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文字数 2,220文字

 笑茉が差し入れてくれた惣菜パンを食べながら机に向かっていた。前回の反省を踏まえて、食事は適宜とりながら、仕事に着手する。
「それにしても、今回の人も大変だな。こんな仕事押し付けるなんて、神様は人が悪いよ。……人じゃないんだけどさ」
 どうにもこっちに来てから、独り言を言う癖がついてしまった。中途半端な距離感で他者と関わっているからかもしれない。それは、いわば友達や親友の距離感だ。友達が帰ると寂しくなるし、普段色眼鏡で見ているものの本質が見えてくる。今はまさにその状態で、ここ三日間、気にしていなかった孤独や虚しさが一気に押し寄せていた。
「駄目だ。少し、休もう」
 書くものを机に起き、依頼人から取材したいくつものメモ書きを整理する。私の仕事は、ライフライターだ。この仕事は、言ってしまえば依頼人の人生を綴る仕事らしい。『らしい』と言うのは、この説明が私の言葉ではなく、神様の受け売りだからだ。今のところは、神様から紹介される依頼人の仕事を受け持っているだけで、仕事の全容については、教わることができていない。研修を終えてすぐの頃、神様に仕事の詳細を教えてほしいと頼んだが、『然るべき時が来たら、教えるよ。今は焦らず、仕事を覚えてほしい。人の人生を綴るのは大切な仕事だから』と諭されてしまった。ただ、分かったこともあって、ライフライターの仕事は本来、神様の仕事だそうだ。最近は依頼人が増えて、一人では手が回らなくなってしまったことが、後進育成の決め手になったという。研修の身とはいえ、この仕事に就いて痛感するのは、人の人生を綴るという責任重大な仕事を、コンスタントに単身でこなすのは無理があるということだ。そこに関しては、神様に同情する他ない。
「休憩したら、もうひと頑張りするか……」
 冷めたホットミルクを飲み干して、自分に言い聞かせるようにペンを握った。
          
 次の日、私は神様のもとへ推敲した原稿を届けるために、数日ぶりに外へ出ていた。
 そういえば、神様の仕事でライフライターの業務が占める割合は、どれぐらいなのだろう? 知る限りでは、神様の仕事は天国にいる人々に向けた定例の挨拶や職の推薦、ライフライターの業務ぐらいだ。天国には法律やお金、権力のような概念が一切存在しない。そのことを知ったとき、私は天国が地獄と化すのも時間の問題だと思ったものだ。ところが、そんな心配が杞憂に終わるのもすぐだった。そもそも、法律がなくとも犯罪の心配はいらなかった。というのも、全員が亡くなった故人なので、殺人は仮にしようと思ってもできない。そして、お金という概念が無いので、そこから生ずる全てのしがらみが存在しない。欲しい物があったらお店で買うだけだ。そういう意味では、買うというより貰うという表現が適切かもしれない。天国で買うという表現を使う場合、物々交換という意味合いで使う人も一定数いる。私は仮に、天国で一般的に悪だとみなされる行動をした場合、どうなるのか神様に聞いてみたことがある。
『天国に来た人々が、生前どんな人生を送ってきたかは分かるからね。仮に悪いことが起きれば、そこには様々な要因と理由があるはず。それによっては免罪にも地獄へ行くことにもなる』
 神様は穏やかな声で淡々と説明したが、たやすく発せられた『地獄』という言葉には、少々たじろいでしまった。
 天国では、各々が望む生活水準で暮らすことができ、仕事はやるもやらぬも自由だ。しかし、最初は仕事をせずに生活していた人たちも、大半は暇を持て余し、仕事をしていたほうがいいということで、仕事を始めることが多いそうだ。かくいう私も、最初の一週間こそ家具の購入や、笑茉の名前を考えるという名目で街を巡ったりと忙しくしていたが、その次の週には仕事の相談のために神様を訪ねていた。
 神様の家は、四季折々の木々が育った閑静な場所にある。今の時期は、まず桜の木々が出迎えてくれる。笑茉に連れられて、初めてここへ来たときも、入り口には桜が咲いていたことを思い出す。桜は、徐々に赤と黄色の紅葉に移り変わる。その次に見えてくる冬の木々は、桜や紅葉に彩りこそ劣るが、その耐え忍ぶ姿は、桜や紅葉を見たあとだと、より一層の気品を感じさせる。最後に来客を出迎えるのが、夏を彷彿とさせる青々とした緑が生い茂る木々だ。葉の間から差し込む暖かな光は、実に気持ちがいい。ここに来ると自然と笑顔になれる。――本当に、いい場所だ。
 その木々の中、景色を邪魔しまいとひっそりと佇む白い木造住宅が神様の家だ。最初に来たときも驚いたが、神様が住む家は小作りで、質素な一軒家だった。
「どうも、真田です。依頼されていた原稿を届けに参りました」
 玄関の戸をノックしてから声をかけた。
 ――留守だろうか? さきほどよりも強めにノックをしてみるが、やはり返事はない。約束した日に不在だったことがこれまであっただろうか、いやなかった。あの人のことだから、うたた寝でもしているのかもしれない。念のため、家の周りを一周して不在の確認をしておこう。
「神様、真田です。いらっしゃいませんかー」
 もし寝ているのなら、声に気づいて起きてくるかもしれない。私は、玄関横の窓と家の側面にある窓に声をかけながら、裏手に回る。
「真田です。ご在宅で――」
 そこまで言ってから目に飛び込んできたのは、裏庭のデッキに正座して、優雅にお茶を飲む家主の姿だった。
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