第7話 車椅子の少女
文字数 1,955文字
瓦礫の山から、朝日が昇っていく。
十分寝て、頭はすっきりした。俺はコンクリート片を踏み進んでいく。逐一予言を証明するのも骨が折れるものだ。学校は休むしかないか。借りた本の返却期限が気になる。
「お前はソフィアに刺されて死ぬ」
足が止まる。暫し思考が止まる。ああ、そうか。聞き間違いか。俺は乾いた笑みを漏らした。
「お前はソフィアに毒を盛られて死ぬ」
空耳だ。さて、次の予言は……。
「お前はソフィアに首を絞められて死ぬ」
瓦礫を蹴り飛ばす。瓦礫は成層圏を突き抜ける勢いで吹き飛び、次々とビルをなぎ倒した。轟音が周囲に響く。
「はぁ、はぁ……」
初めて呼吸が乱れた。
ありえない。そんなはずがない。荒唐無稽な予言を前にして、俺は笑うしかなかった。ソフィアとは、あのソフィアのことか? 十歳前後の女の子。両足を負傷して、現在病院でリハビリ中。
俺と会うといつだって笑って挨拶してくれる、俺のただ一人のお気に入りの、あのソフィアのことか?
「お前は愛するソフィアに殺される。彼女の腕の中で惨めに死んでいく」
歯を食いしばる。良い作戦だ。自嘲の笑みを浮かべる。俺を動揺させる声の策略であれば、なるほど、見事と褒めるほかない。
しかし、狙い過ぎだ。フィクションと丸わかりではないか。
そんなの誰が信じ――。
「アンドリューさん」
聞こえるはずのない声がして、俺は喉が詰まった。
馬鹿げている。何度もかぶりを振る。叔母やソフィアが関わらないように、意図的に南に向かっていた。
病院から何キロ離れていると思う。第一、避難指示が出ている。一帯は既に誰もいない。
「わたしです。ソフィアです。様子が気になって、追いかけてきました」
「……」
「自分の意志です。政府に命令されたわけでもないです。薬も嗅がされていません。厳戒網突破するのに、けっこう頑張ったんですよ? 自慢したいくらいです」
慎重に振り返ってみると、確かに車椅子の少女がいた。
朝日がこれほど似合う子はいない。太陽を背負い、少女は穏やかに微笑んでいた。善も悪も超越してすべてを赦す、救世の天使ような存在感だった。
ああ、ソフィアだ。
俺は抗う術を失い、それを認め、敬虔な気持ちで彼女を見つめた。
「お前はソフィアに焼かれて死ぬ」
声が俺に囁く。非成就と示せ、ソフィアを殺せ。それが本当に声か、俺の心の声か、判然としない。どうしようもなく体が震える。膝が笑う。
俺は彼女に手が出せない。それは無理だ。だ、だから、ま、万が一、万が一、予言が本当だったとしたら?
確実に殺される。
一方的に、為すすべなく、こ、コロされ――。
「おびえないで」
ソフィアが俺に語りかける。ぶれない言葉は勇ましかった。
「本当は、もっと早く言うべきでした。あなたの意固地に甘えていたんです。ステファンさんも……ずっと、後悔していました。ありのままを受け止めるべきだったって。
力の使い方とか、お役目とか、立派に生きろとか、そんなんじゃなくて、ただあなたのまま――」
「な、なにを、」
「あなたは弱い人」
「――」
その言葉を、俺は、なぜか、猛烈に受け入れたがらなかった。
脳が騒ぐ。出ない声で叫ぶ。この街を見ろ、ヘタレな国軍の有様を見ろ! 俺がこの十年で打ち破ってきた悪人どもの数を見ろ!
「腕っぷしが強いからなんですか。ダイナマイトで十分です。自分の力を誇示して悦に入るなんて、小学生でも出来ますよ。
蟻を潰せばいい。大義名分は簡単に後付けできます。
アンドリューさん、その行為とあなたの行動、同義でないと言い訳が立ちますか? 見せかけの正義は楽しかったですか?」
「お、俺は、だって、そうしないと、」
「違うんです。わたしもステファンさんも、そんなものなくても、あなたが大好きです。無力でも、道を踏み違えても、大好きなんです。あなたの両親のように見捨てません」
「あ、い、いや、そ、それは、」
視線が泳ぐ。声がどもる。頭を抱えてガキみたいに蹲りたくなる。なぜこんなにも胸がざわつく? 俺は何を言われている? 意味がわからない。
声がした。たくさんの声がした。
「お前はソフィアに首を刎ねられて死ぬ」
「帰ってきてください。怒りませんから。逃げましょう、海向こうの国に」
「お前はソフィアに海に落とされて溺れ死ぬ」
「一緒に罪を贖いましょう。人生をかけて償いましょう。奪った分だけ捧げましょう。ほかにできることって、何もないです」
「お前はソフィアに血を抜かれて死ぬ。ミイラとなって捨てられる」
「わたしは知っています。あの時救ってくれたこと、本当に感謝しているんです。そういう人、きっとほかにもいます。壊すだけじゃなかったはずです。償えるって、信じています」
「お前は――」
「ああああああああああああああああ!」
絶叫が廃墟に木霊する。