鳴動 Ⅴ

文字数 3,163文字

 白い息が空に消える。身を切るほどではないが、肌に触れる冷たい風からは、冬の足音が感じられた。
 街道を往く二人。ローブを羽織い、手綱を引いて黙々と歩を進めている。前を歩くのは五フィール二バンチ(一フィール=三十センチ、一バンチ=五センチ)ほどの少年である。寒い中でもフードを被ることなく、元気よく足を動かしている。露草色(つゆくさいろ)の短い髪と、柚葉色(ゆずはいろ)の丸い瞳を持つ。中性的な容貌で、輪郭が丸みを帯びており、どこか小動物のような印象がある。少年が引いている手綱は、馬ではない。鷲の頭と駝鳥の体を持つ魔獣グリュプスである。少年の名を、セルジュ・クライファートという。柄の先が鞴のような形になっている不思議な杖を片手に持っている。
 上り坂になっている街道の先に見張り台が見えてくると、セルジュが声をあげた。
「ゲッツ様、見張り台が見えましたよ。あそこで少し休憩しましょう」
 ローブのフードを目深に被った、二トール(一トール=九十センチ)二バンチの長身の男こそ、ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツであった。背中に愛剣であるツヴァイハンダー・デュランダルを負い、顔を上に向けた。
「ようやく着いたか。足が棒になるところだったぜ」
 ゲッツがため息をつくと、白い息が風に溶けていく。
「先ほどから途中の岩場に何度も腰を下ろしているのに、何を言っているんですか。それは僕の言う台詞だと思いますよ」
 疲れた様子のないセルジュにきっぱりと言い返され、ゲッツが苦笑する。
 見張り台は旅人や行商、隊商(キャラバン)などが休息するために、街道に一定間隔で建てられている。主に石造りであり、二階か、三階建てになっている。内部の壁面に螺旋状の階段があり、屋上には魔除けの効果を持つ輝石台がある。それは明かりを灯すと魔物が避けていく。中から施錠することも出来るので、夜も安心して眠ることができるのだ。ただあくまで街道などの正規の道筋に造られたもので、それ以外の道には設けられていないのが難点である。
「ククル、ちょっと待っていてね」
 ククルはセルジュの相棒でもあるグリュプスの名前である。手綱を離したセルジュが木製の扉を開ける。中は十タイズ(一タイズ=十平方メートル)あり、ククルやゲッツの馬を入れても充分な広さがあった。
「やっと荷物下ろせるね。ありがとう」
 セルジュがククルの背に載っている荷を下ろしていく。返事なのか、ククルが高い鳴き声を発した。
「雨露をしのげるだけで充分ってなもんよ。だいたい街道ってのは魔物の生息圏から離れたところに敷設されるんだ。街道筋ってだけで安全なんだよ」
 フードを脱いだゲッツも馬の積荷を解いていく。荷は毛布などの寝具や傷薬、食糧や調理道具である。
「世情が不安定だと野盗などが出ますし、魔物だって生息圏を外れて行動することもあるんですよ。道中の安全を保障してくれる見張り台は大事なんです。雨露をしのぐ以上の価値がありますから、ゲッツ様が思っているよりも大切な施設なんですよ」
 手際よく荷物を解いたセルジュは、壁際に調理道具と食材を運んだ。壁際には調理用の台所と排煙用の小窓が付けられている。
「ゲッツ様。僕が夕食を作ります。屋上にある輝石台に灯りを点けてきてください」
「へいへい」
 セルジュは火を熾して鍋に水を注ぐと、野草を食べやすい大きさに切っていく。その間にゲッツは見張り台の屋上へと昇っていく。ククルとゲッツの馬は地面に座って大人しくしている。
 ゲッツは屋上にある輝石台の明かりを灯した。温かみのある白い光が輝きを放ち、見張り台を覆うように優しく包む。邪悪が嫌う聖なる光が、夜の恐怖と魔物の脅威から護ってくれるのだ。
「見張り台なんて言うだけあって、なかなかの景色だな」
 まだ陽は落ちていないので、辺りを一望することができる。ひと息ついたゲッツは、パイプに火を入れた。
