3. 3日目。(よそハマ。海浜公園)

文字数 5,075文字


3. 3日目。(よそハマ。海浜公園)

とりあえず、とにかく南に向かった。
絶対に戻りたくない地獄の家と学校からは反対方向だったし、辿ってきた道の行く先がぐねぐねと下りながらそちらへ続いていたし、目の前は関東平野で、広くて広くて、建物がいっぱいで、中学生が一人くらい、こっそり紛れ込んでも、どこかで生き延びられるような気が、した。
(でも、もし。)
と、章子は考えた。
捕まって、連れ戻されるくらいなら…
死のう。
そのほうが、絶対にマシだ。と…
(どうせ死ぬなら、海が見たいな。)
ふいと思った。
(もうずっと長いこと連れてってもらえなかったし。子どもの頃に見たきりだし…
海なし県の、生まれだし!)
…海を観てからなら、死ぬのも悪くなさそうだ…
そう考えたら、気分が明るくなった。
海を観て、どこかで死ぬまで。
生き延びよう。
…なんとか…。
そんなことをつらつらと考えながら、どんどん歩いた。
いかにも、地元の中学生の、部活の帰りのような顔をして、まるで、見知らぬ住宅地や商店街を…
いくつも、通り過ぎた。



どこかの、駅に出た。
知らない、私鉄の駅だ。
かろうじて地名と線名だけは、社会の教科書で知ってる。
そんな町…。
にも、見慣れたチェーン店のバーガー屋はあった。
座って、夕飯?を食べた。
おなかが、ぐうと鳴って、野菜たっぷりのスープが胃壁に染み渡るように、美味しく思えた…。
(ご飯が、美味しいなんて。)
思えたのは、いったい、何年ぶりだろう…??
それからそーっと、まわりの席の人たちからは看られていないことを確認しながら、財布の中身を数えた。
よりによって、昨日。
あの、たぶん、人生最悪の一番目か二番目の…、その日に。
財布の中に、塾の夏期講習の申し込みをするはずだった、一万円札が、何枚も…
束で。
入っていたのは、きっと、…神様とか何かそういう視えない力。
からの…
『逃げなさい!』という、応援メッセージのように…
思えた。

『逃げなさい! 逃げて、いいのよ!』

アニメの科白を思い出す。
それ、ずっと、わたし、言って欲しかった…。
涙が落ちた。
哭くことすら、久しぶりだった…と。
気がついて、声を殺して…
泣いた。



とりあえず、うんと節約して使えば、しばらくは、生き延びられそうだった…。
…死ぬまで、は…。
(たとえば、一日千円ずつ使うとしたら… 秋くらいまでは、生きられる…?)
でも、ちょっと。と、自分の姿を見下ろした。
今日は金曜の夕方で、幸いなことに校名は入っていない体育ジャージで夕方遅くに一人でバーガー屋にいても、そんなに目立たないけど…
明日から土日で、昼間にこの恰好で町中や街道沿いをふらふらしていたら…
かなり、目だってしまうのではないかと思う。
それにそもそも汗臭い。昨日体育で、さんざんな目に遭わされて… ちょっと吐いた、臭いすら、…するような…??
章子は急に不安になった。髪だって、水浴びしただけで、ちゃんとは洗っていない…!
とりあえず、バーガーのトレーを「きちんと」片づけると…
眼についた、駅前の、一番安そうな量販店に、向かった。
一番安い服と一番安いリュック。
でも、自分で選んだ。初めての、買い物だった…
嬉しかった。
駅のトイレで、いそいそと着替えた。
そのまま、電車に乗った。
だって、いくらなんでも。
ここまで歩く途中に見た、広い広い関東平野を。
海まで、歩くなんて…
無謀に過ぎる遠さだと、思えたからだった。



(あたし一人で、都心に来るなんて…!)
と、思いながら、幾つかの大きな駅で、苦労して路線を調べながら…
乗り換えた。
(でも、)
と、ちょっと思った。
家出した、あたしくらいの女のコが、ひとりで生き抜くためなら…
このへんに潜んだほうが、いいのかも?
テレビの話や雑誌の片隅には、よくある。
『からだを売って』家出して、生き延びる…方法だ。
(でも、)
それでは、今までの地獄と、あんまり、変わらない…
と、思った。
章子は、覚悟を決めた。
地獄の家には、戻らない。
からだも、売らない。
それで生き延びられないかったら、おなかが空いたら…
死のう。海で…
海へと向かう、一番まっすぐな、電車に飛び乗った。



