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文字数 3,366文字

 どこまでも続く階段を上へ上へと歩いていた。先刻、私の前に現れた両親は、本物の両親だったのか? もしかすると、あの両親は、私を階段の上へ向かわせるために自身の記憶が見せた幻だったのかもしれない。それに、本物の両親だったら階段の先まで一緒に付いてきてくれる気がしていた。私自身、娘を持った父親になって両親の親心を身に沁みて感じていた。死後の世界で娘と再会できたなら、娘の一生にどれだけの幸せが溢れていたか何日もかけて話を聴いていきたい。それが親心だと、私は思う。だからこそ会話を交わした両親が、記憶の中に残る両親の面影だと理解してしまう。それでも、幻とはいえ両親と再会し、話せたことは嬉しかった。
 代わり映えしない景色の中、ただ階段を上がるのはつまらない。私はいつの間にか、自分の人生に思いを馳せていた。生きていたときよりも、十代を鮮明に思い出せるのは何故だろう。
 例えば、中学時代の記憶。恩師は、染谷先生という初老の女性だった。染谷先生が顧問をする美術部に所属していた私は、放課後によく絵のレッスンをしてもらった。美術部自体は、特別活気がある部活動ではなかったが、絵——特に人物画——を書くことが好きだった私は、作品を発表する機会のあるなしに関わらず、かなり遅くまで学校に残って絵を描いた。一人学校に残って、絵を描く私を支えてくれたのは間違いなく染谷先生だった。あの頃、先生が絵を教えてくれて作品の感想をくれたから、絵を描くことに打ち込めたと思っている。
 そういえば、中学時代に初めてできた彼女と別れた理由は、染谷先生が原因だったことを思い出す。原因と言っても、染谷先生が直接何かしたわけではない。正確には、染谷先生のことで、彼女と言い争いになったという意味である。彼女は、染谷先生がお気に入りの生徒に、えこひいきをする不公平な先生だと言った。私は、染谷先生こそ生徒思いな先生だと反論した。染谷先生は、全国レベルの部活動を受け持つ先生と、同じくらいの時間まで学校に残っていた。学校に寄せられる地域からのクレームや保護者への対応に真摯に向き合い、毎日のように授業に備えてワークシートを作る先生は、人生を通して尊敬していた恩師だ。
 彼女との恋人関係は、それからしばらくして解消した。私がある種の正義感のような、自分の中にある正しさや信念に従って行動するようになったのは、この頃だった気がする。あれから四十年以上経った今でも、完全無欠な善人になれたとは思っていないが、自分の信念や正しさに従って、真っ当に生きてきたという自負はあった。
 正義感にまつわるエピソードと言えば、高校時代、バイト帰りに起こった事件についても思い出す。その日は、一時避難警報が出るほどの大雨が降っていた。アルバイトのシフトを一カ月前に入れてしまっていたことを悔やみながら、やむを得ず勤務先へ向かった。そのとき働いていたのは、高校の近くにあるリサイクルショップだったので、電車を使ってバイト先まで向かわなければいけなかった。結局、お昼以降は臨時休業となり、ほぼ働かず家に帰ることになった。
 帰り道、日課で食べているヨーグルトが、朝の分で無くなったことをふと思い出した。こんな日に外へ出たのもそれを買うためだったのだと、運命じみた結論に至った私は、駅の近くにある薬局に寄ってから帰ることにした。薬局のどの位置にヨーグルトが売られているかは知っていたので、他の商品には目もくれずヨーグルト売り場へと向かった。しかし、自分が愛食している銘柄のヨーグルトは売っていなかったので、落胆して薬局を出ることになった。
 ——その間、わずか数分。
 傘立てに差した傘が無い。落胆なんて感情は吹き飛んで、脳内はクエスチョンマークでいっぱいになった。こんな雨の日に、傘も持たずに外出した阿呆がいたのか。私も他の誰かの傘をくすねて帰ろうか? 頭に一瞬、そんな邪な考えがよぎった。しかし、傘を盗んだ阿呆のせいで窮地に立たされているのに、その不幸を他人に伝播するのは、死んでも嫌だと心が言っていた。
