第2話 夢破れてミサンガあり

文字数 5,257文字

 描いた夢なんてものは往々として破れるものだ。名門サッカー部のある大学に進学し、インカレに出場したサッカー部の坂田は営業でこってり絞られてるようで、歌手を目指して体育館を沸かせていた軽音部の木田はレンタルショップでアルバイトをしていて今は正社員を目指しているとか。漫画家を目指していた朝霞は引きこもりになったらしく同窓会にゃ来てなかったな。しかし同窓会ってのは残酷だよな。みんなして一緒くたに学生だった思い出を、残酷にも塗り替えちまうもんなんだから。落ちぶれたやつに成り上がったやつ、相変わらず駄目そうな人生のやつに優秀なまま順調に生きてるやつまで、いろんな「現状」を更新して、過去の思い出を「拍付け」しちまう。さして意味がなかったような生活態度に「やっぱりそう思ってたよ」「全然そんなことになると思ってなかったよ」と後出しじゃんけんの展覧会。あんなもの地獄過ぎて二度と行きたくないね。
 うん?俺はどうだったかって?この俺、須田筒真はどうだったかって?そうだな、夢は叶えたといっても過言ではあるまい。役者を目指して高校では演劇部に入部。持ち前の身体能力を生かしてアクションで大活躍。三年では部長を任されたな。大学でも演劇を学び、役者志望の仲間たちと夢を語ったものだ。幼少期からあこがれていた伝説のヒーロー「仮面ファイター」になることだ。「アクションや殺陣がうまいからきっとなれるよ」と友人(ライバル)たちが囃してくれたことだ。アクション俳優の養成所に入ってからも講師から「須田以上に動ける奴はいないよ」と言う言葉を引き出せたくらい、俺の実力は折り紙付きなのだ。
 そして俺はついに、五代目令和ファイターの『仮面ファイターリアル」の主演を務めることになったのだ!
 ……スタントマンとして、だが。
 ピピピピピ、ピピピピピ、ピッ。
 アラームは三度ほどスヌーズした後で、若干遅れ気味の起床だが、問題はあるまい。俺はつねに一時間前行動を基準にしており、遅刻をすることなど万に一つもないのだ。が、今回という今回は本当のついていなかった。神様という奴がいるならきっと性格の悪いクズ野郎に決まっている。だいたい日本神話やギリシャ神話にしたって、不倫や近親相姦などタブーのオンパレードだ。よくそれを神聖なものとして発表できたよな。
 そんな意地悪な神様が最初に与えた試練(イタズラ)は、トースターの故障である。朝飯がオートミールだけになってしまった。スーパーフードだなんだともてはやされちゃいるが、どうもそれだけじゃ味気ないから朝飯にはトーストに中濃ソースとマヨネーズをかけた「お好み焼き風トースト」などという馬鹿みたいなモンを食らってやる気を出すのが平時である。ちくしょう神の野郎、体に悪そうな飯ほど美味いっていうこの世の真理を知らんのか。二郎系やファストフードが普及する意味を考えてみてほしい。
 さらに試練は続くぜ。俺が通勤に使っていた自転車があろうことか盗まれていたのだ。高かったんだぞ、あのロードバイク。そんな困難にも俺は果敢に立ち向かい、学生時代使っていた交通系ICを引っ張り出して、電車通勤にて現場に向かうことにした。電車の乗り換えはスマホですぐにわかるからな。文明の利器バンザイだ。交通系ICが久々に使っただけあってチャージが必要だったが、さしたるロスにはなるまい。
 しかし、なんと、まさか、いきの電車内で非っっっ常に面倒な光景を目撃してしまった。痴漢現場を発見してしまったのだ。いやいやおいおいおい、痴漢現場に遭遇することなんて生きててそうあるモンじゃねぇぜ?女性ならされることもあるから遭遇率が高いのかもわからないが、フィクションで見るほど痴漢なんて起こらないだろ。尻を触るためだけに一生を棒に振るうとかリスクが高すぎるからな。痴漢電車系のイメクラにでも行っとけよ。
