第6話 大団円?

文字数 14,092文字

30分後、公園にあるバックネット前にアディオスたちは閉会式のため並んでいた。頭を垂れるアディオスの横で麗華は建生にスマホをあずけ、優勝したときの歓喜のポーズをとる練習を試行錯誤している。
「がらくたみたいな将棋の駒一つでゴールが認められないなんて悔しいですよね」
前川が背後からぼそりとつぶやく。アディオスは「まんまとハニートラップにはめられたわけだ」とため息をつく。不二美の顔は怒りで紅潮していた。
「はあ、賭けに負けたら百万借金だぞ」アディオスは吐息とともに天を仰いだ。
「土下座しましょう」前川が進言する。
「わたしは絶対嫌よ」一円も払うつもりのない不二美は断固と首を横へ振る。
「たとえ俺が土下座してもゼロにはできないだろうな……」アディオスは苦虫をつぶしたような顔で天を見上げた。
「それでは優勝チームの発表です」
司会の腕章をつけたケーブルテレビのアナウンサーらしき男がマイクを片手に声を張った。
「準優勝チームに賞品はないんですかね」
あきらめ顔の前川がぼそりとつぶやく。
「チラシには『湯たんぽ一年分』ってあったわ」
「湯たんぽって一個で一年使えるし。しかも極寒の冬しか使わないシーズン超限定品ですよね……」前川はぼやくと天を仰いだ。
「まあ仕方ないわよ。副賞になるはずの埋蔵金も将棋駒の金だったし」
不二美の力ない声と対照的に元気で爽やかな声がスピーカーから聞こえてきた。
「栄えある優勝チームは」
発言の後、数十年前に流行った大河ドラマのテーマ曲が間奏として入る。目を麗華チームへと向けると、建生が膝をついて斜め下から麗華を撮影しているのが見えた。麗華は優勝を確信しているくせに、心配そうな表情で両手を胸の前に合わせ、祈る演技をしている。優勝かどうかわからない緊張感を演出し、優勝後の歓喜を引き立てようという魂胆だ。
 もはやクラシックの域に達してそうな古すぎる大河ドラマテーマ曲が迫力あるサビに入った。発表者はマイクを持ったまま小憎たらしい笑みを浮かべて発表の機会をうかがっている。サビが終わる直前、発表者は大きく息を吸い込んだ。
 曲が鳴り終わるや否や張った声をあげた。
「エントリーナンバー13番、アディとゆかいなナカマたちチームの皆さんです! 優勝おめでとう!」
歓声が沸いた。アディオスは驚いてゼッケンの番号を確認した。13という数字、チーム名を確かめると信じられないという表情で互いに見合った。
「ちょっと待って! 先にゴールしたのは私たちになるって主事が言ったわよ!」
麗華が鬼の形相で手を挙げ抗議した。建生はとまどった表情で撮影を続けている。
「たしかに先にゴールしたのは武勇伝チームでした」司会者は麗華の勢いに気圧されそうに一歩足を引いた。
「だったら私たちが優勝でしょ!」麗華がキンキン声を轟かせ、つっけんどんに返す。司会者はおろおろして後ろに控える主事にマイクを渡す。主事の男は頬をひきつらせたまま説明を始めた。
「で、ですが、持ち込んだ宝の鑑定結果で、武勇伝チームの宝である宝石は偽物と判明したのです」宣告すると主事は武勇伝チームが持ってきた宝石を掲げて見せた。紅に輝くルビーが手の震えで小刻みに揺れている。
「ちょっと待ってください! たしかにあのルビーは謎解きをした結果、指示された場所にありましたよ」
建生が指示書らしき紙を掲げて抗議する。
「このルビーは本部が用意した宝石ではないのです」
「ルビーはルビー、宝石でしょ!」麗華のヒステリックな声。
「いえ、本部で用意した宝石とはこちらのことです」
マイクを持った主事が左手でこぶし大の大理石を掲げた。
「はあっ? ただの石じゃない。それのどこが宝石よ」
主事は大理石を裏返すと悪者へ印籠を見せるがごとく前へ突き出し示した。平らな面に『宝』と書かれている。麗華がずるけそうになった。背後の武男ががっしり背中を受け止める。
「確かにその大理石があったのは認めます。確認不足でした。ではルビーはミスリードするために置かれていた代物だったわけですか? でもそれはあんまりでしょ。百人中九九人は宝石はルビーの方と答えますよ」
建生が手振りを交えて訴えた。
「あああ、そうですねぇ、額縁の裏にルビーがあるとはこちらも知りませんでした。おそらく場所を提供した平井家の奥様が隠してらっしゃったものでしょうねぇ」
