コーヒーを淹れながら

文字数 2,826文字

「で、君はその怪人物について調べたいというわけだ」

 画面上のコンソールウィンドウに『Scholar』のノードプログラムが吐き出し続ける文字列を眺めながら、蘭は言った。
 蘭の生活の場でもあるこのワンルームマンションの一室は、びっくりするほど物が少ない。八畳敷ほどの床に低反発マットレスが敷かれて万年床になっているのと、フルサイズATXのサーバマシンがおいてある他は、目立つものは何も置かれていない。キッチンに電気ポットとインスタントコーヒーの瓶とコーヒーカップが二つあるが、これだってちょくちょく遊びに来る葵が自分で飲むために持ってきたものだ。本は雑多なジャンルのものが十数冊ほどあるが本棚はないので、部屋の隅に横向きで積まれていた。

「んー、まあお寺に対して何か良からぬことを企んでるんじゃなければいいんだけどさ」

 電気ポットにコーヒー二杯分の水を入れて沸かしながら、葵は答える。お湯が沸く前に、インスタントコーヒーの粉をカップへ入れる。砂糖がないので自分の分は少し薄めに作ってブラックで我慢する。蘭の方は、日の高い時間帯には濃いめのコーヒーを好む。

「まず最初に言えることは、畿内大学に『外尾雪之丞』なる研究員はいないってことだね。Scholarにも、そして他のどの学術雑誌、プレプリントサーバー内の論文にも、著者・研究協力者名として外尾雪之丞という名前を含むものはない。偽名だね」

 「該当なし」と表示されたwebブラウザの検索画面を見ながら、蘭は淡々と言う。

「むしろ、こうやって該当する人物がいないことを確認しやすくするために、『雪之丞』なんて珍しい名前をわざと使ったんじゃないかと思えるほどだよ」

 わざとだとしたら、何の目的でそうしたのかはわからないけどね。と蘭は付け加えた。
 湯が沸いたらしく、電気ポットがチープな単音でメロディーを奏でる。葵はカップ二つにお湯を注いで、一つを蘭に渡す。
 電気ポットが沈黙すると、室内の音はサーバマシンの動作音だけになった。「だけになった」と言うと静かな部屋のように聞こえるが、サーバの音は二メートル離れた場所にいる葵にも少し煩わしく感じる程度には自己主張が強い。Scholarが合意形成(コンセンサス)アルゴリズムにPoWを使用していた頃の名残りで、蘭のサーバはグラフィックボードが六枚も挿されていて、それらすべてがGPUを冷やすための換気ファンを備えているうえ、CPUやらなにやらにもファンは付いているし、950Wの電源に内蔵されたファンが特にうるさい。それに加えてScholarに日々投稿される大量データの保存のために積まれている六台のHDDの回転音もある。

「いつも思うけど……サーバうるさくない? 寝るときもつけっぱなしなんでしょ?」

 当たり前だがScholarは二十四時間稼働しているから、蘭のサーバも常時動いている。Scholarは世界中に点在するノードによるP2Pネットワークで構成されているから一時的に蘭がサーバを止めても運用できるが、ノードが減ればそれだけ攻撃(ハッキング)に対して弱くなる。Scholarの攻撃耐性は代表的な仮想通貨ブロックチェーンと比べれば低いから、サーバを止めるわけにはいかないと以前蘭は言っていた。

「一定音量の単調なノイズなら、すぐに慣れるよ。Scholar運営コミュニティの中には、自室にラックマウント型のサーバを置いて稼働させたまま寝起きしてる台湾人もいるんだぞ。そのうるささはこれとは比較にならない」

 そーゆーもんかね。と、コーヒーカップをふうふうしながら、葵は相槌を打った。

「んでさ、景教とか世尊なんとか論って、そもそも何なの?」

 蘭に訊きたかったのはそこだった。外尾と名乗った男の素性が嘘なのは判っていたのだから、調べる取っ掛かりとしてはあの本しかないのだ。

「景教というのは、キリスト教ネストリウス派の中国名だ」

 蘭は湯気を立てている濃いめのコーヒーを、まるで無味無臭で室温まで冷めた液体かのように無感動にひとくち飲むと、説明を続けた。

「ネストリウス派というのは、キリスト教史の初期にネストリウスが説いた教義解釈を信じるキリスト教の一派だな。西暦四三一年に現トルコにあるエフェソスで開かれた第三全地公会で異端とされて以来、地中海地域からは排斥されたが、ペルシャから東方へ東方へと伝わり、中国に伝わって『景教』と呼ばれた」

 年号まで良くすらすらと出てくるものだ、と葵が感心していたら、蘭はウェブブラウザで景教について書かれたページをいくつも開いて読んでいた。そうしながら「中国へ伝わったのは七世紀ごろだね」などと、前から知っていたかのように付け加える。

「異端って、どのへんが異端だったの?」
「異端と言っても、キリストが説いたと伝えられている教えと矛盾するようなことを説いたわけではない。グノーシス派を除く大抵の異端は、三位一体説やキリストの人性・神性についての解釈が違うだけだな。ネストリウス派もその一つで、キリストの人性・神性についての解釈が正統教会と違ったんだ。具体的にどう違うのかは僕も専門外だからうまく説明できない。この辺りのページを読んでくれ」

 そう言って蘭はウェブブラウザのウィンドウの一つを葵に示すが、蘭でさえ理解しきっていないものを葵が読んでわかるわけがない。大まかに言うとキリストは神でもあり(神性)、人でもある(人性)が、ネストリウス派がこのキリストの神性と人性を分離して考えるのに対し、正統教会は両者を分離せず、神性と人性を併せ持つ一つの位格としてとらえる、ということだろうか。

「そして、世尊布施論というのはその景教の聖典で、漢文で書かれているようだね。内容はマタイ福音書の、『山上の垂訓(すいくん)』を中心にした部分だそうだ」
「山上の、垂訓……」

 葵はごくり、と唾を飲み込む。

「……それは一体どういう内容なの?」
「知っていそうな反応をしておいてそれか。山上の垂訓というのはマタイによる福音書のなかで、イエスがガリラヤでたくさんの人を癒やしてまわった後、山に登っていくつかの教えを説くくだりの事だね。説かれる教えには比喩も多く使われている。君の知っているものの中で言うなら、法華経の譬喩品(ひゆほん)に近いかな」

 葵は別に法華経の譬喩品だって詳しいわけではないが、適当に受け流す。

「んじゃあ、『Q』ってのは?」

 外尾は世尊布施論が『Q』ではなかった、と言った。だとすれば彼が世尊布施論を見たがった理由は、それが『Q』かどうかを確認するためだったことになる。一体彼は、漢文で書かれたマタイ福音書の一部分をどのようなものだと考えたのだろうか。

「その文脈で『Q』という言葉が発せられたのなら、それの意味するところは恐らく『Q資料』だ」
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