第13話 神の目

文字数 1,919文字

 目的地のない数時間の旅を終えて徒労をおんぶしてシェアハウスに戻ると、そこには1人しかいなかった。Nだ。リビングのソファに座ってテレビをつけている。見ているようで見ていないというような表情をしている。Φが帰ったことに気づくと、おかえり、と優しい笑顔を向けた。ただいま、と真顔で返したΦは床に座り、ソファの座面下にもたれかかりテレビと対面する形でNの左下に位置した。一旦は頭に入らないテレビを見ていたΦだったが、何か会話したいと思い、Nの方を振り向いた。Nもこちらを見ていたのかすぐ目があった。

「なあ。Nとは物心ついた時から友達だよな」
 なぜそんなことを口走ったのかΦはわからなかった。
 うん、と返すN。
「俺といてさ、楽しかったこと、なんか覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。楽しかったこと」
「そうだよな、さすがN。いつも一緒だったもんな」
「うん。子どもの頃からだけどなんかΦって僕と合わなさそうって人は意図的に僕から遠ざけてたから友達全然作れなくて結局Φと一緒にいるしかなかったんだよね」
「おいそこ指摘すんなって。それ言われたら負けだと思ってるから」
「Φって誰とも似通ってるところなくて共感ゼロの人間だったから友達いなかったもんね〜。あ、それで寂しくて僕が友達つくるの必死で邪魔してたのかな」
「もうやめてくれよ。なんか熱くなってきた」
「ほら〜。高校の時なんて2人して友達いなくてやることなくて暇で、昼休みいつも内庭で一緒に寝そべってたじゃん」
 Nがほくそ笑む。
「あー、そうだったよな〜。楽しかったわ。日当たり良過ぎて寝そべったよね。なぜか俺だけえっぐい日焼けしたんだった。サッカーの大事な試合の時に俺だけ選手証の写真と違い過ぎて試合出られなかったんだったわ。しかもなぜかどんな理屈か代わりに副審させられたし。副審にまでブラジル感いらないだろ」
「うん、面白かったね。あの中庭は特別だった気がする」
「な。10畳ぐらい綺麗に芝生が生い茂ってたもんな。今思えばよくあそこでサッカーしなかったな。あ、でもそうか。真ん中に謎に大きい切り株があって邪魔だったからどちみち無理だったか」
「うん」
「いや、懐かしいなあ。あそこで色々喋ったもんな」
「うん」
「よくNに語ってたの今思うと恥ずかしいな」
「そうかな。僕は面白かったよ」
「そうかな」
「うん。特に小説の話は」
「おい、いじるなよ。あの時お前にしか打ち明けてなかったんだから」
「小説家になるって言ってたこと?」
「おい。言うな、ここでも。このリビングZかXに盗聴されてたら嫌だからな」
「そんなことしないよあの2人は」Nが笑って返す。
「あいつらマジでやりかねんからな。まあいいや。あの時は本気で思ってたからな」
「なれたかもね、小説家。説得力あったし」
「えー、そうか?」
「うん。特に神の目」
「ああ〜、ああ。よくそんなこと覚えているよな。俺ですらうろ覚えだわ。あのなんだっけ、ああちょっと思い出した。あの、ストーリーを語る存在が実はめちゃくちゃ選り好みしてるってやつね。はいはい、そうだった、そうだった」
「そう。思い出したね」
 NはΦに微笑みかけた。

 途端にΦの思考が止まった。頭の中がぐにゃぐにゃになった感覚だ。頭が痛い。いや、心地いいのか。よくわからない。脳だけが体から分離しそうだ。それが元々の状態であったかのように。本来あるべき姿のように。よくわからない。でもよくわかった気もする。いや、もうすでに明白なのか? 体はどうなってる? 床に倒れているのか? そのまま何事もなく座っているのか? いや、そんなことはもはや重要ではない。そんなことはどうでもいい。もはやこの感覚は自分のものかさえわからない。誰のものだ。誰のものでもない? どうでもいいか。この感覚は必要? 不必要か? 自分にとっては不必要であっても誰か一人には重要なのだろう。徐々に手の感覚が甦る。痺れている。足の間隔が戻る。指がぴくっと動く。この指は自分のものか? いや、どうでもいいか。段々と目のピントが合ってくる。人らしき姿がぼやける。Nか? Nだ。こちらを見ている。顔を覗き込んでいる。

「大丈夫?」NがΦの肩に触れた。
「ああ。すまん。大丈夫だ」
 Nに支えられて立ち上がる。足が床についている感触が伝わる。
「ちょっと休んだほうがいいんじゃない?」
「ああ、そうだな」
 Nに支えられて自分の部屋に戻る。自分のベッドは二段の下だが、朝出かける前物を散らかしたせいで寝そべられるような状態ではなかった。
「ちょっとベッドを貸してくれ」
 そういうとΦはおぼつかない手足ではしごを登り、Nのベッドに横たわった。そしてNに布団をかけられるや否やΦの世界は暗転した。
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