「奥様が隠していた? なんで?」建生が重ね問う。
「推察するに……旦那様とは別の男性となんやかんやあっていただいたプレゼントと思われます」
「なんやかんやって何よ」
「なんやかんやは……奥様のプライベートなのでノーコメントです! とにかく、ルビーは場所の提供者の隠し財産ですのでイベントで用意した宝と認定はできません。認定できる宝石はこの大理石オンリーです! というかルビーを用意できるほど我が町に資金力はございません!」
主事は開き直ったかのように語尾を強めた。
「まあ大理石とルビーがあったら誰でもルビーが本物と思うよね」
アディオスは前川に小声で告げると肩をすくめて麗華への同情を示した。
「そんな! 戦国宝探しと言ったら誰だって高価なものが隠されていると思うでしょう」
麗華は同情を集めるような哀願の眼差しとともに異議を申し立てて食い下がる。
「町おこしで人を呼びたい自治体がそんなお金を持っているわけないでしょう」
主事は誰もが納得するような答えで一刀両断した。舌戦に敗れた麗華は貧血少女のごとくしゃがみ込んだ。代わりに建生が主事側へ食いついた。
「じゃあ優勝認定したチームの将棋の駒が本物という証明はできるんですか? 早くゴールできるように宝を見つけた一人が写メで仲間に宝を送って贋作するってことも考えられますよね。あんな下手くそな手作り駒、いくらでも贋作できますよ」
アディオスが持ち込んだ埋蔵金に対し建生が精査を求めた。
「いいえ。アディとゆかいなナカマたちチームが持ってきた宝である埋蔵金は本物の将棋の駒である大竹竹風作の将棋駒がいくつか混ざっていたんです! ちなみに一式そろえるとなると七十万円になるものです! もちろん高いので一式はそろえてございませんが」
主事はひととおり本物アピールを展開した後、財源不足で一式そろえてないことの公表では一気にトーンダウンした。
「えっ、そんなに高いものだったの?」不二美が目を丸くした。
「そんな価値あるものだったら数個しかないとはいえラッキーな臨時収入ですね」
前川の顔がほころぶ。
「ちなみにそれらは税として町に寄贈されたのち、残りの手作り駒がアディとゆかいなナカマたちチームの皆さんに進呈されます」
気体をくじく主事の発言に「江戸時代の五公五民よりひどい税率だな」とアディオスらはずるけた。またしてもぬか喜びだ。
「まあいい。本命は百万円だ。どうせ金の駒だけだったら数万しかしないに違いない。それに優勝したんだから麗華たちとの賭けにも勝ったわけだ。あと百万も手に入る」
アディオスは前川と不二美に告げると顔をゆるませた。不二美は満面の笑みで麗華の方を見ると「百万いただき!」と言い放った。 
「それでは、あらためて表彰式に移ります」
司会者の声でアディオスらは整列しなおした。
「あっ、東京への便に間に合わないわ!」
突然、麗華が左の手首を見て声をあげた。時間を気にしているようだが腕時計ははめられていない。
「ということで閉会式は参列できません!」
麗華は脱兎のごとく逃げ出した。建生と武男も後に続く。武男は退却軍のしんがりを務めるがごとく引き留めようとする群衆を目で威圧しながら去って行く。
「卑怯だぞ!」
前川が麗華らを追跡しようと追い始めた。
「性根が腐ってるわね、まったく」
不二美も頬を膨らませ後に続こうとする。
「優勝チームは全員残っていただかないと表彰放棄と見なされますよ」
主事の声に前川と不二美は唇を噛みながら元の位置へと戻った。
「それから、そのほかのチームも閉会式が終わるまで残ってください。ホームページ写真がすっからかんだとイメージ悪いですから。閉架式不参加のチームはタクシー利用できません。罰金100万円を課します。それに町を出るまで歩いて3時間はかかりますよぉ」
主事からの二の矢、三の矢に走っていた武男、建生、麗華は次々にこけた。頭を垂れたまま立ち上がり再び列へと戻ってくる。
 表彰式の準備がなされた。係員の手で白いシーツを被せられた長テーブルが運ばれてきた。机の中央にぶらさがった札には祝優勝と記されている。
「おおっ、優勝賞金のおでましだぞ」
アディオスは肩越しに前川らに目をやった。黄色いジャンパーを着た係員が『祝優勝』と書かれたぶ厚いのし袋をテーブルの中央付近に置いた。
