を殺せるっ、ハンシスの前から永久に抹消できる!
(神様!)
なのにルアーイドは悲鳴を上げた。燭台で右肩を思い切り打たれた。握ったはずの剣が手からこぼれる。それをラディンが素早く奪い取る。はっと視線を動かし、相手の顔を見る。
何の躊躇もなく人を殺せる眼――その眼が自分を捕えている!
「殺す! 言え!」
恐怖が身を縛る。本能的な恐怖に縛られ動けない。
「今すぐ殺す、言えっ、ハンシスは!」
動けない。思考が出来ない。判断が出来ない!
「止めろ! ハンシスは最上階の奥だ!」
しまった――!
なぜ言ってしまったんだ! なぜ――!
夢中でラディンに手を伸ばす。だが目の前でラディンは素早く立ち上がり走り出し、部屋の扉を抜けてしまう。
「待て! 違うっ――ラディン、待て!」
即座追いかけたその鼻先、扉はすさまじい音を立てて閉まった。
「開けろ! 待て――違うっ、ラディン、違うから――、教えるから、起こった事……聞いてくれっ。頼む、扉の錠を開けて――ラディン! ――ハンシス!」
閉じた扉越しに相手が石床を走る足音が響き、消えた。
ルアーイドは恐慌に陥る。自分のせいでまたハンシスが傷付く。傷付き――死に追いやるっ、自分のせいで!
「開けろ! 止めろ! ハンシス――!」
自分の剣がハンシスを殺す!
同じ頃。カティルは夜闇の中を夢中で馬を駆る。
(急げっ)
ついに前方にブハイル湖が見えてくる。対岸のはるか遠く、雲間の月光を受けて、湖に付き出したアルアシオンの輪郭が僅かに浮かんでいる。彼は水際の小石混ざりの泥に、全力で馬を走らせる。それでも足りないと焦る。夜闇を嫌がって脚を鈍らせる馬を必死で駆る。
つい先ほどアール城で見た光景が頭にこびりついて消えない。相手の力を甘く見ていたことに猛烈な後悔を、歯ぎしりすらを覚える。
そうだ、なぜあれで充分だと思ってしまったんだ?
あの猫なんだ。欲するものの為には苦痛どころか、死すら恐れない猫なんだ。それを、ただ城内の一室に閉じ込めただけで充分と思ったなんて、自分の読みが甘かった。甘すぎた。でも、まさか。
まさか、扉に火を点けて破るなど!
……
黒く焦げて破られた木扉を見た時、横に立つアール城主が唖然の顔をさらしたのが記憶に残った。元来が冷静なはずの男が、呆けたように吐き捨てたのも。
「ここまでをやるのか……? ナガのラディンは?」
それこそは、自分と全く同じ感想だ。まさかここまでをするなんて、誰が思ったか!
配された食事の油と、燭台の火を用いたのだ。勿論その程度の火では、木扉は燃えない。扉を破る道具など何もない。
だから、両掌で力づくで、ひたすらに打ち続けたはずだ。凄まじい苦痛と大怪我を覚悟で、扉を燃やした上で、叩き、蹴り、体をぶつけ続けたのだ。それらりを繰り返して、破ったのだ。その執念に絶句した。
「この様子ならば、相当の怪我を負っているはずだぞ、まだ城内に潜んでいるはずだ」
冷静を取り戻して判断するアールの言葉に、カティルも一度は納得する。即座、城内を走り回り始めた。必死で探し続けた。しかし見つからず、時間だけが進み、そして――。
厨房の貯蔵庫の片隅を探っていた時、はっとカティルは気付いた。
“奴ならば、絶対にそんな事はしない”
なぜ気付かなかった。奴なら決して、城内に潜んで夜を待つなんて、そんな慎重な常道は取らない。そんな暇が有ったらとっくに走り出している。怪我の痛みなど無視してアルアシオンへ向けて走り出しているはずなんだ。あの凄まじい猫ならばっ。
なぜ気付かなかった? なぜ時間を無駄にしてしまった!
判断の失敗を後悔しても遅い。時間は戻らない。急げ、とにかく急げっ。
カティルは馬を駆る。アルアシオン城の輪郭が黒く、僅かに夜闇に浮かび上がっている。その 城の上部に、たった一つだけ、小さな光が漏れている。その頼りない光が、カティルの背筋に極めて現実的な恐怖を生じさせる。
(急げっ。早くっ。ハンシス――ラディン!)
【 続く 】