 それでも俺はなかなか面倒な性分で、目の前で起こった悪事は放っておけないんだな。長年仮面ファイターを見続けてきたせいか、俺の中にライダーたちの魂が宿ってしまったんだな。素晴らしき彼らは「おのれ卑怯者!成敗してくれる!」とか「女の人にメーワクかけるような奴はゆるせねーぜ!」とか、正義感に満ちた発言で俺を鼓舞してくれるのだ。そうだ。ファイターたちの言葉が俺に訴えかけてくる。「オンドゥルミズデルンデスガァー!!ズダサン!!」いえいえ、見捨てなんかしませんよ。助けてやろーじゃないの。
 というわけで試練(ミッション)攻略を開始する。まずは動画を抑えておこう。確たる証拠を残して面倒ごとを最小限に留めるのだ。しかし最近はスマホをいじってるふりをして隠し撮りなんかできちゃうから恐ろしいよな。まぁ、正義という大義名分がある今は大いに許されることだろうが。ともあれ、俺のスマホは現在進行形で女子高生が壮年の男に痴漢されている様を記録している。痴漢モノのAVやエロ漫画では抜けたのに、現実でこれが起こっているとなると、想像以上に気持ちの悪い光景だな。フィクションではまず大前提としてフィクションであることが分かっているし、痴漢と女子高生(これがバリバリに働けるキャリアウーマンでも、またいいんだよな。あくまで創作での話だが)とのやり取りなんてものは形式化されていて、ある種の古典芸能みたいなものを感じるんだよな。ニヤニヤといやらしく卑しい笑みを浮かべねっとりとした息を吹きかける。手つきも慣れた常習犯のようなさりげなくかつ快感を与えるような絶妙なテクニック。「イケない子だねぇ、おじさんに痴漢されて興奮しているのかい?」という問いかけにいやよいやよと言いつつも紅潮する女性。この顔があまりにも可愛くてエロくて……と、俺の性癖発表会はいいんだな。とにかくこんなのはフィクションだからいいんだ。
 今スマホに映っているこの現実は、そんなものよりそっけなくて、だからこそ陰湿なんだな。痴漢野郎はフィクションと違って小太りのメガネの中年ではなく中肉中背で最近白髪が増え始めたような中間管理職風の男。女性は女子高生なんだが、清楚系な黒髪のポニテ女子やマフラーをしていてえんぺらができてるタイプのロングヘアな女子じゃない。勿論おとなしい感じの三つ編みメガネっ娘なんかでもないしギャルでもない。良くも悪くも普通の女子なのだ。女子グループでうまい感じに空気を読みながら楽しく人生生きてる感じの、普通の中の普通みたいな女子高生。
 しかし真にそっけないのは、みてくれじゃないんだな。いや、陰湿ってのはむしろここからで、その男は女子高生に対し「わざと触ったんじゃなくて電車の揺れでたまたま手に触れてしまった」みたいな感じのを、少しずつ少しずつやってのけているわけだ。これでは証拠として心もとない。俺が盗撮と疑われるのが関の山だろう。長期戦は望めない。さぁ、さっさと尻尾を現せ……!いや、期待してるんじゃなくてほんとに証拠として提出するため撮っているんだからな?一応、そこんとこ理解してるよな?
 と、心の中で誰に対するでもない言い訳を逡巡させている間に、その機は訪れた。調子に乗った痴漢野郎が女子高生の尻を揉みしだき、さするようにまさぐりだしたのだ。ふはははは、馬鹿め!文明の利器が発展したこの現代において貴様のような悪辣の民はすぐさまデリートされるようになっているのだ!
