4 小林秀雄の『Xへの手紙』

文字数 4,538文字

4 小林秀雄の『Xへの手紙』
 文芸批評家「小林秀雄」の名前はあなた方も聞いたことがあるでしょう。Z世代がたが文学にどれだけ興味を持っているかはわかりません。まして批評ともなればなおのことです。90年代以降、新人賞投稿の年齢層の傾向のニュースから、作家志望の若者が減っているように思えます。もし石原慎太郎や田中康夫がZ世代だったら、作家になっていなかったに違いありません。

 けれども、このような時代だからこそ批評を見直すべきです。折しも、石田祐樹記者による『朝日新聞デジタル』2022年12月9日5時00分配信「バーグルエン哲学・文化賞、柄谷行人さんが受賞」が柄谷行人の受賞を伝えています。柄谷行人は80年代を代表するカリスマ批評家で、近年は理論的仕事をしています。「この賞は、同所長で慈善家のニコラス・バーグルエンさんが『哲学のノーベル賞』を目指して2016年に創設し、『急速に変化していく世界のなかでその思想が人間の自己理解の形成と進歩に大きく貢献した思想家』に毎年授与している」。「過去の受賞者は、多文化の人間が共存する社会の構築を目指すカナダの哲学者チャールズ・テイラーさん▽米国で弁護士として性差別撤廃訴訟を多く手がけ、リベラル派を代表する最高裁判事だった故ルース・ベイダー・ギンズバーグさんら」で、柄谷はアジア人初の受賞者です。

 受賞したものの、率直に言って、柄谷行人の理論的作品は、基礎が欠けているため、我流で評価できません。その一方で、文芸批評は今読んでも優れたものが少なくありません。あなたがたZ世代も目を通して欲しいと思う批評です。

 柄谷を始め日本の文芸批評は小林秀雄を無視できません。ただ、その作品、特に初期は漢語が多く、とっつきにくいかもしれません。その彼は『Xへの手紙』を次のように書き始めています。

 この世の真実を陥穽(かんせい)を構えて捕らえようとする習慣が身についてこの方、この世はいずれしみったれた歌しか歌わなかった筈だったが、その歌はいつも俺には見知らぬ甘い欲情を持ったものの様に聞きえた。で、俺は後悔するのがいつも人より遅かった。

 この「Xへの手紙」は『中央公論』1931年9月号に掲載された作品です。小林秀雄は1902年4月11日生まれで、当時29歳です。架空の人物Xに宛てた書簡スタイルの批評であり、小林秀雄としては冒険的な作品になっています。小林秀雄は自分自身に「俺」を使い、Xを「君」と呼び、友人に話しかけるように書いています。順序立ててはいないものの、過去に経験した事件や出来事、今の文学・思想シーン、批評を含めた文学に関する自分の考えをかなり率直に告白しています。

 『Xへの手紙』からいくつか引用してみましょう。

 悧巧(りこう)そうな顔をしたすべての意見が俺の気に入らない。誤解にしろ正解にしろ同じように俺を苛立てる。同じように無意味だからだ。

 誠実という言葉ばかりではない、愛だとか、正義だとか、(およ)そ発音する度に奇態な音をたてたがる種類の言葉を、なんの羞恥(しゅうち)もなく使う人々を、俺は今も(なお)理解しない。

 言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。この様な世紀に生れ、夢みる事の(すみや)かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のない様な人は、余程幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う。

 俺は今も(なお)絶望に襲われた時、行手に自殺という言葉が現れるのを見る、そしてこの言葉が既に気恥しい晴着を(まと)っている事を確め、一種憂鬱な感動を覚える。そういう時だ、俺が誰もいい誰かの腕が、誰かの一種の眼差しが欲しいとほんとうに思い始めるのは。

 俺のして来た経験の語り難い部分だけが、今の俺の肉体の何処かで生きている、そう思っただけで心は一杯になって了うのだ。

 女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪(こしゃく)な夢を一挙に破ってくれた。と言っても何も人よりましな恋愛をしたとは思っていない。何も彼も尋常な事をやって来た。

 女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの要求にどきんとする。

 俺にはどうしても男というものは元来夢想家に出来上っている様な気がする。

 人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有する事は出来ない。みんな相手と半分ずつ分け合う食べ物だ。その限り俺達はこれらのものをどれも判然とは知っていない。

 俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少は生きてくれる人間だ。』

 君くらい他人から教わらず他人にも教えない心をもった人も珍らしい。そういう君が自分でもよく知らない君の天才が俺をうっとりさせる。君の心のこの部分が、その他の部分とうまく調和しなくなっている時、特に君は美しい。決して武装したことのない君の心は、どんな細かな理論の網目も平気でくぐりぬける程柔軟だが、又どんな思い掛けるない冗談にも傷つかない程堅い。

 俺は別に君を尊敬してはいない、君が好きだというだけで俺にはもう充分に複雑である。言わばそれは俺自身に対する苦痛だが、又快い戦なのだ。

 このように、『Xへの手紙』は、書簡体形式ですが、アルチュール・ランボーに影響された散文詩スタイルの批評と捉えるべきです。小林秀雄は1929年のデビュー作『様々なる意匠』の主張に辿り着く過程もこの中で語っています。「意匠」はイデオロギーと理解して差し支えありません。彼は「真実」がイデオロギーを根拠にした解釈だとして斥けます。その上で、自身の経験や感性、直観に基づく印象批評を採用するのです。

