第1話  地域おこしイベント「戦国宝探し」の危険っぽい幕開け 

文字数 12,780文字

「戦国宝探しってなんかワクワクするわね」
60人乗りバスの最後尾中央に座る相武不二美がチラシを眺めながらにやついた。
「地方でありがちな町おこしイベントの一つだよ」
窓側の隣りに座るアディオスこと真田あぢおは、そう謙遜すると背もたれに体を預けた。
「でもよくこんなイベント見つけたわね。賞金百万円とか太っ腹すぎでしょ」
不二美の目は優勝者には百万円と書かれた部分に釘付けになっている。
「ばあちゃんが送ってくれたんだ。遊びに来いっていうメッセージだよ。まあ百万円は確かに魅力的だ。優勝できればだけどね」
アディオスは気を引き締めるように口元を結んだ。
「でも宝を見つけたらそれももらえるんでしょ。何かしら、ヴィトンのバッグかな、カルティエの腕時計かな、ひょっとしたらイケメンアイドルのお宝グッズかも」
「戦国時代に著しくそぐわない宝だよね」
アディオスが嫉妬にかられたような目で諭した。  
「でも菊井町に実在した戦国武将の伝説をもとに催した町おこしイベントなんでしょ」
一番窓側に座る前川克雄がよいしょするように言った。前川は現時点でアディオスが通う大学の一学年後輩である。現時点とは、アディオスが留年の危機に瀕しているからであり、ともすれば比較的優秀な前川はともすればアディオスの先輩と化すおそれもあった。
「よく調べてるな前川。菊井町を治めていた菊井一族の最後の当主、菊井義武の伝説に基づいた宝探しさ」
「菊井義武って有名な殿様だったんですか?」
「戦上手とまでは言えないが謀略家で、アタック(攻撃)アンド、ラナウェイ(逃げる)が得意の戦法だったらしい」
「なんですかそれ」
「夜襲で敵の領内へ攻め込み、領民の人家で金品を強奪すると夜明け前に自国へ逃げ帰って城に閉じこもり守りを固めるという戦法だ」
「ただの盗人じゃん」前川は思わず漏れた口を慌ててふさぐと「でもそれだけでは財産は築けませんよね」と前言をうやむやにすべく、さらにたずねる。
「真貝さん宅から発掘された文献によれば、義武の父からの遺産、領民からのちょいとした略奪、他国からの借金と踏み倒し、宇宙人からの寄進。様々な手段で貯めた財産を埋蔵してたらしい」
「……きな臭い殿様だったんですね。そもそも文献自体がまがい物くさいですけど」今回は口を塞ぐことなく率直な意見を申し立てる前川だった。
「えぇ次は赤星さん宅前、赤星さん宅前でございます」
バスの運転手からのアナウンスが聞こえてきた。
「あっ、ここだ。降りるぞ。宝探しに行く前にまずはばあちゃんに挨拶だ」
アディオスがそそくさと荷物を手に持った。
「住宅がバス停名って……ほかに目印はなかったのかな」
不二美は目をしばたたいた。
 バスを降りるとどこを見ても田園風景が広がっている。南側には小高い丘が遠くに見えた。身を引き締めるような冷風が頬をうつ。鼻で大きく息を吸い込むと鼻の粘膜がツンと痛んだ。
「このあたりにおばあちゃん家があるの?」
不二美がたずねる。
「そうさ。俺も小学五年生までこの町に住んでいたんだよ。親父の転勤でじいちゃんとばあちゃんを残して引っ越したけど。俺のふるさとみたいなもんだ」
「おばあちゃんの家はどこ?」
「ここから見えるよ。ほら」
アディオスが西の方を指す。
「えっ、あの茶色い屋根?」
不二美は三百メートルほど先にある一軒家を指してたずねた。
「ちがうちがう、そのずっと奥の濃いグレーの瓦屋根」
アディオスは不二美の指先を三センチほど矯正、三キロほど離れた民家に向け直した。
「点にしか見えないけど……三キロも離れてて見えるというのもすごいわね」
「目が悪いのかい。これで見て」
アディオスがオペラグラスをバッグから取り出して手渡した。
「目が悪いってマサイ族の方々でも判別できないわよ」
不二美は不満顔で指された方角を双眼鏡でのぞき見た。