慣れない…というか、人生初の…都心の帰宅ラッシュの満員電車に押しつぶされた。
(…働く。って…! こんなに、大変なのか…!)
潰されたり、踏まれたり。怒鳴られたり、嫌味を言われたり。
知らない汚い親父に胸をいきなり掴まれたり。
後ろからお尻を揉まれて、気持ちが悪かったり…
(…これじゃ、あの地獄と変わらない…!)
気分が真っ暗になった章子は、途中駅でふらふらと下車した。
しばらくホームのベンチで、へたりこんでいた…。
(ここ、どこ…??)
路線図を観ると、いくつか乗り換えれば、別のルートからも、広い海へ、出られるようだった…
電車がすきはじめる時間帯まで、ホームのベンチでぐったりして待って…
ゆっくり座って移動できそうな、空いている各駅停車に、乗った。



電車の中は、空いていて、離れ離れに座っている女性客たちは、グループごとに遠慮なく大声でお喋りをしていた。
色々と、いい、情報源になった。
いくつか各駅停車の乗り換え駅をそのまま乗り継いで、海に、着いた…!
ころには、深夜に、なっていた。
真っ暗かと思っていた、海辺は…
意外に明るい。
そして、カップルとか友達グループとか、家族連れとかのバーベキュー?とかで、意外に、賑わっていた…。
(これは、死ぬ場所じゃ、ないなぁ…)
章子は苦笑して、しばらくの間、海岸の国道のガードレールによりかかって、黒い波のうねりと、白い波しぶきのばしゃりばしゃりとした音と動きを、観るともなしに、しばらく観ていた。
夜の海は、初めてだった…
なんだか、癒されたような、暖かい自由な気分になった。
(死ぬのは、昼間の、青い海を観てからでも、いいよね…)
回れ右をして、また、歩き始めた。
電車の中で聴いた…
二十四時間営業で、中でごろごろっと眠れるスペースのある、スーパー銭湯とやらを、探して…。



二時間ほど歩くと、大きな道路沿いに、それはあった。
夜中に子どもが一人で入れる場所かどうかが心配だったが、明日は土曜日とあってか、駐車場には満杯の車が停まり、徒歩や自転車で来る地元の人達も、ひっきりなしに出入りしていた。
中学生だけの、グループで来ているらしい女子たちも、結構、いる…!
いつも学校でやってきたように、ぼっちじゃなくて、そこのグループの一員なんです。ちょっとポーチの中を診ていて、遅れているだけなんです…! という風を装いながら、前を歩く女子たちの後ろに紛れて切符を買って、こっそり紛れ込んだ。
ちょうど、「こういうとこ、初めて来たんだけど…!」と、窓口の人たちに利用方法を質問している初老の夫婦がいたので、自販機のシャンプーを眺めるふりをしながら、係の人の説明を、しっかり聞いた。
…朝まで泊まるとすると、別料金が追加になるのかー!
…とは思ったが、財布の中身を考えれば、まだまだそのくらいは払える。
ロッカー室で服を脱いで、小さなリュックはしっかりしまって、超!ありがたいことに!コインランドリーまであった…!と大喜びで、汗臭いどろどろのジャージと体操着を、まとめて洗った。
ゆっく~~~~~り!
お風呂に浸かった。
子どもの頃、どこかで銭湯に入れてもらった記憶はぼんやりあるけど。
こんなに大きなお風呂に入るのは、修学旅行の旅館くらいしか経験がなかった…。
すごく大勢の人がいた。
のどかで穏やかで、湯気と熱気とざわめきに満ちて…
本当に、知らない異世界。に、
来たような、気分になった…。



のぼせそうになったので、館内着とかいうちょっとデザインはださいパジャマのようなものに着替えて、ご飯を食べるところに行った。
食券を買って、カウンターで渡して、待ってると、番号で呼ばれる。
ぜいたく?をして野菜がたっくさん!乗っているラーメンを頼んだ。
死ぬほど! 美味しい~ッ!!
…と、思った。
満腹して、ぼんやりしていた。
(…死ぬのは、当分先でも、いいかもしれない…)
なんだか、「嬉しい」という、気持ちを、初めて知った…。



