6. 海辺の街 (一日目)。

文字数 3,940文字


6. 海辺の街 (一日目)。

例によって百円のシェイクと百円のハンバーガーだけで午後の出歩ける時間になるまで粘るつもりで入った、名前も知らない小さな駅の名前も知らない小さな商店街の全国同じような造りのファーストフード店の二階の禁煙席の片隅で、手元に残った三枚の一万円札と千円札と小銭の数を全部もういちど数え直して、章子はため息をついた。
一万円札が四枚なくなるまでに、約一ヶ月かかった。
残りの三万円ちょっとで同じように歩き続けるとしたら、あと一ヶ月も、もたない計算になる。
おこづかい帳を付けておくべきだったか?と、ちらっと思ったが、いつだって、本当に必要だと思ったことにしか殆ど使わなかった。
(たまぁに、どうしても梅雨時の深夜に歩くのは嫌で一晩スーパー銭湯に泊まってしまったり…を、無駄使いと考えるかどうかは、今さら悩んでも意味がなかった。)
そして歩けた距離ときたら…
とてもではないが、あと一ヶ月しないうちに沖縄とか、せめて九州の途中までとか…
絶対に、無理。(笑)
東海道五十三次と言うからには東京から大阪までは中学生の脚でも二ヶ月も歩けば着くはずだと考えていたが。
昔の大人の男の人はきっと今の章子の倍くらいの速さですたすた歩けたんじゃないかと思うし、おそらく朝は日の出の前に起き出して、日暮れまで一日ずっと、黙々と歩き続けていたんじゃなかろうか。
そして夜はちゃんとした宿に泊まって、ひと風呂浴びて美味しいご飯をたらふく食べたら、何の心配もせずに屋根の下で朝まで熟睡して、鶏の鳴き声なんかで夜明け前に起こされるのだ。
対するに章子ときたら家出してきた中学生だとばれないように、そして男の人から乱暴されるハメに陥らないように、人目を避けて、時間を限って、早朝と夕方と夜は早めの時間帯だけで細切れに、しかも連日の野宿でびくびくして眠るせいで疲れが溜まりきっていて、背中を丸めて小股でのそのそ歩くから、きっと昔の男の人たちの半分か、それ以下くらいの、のろのろペースではなかろうか。
それとも『東海道』って東京から大阪までじゃなくて、東京から名古屋までとかのことだったんだろうかと、次に図書館を見つけたら立ち寄って調べてみよう…と思いながら、記憶にある限りで出来るだけ正確に、受験生のフリ用に買ったはずが日記帳か雑記帳のようになっている大学ノートに、日本列島の白地図の形を書きこんでみていた。
そもそも現在地がどこなのかも正確には把握していなかったが、関東と名古屋のあいだのどこか、(それでも一応かなり西のほう?)…だ。
歩けただろう距離と、だいたいの日数と、使った金額を、割ったり掛けたりしてみる。
…無理。(苦笑+溜息)。
(…どうしよう…)
…どうやって、生きていったらいいの…??
まとまらない考えと不安と、大人に見つかって捕まったら、地獄に連れ戻される!…という恐怖のせいで、ハンバーガーひとつでは全然足りない!とさっきから訴えている空っぽ同然の胃袋が… きゅっ!…と、締め付けられて、痛くなった…
(よそう。)
お金は、使うだけなら、なくなる一方だし。
どうがんばって歩いても、これ以上は… 速くはならない。
まともに一晩とか、まとめて眠る機会がほとんどないので、章子はとことん疲れきっていた。
(どこかで、住み込みで、働かせて、ほしい…!)
とにかく、ちょっとでも、仮眠してから考えよう… と。
店のテーブルに突っ伏して寝入る体勢を整えようとしていたら…
眼下の駅前ロータリーに。
ちょうど到着した、何かの臨時特急のような、この辺では滅多に停まらない「長い」列車から。
わらわらと、駆けだしてくる…
小学生!
中学生!
幼稚園生とかを抱えたりベビーカーを押したりしている…
大量の、…家族連れ!…???
(…あっ!)
…と、章子は驚いた。
カレンダーは買ってなかったので、日付が判らなくなっていた。
今日から、 夏休み!
だった…。