「さすがに百万円となると袋もぶ厚いな」
アディオスが前川に弾みそうな声を抑えながらささやく。
「副賞のお酒もありますよ」
前川が指す方を見ると、のし袋の隣に一升瓶が二本ごとりと置かれるのが見えた。酒の上部に細めののしが巻かれ『優勝』と書かれている。こちらも優勝者に授与されるのは間違いないだろう。
 表彰の準備が整うと司会者が進行を再開した。
「それでは、優勝のアディとゆかいなナカマたちチームの皆さんは表彰台へどうぞ」
呼ばれるとアディオスを先頭に、ゆかいなナカマたちチームの面々は表彰台へと歩き出す。
賞金と賞品が載せられたテーブルが近づく。日本酒の上部にマークらしきものが見えた。
「ラベルになんか変なマークがあるわよ」
不二美が指摘した。よく見ると瓶の中央に貼られた大きなラベルに無数の正方形が縦横に規則正しく並べられ、その周りを大きな円が一つ取り囲んでいる。
「目がちかちかしそうなくらい正方形が並んでいるな」
アディオスは率直な感想を述べた。やがて三人は表彰台の後ろに到着すると立ち止まりアディオスを中央にはさむ形に並び直し正面を向いた。
しばらくして、主事の男が酒二本、アシスタントの女性がのし袋を手に持ち横の方から歩み寄ってきた。表彰台すれすれのところを歩いてアディオスらの前で立ち止まり、正対した。観衆がざわつくなか司会者の声が公園にこだまする。
「それでは贈呈式を行います。アディとゆかいなナカマたちチームの皆さんは壇上にお上がりください」
指示に従い、三人は壇上へ立った。
「優勝賞品、銘酒『ひゃっぽうえん』の贈呈です」
「ひゃっぽうえん?」隣で前川が訝しげに眉をひそめる。
「副賞の日本酒の名前だろ。本命の百万円はアシスタントが持ってるだろ」
アディオスはアシスタントが大事そうに持つのし付き封筒をあごで指した。主事の男は優勝の副賞らしき日本酒を高々と掲げ観衆にラベルを見せた、そのままアディオスらにもラベルを見せる。突然、不二美がラベルを指し声をあげた。
「ちょっと! お酒のラベルに百万円って書いてあるわよ」
「そんなアホな」
アディオスは疑いの目でラベルを凝視した。日本酒のマーク下に流れるような行書体で書かれた文字は、百万円と読めないことはない。
「いやいや、お酒の賞品名に百万円とかつけないでしょ。ははは、だよな、前川」
アディオスは鼻であしらい前川に意見を求める。
「うぅん、まあ最初の文字は百とも読めますが、二文字目は万じゃないと思いますよ」
前川も追従した。
「どうぞ、おいしい酒ですよ」
主事がアディオスへお酒を渡してくる。アディオスは腰をかがめ、両腕で抱え込むように受け取った。ラベルの文字を間近で見る。よく見れば万の上に点がついているようだ。
百万円という名前ではなさそうなことに安堵しアディオスは前川に告げた。
「ほらほら、本命の百万円入りのし袋が渡されるよ、前川君、受け取りなさい」
アディオスがうながす。前川はうやうやしく頭を下げ封筒を両手で受け取った。
「よし、こっちと交換だ。俺が札束を確認する」
アディオスはにやける顔をおさえながら日本酒とのし袋を交換した。封がされていないのし袋の中身はやすやすと確認できた。中の物を取り出す。中にはありったけの菊井町の観光地に関するパンフレットが折りたたんで入れられていた。
「札束じゃない……」アディオスは絶句した。
「現金百万円なみにぶ厚いパンフレット群ですね……」前川も引きつり顔でコメントした。
「これで優勝賞品『ひゃっぽうえん』の贈呈式を終わります」
司会者の声がひびく。
「ということは……」アディオスは前川が持つ日本酒のラベルをのぞき見た。百方円と行書でかかれた横にふりがなで『ひゃっぽうえん』と書かれている。
「はっ! 万の上に点だから方(ほう)。じゃあこの文字は『ひゃっぽうえん』と読むのか。不二美、パンフレットを見ろ」
不二美はポシェットからパンフレットを取りだしアディオスの前で広げてみせる。
「あ、賞品百万円の万の上に背景と同色の点が打ってあるわ……」
背景が緑のパンフレットの中央に大きく書かれた百万円の文字は金色で、万の上に少しだけ微妙に薄くなった緑で点らしきものが打ってあるのが発見された。
「やられた……ということは、賞品は百万円ではなくってこの日本酒『百方円』だったというわけだ」
