鳴動 Ⅵ

文字数 3,575文字

 セルジュが作ったポリッジを食べ終えると、ゲッツは大きなあくびをした。食べて寝る。人の欲望に忠実に従うかのように、壁面にもたれかかった。
「食べてすぐ横になるのは良くありませんよ。食後は軽く体を動かしたり、本を読むなどして頭を働かせてください。それから時間が経ったら茶を飲んで横になるのが一番体にいいんです」
 セルジュは溜めておいた水で食器を洗っている。ゲッツには背を向けている恰好だが、ゲッツの行動などお見通しとでも言わんばかりである。
 軽い舌打ちをしながら、ゲッツは上体を起こした。なんとなく手にとったのは、端がすり切れている手記である。マラカナンの惨劇を調べている際に手に入れたこの手記は、ゲッツと共にマラカナンの市民虐殺、襲撃を行った一般兵の殲滅に関わった隊長が残したものだ。名前をマルコ・クラウニーという。すでにマルコ本人は亡くなっているが、マラカナンの惨劇を証言する物的証拠として、親族から譲り受けたものである。
 マルコのことはゲッツも覚えていた。平民の出であるが武器の扱いと馬術の巧みさが郡を抜いていて、兵にいつも武器の遣い方を丁寧に教えていた。体力もあるほうだったので、兵長から曹長と順調に昇進し、隊長格となった。明るくて気さくなマルコとは、ゲッツも気があった。時間があるとマルコの部屋や幕舎で語り合ったこともある。
 マルコはマラカナンの惨劇後、昇進を果たして将校となった。だが罪のない市民の虐殺と、部下であった兵たちの抹殺という非人道的な任務を遂行したことで、心身に異常をきたし、間もなく退役して故郷に帰った。故郷で生活するマルコには、密偵の監視がついていた。マラカナンの惨劇の真実が漏洩する訳にはいかない。マルコ本人と家族は普通に暮らしていたが、常に監視の目にさらされていた。
 故郷で生活していく日々の中、マルコは家族が寝静まった後、この手記を書いていた。手記の内容は深い悔恨と、苦悩と哀しみである。自分がしたことは正しかったのか。そして大義と正義について綴られていた。
 自分が間違っていると思っていても、戦争という特殊な状況下ではそれが悪となる。小さな村落では同調圧力が存在するが、それをさらに強硬にしたものが戦時の圧力である。勝利という大義のもとには、小さな正義も、人の命さえも些細なことである。マルコはそう書いている。
 マルコは故郷で多少持ち直したものの、良心の呵責を抱き続け、フォルセナ戦争末期に自ら命を絶っている。若い稼ぎ頭がいなくなるというのは、一家にとっては重い出来事である。マルコの家族は困窮し、マルコの妹は体を売って家族を養い、下の子は商家へ下働きに出された。
 自分は一体何をやっていたのか。マルコの手記を読んで、ゲッツは涙が止まらなかった。マラカナンの惨劇の証拠としてだけではない。ゲッツ自身にとって、戒めとして働くものであった。
「はい、どうぞ。頭を働かせているのはいい事ですけど、根を詰めすぎてもいけませんよ。眠れなくなってしまいますからね」
 ゲッツの目の前に木製のカップが差し出された。少し香ばしい匂いがゲッツの鼻をついている。
「おう、ありがとよ」
 セルジュが差し出したカップを受け取ったゲッツは、マルコの手記を鞄の中に入れた。淹れられたばかりの茶は、もくもくと湯気をあげている。
「いろんなことがあるんですね。ヘイムダル傭兵団に来てから知らないことばかりで、毎日戸惑っていました。今はもう慣れていますけど」
 セルジュは荷物を背もたれにして、脚を伸ばしている。火傷を避けるためか、カップの茶に何度も息を吹きかけている。ひと息に口に入らないように、ちびちびと飲んでいた。
「僕は平凡な家に生まれましたから、おおよそ戦いとは無縁です。でも戦争で物が少なくなったり、町の若い人たちが兵に連れていかれたり、何のために戦争が行われるのか考えたことはありますよ」
 かつての暮らしを思い出しているのか、セルジュは宙を見上げている。
「お前さんの親父は工房の職人だったか。たしか衣服などを作っていたんだよな。前から訊こうと思っていたが、魔法はどこで学んだ?」
 セルジュはあまり身の上話をしなかった。それよりも早くヘイムダル傭兵団の環境に慣れることを優先していた。
「母さんから学びました。母さんは占い師だったんです。僕が魔法の素養を身につけているのも、母さんのおかげですね。きっと何かの役に立つからと言って教えてくれました。本当に役に立っているので、今は感謝しています」