「あぢおグランドマズハウス(おばあちゃんの家)に行くまでには人より動物の方にたくさん出会いそうね」
不二美の視界に牛や豚、ニワトリの放牧風景と野良猫、野良犬たちが入ったのだろう。
「で、あそこまでどうやって行くんですか?」
大学の後輩である前川──アディオスの二度の留年により現在は同級であるが──がたずねる。
「歩く」
アディオスの発言とともに不二美の手から荷物が落ちる音がした。
「タクシーは?」不二美が眉間にしわを寄せ問うてくる。
「ここの交通量から推察して流しのタクシーにすぐ巡り会えると思うか?」
アディオスが指す道路を唯一の乗物コンバインが悠々と通り過ぎて行く。
「電話で呼べば?」
不二美の至極全うな要請にアディオスはスマホで地元タクシーを検索する。近くのタクシー会社の地図を表示すると、「3キロ乗るのに、15キロ先のタクシー会社から呼ぶか?」と投げかけ印籠を見せるがごとく不二美に証拠画面を向けた。地図に表示された赤い印と現在地を示す青い印はあり得ないほど離れている。軍師前川が具申すべく画面をのぞき込むと魂が抜けたような表情になり「歩きましょう。堤防沿いを歩けば道には迷わないでしょう」と白旗を揚げた。
「ええっ、秘密の地下鉄とか通ってないの? レンタサイクルは? トゥクトゥク(東南アジアの三輪タクシー)は?」
不二美の提案は無言で歩き出すアディオスの行為により抹殺された。
一行は堤防に作られた道へ折れると延々と続く一本道を歩き出した。不二美と前川は足下を見つめながら歩き続ける。
「えっ、どうした? うつむいて。お金とか落ちてないぞ」
「いや、先を見ると絶望しそうだから。一歩先だけ見て行こうと思って」
「おいおい、自然あふれる風景を見ないと損だぞ。見ろ、この辺り一帯は俺が小学生のころ自由研究をしたときの研究所だったんだよ」
アディオスは眼下に広がる野原を指し示した。
「へえ、こんなだだっ広い野原で何の研究をしたんですか?」
「雷の研究さ」
「どんな研究ですか?」
「イケメンのカカシとブサイクなカカシではどちらに雷は落ちるのか」
「は?」前川は眉間に皺をよせた。
「手作りのカカシの顔にアイドルの顔をはりつけたものと、顔面芸コメディアンの顔写真をはりつけたものを用意して夕立の時刻にそこの小屋で見張った。ちゃんと予想も立てたよ。雷は男で嫉妬にかられてイケメンに落ちるとね」
「……小学生らしい発想ですね。で、どっちに落ちたんですか?」
「俺におふくろの雷が落ちた。こんな嵐にどこ行ってたのよ、おバカって」
「カカシではなく先輩に怒りのおふくろサンダーがスパークしたわけですね」
「そう。考察では『人間の雷は非常識少年に落ちる』ということでまとめた」
「では研究所も閉鎖されたわけですね?」
「閉鎖というか次の年に移転した」
「どこへ?」
「あの丘にある林」
「翌年はどんな研究ですか?」
「クヌギではなく人体に樹液をぬってもカブトムシはゲットできるのかという研究」
「で、結果は?」
「カブトムシではなくスズメバチが三匹やってきて俺のみつメッキされた体に長時間逗留した」
「なるほど……で、どうなったんですか?」前川は目を細めてたずねた。
「刺されないよう二時間静止し続けた結果、懐中電灯もって探しに来たおふくろが殺虫剤でスズメバチを撃退してくれた」
「カブトムシは寄って来なかったわけですね」
「いや、おふくろに泣きながらカブトムシなら買ってあげるから危険なことしないでと言われてペットショップで五匹買ってもらった」
「じゃあ自由研究の考察はどう書いたんですか?」
「樹液とお金のコラボによりカブトムシはゲットできる」
「正確にはお金だけですよね」
「そうともいう」
アディオスは素直に認めた。
 雑談を交えつつ三人はおばあちゃんの家へ向かってひたすら歩いた。やっとたどりついた橋を渡ると一時代昔の家々が立ち並んだところへ出た。 