アディオスがあごを極限まで落とした。愕然とする三人をあざ笑うように地域のケーブルテレビのアナウンサーが声をあげた。
「なお、アディとゆかいなナカマたちチームの皆さんが今回支払っていただいたタバコ代、タクシー代等の一部は高齢者支援のための募金として活用させていただきます。ありがとうございました」
「ありがたいこっちゃ。なんまんだぶなんまんだぶ」
すぐ近くに座るおばあちゃんがアディオスに向けて手を合わせて念仏を唱えだした。おばちゃんの声が多数を占める声援「おめでとう!」は、黄色い声援というより茶色い声援だ。コスモステレビのジャンパーを着たカメラマンはカメラを向けて撮影し続けている。
「限界集落を一時的に救ったと思えば、これくらいの出費、たいしたことはない。堂々と優勝賞品を受け取る勇姿を見せようではないか」
アディオスはきりっとした顔を二人に向けた。テレビカメラが表彰台の3メートルほど前に来て撮影を始めた。人々の前では英雄然としておかねばならない。
「ここで残念な顔を見せてはならない。せぇので力強くガッツポーズしてみせるぞ。最後の空元気だ」
アディオスは優しい笑みを二人に見せた。不二美と前川はこくりとうなずく。
「せぇの」
アディオスは手に持ったパンフレット群を掲げようとした。
「パンパンパンパンパン」
突然、後方で爆竹が鳴り響いた。
「ひいいっ!」
アディオスは驚いて前方へ、前川と不二美はわきへと飛び降りた。アディオスが着地した表彰台前部の地面が沈下した。落とし穴だ。クッション代わりに泥水が敷かれていた。アディオスは顔面を泥水にぶつけ、顔面泥パック状態になる。穴から這い上がるとカメラマンが間近でカメラを構えていた。
「ふふふふふ、踏んだり蹴ったりというやつですね……。視聴率90%は行けますよ」
アディオスはカメラに向けてグーポーズをとった。
「出演料は百方円、もう一本です」カメラマンが告げる。
「いやもういらない。というか、もう一本やれるくらい安いの?」
アディオスは苦笑いで応えた。
「大丈夫? あぢお」
「大丈夫ですか先輩?」
不二美と前川が声をかけてきた。
「ほほほほ、せっかく優勝したのに商品が百万円じゃなくってお酒だったなんて残念だったわね」
麗華が見下すような表情で言い寄ってきた。その左腕には準優勝商品の湯たんぽが抱えられている。
「なによ、あんただって優勝したとこインスタに挙げられなくって残念だったわね。何のために東京から来たのかわからないわ」
不二美も言葉を返すと鼻で「ふん」と息を吐いた。
「言ったわね……中学時代のあの恨みは忘れてないわよ」麗華の口調には怨念を感じる。「あたしもよぉ」不二美の低い声。不二美も怨念の強さでは負けていないようだ。
「えっ、お二人にどんな因縁が過去にあったんですか?」
前川がおろおろしてアディオスにたずねる。
「聞いた話だが、二人は潤平とかいうイケメン男子を奪い合っていたライバルだったらしい。要するに三角関係にあったわけだ」
アディオスの解説に前川は「なるほど」とうなずいた。「で、どんな」と奪い合いの具体的中身をたずねようとする前川。その答えが当人二人から告げられる。まずは麗華だ。
「私が潤平さんの隣の席になって喜んでたとき、ブーブークッションを毎日椅子に載せてたの不二美だったんでしょ。プップププッププ何度も鳴って恥ずかしかったんだから」
麗華は腕組みをして不二美を見据えた。
「毎日引っかかるって一度で警戒すべきですね……」前川が小声でごちる。
「そんな麗華こそ物隠ししたでしょ。あたしが潤平さんと仲良く話をしてたら決まって物が隠されてたわ。鉛筆、リコーダー、教室の椅子」
「教室の椅子隠すって豪快ですね」前川が愕然とつぶやく。
「鍵かけた女子トイレに立てこもっているのが掃除時間に発見されたらしい」
アディオスが知りうる情報を告げた。思い当たる節があるらしい麗華がひるむなか、さらに隠された物を列挙する。
「まだまだあるわよ。トランペット、自転車のサドル、うちの家のパソコン、家具、電子レンジ!」
「うぅん、後半は別の犯罪者の臭いがするな」
アディオスは腕組みをして分析した。
「なによ、人を犯罪者呼ばわりしないで。あなただって大事な潤平さんへのバレンタインチョコにカレー粉と小動物の糞を混入してたでしょ。潤平さんに今度から作ったチョコの成分表示をお願いしますって釘刺されたわ」
