深謀遠慮 Ⅰ

文字数 2,557文字

 魔物かと見紛うほどの巨大な鷲が空を往く。気流に乗った鷲は翼を伸ばし、羽根を休める。風勢に押されて進んでいくと、長い雲の中を抜ける。
 広がる原野に人の敷設した街道がいくつも延びている。一定区間に見張り台も設けられ、足を休める旅人や行商団もいた。街道には多くの人が行き交い、ひとつの目的地を目指す。
 大鷲が羽ばたく。見えてきたのは平地に建つ巨大な城郭都市(まち)である。三重に張り巡らされた城壁、いくつもの城塔。内部では数え切れないほどの人が生活している。
 イングリッドランド王国の皇都ログレス。王国経済の中心地であり、リエージュに生きる人間族の象徴の都である。北西部の高台には、建国の旗手ログレスの巨大な像が建てられており、今も民衆を見守っている。
 ログレス像から約一セイブ(一セイブ=一キロと三百メートル)離れたところに王宮インペリウムがある。初代皇王ログレスから続くウィンザー王家の住まいであり、節目、節目で改築がされてきた。ニュートン石(使用不能となった輝石や魔石を再加工し、素材として蘇らせたもの。魔法で着色可能であり、耐性にもすぐれる)で造られたインペリウムは、民衆には羨望の的である。
 インペリウムからさらに一セイブ離れた場所に建つのが、イングリッドランド王国の統治を司る政庁ルクス・ソリスである。同じニュートン石で造られていても、豪奢なインペリウムとは違い、堅牢で荘厳な趣きを醸し出している。
 特徴的な五角形の政庁は五階建てであり、中央にあるのが執政府(宰相が置かれた場合、宰相府と呼ぶ)である。この執政府を取り仕切るのが、王国の実権を握った参事長オズウェル・イワン・マイクロトフである。
 後ろに撫でつけられた黒い髪。凛々しい眉の間には、深い皺が刻まれている。表情には疲労が浮かんでいるが、眼には強い光を宿している。中肉中背の体格で、見た目は切れ者の参謀という印象である。
 広々とした執務室は、今のオズウェルにとっての主戦場であった。黒塗りの机も、煌びやかな椅子も、深紅の絨毯も、オズウェルの胸に響かない。
 オズウェルのいる執務室には、役人が列をなしている。王国の実権を掌握したと言っても、その支配力は領土全域に及んでいる訳ではなかった。オズウェル自身が差配しなければならないことは多い。実質支配が進んでいるのは、皇都ログレス擁するグレースランド州と周辺の首都圏域であり、他は諸侯が独立を目論み割拠している情勢である。
 それでもイングリッドランド王国の象徴であるウィンザー王家を頂いている影響は絶大である。力のある諸侯といえど、王国の臣下であることには変わりない。皇王の権威を盾にして、脅しをかけることもできるのだ。
 ようやく役人たちがいなくなり、オズウェルが椅子の背もたれにもたれかかる。広い額に手を当てると、小さく息を吐いた。
 オズウェルは前宰相、ウーゼル・ジール・ローエンドルフのもと、参謀として実績を積んでいた。ウーゼルの遺志を継ぐのは自分だという自負があったが、ウーゼルが後継に指名したのは、政書令のジャスネ・ハイリスであった。派閥による政争に敗れたオズウェルは、下野して故郷で隠棲していたのだ。
 しかし、理想論に固執するジャスネの手腕に、王国の政治は時として停滞した。領土割譲の不履行に怒ったザクフォン族が侵攻してきた際にも、声高に対話を主張。その上で防衛線を構築するなど支離滅裂な対策を続け、最終的にはミュエル県を奪われた。
 王国中央の情勢を耳にしながらも、学者として静かな生活を続けていたオズウェルのもとにある男が訪れた。それがすべての始まりであった。その男の名を、アーチルフ・ルーベンスという。
 アーチルフはフォルセナ戦争の英雄のひとり、ランドルフ・ルーベンスの子であり、自身も功労者のひとりであった。父から受け継いだ軍閥と共に、当時軍内第二の地位にあった。アーチルフの目的は軍内第一の実力者であり、大将軍であったディグラム・ハイゼンベルクを追い落とし、自らが大将軍になることであった。ディグラムはジャスネと良好な関係であり、ジャスネが地位を保っていられたのも、ディグラムの存在があったからだ。
 共通の敵を持つオズウェルとアーチルフは手を組んだ。折しも王国中央ではエグバート王が崩御し、後継をどうするかで紛糾していた。
 オズウェルは旧知のマズル・ロズオークの手で復帰を果たす。まずはアーチルフの策略で、ディグラムを事故に見せかけて暗殺。エグバートの子エゼルバルドを皇位に就けようとしていたジャスネに対抗し、先代クリストフ王の弟アルフレッドを擁立して、インペリウムとルクス・ソリスを占拠した。ジャスネの私邸を取り囲んだアーチルフが投降を呼びかけたが、ジャスネは自邸に火を放ち、家族と共に自ら命を絶った。
 こうしてオズウェルは参事長として王国の実権を手にし、マズルを総務大臣、アーチルフを大将軍に任命し、現在の勢力を築いたのだ。
「参事長閣下」
 いつの間にか眼を閉じていたオズウェルは、呼びかけられてはっとした。眼前にいるのは妖しい笑みを浮かべる、ファオラ・ソトであった。大胆に肩をはだけたローブと、女性らしい線がくっきりと浮き出た体つきは、妖艶な雰囲気を放っている。つり眼気味の眼は誘うようでいて、すべてを見通しているかのようであった。
 ファオラはオズウェルの片腕と呼べる部下の一人であった。マズルの伝手で参事院に復職後、自らの手で引き上げたのだ。
「アーチルフ将軍が遠征より帰還致しました。そのご報告です」
 アーチルフは自らの部下を引き連れ、フラーデン州を中心とした諸侯の討伐に出向いていた。ディルバ・リベリー、ジョエル・マーブ・ファストルフ、アクティル・バーシー、バッシュ・ノイアーら有能な部下を抱えるアーチルフの軍勢は精強であった。
 オズウェルにしてみれば心強いものだが、年々力を増すアーチルフの存在を、脅威に感じることもあった。無論アーチルフ自身、自らの手で抜擢した将軍たちを起用して勢力の拡大を図っているが、アーチルフの部下と比べると見劣りするのが現状であった。
「わかった。ここに呼んでくれ」
 一礼したファオラが執務室を後にする。油断ならぬ味方との対面がはじまる、とオズウェルは思った。

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