「自分が大きくなって来てみると、何か村のサイズが小さくなったように感じるね。塀や垣根ってこんなに低かったっけ、とか、道幅こんなにかわいらしかったっけ、とかね」
そういうアディオスの身長は成人男性の平均身長をゆうに超えていた。
「普段ビルとか建物ばっかり見てるからかもしれないけど、なんか寂れたところね」
街育ちの不二美が歯に衣着せぬものいいをした。
「俺が子ども時代はもっと活気があったよ。子ども会でどんどやとかキャンプとかやってさ。空き家はほとんどなかったしゲートボール場とかきちんと整備されていたし、農作地もきちんとしていた。この二〇年で高齢化の荒波が直撃している感じだね」
「文明から見捨てられた感がありますよね。都会は日に日に町並みが進化していくのに、田舎は進化どころかみるみる寂れていく」
「インフラ整備には金がかかるからな。人口減少でお金のない町は現状維持で精一杯なんだよ。それでも今は高齢者の中で力を持った人がいる。だからなんとか持ちこたえているような感じさ。これが、都会こそ暮らしの理想という思想が広まって若者に見捨てられてしまったときどうなるかだな」アディオスはつぶやくように言うとふうとため息をつくと、重苦しくなった雰囲気を打破するように「ほら、ばあちゃん家だ。見えてきたぞ」と濃いグレーの瓦屋根を指した。周囲は垣根がめぐらされている。田んぼに挟まれた小道を歩き玄関にたどり着いた。
「おばあちゃんを喜ばせたいから、俺は隠れておいて後で登場する。前川が押してくれインターフォン」
アディオスは告げると最後方へと回った。代わりに前川が咳払いをしてから玄関のインターフォンを鳴らした。玄関のドアには「訪問販売、訪問集金お断り」と書かれたステッカーが貼られている。よく見ると文字の下にマジックで「イケメンは歓迎」とも書かれていた。
「はい、なんですかのう」
インターフォンごしにおばあちゃんの声が聞こえてきた。
「あのう、わたくし真田あぢおさんの知り合いの者です。ちょっとご用があって参りました」
丁寧に挨拶をする前川。
「そこんカメラの正面に立ってくんなはい」
おばあちゃんの要請に前川はインターフォン備え付けのカメラの前に顔を向けた。証明写真ボックスのごとくカメラのフラッシュがたかれた。
「よし、今行きますぞい」
という声の後、音声が切れた。 
「何ですか今のフラッシュ」前川が目を押さえた。
「顔写真を撮られたんだろう。おそらくおばあちゃんのイケメン写真コレクションに加えられることになる」
アディオスは前川にイケメン審査合格を告げた。顔が気に入れば訪問販売だろうが押し込み強盗だろうが受け入れOKなのかもしれない。
「はいはい、何のご用でしょうかの」
ドアが開き、中からおばあちゃんが顔を出した。慌てて鏡も見ずに塗られたであろう真紅の口紅は唇をあちこちはみ出している。
「ばあちゃん、久しぶり」
アディオスは屈託ない笑顔で前川の背後から顔を出した。
「なんじゃい、お前も来てたのか」続いておばあちゃんの目が前川の隣にいる不二美に向いた。
「あぢお、こちらさんは?」
不二美に指をさしてたずねる。
「こちらは大学の同級生の不二美だよ」
「三月まで同級生の不二美と申します」
不二美は上品な感じで自己紹介をすると頭をぺこりと下げた。
「いや、俺は四月に進級するつもりだぞ」
アディオスは否定するが、すでに進級絶望に至る試験とレポート提出は終わっている。
「で、何でまた三人連れで来たんじゃ?」
おばあちゃんが訝しげにアディオスを見た。
「今日はばあちゃんが送ってくれた戦国宝探しに参加しに来たんだよ」
おばあちゃんが送ってくれたイベントのチラシを見せる。
「ほう、そうじゃったか。よく来たよく来た」おばあちゃんは思い出すと笑みをうかべうなずいた。
「あっ、そういえば一月に送ったお年玉は届いたかい、あぢお」
おばあちゃんが真顔にもどりたずねる。
「ああ、あの一万円札のこと? 届いたよ。表も裏もね」
「その年でお年玉もらってるんですか?」
