第3話 クリープ現象とブレーキから始まった時速二十キロの世界。

文字数 2,990文字

 シミュレーターでズタボロになった夜、車の運転の大先輩である夫に報告する。
「明日、実車での教習始まるって言うんだけどさ……」
「もらってきた教科書を見ながら、予習してイメージトレーニングするんだ」
 予習と言う言葉で気が付いた。「学校」と名の付く場所で「学ぶ」のは実に約二十数年ぶりなことを。

 早速、ピッカピカの運転教本を開いた。
 ドアを開けて乗り込み、運転準備するところから書いてある。
 教科書を開けるまで、ドアを開くまでの一連の動作にいちいち意味があったのか驚くが、さらに驚いたのは、読んだ内容が頭にとどまってくれない感覚だった。
 脳が老化しているという現実を突きつけられたからだ。二十数年の間、学ぶということから離れていたら、これほどまでに脳が老化しているのか……更に気持ちがズンと落ち込んだ。
 頭に「免許とれるんだろうか」というフレーズが沁みになってこびりついた。

 自動車学校に入学して二日目、私は練習用の自動車の横に先生と立っていた。
 免許をとろうと思わないで過ごしてきた半世紀、自動車学校で練習する車や、路上教習している車を見ると、ひたすらすごいなぁと眺めていた。
 自分がついに、その「すごいなぁ」の立場になったのかと思ったが、嬉しさはほんのちょっとで、やっぱり不安がいっぱいだし、頭の中は悲壮感でほぼほぼ埋め尽くされていた。

 早速、運転席に乗るのかと思ったら、先生が助手席に乗ることを指示してきた。
 私が助手席、先生が運転席。シートベルトを着用すると、運転教本を開いてくださいと先生が指示。先生の解説が始まった。生徒の立場で神妙に話に耳を傾ける
 先生は要点をかいつまんで説明をすると
「まず、私の運転を見てください」
 先生は発進させると約三十分間、練習コースを延々と時計回りで走り続けた。
 正しい運転姿勢とスローイン(カーブに入る手前でスピードを落とすこと)、視線はどこにもっていくか、解説を続けながら、自動車をグルグルゆっくりコースを走り続けた。
 助手席は馴染みの席で落ち着く。いや、馴染んでいたらダメじゃん。 
 先生は運転を見てくださいと言ったではないか。しかし、どこを見ればいいのか、よくわからない。
 見えにくい足の動きを見ろなのか、ハンドルを持つ手を見ろなのか、先生の視線の動かし方を見ろなのか? まさかと思うが全部見ろってことか、いや全部見ろってことか??
 バラバラのシーンを同時にやっている――私には無理ゲーの世界を先生が、お披露目しているようにしか見えなかった。この複数の動作を同時にやることが「運転する」ということなのか、そうなのか!? 悲壮感が心の中を覆いつくしていった。

 練習コース外のスペースに車を止めた先生が言った。
「では運転してみましょう」
 つ、ついに! 運転席に、本物の車の運転席に座るのか、私が……? まじで……?
 自動車のドアの開け方から始まって、自分の席の位置合わせ、バックミラーの調整、シートベルト着用、同乗者のベルトとロック確認。
 ゆっくりゆっくり、一つ一つ。
 すでに私はてんぱっている状態だった。
 ブレーキをふんづけて、スタートボタンを押して【教習車はプリウスだったのでこうなる。車のキーを回すことともいえる】、サイドブレーキを外して、シフトレバーをD【ドライブ】にいれて準備は整ったようだ。
 車から動くぞと意思表示をするがごとく振動した【シフトレバーをドライブに入れたからエンジンが回転を始めたってことだな】。
 そこで先生の解説が始まった。
「AT車は、今踏んでいるブレーキから足を離すと車が勝手に動き出します、クリープ現象といいます」
 えっ? 勝手に動いてくれるの??
 運転するって、発進するって、ブレーキから足を離すということなのけ? 嘘みたいな話はにわかに信じがたかったが、先生の指示でブレーキから足を離すと自動車がソロ~リと動き出した。動いちゃったよ! ほえ~~。
 こ、これが「運転」なのか? 勝手に車が動いている他人事の感覚しかない。

 先生に
「ブレーキをかけて」
 指示が飛び、慌ててブレーキから浮かしていた足をブレーキに戻した――というかブレーキを力いっぱい踏んづけた。
 ガックン、からだが前のめりになって車が止まった。自分が運転している、という感覚を初めて体験した。
 先生は私の思考と関係なく
「力いっぱい踏みこんだら、急ブレーキになりますので、速度に合わせてブレーキの踏み方を加減しなければなりません」
 速度に合わせたブレーキの踏み方というのが、全く理解できないが、力いっぱい踏んだらガックンとなる――それが、私が運転として最初に覚えたことだった。

 「ではコースに出ましょう」
 ブレーキから恐る恐る足を離すと車がゆっくり動き出した。助手席の先生がハンドルの右下を器用に動かして、車をコースに戻した。
 ハンドルを握る私の手はほとんど添え物状態だ。
「足は基本的にアクセルの上の添える形がポジションです」
 と先生は言うが、クリープ現象とやらで動き出した車のスピードが怖い。足はほぼブレーキの上をさまよい、アクセルの上のポジションなどとれないでいた。んでもってだな、カーブがどんどん近づいて来るじゃないか!
「速度落として」
 先生がブレーキを踏むタイミングを指示してくるが、ブレーキの踏み具合ってどれくらいなのさ? いや待って、ハンドルがっ! ハンドルを回した手がばってんになって固まった、これどうすりゃいいの? カーブが目の前っ!!
あぎゃあああああっーー私の頭はオーバーフローした。
 足の動きと手の動きが全く連動しないのだ。自分のからだのどこをどう動かせばいいのさっ!?
 車が走るコースってこんなに狭いものなのか。白線が迫ってくるようで怖かいんだよっ。ほんとに怖いんだよおおおおっ!
 時計回りで二週ほど走行する間、私はからだはガッチガチに固まっていた。足はブレーキの上をさまよい、先生の
「アクセルふんで」
 指示に対して絶望感いっぱいだった。心の中はそんなの無理ぽ!とわめいて泣きそうな気分なのに、顔は能面のように無表情。っていうか、表情なんか作っている余裕ない、その状態でちょみっとだけアクセルを踏んだ。スピードががががががっ! 車が加速して、自分の魂がズレている感覚に陥った。意識が運転席の後ろにある感じ、うまく言えないや。

 生れてから半世紀、自らの意思で動かし体感するスピードは、自転車のスピードまでだった。
 それ以上のスピード――時速20キロを自動車のメーターが示す世界は恐怖しかなかった。
 慣れなくてなくてはいけないと先生が言い、自分の頭もそうだろうと感じるが。足も手も何もかもバラバラだった。
 これは、異次元なのか?
 理解の範疇の遥かに超えた世界から、授業終了時間を迎えて現生に戻った【つまり、自動車を完全に停止させる作業を終えた】時、魂はスピードから解放されて私にするっと入ってきた。
 魂が抜けたまんまでいられる余裕すらなかったといえばいいのだろうか? 初めての運転が終わった私の意識は、ちゃちなドライブシミュレーターの後よりはしっかり現存していると思った。
 しっかり魂を取り戻し強烈に思ったこと。それは、運転免許証が確実に遠のいたことだった。

 実習二時間目も私の心は折れたまんま、絶望感が深くなっていく。

(つづく)
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