第5話 シビアな判定 泣くのはどっち?

文字数 6,883文字

「ほら、あそこが本部でゴールだよ」
運転手が指す先に目をやると、グラウンドの一番奥に『戦国宝探しゴール』という垂れ幕が張られているのが見えた。後部ドアが開くと前川と不二美が車を降りる。しんがりのアディオスは残る一枚の一万円札を取り出すと「ありがとうございました。はい料金。釣りは、いります! 必要です!」と高らかに宣言した。運転手は手提げ金庫を取り出すと「い~ちま~い、に~いま~い」とゆっくりと千円札を数えだした。
「先輩、ライバル出現です! あっちも何か抱えてゴールに向かい出しました!」
前川がせかす。牛歩戦術につきあっている暇はない。
「釣りは後で請求します!」
アディオスは運転手へ告げると急いでタクシーから降りた。
「は? 最近耳が遠くて聞こえませぇん」
運転手のとぼけた声が聞こえてきた。かまっている暇はない。アディオスは「もういい」と吐き捨てるように告げると急いでタクシーを降りた。
「ゴールへ向かうぞ! 釣りの寄付だけで大赤字だ。優勝賞金で補填せねば」
アディオスは公園の最東端にある本部席へと駆けだした。
「あっちからもゴールへ向かうチームがいますよ!」
前川が指す先に目を向ける。公園の南側入口から若い男女の三人組が本部席に向かって走ってくるのが見えた。男性二人に女性一人だ。女性は膝下まであるスカートをはいている。並走する男の一人はカメラを彼女に向けて撮影しながら走っているようだ。遠目に見る姿に見覚えがある。
「麗華たちよ!」
不二美が叫ぶように告げた。その顔は般若と化している。
「なんだと!」
アディオスの顔も一瞬にして歪んだ。
「まずいですよ。優勝さらわれたら賭けに負けです」
前川がアディオスに訴える。
「これは負けられん! 賞金が二百万になるか百万借金になるかじゃ大違いだ。負けんぞ!」
アディオスは吠えるように叫ぶとゴール地点へ目をやった。静まりかえった本部席から見るに、まだゴールしたチームはなく、この二組の一騎打ちに違いない。
「ぬおおおっ」
アディオスは足の回転を速めた。麗華たちもアディオスたちの存在に気づいたようでスピードをあげてくる。グラウンド中央付近で二つのチームは並走状態となった。
「建生、やつらを妨害して!」
麗華の指示が聞こえた。武男はゴールへ駆け込む麗華の姿を撮影すべくカメラを向け続けている。建生は宝を麗華にあずけると進路をアディオスらの方へ変え、進路妨害をしかけてきた。先回りされ行く手に立ち塞がると両手を広げられた。
「ひええっ、無理ですよ。妨害を受けたら誰も宝を運べない」
行く手をはばまれた前川が悲鳴に似た声をあげる。
「先輩、僕があいつを引きつけます。埋蔵金もって本部席へ突入してください。宝を届けたときに仲間は公園内にいさえすれば優勝認定されますから」
前川が埋蔵金をラグビーボールのパスのごとくアディオスへ放った。アディオスは宝を両腕全体でがっしりと受け止める。
 前川は「突撃ぃ」と叫ぶと、ビビりで目を閉じたまま建生にフライングボディアタックをしかけた。その隙にアディオスは不二美とともに建生の脇をすり抜ける。横目で前川の建生はわけもなく身体をよけ、前川は誰にもダメージを与えることなく地面に落ち「やられた」とうなった。
「あちゃあ」
アディオスは倒れ込んだ前川を見て走りながら声をあげた。前川の自滅により三対二で不利となった。建生は地面に打ち付けたダメージで呻く前川を一瞥すると、宝を持つアディオスたちの先回りをすべく再び駆け出した。進路を妨害しにかかる。並走していた不二美が声をかけてきた。
「あぢお、ここは私達にまかせて。そろばん三級の手さばきを思い知らせてやるわ」
不二美は声をかけると、行く手を阻もうとする建生の前でスピードをゆるめ、両手の指をいそぎんちゃくのようにうようよと動かせて見せた。行く手を阻んだ建生は「へへへ」と余裕の薄笑いを浮かべて待ち構えている。アディオスは埋蔵金を両腕で抱えているため手を出せない。
「わたしが攻撃する間に、行くのよ!」
不二美は建生と正対するといそぎんちゃくのごとく動かす指を顔に向け、相手に向けて目潰しを「ちょう!」という声とともに発動した。男は「ははは余裕ですよ」と手をはらいのけた。その隙にアディオスは建生の横をすり抜ける。