前川が白眼視している目でたずねる。アディオスは即座に耳元へ口を近づけ「ファックスでだよ」と小声で返した。
「は?」前川がきょとんとなる。
「お年玉って手書き文字といっしょにファックスで一万円札が送られてきたんだ。ちゃんと表も裏もプリントされた状態でな。五年前にファックス付き電話を買ってからは毎年だ」
「……コピーというわけですね」
前川の指摘にアディオスはうなずいた。ファックスで送られた一万円が市場で使えるわけはない。
「お年玉が不満そうじゃな。ほな、クレジットばやるばい、ほれ」
おばあちゃんは財布からクレジットカードをわたしてアディオスに手渡した。
「ばあちゃん! いいよいいよ。そんな恐れ多くて使えないよ」
アディオスはたじろいでクレジットカードを見た。
「暗証番号も教えるから。ほれ、いつボケてもいいようにちゃんと裏に書いてある」
おばあちゃんはそう言ってクレジットカードを裏返す。太いマジックで五一三〇の数字が。
「うぅん、カードに暗証番号を書いとくのは……。というか、すでに期限が切れてるよね、このカード」
アディオスは重大事項を告げた。
「じゃないとやらん」
おばあちゃんは織り込み済みのようだ。
「先輩、そろそろ戦国宝探しの会場へ行かないと開会式に間に合いませんよ」
背後から前川のささやき声が聞こえた。腕時計を見る。
「あと三十分か。まずいな、バス停まで全速疾走で十分、バスで十分。バス停から会場まで全力疾走で五分……」
「えっ、バスの待ち時間は大丈夫ですか?」
前川がうかがうような目で見てくる。アディオスはスマホでバスの時刻表を調べた。
「次のバスは、明日の午前八時……あっ!」アディオスは天を仰いだ。
「一日一本しか通ってないんですか?」
「土日は少ないんだ。大丈夫、帰りは午後五時にある」
「行けないと意味がありませんよ」前川はうろたえた。
「ならばあちゃんが車じ送っちやる」
「えっ、おばあちゃん免許返納しとらんと?」
「この町じゃ車んなかと暮らせんが。じいちゃんも免許はもっとる。物忘れがひどくて、いつも道路標識をみつけるたびに真面目に交通教本めくりながら調べとるがな」
「それ完璧に免許返納すべきだよね」
アディオスは細い目を向けた。
「安心せい。おばあちゃんは耄碌しとらん。運転性能は昔のままじゃ」
おばあちゃんは胸を張った。
「ばあちゃんの運転テクニックはすごかったもんな。ジープを操って道なき道を行き来して、新たに開拓した道は数知れず」
アディオスは懐かしんでつぶやいた。
「そうじゃ。ばあちゃんの言葉に『迷う』とか『引き返す』っちゅう文字はなかったのじゃ」
「道を間違えて田んぼや畑に出ようと荒れ地に出ようとばあちゃんは迷わず突っ込んでいった。そしてそこには道ができた」アディオスは懐かしい目でうなずいた。
「それはただの迷惑行為では……」
前川はもらした口を慌てて塞いだ。 
「道案内は心配しないで。ちゃんとスマホのナビは用意しとくから」
アディオスはスマホでナビ画面を表示して見せた。
「心配にゃあおよばんよ。ばあちゃんのここがナビじゃ」
おばあちゃんは人差し指で側頭部をツンツンつついて見せた。
 車庫へと歩くとそこには深緑色のジープが停められていた。埃被っているところから推測するに、数ヶ月ほったらかしだ。前席にはヘッドレストはなく、後席は公園の椅子にシートをかぶせたようなベンチシートだ。
「何しとる。はよ乗んなっせ」
おばあちゃんのせかしに、アディオスが助手席に、不二美と前川が後部座席へとそそくさと乗りこんだ。ホロは被せられていなかった。天気は曇天。西の雲がいささかどんよりとしていたのは気になった。
「真冬にオープンシートってある意味新鮮ね」
不二美は凍えるように身を震わせ、腰を通すシートベルトをカチンとはめた。
 三人が乗りこんでもおばあちゃんはまだ乗りこまず車周辺をうろついている。
「どうしたのばあちゃん」
アディオスが声をかける。 
「わからんとか。車体の運行前点検じゃよ。自動車学校で習ったじゃろ」
