1. 夢無き幼少期

文字数 4,036文字

「ほら勇気! しっかり元気に挨拶しなさいよ!?」
「わかってるよ……」
残暑で外の世界は蒸し蒸しとしている、初秋の土曜日。
午前9時。僕は家の中でお父さんに、もうすぐ訪れる来客を迎える準備を促されていた。
朝から家の中を隅々まで掃除しては、お父さんはスーツに着替え、僕も寝巻きから服を変えさせられる。
とは言っても、家の中でも外でも、僕は基本ジャージなんだけどね。
早くしなさいと、お父さんに怒鳴られる。それでリビング横の自分の部屋で、テキパキと着替えを済ませる。
するとちょうど、家のインターホンが鳴った。
先程怒鳴ってきたお父さんは打って変わって、優しい声で返事をする。
そしてお父さんが玄関のドアを開くと、そこに一人の男性が立っていた。
服装は整ったスーツ姿で、片手にはボストンバックを持っている。
「おはようございます、宮城兄弟」
男性は落ち着きはらった表情で、お父さんに挨拶をする。
「おはようございます! 山本兄弟!」
お父さんは律儀に挨拶して、どうぞどうぞとその男性を家に迎え入れる。
その男性は玄関からリビングに入ってきて、自分の部屋の扉から顔を出していた僕と目が合う。
「やあ勇気君! おはよう!」
「あっ……おはようございます……」
僕はなんとか、その男性に挨拶をした。