麗華が不二美を指さしながら声を張った。
「ということは食べたわけですね。よほど鼻づまりがひどかったんでしょうね」
前川が苦笑してつぶやく。不二美も負けない。 
「あんただってあたしが潤平に心をこめて作ったお弁当を毒味といってさくらにした友達に食べさせて、食べた後に、激マズってのたうち回る演技をさせたでしょ」
「あれは事実よ」
麗華は平然と返した。アディオスも「過去の不二美の料理はひどかった」とうなずきこればかりは同意する。不二美は歯ぎしりした。
 麗華と不二美は互いに過去に受けた妨害行為を先攻、後攻と折り目正しく告げ合った。
「えぇとそれから……」
不二美が次のエピソードを話そうとしたとき、ちらと目線がアディオスや前川に向けられた。どうやらオフレコにしたい話題らしい。出そうな言葉を飲み込んだ。麗華も同じく、建生らがいる中でカミングアウトできずに口ごもった。
 にらみ合いが続くなか、前川が疑問をアディオスへ発信する。
「で、潤平さんはどちらかと付き合ったんですか?」
「結局、二人とも嫌われて後輩の女の子と付き合ったらしい」
アディオスはまぶたを閉じて真実を告げた。
「どうやら舌戦では決着がつかないようね」
鼻息荒く言い捨てると不二美は袖をまくし上げた。
「受けて立つわよ」麗華も肩をぐるぐる回しだした。
 そこへ横からおばあちゃんが二人を制するように手を広げて現れた。
「いつまでいがみあっとるんじゃ二人とも。仏の教えにもあるじゃろ『汝の敵を愛せよ』とな!」
ばあさんが間に立って諫めた。
「それはキリストの教えかと」前川が小声でつぶやく。
「えっ、おばあちゃんいつからキリスト教に入信した?」前川の指摘にアディオスは目を白黒させる。不二美は肩をふるわせ抗弁する。
「やられたことがひどすぎるのよ。許せないわ」
おばあちゃんは口調を強めた。
「鑑真も『弱い者は許すと言うことはできない。許すことができるのは強い者だけだ』と言っているじゃろ。許せる者こそ強い者じゃぞ」
「鑑真じゃなくてガンジーの言葉ですね」前川がまたもや訂正する。
「似てるからいいじゃないか」アディオスが小声でフォローする。
「国籍も生きた年代も全然違いますけど」
前川は肩をすくめて見せた。アディオスは互いににらみ合う不二美と麗華に割って入った。二人を交互に見て言う。
「おばあちゃんの言うとおりだよ。憎しみあいからは何も生まれない。マイナスの感情をお互いに生むだけだ。意地悪されたってお互い思ってるかもしれないけど、悪いことばかりじゃなかっただろ。潤平くんとうまくいっていたら幸せだったとは限らないし」
アディオスは華蓮の目を見た。
「……そうね。わたし、潤平さんと付き合ってたら、少年院から出てくるまで待ち続けて東京には行けなかったわ」
「えっ、潤平さん何か犯罪おかした人?」
前川が目を丸くする。 
「わたしもあのとき潤平さんに振られたからあぢおと出会えたんだから。アッシーとメッシー、それにキープ君も兼ねる三刀流なんてなかなかいないわ。結果オーライよ」
「んっ? それは褒めているのか?」
アディオスがこぼす。
「ああ、アッシーは帰りの交通手段がないときなど呼び出せば都合良く車で送ってくれる人で、メッシーはお金がないけどおいしいもの食べたいときにご飯をおごってくれる人、キープは本命となる人があらわれるまでとりあえず恋人にしておける人のことですね。一九八〇年代のバブル時代に流行った言葉です」
「ということは……利用されてる?」
アディオスが首を大きくかしげる。疑心暗鬼に陥るアディオスを尻目に不二美と華蓮の会話は続く。
「潤平さんを手に入れた下級生も結局、貢ぎ物をねだられたり、モラハラされたり、二股だったり、初売りセールに朝4時から並ばされたり、粗雑に扱われたらしいから、今思えばガールフレンドにならなくってよかったわ」
華蓮は肩をすくめて見せた。
「そうよ。ダメンズから遠ざけてもらったと思えば、あなたの意地悪にも感謝しなきゃいけないのかもね」
不二美も同じ仕草を返した。話を聞いていたおばあちゃんが諭すように言った。
「過去をいくら嘆いても未来は変わりはしない。肝心なのは今と未来に目を向けることじゃ。過去の辛いことは得てして将来の糧になるものじゃよ。ほれほれ、過去のことは水に流すのじゃ、握手握手」