「ぐはっ!」
横で建生の呻き声が聞こえてきた。目を向けると建生が膝から崩れ落ちるの見えた。不二美は建生の眼前で指を動かし注意を指に向けた隙に死角となった股の間を右脚でけたぐったのだ。鞭のようにしなる脚で。まさに対男子正攻法だ。
「あっ」
不二美の声が後方で聞こえる。けたぐった脚の足首を建生にとられ倒れ込んでいた。
「不二美っ」
アディオスが引き返し助けようとする。
「わたしのことはいいから早く行って!」
足首を捕まれた不二美は男を足蹴にしながら叫んだ。まごつくアディオス。
「何してるの! 私のことはいいのよ! 賞金をゲットしてグッチのバックと財布とダイヤの指輪を私にプレゼントすれば私はそれでいいの!」
不二美は目を潤ませて訴えた。感情を突き動かされる物言いだが、冷静に分析すると報酬は百万を超えている。
「わ、わかった」
アディオスは苦渋の表情で伝えると、再びゴールへ向けかけだした。麗華と武男がゴールへ向けて走る後ろ姿が見える。麗華はインスタ映えを気にしてか、スカートにハイヒールと明らかに運動に向いていない格好だ。
「武男、頼んだわよ」
麗華が第二の刺客に命令する声が聞こえた。武男が方向転換してアディオスの前に立ちはだかる。
「行かせないぜ」
武男は両手を広げてテノール声を響かせた。その後方に宝を脇に抱えて走る麗華の後ろ姿が小さくなっていく。アディオスは男と正対して立ち止まった。体格的には相手が二回りは上だ。しかもこちらは宝を抱えていて両手が使えない。宝を奪われでもしたらジエンドだ。
「心配しなさんな。麗華さんがゴールするまでここにいてもらえばいい」
武男がニヒルな笑いを浮かべた。アディオスは背後を振り返った。不二美はいまだ建生に足首を捕まれて動けない。前川はよろめきながら建生に覆い被さり手を振りほどこうとしている。とてもこちらをヘルプできる状況ではない。アディオスは再び武男に目をやり唇を噛んだ。
「ここはまかせて生きんしゃいっ!」
突然、乾いた声が聞こえてきた。おばあちゃんの声だ。声の方を見るとおばあちゃんが左の方から歩み寄ってきていた。そのまま武男の背後で立ち止まる。手には公園のものらしき竹箒をなぎなたのように立てて持っている。
「何ですか? 第三者が援助していいんですか? まあ相手になりませんけど」
武男はおばあちゃんを見て鼻であしらう。
「進路妨害してはならないという規定はないが、地元の人間がヘルプをしてはいけないというルールもないのじゃ!」
おばあちゃんが息巻いて雄叫んだ。
「だったらかかってきてごらんよ」
武男は横目でアディオスを牽制しつつおばあちゃんに向けファイティングポーズをとった。 
「ちょえい!」
おばあちゃんが男の頭めがけ箒の穂先を突き出す。男は穂先をつかむと簡単に箒を奪い取り、後方へと放り投げた。丸腰となったおばあちゃんの膝ががくがくと震えだした。
「お梅ばあさぁん」
乾いた声が観衆の中から響いてきた。驚いて横を見る。七、八人のじいさんが杖を振り上げ走ってくるのが見えた。
「よくもお梅さんを!」
彼らには共通項があった。皆、鋭い眼光をお梅ばあさんを倒した武男に向けているのだ。
「だれだ、あんたら」
武男は問いかけるが応答する間もなく取り囲まれ防戦一方となった。
「痛い痛い、俺は正当防衛だぁ」
武男の野太い声がこだまする。武男がむやみに反抗して暴力沙汰となれば、出身大学の大会出場停止処分は免れない。
「痛い痛い、だからあのばあさんが先に箒で突いてきたんだよ。だいたい箒奪って放り投げただけだし」
「PTSDになったらどうするんじゃ」
訴えたじいさんは臨床心理士の資格でも持っているのか。足を止めていたアディオスに囲みじいさんのうちの一人が声をかけてきた。
「お梅さんの孫か? わしらに任せて早くゆけ!」
「あなたがたは何者ですか?」
「お梅親衛隊」
じいさんは眉間にしわ寄せ告げると再び武男に飛びかかっていった。おばあちゃんには親衛隊がいたのだ。観念した武男が土下座を始める。即座に取り囲まれて説教タイムが始まった。アディオスは再びゴールを向き走り出した。だが、麗華には追いつけそうにない距離だ。
「あきらめるんじゃないぞい!」