僕のお父さんは、とある宗教を熱狂的に信じている。
その宗教は簡単に言うとこんな信条だ。
もうすぐ神様が新しい世界を作って、悪い人もいなければ悪いことすら起こらなくなる。
そして一定条件下で亡くなった人は生き返って、生き延びた信者の人達と永遠に生き続けることができる。
まあこういった内容だ。
何でお父さんが宗教を信じるようになったかというと、僕のお母さんが死んでしまったことが大きいらしい。
僕がまだ幼い頃、お母さんは病気で死んでしまったんだ。
それで僕には四歳上の姉がいるんだけど、僕と姉の二人の面倒を見なくてはいけなくなったお父さんは、相当ストレスを抱えてしまった。
そんな時に、その宗教の存在を知ったんだって。
元々僕のお父さんの姉、つまり僕の叔母がその宗教の信者でね。
いずれ死んでしまった妻に会えて、子供二人のことも正しく育てることができる。
そう思ったお父さんは、まだ幼かった僕や姉の意見も聞かずにその宗教に入信した。
まぁまだ二人とも幼かったから、意見を聞かれてもまともな判断ができなかったかもしれないけど。
そして気がついた時には、僕と姉はお父さんが信じてる宗教の教理に従って一日を過ごしていく生活になっていた。
僕達家族は、その宗教の勉強をして、信者が集まる場所に出向いて、家々を回っては勧誘活動をするようになった。
でもまだ僕や姉は子供だから、きちんとした宗教の勉強ができるのはお父さんしかいない。
だからお父さんは、長老兄弟という宗教の中でまあまあ特権を持っている人に教えてもらっていた。
その長老兄弟の一人が、今来た山本兄弟という男性なんだ。毎週休日の朝に家に来ては、お父さんに宗教のことを教えている。
僕と姉もそれに習うように言われ、ただ宗教の教理通りに考えては、生きるように教えられてきた。
だから僕はたぶん、本当の僕じゃないんだろうな。
これは思い違いでも錯覚でもない。全て親や周りに都合よく形作られたものだ。考え方も心も全部、教理をねじ込まれて作られた。
でも、これも全部僕のことを思ってやってくれている教育らしいよ。
まず宗教の教理を把握して、それに従順じゃないと宗教的な救いは得られないんだ。
だから宗教の教理、つまり神様の言うことは全て守らないといけない。それで教理的に禁止されていること、神様が忌み嫌われることはやっちゃいけない。
でも僕から見たら、その神様は結構わがままでね。やっちゃいけないことが多いんだよね。
まず他の宗教や物を崇拝することは禁止されているから、そういった行為になりかねない事はやっちゃダメなんだ。
だから国歌や校歌は歌わないし、女の子はひな祭りを祝わない。
同様に他の宗教から生まれた物らしい行事、イベントは参加しちゃいけない。
だから初詣や七夕、誕生日パーティー、クリスマス会など、そういった行事やイベントには出られない。
また神様は戦いや暴力を忌み嫌われるから、格闘ゲームはやっちゃダメだし、騎馬戦や応援合戦には参加しちゃいけない。
あと血は神聖な物らしくて、自分の血以外の血を体内に入れちゃいけない。
だから鯨や猪といった血抜きされていないだろう動物の肉は食べられない。後一番に、何か事故などに遭って輸血治療が必要になっても、それができない。それで死ぬことになってもね。この間には、輸血治療をしないことを証明するカードに名前を書かせられたな。
またその宗教は教理の勉強や勧誘活動を大切にしなちゃいけないから、学校以外の時間はほとんど宗教関連のことをしてるんだ。
平日の学校後も夜中まで教理の勉強をさせられて、休日の昼間は勧誘活動に駆り出される。
それに関連して、大人になっても定職につかずに宗教活動に身を捧げることが推奨されていた。
だから幼稚園の時は、無邪気に将来やりたい職業を持っていたけど、
「それだと宗教を第一にして生活できないよね?」
と一蹴されて諦めざるを得なかったよ。
わかってるよ。こんな生活、普通じゃないってこと。
幼稚園の頃から、他の皆と違いがあることに気づいてたよ。他の皆が楽しんでるのに僕だけできないっていうことが多かったからね。
だから昔から周りの子達と仲良くすることができなかった。元からお父さんや他の大人の人達から、あまり他の子供達と仲良くするなと言われていたけど。
でも少なくとも、平日は家族よりも同級生の子供達と過ごす時間の方が多い。
それで日に日に周りの子達との隔たりができていって、僕自身がやりたいこともさせてくれない。
ならなんで、反抗しないのかって?
だって反抗したら、鞭打ちだ、矯正だと言ってベルトやゴムホースを使って叩かれるんだよ。
幼稚園に通っている時から打たれ始めて、最初は物凄く痛かったな。
でもこれも教理の中で大切なことらしいよ。親は子供を宗教の道に教え導きなさい。子供がその道から逸れそうになったら、時に鞭打ちという体罰をもって矯正を施せとのこと。
だから少しでも宗教活動をするのを嫌がったり、教理に疑問を持ったり従わなかったりしなかったら鞭打ちされる。服を脱がされて、革ベルトやゴムホースでお尻を叩かれるんだ。
鞭は痛くて怖いから、親にとって良い子供であろうと、宗教に従順であるようにしようとするしかなかった。だから反抗しようなんて思う気力も湧いてこないよ。
でも宗教に従順でいようとなると、学校では当然過ごしにくいんだよね。
国歌も校歌も歌えない。誕生日会や七夕祭り、クリスマス会、騎馬戦や応援合戦も参加できない。血が入っているクジラの肉が給食で出てきたら食べられない。
その癖、休日は大人と一緒に宗教の勧誘をする。
だから当然、周りの子達からは浮いた存在になる。好奇の眼差しを向けられたり、冷たい視線で見られたりして、陰口や悪口を言われる。
そしていつからか、僕は学校でイジメられるようになった。
最初は簡単な仲間外れだったり教科書を捨てられたりしたけど、途中からわかりやすく殴られたり蹴られたりするようになった。
そして今では、階段から突き落とされたり図工用カッターで切り付けられたりしているよ。
学校の先生は元々腫れ物扱いしている僕の相談なんかに乗ってくれるわけがなかった。
お父さんや他の大人の人達に言っても、その場から立ち去りなさいとか、神様に祈りなさいとか、正直何の役にも立たない助言しか返ってこない。
だから僕の体にはいつも、お父さんからの鞭と、学校で受けるイジメの傷が絶えないんだ。
そういう意味では夏でも冬でも、長袖で体の傷を隠せるジャージが普段着でちょうどよかったのかもしれないけどね。
「宮城兄弟。勇気君の神権宣教学校入学の件でお話ししたいので、勇気君には席を外してもらっていいですか?」
「ああっ、全然構いませんよ!」
神権宣教学校というのは、宗教の活動のできる範囲を広げる為に入る専門学校みたいな場所だ。
一年後には中学生になる僕には、そこにいつ入るかみたいな話が出ているんだよね。
僕の将来は、実質もうお父さん達に決められていた。
中学校を卒業してから簡単な高校に通って、そこから仕事に就かずに宗教活動に専念する。
それが宗教の教理的に、一番正しくて誇らしい生き方らしい。
僕が何を願い、何を夢見ようと、将来やることは決められている。
何もかもが空っぽだ。
今まで戦ってきたのに、戦い続けた先に待っていた今日と将来はとても空っぽなものだった。
「人生は諦めが肝心」
誰かがそんなことを言っていた気がするけど、僕はもうその意味を分かってしまった。
諦めるのは早ければ早いほどいい。
僕は十二歳という年齢で全てを諦めたよ。
だから小学校三年生の時から、死にたい、消えてしまいたいと思うようになった。
それで電車に飛び込もうと思って近くの駅に行ったり、家出しようと荷物をまとめたりした。
でも結局、それを実行することはできなかった。そもそも僕に、そんなことができる勇敢さなんてないんだ。
それで結局、今までと変わらない生活を過ごしている。
「じゃあ勇気、公園で壁当てしておいで」
「わかった・・・・・・」
お父さんに言われるがまま、僕は部屋か、野球ボールとグローブを持ち出して、玄関に向かう。
小さい頃に野球ファンである叔父から、誕生日プレゼントで野球ボールとグローブをもらっていた。
でもこうやって与えられる僕一人の自由な時間は滅多にないから、ほとんど使ったことがないけど。
公園に向かう途中にある道路で、トラックが来たら飛び込もうかな。
そんな悪ふざけにも似た妄想をしながら、玄関で靴を履いていく。

玄関の脇に、折り畳み傘が紐で傘立てに掛けられているが見えた。
それを見た僕は、まるで絞首台から夢がぶら下がって死んでいるように思えた。
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