 セルジュの父は流行り病で亡くなり、母も同じように感染して亡くなった。セルジュ自身も隔離施設に入れられたが、病を発症しなかったので解放された。リブロの家族が同じ町に住んでいて懇意にしていたため、ヘイムダル傭兵団にやってきたのだ。
「しかし、親族のあてなら他にもあっただろうに。なんでまた傭兵であるリブロのもとへ来たんだ」
 傭兵となれば死と隣り合わせの生活になる。それならば他の親族を当たっていいはずだが、セルジュの答えは違った。
「親族といっても、農家と商家です。農家はそれほど生活が裕福でないと聞いていました。もしかしたら闇商に売られてしまうかもしれないですし、商家なんて下働きでこき使われるに決まっています。リブロさんとは何度か話したことがあって、人柄の良い人だと覚えていました。それに傭兵団なら魔法も生かせると思ったんです」
 年齢のわりによく考えている。ゲッツは感心していた。これくらいの年頃なら、周りの言う事に流されてしまうはずだ。
「ゲッツ様はどうして軍人になられたのですか?」
 想定していなかった質問に、ゲッツは思わず首の後ろを掻いていた。
「俺は褒められた育ちじゃないからな。まあ、聞いて驚くなよ」
「それは、わかってますよ」
「おい、どういうことだ」
 ぽつりぽつりと、ゲッツは過去のことを話しはじめた。ゲッツはイングリッドランド王国リオグランデ州の出身だが、稼ぐためにブリタニア州へやって来たのだ。
「リオグランデ州はザクフォン族との関係が緊張していることもあって、治安が悪くてな。盗賊団なんかが土地を仕切っていることがあった。要は賞金稼ぎのような仕事さ。ただ盗賊団を裏で操っているのが貴族だったことがわかった。俺はそれが許せなかった。大元を絶たないと駄目だと思い、貴族の屋敷を襲撃して首を討った。ただそれが大きな問題になってしまった」
「そりゃあ問題になりますよ。まずは不正を告発するところから始めないといけません」
 呆れたようにセルジュが息をついた。しかしゲッツは手を横に振った。
「ずる賢い奴だったからな。まともな方法じゃ通用しないと思ったんだよ。まさかいきなり屋敷を襲われるとは思ってなかったみたいだから上手くいった。取り巻きの用心棒もいたが、まあ俺にかかれば雑魚ばかりよ」
「それで、捕縛されたんですか?」
 ようやくちょうどいい熱さになったのか、セルジュがごくごくと茶を飲んでいく。
「裁判にかけられたが、俺を擁護してくれる人がいた。その人が主であるウーゼル様だった。ウーゼル様のとりなしで俺は一命を救われ、ローエンドルフ家の預かりという形になった。ローエンドルフ家の館では酒やご馳走が振る舞われた。ウーゼル様はよくやったと言ってくれて、俺のやったことを讃えてくれたよ。それからしばらくローエンドルフ家の食客として世話になったが、ウーゼル様を見ていて思ったのさ。こういう人が世の中を変えるのだなと。そして、この方のためになら、自分の命を懸けてもいいと思えるようになった」
「人を惹きつけるものを持っていたのですね。ウーゼル・ジール・ローエンドルフ卿は」
 亡き主のことを思い出し、ゲッツは深く頷いた。周りの人間とは輝きが違った。その輝きに惹かれて、多く人が集まってきた。ゲッツもそのひとりであった。
「掴みどころがなくて飄然としているお方でな。大言を吐いて周りを唖然とさせたかと思えば、本当に実行に移すとんでもない人だった。それでも、見えないところで誰よりも研鑽を積んでいたと思う。悩み苦しんだこともあるだろうが、それでも俺たちを引っ張っていってくれたな」
 感慨深げに語るゲッツの顔を、セルジュがじっと見つめている。主のために命を懸けるということ。それはセルジュにはまだ理解できない感情だった。
「さてとそろそろ寝るか。明日も早いぜ、寝坊するなよ」
 いつの間にか夜もかなり更けていた。カップに残っていた茶を呷ったゲッツは、毛布を取り出した。
「いつも起こしているの僕ですけどね」
 セルジュの返しを聞こえないとでも言う様に、ゲッツは頭まで毛布を被って横になった。
 カップを洗って明日の準備をしたセルジュは、見張り台の戸締りを確認してから、自身も毛布を被って眠りについた。
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