アディオスは自動車学校で学んだときのことを思い出した。が、具体的にどんな点検だったかは思い出せない。すると突然、おばあちゃんが車体各部を指さしながら大声をあげた。
「タイヤ、ある。ナンバー、ある。エンジン、ある!」
おばあちゃんのしわがれ声が車庫に響く。
「点検というか。至極当たり前なことを言ってる気がするけど……」
前川は苦笑いでつぶやく。
「タイヤやエンジンがなかったら車が動く? ナンバーなかったら警察に捕まるでしょ。久しぶりの運転ならそれくらいの点検するわよ」
不二美が真顔でフォローした。
「なんかシートとかほこりかぶってる気がするけど、ばあちゃん運転するのどれくらいぶり?」
アディオスは不安げな目でおばあちゃんを見た。
「なに言っとるか。この五年間、一ヶ月に一回は車庫の片付けするとき出し入れしちょる」
「え、五メートルのバックと五メートルの前進だけっていうこと?」
「あとはガソリンもったいないから運転せんわ」
「五年間、バックと前進だけ……大丈夫?」
「これってちまたじ言うペッパードライバーっつうやつかのう、うひゃひゃひゃひゃ」
おばあちゃんの言う『ペッパー』が胡椒のことなのか人型ロボットのことなのかはわからない。
「ああペーパードライバーですね……」
前川の言葉におばあちゃんは「そうとも言う」とうなずいた。ここでペッパーがペーパーの言い間違いということが判明した。
 おばあちゃんはキーを三度回し直すアクションの後、無事エンジンをかけるとニュートラルギアのまま何度かアクセルを踏み込んだ。「ブオンブオォン!」という大きな音が車庫内で響いた。アディオスは思わず耳を塞ぎそうになった。
「うおお、さすがレーシングドライバーみたいですね」
エンジンの吹かせ方ひとつで前川が興奮ぎみに唸った。
「ばあちゃんはテクニシャンだからね。こうすることで、エンジンをあたためると同時に調子を見るのだ」
アディオスがドヤ顔を前川へ向ける。
「あっ、ギア入っとらんじゃった」
おばあちゃんのギアを入れ直す動作とともにアディオスの腰がシートからずるけた。
「誰じゃシートベルトしとらんのは!」
おばあちゃんの声が響く。
「えっ、みんなしてるよ」
アディオスがなだめるように伝える。
「ピーピーって警告音がなっとるぞ」おばあちゃんが計器を指す。
「それバックの音」
アディオスは腹話術のごとく口を動かさず指摘した。おばあちゃんは「なるほど」と納得し、サイドブレーキを外してバックし始めた。
「さあ、出発じゃ」
ブオンという音とともにジープが急発進した。背もたれへ向けて強烈なG(重力加速度)がかかる。「ブブブブブ」という唸るような音とともに後方から白煙が流れる。
「うぅん、加速が悪いのう」おばあちゃんは不満を漏らした。
「たぶんそれは、ギアを一速からいきなり五速にいれちゃったからだろうね。というかエンストしてる」
マニュアルでは普通は一速、二速……と順にギアを入れていくが、おばあちゃんは一速から五速にいきなり変えた。せっかちなためか入れ間違いなのかは定かではない。が、おそらく前者だ。
「走りが静かになったじゃろ。こん車は実はエーブイにもなるんじゃ」
「おばあちゃん、それ言うならイーブイ(EV:電気自動車)。音なく走ってるのはただのエンストだから。惰性で進んでいるだけ」
アディオスは大きめの声で訂正した。耳が遠いおばあちゃんに小声で諫めることは不可能だ。
「ほいじゃ、もう一度エンジンかけるぞい」
おばあちゃんは道の真ん中で車を停めると再びエンジンをかけた。
「はい、スタートのギアは一速ね」
アディオスがギアを五速から一速に変更サポートをした。再びジープは加速を始める。おばあちゃんのアクセルの踏み方には容赦がない。
「次、二速ぅ」
アディオスは教習所の鬼教官のごとく張った声で告げるとギアを指さした。
「はい三速ぅ」
「おうそうじゃったな。ギアは一、二、三っち順番にいれんといかんかったな」
