第2話

文字数 1,428文字

皆さんは最近、誰かにさわっているだろうか。
或いは、誰かにさわられたりしているだろうか。

私は、2人の子どもたちによくさわる。
手というのは、本当にすごい。
相手にさわることで、こちらの思いを、言葉以上に伝えることができる。


朝、学校に行くときは、“今日一日がんばってね”の意味を込めて、ランドセルを背負った上からそっと抱っこする。
そして「気をつけて行っておいで。」と言って送り出す。

夜、寝るときには、子どもたちの手を握る。
ほどよくあたたかな手であれば、きっと穏やかな眠りにつけるだろうと予感する。
熱すぎるときには、“もしかして熱があるかも・・・”と心構えをする。
冷たすぎるときには、“何か緊張することでもあったのかな・・・”と思って、話を振ってみる。

子どもたちが、何か言いたげな様子でそばに寄ってきたら、抱き寄せて背中をとんとんする。
そうすると、すっと力が抜ける。
手を通して、彼らの安堵が伝わってくる。


子どもたちは、毎日、元気に学校に通っている。
だが、いつも順風満帆なわけではない。
もちろん、大好きな友達とけんかすることだってある。
今までやったことのない台上前転を体育でやらねばならず、ありったけの勇気を振り絞らなければならないときだってある。
私も昔、小学生だった。
だから、言葉にならない思いが、いいことも、悪いことも、毎日沢山あるだろうことは想像がつく。

だから、手を通じて、子どもたちのからだに思いを伝える。
そして、手を通じて、子どもたちの、言葉にならない思いを感じ取る。



さわることが大事なのは、子どもに限ったことではない。
大人だって同じである。
むしろ子どもたち以上に必要なのかもしれない。

肩の凝るスーツに身を包み、足が締め付けられる革靴を履いて、コンクリートで固められた、そよ風も吹かない無機質なオフィスの中で、日がな一日、これまた無機質なパソコンと向き合いながら、ほぼ座りっぱなしで、アタマばかりをフル回転させるーーー考えただけで、息が浅くなり、からだが凝ってくる。

私は、夫のからだにもさわる。
我が家は、昭和型の分業制で、夫は仕事、私は主婦だ。
だが私も昔、会社員だった。
だから、言葉にできない疲れが、意識に上ることもなく、からだの随所にたまっていくのが想像できる。

服の上から夫の肩や背中をさすってみると、大抵の場合、パツンパツンに凝っている。
姿勢が悪いのか、はたまた緊張していたのか、背中や肩が変な形に傾き、盛り上がっているときもある。

そういう時には、肩や背中にそっと手を置いて、“今日一日、がんばってくれてありがとう”と念じる。
私の手の温かみを、からだにしみこませていくようにして。

夫は恐らく、気を張りすぎていて、自分のからだの状態に気がついていないのだ。
脳化社会を懸命に生きていると、からだの声は聞こえないだろう。
だから私が、彼の代わりにからだの声に耳を澄ませる。
手を通じて、ありがとうの気持ちを伝えるのだ。



もちろん私は、与える一方なのではない。
手を通じて、彼らのほぐれた心が私へと環流し、私自身をも癒やす。
与えることで与えられる、ということである。




大好きだったおばあちゃんは昔、私にこう言っていた。
「手でさわるだけで病気は良くなるんだよ。だから“手当て”って言うんだよ。」と。

私は手の力を、手から伝わる思いを信じている。
皆さんも、あなたの大切な誰かを、慈しみの気持ちを込めてさわってみてください。




参考文献:
「ものがわかるということ」 養老孟司著 祥伝社

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  • (1)はじめに

  • 第1話
  • (2)手から伝わる思い

  • 第2話
  • (3)限りのあるもの

  • 第3話
  • (4)ニホンヤモリと息子

  • 第4話
  • (5)公立小学校の、先生と級友たち

  • 第5話
  • (6)食べることで命をいただく、ということ

  • 第6話
  • (7)「強さ」を支えるもの

  • 第7話
  • (8)「少子化」とは何か

  • 第8話
  • (9)母親は交換可能か

  • 第9話
  • ①世の中の動向

  • 第10話
  • ②子どもにとっての、安全基地としての母親は、如何にして”誕生”するか

  • 第11話

登場人物紹介

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