おばあちゃんの声が轟いてきた。
「ありがとう、ばあちゃん」 
よく見ると麗華はあり得ないほど鈍足になっている。よく見ると雨上がりで湿った地面にハイヒールの踵がめり込み走りにくそうだ。それでもハイヒールを脱がないのは優勝決定後に撮影する際の撮れ高を気にしてのことだろう。武男が負けるわけがないという気持ちが招いた油断に違いない。ゴール前の構図的にはウサギとカメに似ているが、モラルの点で勝っているのはウサギであるアディオスに思える。
「負けんぞ、ばっちゃんの名にかけて!」
アディオスは猛烈に駆けだした。
「必ず優勝するのじゃぁ」
おばあちゃんの声に背中を押されるようにスピードをあげる。ただ、ゴールまでに追い抜くには厳しい距離だ。すでに麗華はゴールまで目と鼻の先という状況。
「ごめん、やっぱり無理」
麗華はゴールまで10メートル、アディオスは30メートルはある。
すると、前を行く麗華の姿が突然消えた。
「何が起きた?」
消えた場所を凝視するアディオス。すると、地面から両腕が現れた。にょっこりと麗華の上半身も浮上してくる。どうやら落とし穴に落ちていたらしい。
「ここにも掘られていたのか!」
だが、麗華は這いつくばって穴を脱出、すぐに立ちあがりゴールへ再び走り出す。アディオスはその横を抜き去ろうとした。
「負けないわよ!」
麗華がにらむような目をアディオスに向け、急接近してきた。
「きゃあ、セクハラよぉ」
麗華はアディオスに身体をぶつけながら叫んだ。アディオスはすんでのところで身を反転させてかわす。将棋の駒が一つぽろりと落ちた。かまわずそのままゴールへと頭から倒れ込むように到達する。麗華もタッチの差でゴールラインを超えた。
「よっしゃーっ」
アディオスは倒れ込んだまま両手でガッツポーズをした。ビデオ判定がなされたとしてもゴールは早かったに違いない。麗華は一歩遅れたことを悟ると膝から崩れ落ち、なまめかしい横座りで「えぇん、えぇん」とわざとらしい号泣を始めた。
「勝負の世界は甘くはないのだ!」嘘泣きを見抜いたアディオスが麗華へ言い放つ。
 勝利を確信し観衆に向け両手を挙げるアディオスに、中年の男が歩み寄ってきた。腕章には主事と書かれている。
「いやいや、祝福ありがとうございます」
アディオスは恭しく頭を下げ右手を差し出した。すると主事の男はアディオスを両手でゴールの外へ押し出しにかかる。
「な、何するんですか」アディオスはゴール内に踏みとどまろうと脚を踏ん張った。
「ゴール手前に宝が一個落ちましたよね。宝は一個でもなくしたら失格です。早く拾ってきて。宝がそろわないとゴールは認めません」
主事の無情の声。
「えっ、そんなことルールに書いてなかったですよ」
「さっき閃きました」主事は頭を指で弾く仕草をする。訝しがるアディオスに引導を渡すかのように追い打ち発言を言い放つ。
「落とした宝拾ってこないとゴール認めません。ということで、あの美女が優勝だから!」主事たり得ぬ不平等発言がアディオスの胸を衝く。
「なんですとぉ!」
アディオスは一瞬白目を剥くが、気を取り直し落とした駒を取りに戻った。
「泣かないで、これであなたが優勝ですよ」
駒を拾う最中に主事が麗華に声かけするのが聞こえてきた。
「後付けルールはなしですよう」
アディオスは不満げな顔とともに訴えながら再びゴールラインを超えた。
「百万ねっ」
麗華からの無情な宣告が耳に入る。意地悪な視線がアディオスに刺さる。
 すぐに麗華のドヤ顔は取り巻いた運営部のじいさんたちによって見えなくなった。じいさんたちの黄色いジャンパーの背中が一緒に喜ぶようにホップしている。
「あんたが勝ちじゃ。あんたが勝ちじゃ」
茶色い声がアディオスの耳にうるさくこだまする。
「ゴールは俺が先でしたよ」
アディオスは再抗議のためじいさんたちの輪に割って入る。
「たしかに私は遅れてゴールしたわ。主事のおじさま。私は負けになるのですか?」麗華は目にいっぱいの涙を溜めて訴えた。3分以上まばたきをしていないせいに違いない。
「いや、あの、その」
主事は口ごもる。すると麗華は遠吠えのような泣き声をあげて泣き始めた。
「あっ、いやっ、宝は一個でも落としたら認められない! だからあんたの勝ちじゃ。間違いない」関係者が取り囲む中で主事の男は断言した。