 それからしばらく考えて、いくつかの選択肢が浮かんだ。まず、誰かの傘に入れてもらって駅まで連れて行ってもらう方法。一般的には、これが最善策だろう。しかし、その頃の私は人と関わるのが心底苦手だった。容姿に自信が無いことも相まって、この解決策には後ろ向きだった。仮に、勇気を出して「駅まで傘に入れてもらえませんか」と頼めたとして、雨が降り続いている日に『傘を盗まれた』という主張が信じてもらえるとは思えない。そんなふうに自分を納得させた記憶がある。
 次に思い浮かんだのは、ゴミ袋を購入して、駅まで被って走る方法だ。この時点で、駅まで帰る策を練ることにやや自暴自棄になっていたことは、言うまでもない。
「走るか……」
 最終的には、ずぶ濡れになって走ることを選んだ。雨よりも電車に乗ったときの周囲の視線のほうが、よっぽど冷たく感じた。幸い、自宅の最寄り駅にはコンビニがあったので、七百円ぐらいでビニール傘を買った。お金を稼ぎに行ったのに七百円を失ったのは手痛かったが、自分の美徳を貫いた点で清々しさを感じていた。
 改めて思い返してみれば、この二つの件にはもっと良い解決方法があっただろう。彼女との一件については、彼女の意見に対してもう少し聞く耳を持つべきだった。人は自分にとって都合のいい情報だけを受け入れる側面がある。単純かもしれないが、彼女の意見を頭ごなしに否定せず話し合いができていたら良かった。
 傘の一件は、薬局の店員に事情を説明すれば、なにか助けてもらえたかもしれない。付近の高校に通っていることは学生証で証明できたので、傘を借りたとしても返すことができる。また、定員と客という立場もあるので、変に気負わなくて済んだだろう。冷静じゃないときは、正常な判断をするのが難しい。
「死んでからも反省しなきゃならないなんて、なんだかなぁ」
 そんな言葉が、自然と口から出てしまう。たかだか二つの出来事で、自分の人生観が劇的に変わったとは思っていないが、間違いなくそれからの自分を形成するきっかけになったのは事実だ。
 それからの人生を振り返っても、自分の信念や正義感を大切にして生きるのは、正直言って楽ではなかった。私の中で、信念とはルールだ。例えば、連絡ツールを使うとき。メッセージが来ていてそれに返信を返していない場合は、その人と繋がっている別のアプリケーションを含めて、自身のオンラインが分かる行動を控えた。きっかけは単純で、自分がされたときに悲しさと不誠実を感じたからだ。少なくとも自分が連絡を取っている中では、他の人に同じ思いをさせないよう心がけた。もちろん、自分自身にルールを設けたところで、取り巻く状況は何も変わらない。私は変わらず、日々のコミュニケーションに傷つき、苦しんだ。それでも、他人に自分の価値観や気持ちを押し付けたくなかった。物事に対する価値観や、そこに抱く気持ちは人それぞれだ。それは当たり前のことで、それがあるべき姿だ。だからこそ、私が貫いた信念の先で、本当に信頼できる人と築くコミュニティがあると信じた。また、痛みにも不思議と慣れというものがあって、多くの人間に同じことをやられると、悲しくなることも傷つくことも減っていった。あくまでも自分にとっての話だが、繰り返し直面する非常識は、当たり前にすり替わる。
 傷ついたり悲しんだりする物事は、大半が不幸の伝播だろう。人間誰しもが、様々な場面で傷ついたことがあると思う。そんな気持ちもいつしか忘れて、今度は自分が誰かを傷つける。傘にもインターネットにもそんなカラクリが隠されている。
 物思いに沈んでいると、いつの間にか歩く足が止まっていた。カツカツと階段の上から足音が聞こえてくる。見上げると、階段の上から人が下りてきていた。近づくにつれて、その人間の背格好が見えてくる。身なりからして女性のようだ。身長は私と同じくらい、オフィスレディの服を身にまとう姿は

。彼女も私の記憶が見せる幻だろうか。しかし、その顔に見覚えはなかった。彼女は私の前までやってくると、歩みを止めて一礼した。
「はじめまして。あなたは、真田叶成さんですね?」
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