 しかし、これは、すでに述べた「真実は解釈にすぎない」の発想です。論拠が自分の内側にありますから、批評と言うより、「感想」でしょう。実際、小林秀雄はベルクソン論に『感想』というタイトルをつけています。

 小林秀雄は、『Xへの手紙』において、「整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界に過ぎぬ」と次のように述べています。

 整理する事は解決する事とは違う。整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界に過ぎぬ。俺はこの世界の存在をあるいは価値を 聊かも疑ってはいない、というのきこの世界を信じた方がいいのか、疑った方がいいの か、そんな場所に果しなく重ね上げられる人間認識上の論議に何の興味も湧かないから だ。俺の興味をひく点はたった一つだ。それはこの世界が果して人間の生活信条になる かならないかという点にある。人間がこの世界を信ずるためにあるいは信じないために、 何をこの世界に附加しているかという点だけだ。この世界を信ずるためにあるいは信じ ないために、どんな感情のシステムを必要としているかという点だけだ。一と口で言え ばなんの事はない、この世界を多少信じている人と多少信じていない人が事実上のっぴ きならない生き方をしている、丁度或るのっぴきならない一つの顔があると思えば、直 ぐ隣りにまた改変し難い一つの顔があるようなものだ。俺はこれ以上魅惑的な風景に出 会う事が出来ないし想像する事も出来ない。そうではないか、君はどう思う。

 「整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界である」なら、イデオロギーは世界の一つの相対化をもたらすものです。それは同時に、イデオロギー自身の対象化にもつながります。近代は、すでの述べた通り、社会契約論を始めさまざまな理論によって基礎付けられて制度設計され、生活もそれを前提としています。中でも、ホッブズの他、英国のジョン・ロックがその政治・経済社会についての考察を体系的に展開しています。さらに、彼らに影響された大陸やスコットランドの啓蒙主義者が近代にふさわしい諸制度に関する形而上学的提案も発表しています。イデオロギーへの狂信を批判する際に、「もう一つの世界に過ぎぬ」とするのは言い過ぎです。そこに陰謀論やポピュリズムが忍び込んできます。

 ところで、先に小林秀雄の主張を「感想」とした論拠について説明しておきます。文章は文によって構成されています。各文にはめいめい機能があります。それに注意して組み立てると、目的に適った文章になります。話芸では「マクラ」や「オチ」といった概念があります。それは機能による見方です。

 話は目的によって大きく三つに分けられます。事実を伝えるもの、意見を述べるもの、共感を求めるもので、それぞれによって組み立てが異なります。

 事実は話者の外側にある物事ですので、概観や因果関係などを具体的に伝達するものです。最初に全体像を示し、次第に詳しくしていきます。その代表が新聞記事です。実用文もこれに含まれます。

 意見は話者の内側にある考えですから、理由を納得してもらうものです。意見は、感想と違い、明確な理由があります。それを補強するのが根拠で、これは外側にあります。意見を冒頭にするか末尾にするか、はたまた両方に置くかは内容・事情次第です。ただ、聞いている人が迷子にならないように何について話すかはさっさと言う必要があります。冒頭に意見を持ってくる方が無難です。

 このタイプで重要なのは、むしろ、理由です。これを納得してもらうために、実例を挙げたり、視点を替えたりなど根拠を示すわけです。ちなみに、受験で出題される小論文はこの意見型に入ります。

 共感は自分の内側の心情の他者との共有ですので、心の動きを理解してもらうものです。心情ですから、明確な理由がないことも多いものです。心情を問いではなく、答えとして引き出す構成になります。これを逆にすると、「嫌いだから殴った」のように、幼稚に感じられます。聞き手はその心の動きのシークエンスをたどることで追体験したり、感情移入したりするのです。紀行文がこのタイプの好例です。

 小林秀雄の作品は共感型に入ります。しかし、共感型は詩や小説が属するものです。実際、彼が影響を受けたアランの批評は自分の考えを論拠に基づいて主張して知的に納得させる意見型を取っています。小林秀雄は散文詩として批評を書いているように見受けられます。それには、象徴派の詩人を愛好する小説家志望だったことが大きいでしょう。

 アランが示している通り、エッセイやコラムは意見を述べる文章です。けれども、小林秀雄が文芸批評家の権威となってしまったせいか、『天声人語』を始め日本のそのジャンルの作品は、概して、共感型で記されています。冒頭と末尾の主張が違うことが少なくないのは、そのためです。

 余談ですが、弁護士の戒能通孝の『法廷技術』(1952)によると、東京裁判において日本の弁護士が証人に「彼は何を思っていたか」と質問するのに対して、裁判長は「他人の気持は悪魔にもわからないという諺が西洋にありますよ。彼は何をいったか、何をしたかといってお聞きなさい。彼は何を思っていたかと聞いたって無意味です」とたしなめています。裁判は事実を元にして有罪か無罪かを争う場です。そこで共感型の文章を発することは場違いです。

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