それでもせっかくだから、と、お店の片隅で数時間くらい、突っ伏して眠った。
うとうとしながら片耳で駅のホームから響いて来るアナウンスを拾っていると、特急の臨時停車とか臨時増発の快速電車とか…が、二時間に一本くらいかもっと、頻繁に停まっているらしい。
駅前にあふれだしてくる人の波の服装とか荷物を見ていると… すぐ近くにかなり大きな、海水浴場が、…ある、らしい…?
うずうずしてきて、章子は予定よりはかなり早い時間帯に、店を出た。
人波に紛れて、みんなが目指す方向に…
あるいた。
わくわくしてきた。
からりと乾いた陽射し。遠くから漂ってくる、はっきりした磯の香り。
駅前からまっすぐ続く道は両脇の歩道の幅がやけに広くて、それでも狭い!という勢いで、いっぱいに溢れる、人波が…
途中の喫茶店や海鮮料理屋さんや、威勢よく立ち並んだ焼きそばやカキ氷の屋台で早々に一服している人たちも含めて… 笑顔と歓声で、満ち溢れている。
(うわ… また、天国に近くなったぁ…!!)
東海道中とはいえ海に山が迫る地形だった片田舎のあたりでは、かなり地獄に近づいたと思った苦労の後だったので、章子は嬉しくなった。
道中のお店で、えい!という勢いで、一番安くて色気はまるでない、オバサンみたいなずんどうの水着を買った。
海に着いた!
いっぱいに… 人! 人! 人!
…子ども!
値段の高い『海の家』の群れの前を延々と、きょろきょろしながら歩いた挙句に、無料休憩所、という隅っこの公立施設をようやく見つけて、混雑している片隅でいそいそと着替えて…
海!
いやいや、ちょっと待って…! と、自分に声をかけて、ちゃんと?準備体操をして…
いそいそと、波に分けいった。
海!
…で、泳ぐ。のは、本当に。
何も、まだ知らなかった、小さかった子どもの頃… 以来?
海!
波!
(………おばあちゃ~ん………!!)
あれは… 北関東の… それとも南東北の… 東向きの、海だった…
章子は、ようやく、なぜ自分が、
「死ぬなら、海を観てから」と思ったのかを、思い出した。
あれが最後の夏だった。家族が、地獄になる、前の…
あのお葬式の、前の。



ぼんやりしながら、何も考えずに、ただひたすら、波をかきわけたり、泳いだり、浮かんだり、砂浜に寝転んで昼寝したり…
していた。
午後も遅くなり始めると、小さい子どもを連れた家族は、早々に帰り仕度を始めた。
その一方で、またどんどんと、砂浜につめかけてくる、やや年代の高めの子どもを連れた人たちや、地元民らしい中高生や、帰省中か旅行中の?大学生らしい集団や…
(…女子ひとり…で、遅くまで砂浜にいたら、また、危ない…!)
章子は気がついて、あきらめて順番に並んで三分間無料の公設のシャワーを慌ただしく浴びて、着替えた。
ゆっくりと引き潮のように駅や街へ向かって歩いていく人の波にまぎれた。
道中、脇道にそれて行く人たちは…
あちこちの、「民宿」とか「ホテル」とか「旅館」とかとか…の看板に、
「ただいま~!」と声をかけては、広い玄関に入って消える。
(いいなぁ…)
章子は思った。
どこかに、今晩、潜りこんで眠れる場所を…
見つけなければ、ならなかった…
が。
海側はこの時季ずっと夜遅くまで人出で賑わっているようだった。
何かと思ったら背後で、すぱぱぱぱ~ん!と物凄い音がして…
花火大会まで始まった。
もちろん、歓んで最後まで観てから、また歩き始めた。
焼きそば屋は高い。お好み焼き屋も…高い。
地元民御用達のスーパーは…花火大会用の高いものばかりになっていた。
(…おなかが減った…)
章子は、歩いた。
みじめな気分に、なってきた…
歩いた、歩いた…
一時間か、もうちょっと…
隣の駅に、たどり着いていた。



かなり大きな、街だった…!
各駅停車の列車が着くたびに、隣町の花火大会から戻ってきたらしい人波がどっと溢れだしてきては、各方面にわさわさと、賑わいながら消えていく。
海からの臨時バスも次々到着して、吐き出された人たちは、また次々と、家路へと続くバスに乗り換えては去って行った。
これだけ大きな街なら、どこかに潜りこんで、しばらく休めそうだ…?
章子は期待したが、しかし困ったことに、これはと思う公園とかの物陰には、花火大会帰りの友達グループとか恋人同士とかに… 占領されていた。
章子は眠る場所もなく、食べるものもなかった。
みじめになった。
…と。
駅前の繁華街からはかなり歩いた、住宅街のふちに。
閉店間際の大きなスーパーがあった!
ふらふらと入ると…『半額』!と大きなシールの貼られた大きな『花火弁当』とやらが…!
まだ、いくつか残っていた。
残業帰りらしい会社員や兼業主婦の人たちと争うようにして一つ確保して、いそいそとレジに向かった。
(どこか、座って食べられる場所を…!)
と、思ったら、スーパーの後ろがかなり大きな『市民公園』になっていた。
花火帰りの子どもたちがまだあちこちに居る。
(これなら!)
章子は悦んで、隅っこのベンチに座ってお弁当をがつがつ食べた。
満腹できたら、かなり気分も大きくなってきた…。
(どこか隅っこで、こっそり眠れそうよね…?)
どうせ沖縄までは、いくら歩いてみたって、着けやしないんだし…。

明日もう一度、海まで歩いて、ひと泳ぎしてこよう…!

何日か、ここでゆっくりしてみるのも、良さそうだった…。
ちょうどいい物陰があったので、誰にも見られていないことをよく確認した上で、こっそりと潜りこんだ。
虫よけスプレーを節約しながら使って、ぼろぼろになってきたリュックを枕にして、ゆっくり、眠った。

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