おばあちゃんが二人の手をとりつなぎ合わせる。
「華蓮、この優勝賞品はあげるわ。それと一緒に撮れば優勝したみたいに思われるでしょ」
不二美はアディオスから百方円を受け取り麗華に差し出した。
「え、いいの?」
「そのかわり、優勝しましたって書いたら詐欺になるから、優勝賞品ゲットしましたって煙に巻くのね。あげたんだからゲットには間違いないわ」
不二美は笑みを見せた。
「ありがとう不二美……」
「きっと有名なインフルエンサーになるのよ。それから、帰りは長旅でしょ。百方円(ひゃっぽうえん)でも飲んで盛り上がりなさいよ」
不二美の言葉を聞いた華蓮のまつ毛が淡い光に濡れて、細かにそよいでいる。
「あなたもパティシエの夢、かなえてね。シェフになったらお店を紹介してあげるわよ」
華蓮は微笑んで見せた。華蓮の背後で様子を見守っていた建生が感無量の様子でアディオスの前に歩み出てきた。
「恩に着ます皆さん。お礼に僕があぢおさんの大学進級をサポートします」
「えっ、どうやって?」
「ビデオ通話でテスト勉強のサポートをしましょう」
建生がアディオスに目をやり頭を下げた。
「本当か? それは助かる」
アディオスは顔を照り輝かせた。
「算数の九九でも英語のアルファベットでも一から教えて差し上げますよ」
「いや、そこまでレベル低くないから」アディオスは苦笑いで応え、「でもレポートの添削をお願いしようかな」と微笑んだ。続いて武男がアディオスに握手をもとめる。
「俺からは五輪メダリストとして超有名選手になったときのために直筆のサインをあげるぜ。転売するなよ」
武男は背負っていたナップザックから色紙とマジックを取り出した。
「へえ、何のスポーツ?」サインを書く様子を見ながらアディオスがたずねる。
武男は上着を脱ぎ冬なのにタンクトップ姿になると「何だと思う?」と右腕を力強く曲げ、むきむきの上腕二頭筋を見せつけた。ソフトボールでも入っているかのような盛り上がり方だ。
「すごい筋肉……、え? ラグビー? 重量挙げ?」アディオスの視線が腕っ節に釘付けになる。 
「ドッジボール」
武男は盛り上がった上腕二頭筋を撫でながら答える。アディオスは両目を五度しばたたくと「ボールに鉄球かなにか使うタイプ?」とたずねた。
「ゴム!」
武男は当たり前と言わんばかりの表情で即答する。ゴムボールを投げるのに隆々の筋肉は無駄にしか思えない。
「ゴムボール投げるのにそんなたくさん筋肉……必要?」素直に疑問をぶつける。
「当たっても痛くないようにだ。俺は逃げも隠れもしないし、人様が投げたボールを奪いとることもしない男だからな」武男はどうだと言わんばかりに胸筋を動かしてみせる。
「……ドッジボールに向かない性格だね。というかドッジボールってオリンピック種目だったっけ」
「オリンピック種目にすべく、署名運動を展開中だ。現在34人。二億あればIOCも認めることだろう」
武男は真剣な真顔で構想を伝えると、書き終えたサインを「同じデザインのサインは二つとないから大事にしてくれ」と順番に手渡した。アディオスが受け取った色紙には象形文字のような殴り書き文字が並んでいる。解読不能だ。横目で前川と不二美がもらったサインをのぞき込む。前川のはカクカクとしたブロック体のような肉太い文字、不二美のにいたっては丸文字でかわいらしく書かれて末尾にはハートマークもついている。
「うぅん、気まぐれで書いた物はサインと言えないと思うが……」
アディオスは腹話術師のごとく、もごもごとつぶやいた。三人が返礼に窮し沈黙する中、仲直りした面々を満足そうに見守っていたおばあちゃんが張った声をあげる。
「よおし、仲直りした記念じゃ。あんたら、わしが家まで車で送っちゃる」
軽はずみな提案にアディオスが目をヒン剥いて「おばあちゃん、この人たち家、東京だから!」と物申す。おばあちゃんの顎が縦に落ちた。勢い発言を反省したようだ。
「東京まで千キロ以上あるよ! 往復40時間以上かかるし、高速使うならお金も往復で五万円以上かかるよ」と耳元でささやくと、おばあちゃんの目が途端にキョドり出す。前言撤回をいかにすべきか思案を巡らしているようだ。
「この人たちお金もってるから。飛行機で帰れるよ」
アディオスはおばあちゃんの耳元に口を近づけ小声でささやいた。
