そう思っていることを表に出さないように、ますますしかめ面になった。
返事をしない恋人にメロスも不安になり、首を傾げて上目遣いに見る。
ディオニスはしかめっ面をさらにしかめてメロスを見つめる。
お腹がすくと、機嫌って悪くなるんだよ。
何か食べようよ
恋人の暴君が何を考えているのか、メロスにはわからなかった。
(それではいかんのだ。王は後ろめたいことをしてはならないのだ。人からこそこそ隠れて会わなければならない恋人ではいけないのだ……)
ふくれ面をしてメロスはキトンを脱ごうとした。
格闘技をする時はそうだからである。
(ボクだけせっちゃんの美味しいリゾット食べてきて、悪かったなって思ってたのに)
そんなことを思いながら、メロスは脱いでいた。メロスも訓練をするのなら脱ぐが当たり前になっていた。
かわいかった。
その愛らしい姿を見つめながら、欲望と理性の狭間に揺れているディオニスは、ある決心をする。
スポーツは裸体で行うものである。
はるか昔から決められている常識で、ディオニスはその常識に忠実に従っていた。
野山を転げまわっていた村育ちのメロスと違い、シラクスで市民として生まれ育ったディオニスには、キトンを着たまま格闘技を行うなど、考えられないことだった。
必要以上に強く言うと、ディオニスはキトンを着たまま構えた。
ディオニスはメロスが引くほど、あっという間に全裸体になる。
ただし、それはスポーツをするためであって、けっして邪な目的のためではない。彼はこれでも健全な精神の持ち主である。
ディオニスに急かされ、メロスも構える。
しかし、やはり不自然さを感じた。
全裸体で格闘技など、初めはおかしいと思っていた。
しかし、それに慣れてしまっていた。
(裸体で訓練などしたら、何をしてしまうかわからない……)
彼は真面目な王だった。
真面目過ぎて、融通の利かない王だった。
それを不都合だと思っていた人間が、彼を暴君に仕立て上げた。
その麗しい姿を皆に見せれば違う評価もあったかもしれないが、彼は外見で物事を決められるのを好まなかった。いろいろと面倒なことも多かったので、王として人前に出る時はマスクで顔を隠し、厚着をして誰だかわからないようにしていた。
それでも人助けは当たり前のことと思っていたので、時間がある時はマスクを外して平民の振りをしてシラクスのまちに行き、王の仕事とは別に世のため人のために働いていた。
働いていたというよりも、歩いていると不正を行う者が居たので、それを彼なりに注意していた。やや過激な方法を取っていたが、彼は正しい王である。
自分が思う正義を当たり前のように行っていた。
彼は真面目な王だった。
だから、恋人が成人している男ではいけないのである。
(王が成人した男子と関係を持つなど、あってはならない)
(だが、愛らしすぎる。どうしてこんなに愛おしいのだ……)
自分に欲情しているとは、メロスは思わなかった。
そんな顔ではまったくなかったからである。
後ろめたい気持ちを隠して怒鳴る。
メロスにというよりも、自分に対して言っていたかもしれない。
ピンと張り詰めた声は、メロスの浮ついた感情を吹き飛ばす。
メロスは慌てて気合いを入れ、
と、精いっぱいの声を張り上げる。
ディオニスの凛とした声に比べると、か細く小さかった。
ただ、メロスは声すら愛らしい。
ディオニスは構える。
メロスはそこに向かって行かねばならない。
ディオニスは大きな声で言う。
ピンと張り詰めた声。
メロスは慌てて気合いを入れ、
ただ、やはりいつもと感じが違う。
目のやり場に困る裸体がキトンに隠れている。
それまで何度もやめてほしいと思った裸体での格闘技。
しかし、いざ、それをしないとなると、物足りなさを感じた。
そう思いつつ、ディオニスの腕に触れる。
そこは素肌だ。
守ってやりたいとディオニスは思っていた。
少年を守るのは大人の男としての役目でもある。
メロスが少年なら、鍛えて自分の部隊に入れることも考えられる。
メロスが少年なら、性交渉を教えなければならない。
メロスが少年なら、会うことに理由があった。
メロスが成人しているのなら、訓練をすることでしか会うことができない。
メロスが突進してきて、ディオニスの身体に抱きつく。
キトンの上からでもその温もりが伝わってくる。
しかし、欲望を抑え込み、余裕の笑みをわざと浮かべる。
恋人の弱い力で抱きしめられ、もう少しこのままでいたいと思ってしまった。いかがわしい雰囲気はない。むしろ、子供と大人が戯れているような微笑ましさすらある。
メロスの愛らしい声だった。メロスは必死な形相でしがみ付きながらディオニスを倒そうとするが、ディオニスはビクともしない。
愛くるしい金髪の美少年に見える恋人が、自分を抱きしめている。
力いっぱいのようだが、ディオニスには痛くもかゆくもない。
悩まし気な声でディオニスを抱きしめる。
このままでいたら襲ってしまいそうだ。
ディオニスは努めて理性を保つ。
いつも言っているであろう。
力で私に敵うわけがないと
そう言って、邪な気持ちを隠し、片手でメロスを外すと床に叩きつける。
思わず出た声も子供のようだった。
痛みをこらえながら床に座る様子は、ふつうに子供だった。
華奢で少年のようなメロス。
いろいろ調べた結果、データ上でもメロスは24歳の羊飼いの男だった。
彼の周囲の24歳は筋骨隆々で暑苦しかった。
メロスは潤んだ瞳で哀しそうにディオニスを見上げる。
(可憐と言っても過言ではない。こらえきれない程に愛くるしい。愛撫して悶えさせて思いっ切りしたい……)
しかし、ディオニスはぐっと唇をかみしめる。
いかがわしいことをするためにここにここで訓練をしているのではない。
(メロスが成人しているのなら、メロスと会ってしていることはいかがわしいと後ろ指さされてしまうことである)
彼は強い精神力でやりたい気持ちを跳ね除ける。
そんな気持ちになってはいけないのだ。
メロスは少年ではなく、成人した24歳の男。
関係を持ってはいけない相手なのだ。
静かに暴君が命令をする。
後ろめたさを隠すためか、いつも以上に恐ろしい声と顔だった。
半泣きのメロスが懸命に声を上げ、けな気に立ち上がる。
ディオニスが怒鳴って構えると、メロスもそれに伴い構える。
必死の形相で挑んでくる恋人を、ディオニスはじっと見つめた。
しかし、メロスは少年ではない。
とっくに成人している男性だった。
それを知った時、ディオニスは目の前が真っ暗になった気がした。
(王は色事にかまけていてはいけない。少年に教えるためなら致し方がないが、そうでないのなら自分が快楽を求めているだけだ)
(このようなこと、終わらせてしまえばよい。もう関わりにならなければよい)
そう考えもする。
彼はシラクスを背負う王なのだから。
でも、ディオニスはそれをしなかった。
自分でもどうしてここへ来てしまうのかわからない。
やめなければいけないと思っていたも、それでもこの逢瀬を止めることはできなかった。
恋人ががんばっている姿を見ていると、少しでも長く一緒に居たいと思ってしまった。