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文字数 1,429文字
経験したことがないほどの空腹感に襲われていた。厳密に言えばお腹は空かない。それでも、三日間食べ物を口にしていないという事実が、耐え難い飢えをもたらしていた。これ以上書斎に篭って作業を続けても、効率が落ちる一方だろう。霞む視界の中、ふらふらと書斎をあとにした。慎重に階段を降りて一階のリビングを目指していると、何かの音が聞こえてきた。視覚だけでなく、聴覚もおかしくなってしまったのか。廊下に出たときから微かに聞こえていた物音は、下へ降りるにつれて大きくなっていった。どうやら幻聴ではなく、来客のようだ。
「は……はい。真田ですが…。」
できる限り外へ声を届けようと、扉に近づいてから、ノックに返事をする。
「叶成さん? 笑茉《えま》です。昨日、留守だったので日を改めて来てみたのですが……。入ってもよろしいでしょうか?」
聞き馴染んだ声にほっと胸をなでおろす。今、お客さんに来られても対応できる気がしなかった。
「あぁ、気づかなくてごめん。どうぞ」
「お邪魔します。……って、顔色悪いですよ!? ――歩けますか?」
満身創痍な私を見た笑茉は、駆け寄って肩を貸してくれた。
「ごめん。仕事部屋に籠もってて、気づいたら三日経ってた……。何も食べてなくて、気持ち的に駄目だった」
笑茉が来てくれたことに安堵してしまった私は、自身の状況について支離滅裂な説明をした。
「なんとなくは分かりましたから。一旦、リビングにいきましょう。歩けますか?」
笑茉は私をソファに座らせると、シンクに置いてあったコップを見つけて、水を入れてくれた。
「とりあえず、お水飲んでください。――落ち着きましたか?」
「うん、大丈夫。ほんとありがとう。危うく気絶するところだったよ」
笑茉はやれやれ、というふうに首を横に振った。
「そういえば近所にできたお惣菜屋さんで、惣菜パンを買ってきたんです。よかったら一緒に食べましょう」
そう言うといなや、玄関から袋を持ってリビングに戻ってきた。
「笑茉って、神様より神様してるよ。仕事丸投げのあんなお爺さんより、笑茉が神様になったほうがいいんじゃないかな」
笑茉が買ってきてくれたコロッケパンを頬張りながら、冗談を言う。
「冗談でも、怒られますよ。それに、私は今の仕事が好きなので遠慮しておきます」
笑茉は、天国で育った名前のない大人や子供に向けたカウンセリングや、名前を考える仕事をしていた。
「それは良かった。仕事の調子はどう?」
「まだ、難しいですね……。勇気をだして相談に来てくれる人や、実際に名前を考えたいという人も数人いらっしゃいますが、やっぱり名前を決めるとなると、皆さん頭を抱えておられます」
そんな話を聞いていると、笑茉の名前を考えたときのことを思い出す。
「笑茉の名前を考えたときは、随分悩んだよね。懐かしいよ」
そういえば、ここに来てからもうすぐ一年が経つ。時間というのは、天国でも変わらず流れていくもので、うっかりしていると乗り遅れてしまいそうだ。
「私がこんな素敵な名前に巡り合えたのは、叶成さんがいたからですよ」
その言葉に、思わず咳き込んでしまう。
「ちょっと、大丈夫ですか? お水飲んで、落ち着いてください」
笑茉は、たまに恥ずかしげもなくこういうことを言うから油断できない。
「――突然そういうことを言うのは控えてもらえると助かります……。恥ずかしいので」
こうなってしまうと、もう笑茉のペースだ。その後、散々照れていることをいじられてしまった。
「は……はい。真田ですが…。」
できる限り外へ声を届けようと、扉に近づいてから、ノックに返事をする。
「叶成さん? 笑茉《えま》です。昨日、留守だったので日を改めて来てみたのですが……。入ってもよろしいでしょうか?」
聞き馴染んだ声にほっと胸をなでおろす。今、お客さんに来られても対応できる気がしなかった。
「あぁ、気づかなくてごめん。どうぞ」
「お邪魔します。……って、顔色悪いですよ!? ――歩けますか?」
満身創痍な私を見た笑茉は、駆け寄って肩を貸してくれた。
「ごめん。仕事部屋に籠もってて、気づいたら三日経ってた……。何も食べてなくて、気持ち的に駄目だった」
笑茉が来てくれたことに安堵してしまった私は、自身の状況について支離滅裂な説明をした。
「なんとなくは分かりましたから。一旦、リビングにいきましょう。歩けますか?」
笑茉は私をソファに座らせると、シンクに置いてあったコップを見つけて、水を入れてくれた。
「とりあえず、お水飲んでください。――落ち着きましたか?」
「うん、大丈夫。ほんとありがとう。危うく気絶するところだったよ」
笑茉はやれやれ、というふうに首を横に振った。
「そういえば近所にできたお惣菜屋さんで、惣菜パンを買ってきたんです。よかったら一緒に食べましょう」
そう言うといなや、玄関から袋を持ってリビングに戻ってきた。
「笑茉って、神様より神様してるよ。仕事丸投げのあんなお爺さんより、笑茉が神様になったほうがいいんじゃないかな」
笑茉が買ってきてくれたコロッケパンを頬張りながら、冗談を言う。
「冗談でも、怒られますよ。それに、私は今の仕事が好きなので遠慮しておきます」
笑茉は、天国で育った名前のない大人や子供に向けたカウンセリングや、名前を考える仕事をしていた。
「それは良かった。仕事の調子はどう?」
「まだ、難しいですね……。勇気をだして相談に来てくれる人や、実際に名前を考えたいという人も数人いらっしゃいますが、やっぱり名前を決めるとなると、皆さん頭を抱えておられます」
そんな話を聞いていると、笑茉の名前を考えたときのことを思い出す。
「笑茉の名前を考えたときは、随分悩んだよね。懐かしいよ」
そういえば、ここに来てからもうすぐ一年が経つ。時間というのは、天国でも変わらず流れていくもので、うっかりしていると乗り遅れてしまいそうだ。
「私がこんな素敵な名前に巡り合えたのは、叶成さんがいたからですよ」
その言葉に、思わず咳き込んでしまう。
「ちょっと、大丈夫ですか? お水飲んで、落ち着いてください」
笑茉は、たまに恥ずかしげもなくこういうことを言うから油断できない。
「――突然そういうことを言うのは控えてもらえると助かります……。恥ずかしいので」
こうなってしまうと、もう笑茉のペースだ。その後、散々照れていることをいじられてしまった。