離間の計 Ⅳ

文字数 2,193文字

 海のように深い記憶を辿っても、父との思い出は数えるほどしかなかった。他者に忖度しない、我が道を行く自信家。それがパーシヴァルの覚えている父の姿であった。
 しかし、パーシヴァルの得物シャルーアは、ペルツヴァルがパーシヴァルのために作らせた複合弓(コンポジットボウ)だった。パーシヴァルの弓の腕前を褒めたペルツヴァルは、パーシヴァルが大きくなっても使えるようにと、領内一の職人に作らせたのだ。
「パーシヴァル様」
 掛けられた声にはっとなったパーシヴァルは、ようやく我に返った。ペルツヴァルとの思い出が、記憶の海にさざ波のように押し寄せていた。
「ヘイリー」
 パーシヴァルは、床に落としたグラスを拾う。隣ではヘイリーが、パーシヴァルの次の言葉を待っていた。
「その話を詳しく聞かせてくれないか」
 もちろんそのつもりだとでも言うように、ヘイリーが深く頷いた。
「お館様と最後に出陣した、ブラス峠の戦い。あれは対立する豪族ジェリコ氏との戦いでありました。難所であるブラス峠を通って、ジェリコ氏の本拠を急襲する。それは、アグロヴァルが提言した策だったのです。お館様がブラス峠からジェリコ氏を攻撃、アグロヴァルが後詰として増援を連れて来る手はずでした。ですが、我々がブラス峠を抜けようかという時、ジェリコ軍が待ち伏せしていたのです。その時はなぜ急襲作戦が発覚したのかわかりませんでした。お館様はしばし耐えれば、アグロヴァルが増援を率いて来ると仰られて、我らを鼓舞されました。しかし、どれだけ耐えようとも、増援は現れませんでした」
 そこまでヘイリーの話を聞いたパーシヴァルは、おおよそのことを把握できた。
「お館様は最後にこう言い残されました。『アグロヴァルが裏切った』と。我らに逃げるように命令し、自身は旗本の麾下と共にジェリコ兵に向かっていきました。お館様は私にこう伝えられました。『俺の愛する家族を頼む』と。しかし、私はその言葉を伝えることが出来ませんでした」
「…父上がそんなことを?」
 手にしたグラスの中で揺れるエール酒を見つめながら、ヘイリーが小さく笑みを浮かべた。
「お館様自身、御父上の愛情を受けずに育ちました。故に、家族との接し方が分からなかったのでしょう。ですが、我らにはパーシヴァル様やクロエ様、そして奥方様のことをよく語ってらっしゃいました」
 パーシヴァルは胸が痛むような気分に襲われた。同時に、もっと父と語ればよかったという後悔の念が湧いてきた。
「しかし、なぜ、閣下、いやアグロヴァルは父上を裏切ったのか…」
 呟くようにパーシヴァルが口にすると、卓の上に二つのグラスが置かれた。並々注がれたエール酒が波打っている。
「お前は…⁉」
 顔を上げたパーシヴァルとヘイリーの眼前にいたのは、ジライだった。ローブのフードで顔をすっぽり覆っているため、容貌も表情も窺えない。
「ペルツヴァル・ファーレンハイトは、プロデヴァンス州の支配を巡って、ヴォーディガン・シーマと対立していた。お互いの領地には干渉しないという盟約を結んで、領地拡大を再開したが、ヴォーディガンの目的はあくまでプロデヴァンス州の統一。つまり確固たる地盤を築くことだった。そこを巧く衝いたアグロヴァルは、ヴォーディガンに取引を持ちかけた。ペルツヴァルを殺す代わりに、自分がファーレンハイト家の当主となること。ヴォーディガンが勢力を拡大した暁には、一州の太守となること。それが取引の条件だった。そしてヴォーディガンとアグロヴァルは密約を交わし、アグロヴァルはブラス峠の戦いで兄であるペルツヴァルを裏切った。その後は…。貴方がよくご存知でしょう」
 パーシヴァルは拳を強く握りしめた。これまで自分が舐めてきた辛酸。それが誰によってもたらされたものなのか。それを考えただけで、心臓が熱くなる心持ちであった。
「私は本拠へと帰還しようとしましたが、何者かに捕らえられ、ビフレスト州にあるシナイ鉱山へと連行され、そこで鉱夫として働いておりました。ある日突然、ここにいる男がやって来て、私を連れだしたのです」
 シナイ鉱山は重罪を犯した咎人が就労させられる場所だった。わずかな飯だけで生涯を過ごし、ひたすらに過酷な労働に従事するのだ。
「そこの方をシナイ鉱山へ連行したのは、ヴォーディガンの手の者ですよ。アグロヴァルとの取引、または切り札として生かしておいたのです。シナイ鉱山ならば監視もしやすいし、逃げられる恐れもない」
 ヴォーディガンとアグロヴァルは主従でありながら、盟友、運命共同体といえる間柄だったのだ。しかしその信頼関係は薄氷のように脆いものだった。
 ジライの視線がパーシヴァルに注がれる。それに気づいたパーシヴァルは、訝しげにジライを見つめた。わずかに沈黙が流れるが、先に口を開いたのはジライだった。
「貴方は、何のために戦うのですか?」
 予想もしていない問い掛けに、パーシヴァルは胸を鷲掴みにされた気持ちになった。
「ご自身の名誉のためですか。それともファーレンハイト家のため。はたまたご家族のためでしょうか。そのどれも違う。貴方が戦う理由。それは、自分や家族のような出自の者でも、何不自由なく生きていける世界のため。違いますか?」
 パーシヴァルの頭の中で何かが弾けた。視界がやたらと明るく感じ、鮮明になる。ジライの問いが、パーシヴァルの中の何かを目覚めさせていた。

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