 ゲルニカ争奪戦を終えたヘイムダル傭兵団は、ビフレスト州のナーストレンド郡を治めるエチエンヌ・ギュルヴィに雇われた。しかしギュルヴィの独断専行もあり、大敗を喫することになった。ヘイムダル傭兵団も多くの犠牲を払い、隊長格数人を失った。さらに主力でもあったベイオルフが生家の事情があり戦線を離脱。デュマリオも契約が切れたことでヘイムダル傭兵団を離れた。ゲッツはリブロの進言もあり、ヘイムダル傭兵団を休ませることにした。稼ぎを望む傭兵には、ギルドの仲介で別の傭兵団への転属を行った。
 すべての処理を終えたゲッツは、前々から決めていた行動を起こすことにした。”マラカナンの惨劇”を巡る事実を明確にし、自らの過去と向き合うことである。
 ひとりで発とうとしたゲッツに付いてきたのが、ガウェインがいなくなった後に従者を務めていたセルジュであった。セルジュはリブロの知人の子であり、身寄りがなくなりヘイムダル傭兵団にやってきた。体が小さいことを理由に傭兵にはなっていないが、魔法に関してはかなりの腕前と知識を持っている。
 ゲッツは風魔などの忍びを雇い、”マラカナンの惨劇”をくまなく調べた。その過程である秘密を知ることになった。それは、マラカナンの惨劇で、かつての主であるウーゼル・ジール・ローエンドルフが愛した女性が犠牲になっていたことであった。その女性の名をヴィヴィアン・シトレという。そのヴィヴィアンが、ウーゼルの敵であるウォーゼン・デュール・ベルゼブールとの間に子供をもうけていたことは、ゲッツにとって衝撃的な真実であった。誰も知るはずのない真実をひた隠しにしていたのは、ウーゼルのかつての側近のひとり、サイスニード・ヴァンダルクだった。
 サイスニードはその力をウーゼルの後継者ジャスネ・ハイリスに恐れられ、無実の罪を着せられてシナイ鉱山へと送られていたのだ。シナイ鉱山へ送られた理由は言わずもがな。監視が行き届くからであった。
 サイスニードからエレインの存在を知ることになったゲッツは、エレインの身に危険が迫っていることも知った。イングリッドランド王国の掌握を急ぐオズウェルが、エレインの身柄を欲していることだ。風魔が常世の動きを掴み、その事実が判明した。
「ゲッツ様」
 ゲッツがこれまでの出来事を回顧していると、セルジュが声を掛けてきた。いつまでも降りてこない主人を窺いにきたようだ。
「何をぼうっとしているんですか。もう食事が出来上がりましたよ」
 我に返ったゲッツは改めて見張り台から見える景色を眺めた。橙色の陽光が山脈の後ろに隠れようとしている。
「もうそんなに経ったか」
 ゲッツが階段のほうへ足を向けると、セルジュが手をぶんぶんと横に振った。
「ゲッツ様、パイプの火を消してください。僕、煙嫌いなんです。知っているでしょう」
「へいへい」
 パイプ草を床に落としたゲッツは、踏みつけて火を消した。階段を降りようとすると、セルジュが足を止めている。
「おい、どうした?」
 首を傾げたゲッツが呼びかけても、セルジュは動かない。もう一度ゲッツが声をかけようとすると、セルジュが首だけで振り向いた。
「ゲッツ様。過去を変えることはできません。罪の大きさに圧し潰されそうになることもあるでしょう。でも、救済は必ずあります。今はそれを信じて、前へ進むしかありません。大丈夫です。僕が一緒にいきます。だから、心配しなくてもいいですよ」
 驚いたゲッツが眼を丸くしたが、セルジュは何事もなかったように階段を降りはじめた。少し間をおいて、ゲッツは口元に笑みを作った。
「ありがとよ」
 孤独ではない。それはゲッツにとっての救いのひとつだった。
「べつにゲッツ様のためじゃないですよ。身寄りのなかった僕をヘイムダル傭兵団に置いてくれたみんなへの恩返しもありますから」
 相変わらずの返答に、ゲッツもただ苦笑するだけであった。

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