アディオスは「思い出した?」と微笑み、おばあちゃんが四速に入れたのを見届けると「この道は制限速度40キロだから四速まででいいよ」と助言した。
「いやいや五速じゃろ」おばあちゃんが
「五速じゃスピードオーバーするよ。四速」
「五速にしたいんじゃ」おばあちゃんはせがむように訴えた。
「四速じゃないと危ないよ」アディオスは譲らない。
「じゃあ間ばとって、Bにしとこか」
「Bはバックだから! 四と五の間じゃない。またエンストするよ」
アディオスは魔が差さないようにギアを両手で覆った。おばあちゃんはしぶい顔を浮かべると前を向いてハンドルを両手で握った。加速が済むと、排気口から流れ出る白煙もいくぶん薄まった。スピードメーターは時速40キロに達している。顔へ吹きつける冷風が顔面をこわばらせた。
「あれ?」
アディオスは風の中に細かい水滴が混じりだすのを感じた。
「ばあちゃん。雨降ってきたよ」手のひらを上へ向けて伝える。
「大丈夫、こん車は防虫シートっつうやつじゃから」
おばあちゃんは自慢げに左手でシートを叩いた。
「ああ、防虫じゃなくて防水ね。というかシートを心配してるんじゃなくて雨に濡れると風邪引くから」
アディオス
「わしゃ大丈夫じゃよ。カッパ着とるから」
そう言うおばあちゃんはちゃっかり自分だけレインコートを羽織っている。
「いや、俺たちは着てないから。寒い寒い」
アディオスは人差し指を自らに向けて訴えた。後部座席の前川と不二美もともにうなずく。
「大丈夫、この車はあったまる車じゃから」冷たい雨風を受けつつな笑みを絶やさぬおばあちゃんが言い放った。
「はっ?」アディオスには意図がわからない。後ろに座る不二美と顔を見合わせ首をかしげる。
「ジープみたいんをお風呂おどカーっていうじゃろ」おばあちゃんは得意そうに告げた。
「ああカタカナでオフロードカーですね、それは」
前川が頬を引きつらせたまま翻訳してみせた。
「冗談言ってる場合じゃなくて、幌(ほろ)はないの? ほら、屋根になるやつ」
アディオスは車内をあちこち見回した。
「そんなものいらん。カッパがあるから」
「それは乗組員全員が着用して初めて成立する雨対策ですね」
前川は顔面に雨粒を受けながら分析した。
「後ろに折りたたみ傘が入っとるぞ」
おばあちゃんは後ろを振り返り、後部座席の後ろを指した。
「傘って、時速四〇キロの車が受ける風は風速十メートル以上ありますからね。壊さずに傘をさすのは無理です。しかも折りたたみだし」
前川は引きつった顔で拒否した。
「遠慮はしなさんな」
なおもおばあちゃんは後ろを向いたまま進める。
「遠慮じゃないよ、おばあちゃん。ああっ! その先、道がカーブしてる!」
アディオスは絶叫して前を指した。すでにジープはカーブを直進し路側帯に侵入している。
おばあちゃんは再び前を向き道路逸脱を悟ると「危機一髪じゃあ」と叫んだ。なぜかブレーキではなくアクセルをぎゅっと踏みこむ。ジープは刈り込まれた田んぼにうなり声をあげ突入していく。容赦なく上下する車体。
「どこが危機一髪だよ」
アディオスは上下する体を押さえながら苦言を呈した。
「よかよか、里崎さんとこの田んぼだけん。文句は言わっさんが」
どうやらおばあちゃんにとっての危機か安全かは、田んぼの持ち主か怒りそうか否かの違いで判断されるものらしい。
 ハンドルを切ることもブレーキを踏むこともなくおばあちゃんは里崎ライスフィールドをそのまま走らせた。ジープは稲が刈り取られた長方形の田んぼを対角線に突っ切っていく。でこぼこした路面にジープが容赦なく揺れる。おばあちゃんはケタケタと笑いながら田んぼの中を突っ走った。
「ものすごい揺れなんですけど」
不二美の体が横へ縦へと揺れまくっている。
「このシート、ホールド力ゼロですね」
前川の体は寝っ転がるほど斜めに傾いている。
「オフロードカーっつうんは、よか道は通っちゃいかんつたい」