「前言撤回させちくれ」おばあちゃんは頭を下げると二の句を継いだ。「よ、よし、空母まではわしが送る!」
「空港ね」すぐさま孫の訂正。民間旅客機は空母からは離発着しない。
「ありがとうございます、助かります」
華蓮が上品に頭を下げると建生と武男も深々と頭を下げた。
「じゃあ行くばい」
おばあちゃんは笑みで顔をしわくちゃにすると体を反転、おしりをふりふりジープへと歩き出した。
 建生がうかがうような目で「みなさんは帰り大丈夫ですか?」とたずねてくる。
「大丈夫。バス停は近い。ま、5時半が最終だけど余裕で間に合うから」
アディオスは白い歯を見せた。
「はよ来んかい。コンコルドがでるばいた」
ジープにたどりついたおばあちゃんが力強く手招きした。
「コンコルドって何?」不二美が小首をかしげる。
「フランスの音速旅客機。しかも今は絶版。ばあちゃんのジョークは30年前の世界で停滞してるから」アディオスは笑んだ。
 アディオスは「遠慮せず乗って乗って」と華蓮らをジープへ一緒に歩いて案内する。華蓮はジープへ着くと丁寧にお辞儀をして助手席に乗りこんだ。建生と武男も後部座席に乗りこむ。三人が乗りこむのを見届けると、おばあちゃんは運転前の点検をはじめた。
「タイヤ、ある! エンジン、ある! ハンドル、ある!」
おばあちゃんの威勢のよい確認の声が公園へと響き渡った。乗っている三人は目をしばたたいて見守った。
「おばあちゃん、熊本空港の場所はわかってる?」
「大丈夫たい! タクシーに金払って案内してもらうから!」
アディオスは「だったらタクシーに送らせたら」と言いたいところをぐっと我慢した。おばあちゃんは若者との交流を楽みたいのだ。
「ばあちゃん。空港までの運賃は俺が払うから」アディオスは告げると待ちのタクシーへ駆け寄り「運転手さん、これであのジープを空港まで先導して」と最後の一万円札を渡した。運転手は神でもあがめるようにお札を受け取ると、ハザードランプをつけたままジープの前へと車を移動させる。アディオスは駆け足で不二美と前川のもとへ戻ると「俺たち、だいぶ菊井町の町おこしに貢献したな」と抜け殻となった財布を見せた。
「献金、インスタでの宣伝、地元ケーブルテレビの活性化。十分でしょう」
前川がにこやかにうなずいた。
「でもこれから地方の町や村って人口がどんどん減って消滅していくってニュースに書いてあるじゃない。都市で育ったわたしからすれば、人をみんなどっかの都会に集めてインフラを一カ所にまとめたほうが効率いいと思うんだけど。町おこしなんて無駄なあがきにしか思えないわ」
不二美の意見にうなずきながら前川が二の句を継いだ。
「僕もそう思います。子どもの成長で言っても進学塾とかたくさんある都会とほとんどない田舎じゃ学力の差も開くというじゃないですか。国も都会に移り住むような政策をとって、浮いたお金を子どもたちや若者のために使った方が将来のためになるはずです」
前川は鷹揚にうなずくとアディオスに目を向けた。
「俺は違うと思うね。自然や生産物あっての人間だろ。健全な食糧の産出、住みよい気候の維持には澄み切った空気と美しい水など自然を守りながら生きる人々はとても大切だ。自然やその土地土地の文化を守ろうとする人間を蔑むような思想にあふれたら、国は滅びるよ」
アディオスは真剣な顔つきで語尾に力をこめた。無言の二人にアディオスは話を続ける。
「前川の考えを続けていくなら、最終的に国は一つの都市にまとめられることになる。自分の故郷が寂れていったときのことを考えてもみてくれ。思い出が詰まった町がなくなるんだぞ。故郷のことは育ててもらった人々に任せて自分たちは快適な場所へ移り住んでいく。そこに義はあるのか」
うつむいて聞いていた前川が、上目遣いにアディオスを見て口を開いた。
「義って、上杉謙信とか直江兼続とかがいいそうな言い回しですね……。実は僕、お金を稼ぐために大都会へ出て起業家とか弁護士とかステータスのある仕事につきたいと思ってたんですよね……。何か先輩の話で罪悪感を抱きますよ」
「あたしも将来は便利な都会でアパレルブランド立ち上げるのが夢なんだけど、あぢおにとっては不健全なのかな?」
不二美も伏し目がちに細い声で告げた。