まわりを観ると、ほんとに異世界だった。
仲のよさそうな友達グループ。
仲のよさそうな家族づれ。
仲のよさそうな恋人?どうし…。
ほんとに、異世界だった…
(テレビとか漫画とかのアレは、現実にはナイ、アリエナイ、「理想の」家族とか。だと、思ってたのに…)
今、目の前でくつろいで、テーブルの周りではしゃぎまわっている子どもたちを、一応叱ってはいるが殴ったり折檻したりはしない、呑気そうな親とか。
いわゆる「友達親子」とかいうのだろうか、おばあちゃんと母親と孫娘?が、いっしょにだらしないパジャマ姿で、だらしなく座って、だらしなく食べ散らかしながら、きゃあきゃあはしゃいで、おしゃべりに興じているテーブルとか…
章子には、異世界だ。
(…気持ちが悪い…!)と、思った。
こんなの、こんな明るくて、夢みたいな、天国みたいな世界…
(現実じゃ、ない。)
…章子に、とっては…。

…と、思っていたら…!
「ねーちゃん、ねーちゃん、ひとりか?」
「こっち来て、一緒に騒ごうや!」
………ぞーーーーーっとして、固まった。
…知らない、酔っ払いの、お風呂あがりなのに、それでもなんだか小汚い感じのおっさん達に…
取り囲まれて、いた。
「ビール酌してくれよ~!」
「添い寝してくれてもいいぞ~!」
「…あ、…………あの…ッ!!!!」
章子は、固まった。
こういう場合、言っても…いいはずだ…「嫌だ!」と…
でも。
今まで。
「嫌だ」とか言ったが最後…
もっともっと、酷い目に、遭わされて、来た…!!

「おい、やめろやオッサン!」
さっき、章子が、(気持ちが悪いッ!)と思った「夢の中の」理想の、「普通の」世界の… 家族みんなが「本当に」仲が良さそうで、祖父母と夫婦と兄弟姉妹数人で大きなテーブルを囲んでいる、その中の、高校生くらいの…男の子が。
章子を取り囲んでいる、酔っぱらった、おっさん達をめがけて…
荒々しい声で、怒鳴った。
「そのコ、嫌がってんだろーが!」
「…やだ、ちょっと、おじさん達~?」
男の子の母親らしい、ちょっと酔っぱらっている女の人が、それでもすくっと立ち上がると、章子のほうへすたすたと歩いてきた。
「こういう所で子どもナンパしないの! そういうことがしたかったら、そういう店に行きなさい! …さっさとあっち行かないと、店員さんを呼ぶわよ!?」
見ず知らずの、女の人が…
何の得にも、ならないのに…
自分が巻き添えの被害に遭うかも、しれないのに…
問答無用で何ひとつためらわずに、章子の前に、立ちふさがって…
(…守って、くれた…!)
章子は、びっくりしていた。
おっさんたちは、「…なんだよ~ぅ!」とか言いながら、飛んで来た係の人にも脅されて、早々に、自分たちの席へと、おとなしく戻って行った。
「…あんた、大丈夫…?」
びっくりして、涙ぐんで、固まっている…
章子の表情を誤解して、知らない高校生のお兄さんのお母さんの小母さんは…
優しく、教えてくれた。
「ひとりで来てるの? じゃ、ここじゃなくて、あっちの席に座るといいわよ。女性専用だから。変なのが入り込もうとしたら、お店の人が、停めてくれるから。」
「………、あ、ありがとう、ございます…ッ!」
生まれて初めて、人から、かばってもらった…!
章子の涙声のお礼は、なんだか場違いに、大きく響いたようだった…



「女性専用」と、たしかに札が出ていた。
子どもは? 入っていいの…?
と心配しながら、おそるおそる、中をのぞくと…
一人で来ているらしい女の人が、あちこちで、ゆっくりごろごろしていた。
数人で来ている人たちも、小声で、きゃっきゃと嬉しそうに盛り上がって、平和に内緒話をしている…。
(…ここも…! 知らない世界…!)
驚きながら、ふわふわと、背中からちからが抜けていくのがわかった…
もう今日はこれで限界だった。
すみっこの毛布は、無料で借りられるらしかった。
かなり混みあっていたが、章子は、すみっこのすみっこの壁のほうに、ちょうどぴったりはまりこめる小さな隙間を見つけた。
テーブルの角に隠れて、横になった瞬間…。
爆睡。していた…。

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