おばあちゃんの手はがっちりハンドルを握りしめている。
「オフロードの意味、ちゃんと理解してるみたいね。でもオンロードも走っていいんだよぉ」
諭そうとするアディオスの声は振動により震えまくっている。
「ああっ、あの土手は上れないって!」
アディオスは目の前に聳える土手を指した。
「大丈夫。のら犬もかけあがりよった」
ばあちゃんは前傾姿勢をとった。
「四足歩行と車輪じゃ違うって!」
アディオスの訴えは却下されジープは勢いをつけて土手を上り始めた。白煙をあげながら土手をさらに上っていく。
「おっ、意外と上れま……せんね」
前川の期待空しくジープはてっぺんまであと二メートルのところで止まった。
「押しんしゃいっ」
おばあちゃんはいきり立って後ろを指す。三人は素直に車をおり、不二美は横からアディオスと前川は後方からジープを押し始めた。アディオスと前川は後輪が跳ねた泥をまともに受け続ける。排気口からのろしのごとく立ち上る白い煙。力みすぎたアディオスは尻の排気口から自らも無色透明のガスを撒いた。車体が軽くなったこともあいまってなんとか上りきる。
「すでに宝探しが終わったみたいな服になりましたね」
前川は跳ねた泥が点在する上着を脱ぐとそそくさと裏返して着直した。表と裏でデザインが違うリバーシブルのブルゾンだ。
「現時点をもって終わったみたいな服は俺だけになったな」
アディオスは爽やかに額の汗をぬぐう前川を恨めしそうに見た。ジープに乗りこもうとしたとき、途端におばあちゃんが北の方を指して声をあげた。
「もう見えとっぞ。あと二〇〇メートルじゃ。ここまでじよかか?」
その言葉にアディオスは「何のため押した」と思わずずるけた。体勢をもどしつつおばあちゃんが指す方角を見る。公園になにがしかの武士の像が建っているのが見えた。
「ここでいいよって言いたいけど……」
公園とジープの間には一級河川が立ちはだかっている。橋はない。
「こん川ば泳いで渡ればすぐたい」
おばあちゃんは泳ぐモーションをして見せた。なぜか背泳ぎである。
「泳いで渡る時代では……」
不二美が遠慮がちにもの申す。
「ぼっちゃん嬢ちゃんじゃろ。泳げんとかい」
「泳げるかどうかの問題じゃなくて……今、冬だし」
アディオスが二人が言いたいことを代弁した。
「なら乗りんしゃいっ」
おばあちゃんの指令でそそくさと三人は乗りこんだ。離合できるほどの広さのところmでバックし方向転換する。
「橋まで飛ばすぞい」
おばあちゃんの声とともにジープは白煙を上げながら動き出した。
「なんか家に戻っている方角だよね……」
不二美が前方を見つめながらつぶやいた。通ってきた田んぼや畑が左手に広がっている。
「最初からこの道がよかったなぁ」
前川がぼやく。
「あん橋ば渡れば公園はすぐたい」
おばあちゃんの威勢のよい声が聞こえてきた。見ると橋桁が濃いグレーの橋が見えてくる。そのすぐ左にはおばあちゃんの家が見える。
「おばあちゃん家のすぐ近くに橋あったわけね……」
不二美が頬を引きつらせた。
 公園に無事に到着すると三人は礼を述べ深々と頭を下げた。
「じゃ、がんばりんしゃい」
おばあちゃんは手を振るとそそくさともと来た道を帰っていった。
 開会式は始まろうとしていた。受付を済ませエントリーナンバー13番の列に並ぶ。
「ああら、不二美じゃないの。あなたもこの大会にエントリーしていたのね」
エントリーナンバー12番のゼッケンをつけた女性が不二美に声をかけた。
「麗華じゃないの」
声をかけられた不二美が驚きの声をあげる。
「レイカって、あのレイカか?」アディオスがたずねると不二美はうなずいた。ゼッケンの右下に麗華という文字が見える。
「先輩、知ってるんですか、あの女性」
「ああ。かつての不二美の恋敵だそうだ」アディオスは声をひそめて告げる。
「そうなんですね」前川がうなずいた。
「麗華、東京のボロアパートで暮らしてるって風の噂で聞いたけど」
不二美が眉間にしわをよせて尋ねた。