「いいや。俺は都会で仕事をしようとするのがやましいと言いたいんじゃない。世の仕事はすべて必要だし、それぞれの仕事はその仕事に適した人や、やりがいを感じる人がやるべきだと思っている。楽しんで仕事ができることほど幸せなことはないだろうからね。仕事の中では都会でしかできないものや、都会のほうがやりやすいものもある。大事なのは自分に適した仕事を見つけて努力し、仕事に就いたら精一杯やることさ」
「でも都会に行くのは故郷を捨てることみたいに言ってたじゃない」
「俺が言いたいのは、移り住むことになっても故郷を想う気持ちは忘れちゃいけないということさ。仕事はすべて貴いんだからやりたいことを否定するわけじゃない。ただ、都会でないとできない仕事があることも事実」
「そうよね。わたしが高齢者ばっかりの菊井町出身だったら若者いなくてアパレルブランド立ち上げられないもの」
「都会へ出て行くことは否定しない。ただ、仕事で故郷に住めなくても故郷へ貢献する方法はいくらでもある」
「それってどんなこと?」不二美がきょとんとしてたずねる。
「例えば都会人の田舎への蔑視を戒める」
「田舎や出身地をばかにする人っていまだにいますもんね」前川がうなずく。
「住んでいる地域は全て貴い。自分の出身を胸張って言えないのは蔑んでみられるのが怖いからというのもある。学歴とかいうものもそうだろ。肩書きで人の価値が決まるわけじゃないのにな」
「まあ、学歴って勉強がんばって点数とったという証明にはなりますし、弁護士とかなら学歴があったほうが信用されそうですけどね」
成績優秀な前川は学歴否定論者ではないらしい。
「それも一理ある。学歴なんてものは今では努力しだいで何歳からでも身につけられるものになっているからまだいい。だが、出身地ってのは本人の努力ではどうしようもないものだろ。偏見や蔑視が存在するのはおかしいことだ。前川みたいに論理的に説く力をもった者が弁護士とか政治家とか有名になって訴えていけば必ずそういう蔑視はなくなっていくはずだ」
「敵が手強いと僕も燃えますからね。そういう蔑視は許しませんよ」前川は鼻息あらく言った。アディオスは頼もしげにうなずきながら続ける。
「アパレル目指してるわたしには無理かしら」
「歌手、俳優、メジャーリーガー、どんな仕事でもカリスマになって発信力を持てれば人はついてくる。有名になれなくとも束になって訴えれば人は動かせるものさ。地方への蔑視や偏見がなくなれば、誰もが自信をもって故郷をPRすることもできるようになる」
「テレビなどで有名人が出身地をPRしたり、テレビドラマなどで舞台になったりすることで突然ある地方が脚光を浴びるってことはよくありますもんね」前川も同調した。 
「あとは都会と地方の最大の懸念事項であるお金での貢献だ」
「税収が圧倒的に違いますからね。人口が少なくなれば広大な土地のインフラをまかなうことは難しくなりますよね」
「そう。少しでも故郷が活性化するように、都会でつくり出した裏金を故郷に送るんだ」
「先輩、言ってること立派なんだから裏金じゃなくて、ふるさと納税とか寄付金とか言わないと」前川は目をしぱしぱとまたたいた。指摘を受けたアディオスは苦笑いする。
「まあそうとも言う。とにかく、活躍の場はどこにせよ、自分が熱意をもってやったことで稼いだお金を故郷に還元する。そういうことができれば限界集落化は食い止められるかもしれない」
「でも、いくら僕らががんばって稼いだとしても、過疎化していく故郷にとっては焼け石に水なのかもしれませんよ」
「だから都会の人の意識も変える必要がある。便利で贅沢な暮らしができるのは美しい空気や水、農産物を創り出してくれる自然を守る人々のおかげという意識をもつことさ。稼いだ幾分かを不便に耐えて自然を守って暮らしてくれる人々、健康維持に欠かせない食糧を供給してくれる地方の人々に分配するっていう気持ちを持つことが大事なんだ」
アディオスがしみじみと諭すと、前川と不二美はにっこり微笑んでうなずいた。 
「さあ、明日からバイトを増やさないとな。この町に寄付した分の財産をまた大都市から徴収するぞう! ばっちゃんの名にかけて!」
アディオスは握りこぶしを上げた。

              終わり
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