 証拠動画の撮影を終えたちょうどその瞬間、電車は停車しドアが開く。痴漢野郎は素知らぬ顔で降車しようとする。ここで逃してはならない。俺は人と人との間を進みながら痴漢野郎のもとに行き、その気持ちの悪い腕を掴む。
「おい、今痴漢してたよな?」
動揺することなく男は毅然な姿勢で言い訳を垂れる。
「何のことです?たまたま電車が揺れてあたったことはあるかもしれませんが、まさかそんなことで僕に痴漢の疑いをかけるんですか?」
くだらん正義感で私の人生をめちゃくちゃにされては迷惑だ、なんてのたまいやがる。女子高生は触られたことに恐怖を覚えてか声は出ていないが、それでもこいつに触られたと指をさし首を振りながら訴えかけてくる。
「君も君だよ、なんだって僕がやったって言いきれるんだい?僕に背を向けていたんだからわかるはずもないだろう?あーあー、あれか?痴漢の罪なすりつけて憂さ晴らししよーなんてそれかい?その男もグルなんだろ!」
わざとらしい大声をあげて野次馬を集める痴漢野郎。こいつ、周りを味方につけようとしてんだな。いいだろう、集めるだけ集めろ。俺には最強のカードがあるんだからな。
「言い切れるさ。この動画、あんたがそこの女子高生の尻を触っていた一部始終がしっかり録画されているからな!」
と、決め顔でそう言ったあたりで駅員がやってきて、ちょっとした聴取に手伝うことに、動画を撮っていたからそれを提出するだけで済んだ。電車はもう行ってしまったから仕方ないが、まあまだ間に合うはずだろう。聴取やらに使われる時間を見越して動画を撮っていたのだ。賢いぞ、俺……と、油断したこと自体が間違っていた。
 一本遅れた電車にそのまま乗ってみたんだが、どうやら急行電車に変わっていたらしく現場の最寄り駅には止まらないんだな。すぐに気付いて通り越した後すぐの駅で降車し、反対側車線の電車で戻ったはいいが、神はやはり意地悪で、その電車は社内点検とかで遅延していた。くそ、まだ来そうにないな。今降りた駅は幸い最寄駅から一個先の駅だったので走っていける距離ではある。いつ来るかわからない電車よりは走ったほうがいいかもしれん。また電車を間違えても嫌だし。
 それでもやはり不運続きだし実際この距離を走るとなると遅刻する可能性があるので、あらかじめ連絡しておくことにした。こうした大人な対応が信頼を形作るのさ。俺のアクションは学生時代より好評だったし、現場でもよく褒められる。「こんな動きできるのは須田くんぐらいだよ」と絶賛の嵐さ。
 さて、電車が遅延して遅れるとの旨をメールで送信しておいた。これで心置きなく遅刻できるぜ。ジョギングとランニング中間のような長距離向きな速さでかつ怪しまれない感じに俺は走った。。順路は文明の利器に助けられているので、迷うことはない。「スマホがないと生きていけない」なんてのは若者がスマホ依存でそういってるとかいう大人がいるが、俺も実際そう思っていたのだが、実際問題、生活インフラとしてかなりの生命線になっていることを実感した。
 しかし普段歩かない道なのでなかなか新鮮だな。シーンの都合上郊外での撮影となるのだが、ここもそんな感じで昔懐かしい店なども並んでいる。商店街って思ってるよりシャッター化してないもんだな。すすけた書店に懐かしい感じの八百屋、肉屋に床屋に越後屋に……ごめん、さすがにふざけた。でも、なかなか面白いもんだなぁ。行ったこともないのになんだか懐かしさを感じるのはおそらく、テレビに刷り込まれてるとかだろう。
 中でも特に懐かしかったのが、ミサンガだな。木造のいかにもレトロな雑貨屋に売ってたんだが、懐かしいのなんの。俺が小学生だか中学生の頃に流行ってたもんだ。俺も例に漏れずミサンガを足首に着けたものだ。つけていて自然にちぎれたら願いが叶うって言ってな。みんな割と自然に切れるようにわざと草むらに入ったり転んだり石や壁にこすりつけたりしてたもんだ。かゆいし邪魔だからって途中でハサミで切ってたやつもいたな。俺はというと、確かにみんなと馬鹿やってこすりつけたりはしていたが、最後までつけていて自然に切れたのだ。同級の中でも意外と珍しいほうだったんじゃないかな、ブームが去って早々に切ってた女子とかもいたし。
 ……思えばこれが切れるのが本当に自然にじゃなかったから、俺の夢はこんな歪な叶い方をしたのだろうか。考え過ぎか?全然科学的じゃないが、途中で切っちゃう奴はみんな夢を叶えてなかったし、夢を叶えたごく少数のホンモノどもは本当に自然に切れてたからな……彼らはミサンガを何年もつけてて「まだ信じてんのかよ」などと揶揄されていたことを思い出した。
 ああいった馬鹿みてーなおまじないをいつまでも信じていられる人間が夢を叶えるのかね、なんて自嘲気味になってきたところで、ミサンガが無性に腹立たしくなってきた。俺はペースを上げてそそくさと仕事場に向かう。

 「すみません、遅れましたー。」と少し焦った風を装って現場入りすると、監督が静かな怒りを向けてきた。うーん、またなんかやっちゃいましたか?
「須田くんさぁ、自分の立場わかってるの?連絡もなしに休むとかありえないから!いいかい?君の替えなんてごまんといるんだよ?」
いやいやいや、俺はチャットで遅れる旨を報告したと弁明したが、そういう連絡は電話でしろと返され黙ってしまった。この分は相手が正論だからな。うん、正論だ。正論だとも。だがその正論に含まれた強い語気に心がきりきりして、なぜか俺がつけていたあのミサンガのことを思い出した。
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