第3話 只野翔太

文字数 3,733文字

 前回のあらすじ。仮面ファイターシリーズ最新作『仮面ファイターリアル』のスタントマンを務めるこの俺・須田筒真は、電車で発見した痴漢を撃退したのだ!
 よし、これで前回は読まなくても良いな。うん。なんとなく性癖暴露というか、田山花袋の『蒲団』に見られるような自然主義文学的側面を見せたとでも言っておこう。あそこまで露骨なる描写では、無いと思うが。閑話休題。
 というわけで、ここから本題に入ろうと思う。プロローグは終わり、本格的に物語を展開していこうと。只野翔太の話をしていこうと。これからようやくあらすじにあるような屈折した青年と純朴な少年のハートフルストーリーが始まるのだ。みなさま乞うご期待。とりあえず、翔太と出会った日のことを回顧してみるとしよう。
 俺は悶々としていた。なんとなく鬱屈しているような、しかしそんな大袈裟でもなくただモヤモヤと悩んでいるだけのような、とにかくブルーでおセンチな気分に浸っていたのである。実を言うと俺は先に言った「痴漢撃退騒動」に関しては諸々の事情が積み重なって撮影現場に遅刻する羽目になったんだが、そこできちんと連絡したはずが伝わっておらず、怒られてしまったのだ。社会人として失態である。大人になってもやっぱり怒られると凹む。いや、大人だからこそ凹むのかもしれない。なんか惨めだもん。
 そんなこんなで落ち込み気味なときも、残酷で平等に朝は訪れる。遅刻した反省を生かし、目覚ましはいつもよりさらに早めにかけておいた。昨日帰りがけに買ったスティックパンを咥え、シリアルに牛乳を注ぐ。オートミールとグラノーラのブレンド。これだけでも割と腹を満たせるが、俺の仕事は動くことがメインなので、あらかじめ多めにエネルギーを摂取しておくのだ。
「トースター、買い替えなきゃな……」
 もちろんスティックパンは美味いのだが、朝食はトーストに中濃ソースとマヨネーズをかけた「お好み焼き風トースト」じゃなきゃ味気ない。遅刻に関しちゃ、トースターが壊れてあたふたしたことも原因の一つだったんだぜ?
 ともかく。朝食を済ませた俺は撮影に向かう。今回の現場も同じ場所なので、流石に用心して遅刻をせずに済んだ。いや、そもそも痴漢に遭遇すること自体稀だからな?俺のこれまでの人生を回顧したところで、痴漢に遭遇したのはあれが初めて。そうそう遭遇しないから、フィクションの中の行為とすら思ってたくらいだ。
 現場に入った俺は八面六臂、面目躍如の大活躍だった。いや、八面六臂はちょっと意味が違うか。俺はあくまでスタントマン(最近はスタント俳優とかスーツアクターとも言うらしいが、どうも洒落臭ぇから気に入らない)。ヒーローの代役を務める代役戦士に過ぎないのだ。
 何はともあれ、俺の素晴らしい活躍によって現場は順調に進み、今日は早めに撮影は終わった。ちょうど小学生が帰宅を始める昼下がりといったところか。うん?くだらんことで紙幅を割いてしまったから展開を急いでるだけだろって?心外な。俺のアクションや演技には定評があるんだ。今日は監督から「須田くんほどのスーツアクターは見たことないよ!」と絶賛の言葉を食らったほどだ。昨日は遅刻して「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ!」なんて言われたが。
 ちょっぴし悲しい気持ちになったあと、急に怒りが込み上げてきた。
 「おのれダブスタ糞監督!正義の蹴りを喰らえ!ファイターキーック!」
 なんて、唐突に空に向かってキックを放ったくらいだ。ちなみにファイターキックは初代仮面ファイターの必殺技の一つで、敵の頭を目掛けた上段回し蹴りである。声音もシブい声で決めてる。こんな姿を見られては恥ずかしい限りなので、俺は人のいない線路沿いでそんなことをやって鬱憤を晴らしていた。いや、電車が来たら見られちまうけどな。
 なぜ線路沿いなんかを歩いてたかと言うとそれは「風にあたりたかったから」なんて陳腐な答えしか持ち合わせていない。というか、ムカムカしてたから少し歩きたかったんだな。電車は人が多いからそれだけでストレスだし。
 そんな時に、俺はあいつと出逢っちまった。小学生。お待ちかね、この話のキーパーソンであり、おそらくもう一人の主人公的な存在になるガキ、只野翔太とのご対面だ。
 そう、俺が、恥ずかしげもなく空に向かって監督の愚痴を吐きながら、ファイターキックを繰り出したその姿を、見ず知らずの小学生に見られてしまったのだ。