「失礼ね。いまは押しも押されぬインフルエンサーでマンション住まいよ」
「インフルエンサーってあんたの登録者はたかが知れてるでしょうけど。どうしてここに?」
「今日は里帰りついでに来たの。インフルエンサーに地方の祭りやイベントの紹介はつきものよ。人気者は情報発信に労を惜しまないものよ」
「じゃあ戦国宝探しに参加するつもり?」
「そうよ。最強メンバーで臨ませていただくわ」麗華は不敵な笑みを浮かべると両隣にいる二人の男性に目をやり紹介を始めた。「こっちの建生は東大の二年生でインテリジェンス抜群で謎解き担当、こっちの武男は関東体育大の一年生で運動能力抜群、発掘作業担当なの」紹介を終えるとドヤ顔で不二美を見た。
「なによ、たかが大学一年生と二年生。こっちのあぢおは大学一年と二年を二回ずつ経験してるのよ!」
不二美が声を尖らせアディオスの腰を叩く。アディオスは腕組みをしてきりっとした顔になった。
「それ自慢になりませんから」
前川が後ろから注告した。
「あら、そちらの男性はあんたの連れなの? きびだんごかなんかやって連れてきたんでしょう。あいかわらず趣味が悪いわね」
麗華はアディオスに目を向け鼻で笑った。
「趣味が悪いって、俺の趣味が純粋なアイドルオタクって知っての雑言か!」
アディオスは負けじと声を張り上げた。
「趣味って男を見る目がないって意味よ。要するにブサイクってこと」
麗華は嘲りの目を向けてくる。
「なんだと! 前川に失礼だぞ」
アディオスは前川をかばうように立った。
「どちらかというとあんたに言ったのよ」
麗華は細い目をアディオスだけに向けた。
「なんだと! 不二美、なんとか言ってやれ」
アディオスは不二美の抗弁を待つ。不二美の目が建生、アディオス、武男、アディオスと左右する。
「あぢおもなんやかんやいい男よ!」
「なんやかんやって何よ。具体的に言いなさいよ」
「なんやかんやって……血圧とコレステロール値、あと骨密度はイケメンよ!」
「さすが元健康優良児。でも、人間ドック受けないと証明できない」
前川はとりあえず手をたたく。
「ほほほ、健康勝負? 建生の親は内科医で健康アドバイス完璧、そして武男の体脂肪率はたった六パーセントなの」
不二美は耳をふさぎ「あああああ」と麗華の音声を遮断した。
「麗華、見てなさい。勝負は見た目や肩書きでは決まらないってことを証明してやるわ」
不二美はパートナーの見た目、肩書き対決に関してはあっさり手を引いた。
「まっ、せいぜい頑張って。あなたたちがゴールする頃には私たちは表彰台に立ってることでしょうけど」
「参加してみたレベルのあなたには絶対負けないわ」
「あら、あなたたちは眼中にないけど、中にはライバルになるチームがあるかもしれないわね。でもどんなライバルがいようと大忙しのインフルエンサーにとって年に一回の名物イベントでの優勝シーンは重要なの。絶対誰にも負けないわ。負けたシーンなんて使えないから」
麗華は鋭い眼差しを不二美に向けた。不二美と麗華の視線が激しくぶつかり合う。 
「じゃあもしあたしたちに負けたら?」
不二美がたずねる。
「負けるわけないじゃない。負けたら優勝賞金と同じ額だけあげるわ」
「言ったわね。じゃあそうしましょ」
「不二美さん、負けたらこっちも百万円払うんですよっ」
前川が諫める。
「大丈夫よ。万が一に負けても千回ローンなら月々千円でしょ。あぢおなら払えるわ」
「え、支払い俺?」
アディオスはきょとんとして人差し指を自らに向けた。
「千回ということは何年ローンってこと?」
アディオスは前川に計算をもとめた。
「いや、利子次第で変わりますけど、孫の代まで支払いにかかるのは確実かと」
前川は首をかしげて見せた。
「やる気でてきたわ。さっ、開会式にのぞむわよ」
不二美の声に三人は開会式会場へと向かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み