「えっ? 聞こえなかったです。もう一度言ってくださる?」
麗華は目を潤ませたまま主事の男にお願いした。
「宝は一個でも落としたらゴールは認められないんです! だからあんたの勝ち!」
主事ははっきりした口調で再び伝えると慰めの眼差しを麗華に向けた。それを聞いた麗華の顔がにやっとなった。すでに悲しんでいた面影はない。
 そこへゴールする姿を見て対決をやめた前川と不二美がかけつけてきた。
「どうだった?」
不二美と前川がアディオスのもとへ駆けつける。アディオスはうつむいて首を振る。不二美の顔が一瞬で引きつった。
「泣き落としにやられた。先にゴールしたけど後付けルールで落とした駒を拾いに戻されたんだ……」
アディオスがぼそりとつぶやき唇を噛んだ。不二美のライバル心むき出しの鋭利な目が女へと向いた。次の瞬間。
「うおぉぉいおいおい、うぉぉいおいおい」
泣きじゃくる不二美の声が辺りに響きわたった。声量は麗華の倍はある。なまめかしい姿で倒れ込み横座りのまま大声をあげて泣き続ける。麗華を取り囲んでいたじいさんたちの目が一斉に不二美へ向く。じいさんたちが今度は不二美を慰めようと駆けつけだした。
「ういぃぃん、うぃんうぃん」
向こうの方から負けじと麗華があらん限りの声で泣きアピールをする。二人の即席女優の間でじいさんたちがおろおろしだした。
 不二美を援護すべくアディオスはスタッフジャンパーを着た男に「どうするんですか。ルールを勝手に変えられたショックで傷ついてますよ」とまくしたてた。
「そうじゃな、宝の一つぐらいは落としていてもゴールは認めるとルールをもどしましょう!」
力強いお言葉があたりに響いた。アディオスは勝訴を勝ち取った被告人のごとく両手でガッツポーズ。
「ただ、わしはボランティアの運営スタッフじゃから権限ゼロじゃけど」
勢いを失った声が耳に届く。アディオスはずるけた。ただ、味方をする人間はいるに違いない。周囲の世論が変わればルール改正にいたるかもしれない。アディオスは大きく息を吸い込むと大声で言い放った。
「あの! ちなみに僕、お梅ばあさんの孫です!」
不二美を援護するコネアピールに、スタッフジャンパーを着たじいさんたちの視線が一斉にアディオスへ集中する。三秒ほどのじいさん凝視が続き、次にお梅ばあさんことおばあちゃんに視線がシンクロして向いた。おばあちゃんは「んだ」と鷹揚にうなずいて見せる。
「富雄さん、宝が一個でもなかったらゴールは認めんというルールは確かにあったんかい」
一人のじいさんが主事にたずねた。
「あっ、えぇと、要項には明文化されては……」
とたんに口ごもり出す主事。形勢逆転だ。不利を悟った麗華がすくりと立ち上がり甲高い声を挙げた。アディオスはほくそ笑んだ。
「ちょっと待って! ゴール条件は宝を全部持ってこないとダメなんですよね。今更発言撤回は許しませんよ!」
旗色が悪くなった麗華はポシェットからレコーダーを印籠のごとく見せつけた。不敵な笑みとともに録音再生ボタンを押す。
「宝は一個でも落としたら認められない! だからあんたの勝ちじゃ。間違いない!」
主事の録音された発言がボリュームマックスのレコーダーから聞こえてきた。
「証拠を残されたわね……」
不二美は悔しそうに唇を噛んだ。
「確かに伝えました……。武士に二言はない……」
主事は苦虫をつぶしたような顔で白状し、頭を下げた。
「あなた武士じゃないから」と慰めるアディオスを見放すように、ため息とともにスタッフじいさんたちの輪がじわじわと解けていく。
「で、では閉会式を行いますので、ここまでゴールされたチームのみなさんは開会式と同じようにお並びください」
司会という腕章をつけた男がマイク片手に呼びかけた。閉会式の準備が進められる間にも三チームほどゴールをし、優勝ではないと知るとがっくりとうなだれた。ゴールした面々へ係員がかけつけ、フルマラソンを走り終えたランナーのように気力を失いふらつく参加者たちの腕をかかえて閉会式のポジションへと次々に連れて行く。アディオスはため息まじりにそんな光景を眺めながら閉会式を待った。
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