 俺は駆け出した。顔から火が出てジェット噴射でも起こしてるのか、すげー速さで駆け抜けていく。電車と並走できるんじゃないかな。後方から「お〜い、待ってよおじさん」なんて聞こえた気がするが、待たない。俺はおじさんじゃないからな。
 途端、後方で人が転ぶ音がした。言うまでもなく追いかけてきてる小学生が転んだ音だ。俺も鬼畜ではない。正義の心を持った善良な市民であるから、しぶしぶ振り返って駆け寄る。ったく、こーなっちゃ恥とか言ってらんねぇもんな。
 「おいガキンちょ、何してやがる」
なんて優しい言葉をかけてやると、小学生は起き上がって服についた砂を払った。手は貸してやんねぇよ。甘さだけが優しさじゃないからな。
「おじさん、さっきのファイターキックだよね⁉︎おじさんも仮面ファイター好きなの?」
“も”ってことはお前も仮面ファイターファンなんだな。ふむ、初代を知ってるたぁなかなか良い育ちの坊ちゃんだな。英才教育を受けてやがる。
 「俺はおじさんじゃない。かっこいいお兄さんの須田筒真ってもんだ」
ありきたりなセリフになっちまった。俺ぁどうも文才っつーか語彙力っつーか、咄嗟に気の利いた言葉が出てくるほど器用じゃないんでね。対してガキんちょは、
「おじさん、長い名前だね。ぼくは翔太!只野翔太だよ」
と返事をした。おじさん呼びが据え置きなのは気に食わんが、やはり育ちのいいガキだ。こちらが名乗ったら名乗り返すってのはやっぱり日本人としてのマナーだよな。最近じゃ名前もプライバシーとかで言いたがらない奴もいるが、俺たちにゃそんなもん気にならないってことみたいだ。
 「そうか、翔太。仮面ファイターの初代を知ってるってのは評価してやるが、初対面のかっこいいお兄さんにいきなり『おじさん呼び』はいかんぞ」
と、先ほど浮かんだ不満を説教に変えて出力する。むろん、注意の範疇を出ない優しい口ぶりでな。怒鳴り散らした挙句に親とかが出てきたらたまらん。
 「えー?でもおじさん、お顔が髭でいっぱいじゃない。それにさ、名前も長くて覚えらんないよ。カッコイイオニイサンノスタ……なんだっけ?」
 うるせーよ普段スタントで顔隠してっからいちいち剃る必要がねーんだよ。効率化ができてしまう素敵なお兄さんに失礼だろ。それに何なんだよその中途半端な記憶力は。ふん、やっぱガキだな。「須田筒真(すたとうま)」という固有名詞だけを抜き出して効率的に情報を整理する力がないらしい。
 と、恥ずかしげもなく小学生に脳内でマウントを取った後に、やはり寂れた感情をぬぐえぬ俺に自己嫌悪を覚える。マジで何やってんだ、俺……この中に潤滑油のような人材はいらっしゃいませんかー。俺の寂れて錆びついた心を、頼むから滑らかにしてくれー。
 何度か言ったかもしれないが(いや、これで最初か?すまん、覚えてねぇ)、俺はアクション俳優を目指していただけあって演劇に関するイロハは学んでるし、色んな台本を学んで来た。アクション俳優の養成所に入る前から仮面ファイターになるために、演技の技術も粛々と磨いていたのである。
 つまり俺が何を言いたいかというと、このガキが実は育ちが悪いんじゃないかってことだ。ダメな親が暴力的に育ててきたから子どもは真面目になる、なんて、最近よくある日常ハートフルストーリーの鉄板だもんな。育ちが悪いから立派に育っちまうなんて皮肉にも程がある。わらえねーよ。
 サイズが合ってるのか間違っているのかわからないようなシャツ。ヴィンテージという言葉が似合ってしまう薄汚れた短パン。テキトーにめんどくさそうに切られた短髪。その細い四肢は、ついつい今朝食べたスティックパンを想起させるほどだ。
 気味が悪い。こんなガキを、今どきのヒューマンドラマは「幸せならオッケー」とでも言うのか?その人がその人らしく幸せになればいいなんて嘯くのか?
 絶対に関わっちゃならない。俺はこれまで一応ヒューマンドラマも見てきたが、そいつらはフィクションだからみんな救われちまうんだな。ご都合主義のトントン拍子とまでは言わないが、大体風変わりな主人公とかと出逢って幸せになっちまうんだ。「トラウマを解消して心が前向きになったよ!」ってな。
 だがよ、こいつの体はどうだよ。共生社会?みんな違ってみんないい?こんないつ死んでもおかしくなさそうなガキを、「本人が幸せならそれが個性」とでも言う気かよ。ふざけるな。絶対に面倒ごとになるに決まってる。そんな奴と関わってはならない。
 だが、そんな俺に。スタントマンの、偽物の俺に。語りかけてくるレジェンドの声が幻聴した。
「少年、君は救われなければならない。薄汚れた怪人の魔の手から、抜け出さねばならんのだ。」
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