第1話 死の予言
文字数 1,657文字
家のドアが開かない。手の中を覗けば、鉄製の鍵がぐちゃぐちゃになっていた。
夜の務めの後は、力加減がわからなくなる。既に四回目、あの強欲まみれの大家に金を払わなければならないと思うと、気分が悪かった。
指と指で鍵を押し潰して、コインみたいに平たくする。ドアと壁の隙間に差し込み、デッドボルド目掛けて鍵をスライドした。
全力の二十分の一も要らない。デッドボルドは鮮やかな切り口で以て切断される。
夜風でドアが開く。
笑いが抑えられなかった。
もし俺が本気でそう望めば、中央銀行もホワイトハウスも、強盗なんて赤子の手をひねるようだろう。
その瞬間だった。
「お前は4日後に死ぬ」
男らしい声が、唐突に耳に響いた。
まず疑ったのは、周囲の声だ。正体がばれるわけにはいかない。視線を左右に揺らすも、白熱電球の明かりが蛾を誘うだけで、人っ子一人見えなかった。
空耳か? それにしては、やけにはっきりと聞こえたが……。
内容が不吉なだけに、少し気にかかった。4日後だって? 叔母の手術は一週間後だ。経過を見届けられないのはつらい。
二週間後の試験を受けずに済むのはありがたい。あんな馬鹿とバカの背比べ、巻き込まれるこっちはいい迷惑だ。
俺はそんなジョークでを笑い飛ばす。
以後その声のことは忘れて、疲れた身を休めるべく、俺はアパートの中に入った。
次にその声が聞こえたのは、翌日の登校時だった。
×××
この町には悪人が多すぎる。ヤクの売人、強盗、強姦魔、酒瓶片手に浮かれ騒ぎする害悪共。全員軍隊に強制入隊させて、朝から晩まで奉仕活動に従事させればいい。
無能を世のため人のために使ってやるんだ。神様だって失敗作の有効活用だと、もろ手を挙げて賛同してくれる。
政府も同類を見捨てたくないから、俺が代わりを務めることにした。
毎晩外に出て、拳一つで悪人共を懲らしめる。
7歳の頃からだ。
俺は先天的に腕っぷしが強かった。突然変異というやつらしい。ガキの頃から握力だけでコンクリートを粉砕できたし、100メートル走3秒を切るのは当たり前だった。
力を抑えるのが逆に難しくて、お茶目なミスでビルをよく破壊していたっけ。あれは申し訳なかった。
そんな日だ。空が何よりも青い、夏の日のことだった。
「いけませんよ、アンドリュー」
瓦礫の上で、叔母が俺に言った。俺の肩からコンクリート片を優しく払ってくれた。
「その力は神様から与えられたギフトです。ちゃんと大事になさい。立場の弱い人、現状に苦しむ人、憐れむべき人のために使いなさい。
自分のことしか考えられない、この世で最も愚かで可哀想な人になってはいけませんよ。愛を食らう獣でなく、愛を説く人になりなさい」
俺は叔母の言葉をもっともだと思い、胸にしかと刻み込んだ。
倒しても倒しても、湖底から湧くヘドロのごとく、悪人は町に溢れかえる。通行人から荷物を掠め取り、女を路地裏に連れ込んで凌辱し、面白半分に子どもの目を拳銃で打ち抜く。
俺がどんなに正義に心血を注ぎこんでも、悪は滅びない。なぜだ。なぜこんなにも、この世は腐ってやがる。
踏み出した一歩に、力を込める。
スニーカーが道に食い込み、見事な足跡を残した。模様までくっきりと。
俺は嗤った。
「お前は道の陥没に巻き込まれて死ぬ」
聞こえてきた声に、はっと顔を上げる。早朝、道には同じ高校の生徒しか歩いていない。声に驚いて、俺のように立ち止まる生徒はいない。
聞こえていないのか? 心の声? なんなんだ。俺はお世辞にも、気分爽快とはいかなかった。
所詮はただの声。理屈も何もない。仮に陥没したとして、走り幅飛びの五輪選手も真っ青な跳躍力をもってして、瞬く間に脱出してみせる。あいにくだが、愚にもつかないことに煩わされるほど暇人ではないんだ。
今日は図書館に寄り、新しい本を借りる予定だ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は実にユニークだった。
わずかに感じた不安を押し殺し、俺は登校を再開する。
次にその声が聞こえたのは、昼休みの最中だった。