3.うっかりな始まり

文字数 4,932文字

「プロカって、俺の地図には載ってないんだよな」
「十年くらい前にできた村よ」
 木々が鬱蒼と茂る山道を二人、縦一列になって歩いていた。キリコが先頭で地図を見ながら歩き、イズはその後ろを適当に話を振りながらついて行く。
「じゃあ書いてあるわけねーな。この山はどれぐらいで越えられる?」
「山くらいならその地図にでも載っているでしょ?」
 質問をしても地図から顔を上げることもなくおざなりに返される。
 キリコが今見ている地図は先ほどの広い範囲が書かれている地図ではなく、範囲は狭いが、細かい情報の載っている別の地図だ。それに対しイズは、そこそこ広い範囲とそこそこの情報が書かれただけの、どちらも中途半端な地図しか持っていない。
「いや、山は載ってるけど、こういうところって落石とか倒木のせいで道が変わるじゃん。だから全然頼りにならないわけ」
 しかもその情報も古いのだから救いようがない。
「この山はそんなに高くないから今日中には降りられるはずよ。でも暗くなると身動きがとれなくなるから、のんびりもしていられないわ。」
 広げていた地図を畳む。心なしか進むペースが早くなった。



「はぁ、大分下ったか?」
「そうね、あと少しで降りきれるかしら。そうしたらすぐプロカに着くわ」
「ほーい。で、プロカには何があるんだ?」
「何もないわ。小さな村よ」
 吐き捨てるようなキリコの言葉が、まるで自分の生まれた村のことを言っているように思えた。
「そりゃヴェルセラに比べれば、ほとんどが小さくて何もない村だろ」
「一般的に言っても小さくて何もない村よ」
 以前ヴェルセラに来ていた村人に聞いたらしいその話はどれも彼の村のことのようで、何もないという事がどういう事かよく理解できた。恐らく本当に特色というものがないのだろう。彼のように、村人自身が自覚するほど。
「でも、とても平和な村らしいの」
 キリコの話によると、村が滅ぼされるどころか、村人の一人すら今のところ魔族に襲われたことがないと言う。イズは平和な自分の村を思い出す。特別な特色が何もなくとも特に生きるのに困った事はない。魔族に対する恐怖も強くはなく、人々が笑顔で平和に暮らしている。一般的に言って小さくて何もない村だが、一般的に言っても平和でいい村だろう。
「だからって油断はできないけれどね。いくら今まで平和だとはいえ、いつ魔族が来るか......」
 会話の途中、前方の草がガサガサと音を立てて揺れた。途端にキリコは話を止め、二人して息を飲み様子を伺う。
「どうすんの。お前が不吉な事言うから、本当に来ちゃったんじゃねーの?」
 ここまでの旅で魔族に襲われたことはない。正直どうしていいかわからないが、攻撃されるのなら応戦する他ないだろう。
「平和な町に魔族なんて連れ込んだりなんかしたら......」
「ここで始末すれば問題ないわよ。死体を引きずっていけば寧ろ英雄じゃない」
「始末って......俺たちのほうが悪者っぽいんですけど」
 徐々に近づいてくる草をかき分ける音に、剣に手を伸ばし身構える。
 間の前の草が一際大きく揺れる。
「ぷはっ!」
 草を書き分けて転げ出してきたのは......
 なんて事のない一人の少女だった。背の高い草に全身が隠れる程度の身長で、両手には何やら本をかかえている。
「......あなた、こんなところで何をしているの?」
 距離は詰めず、様子を窺うようにキリコが尋ねる。
「お姉ちゃんたちは......?」
 少女の方も距離を測っているようで、こちらに近づいてくる気配はない。
「俺達は......」
「魔族狩り殺して根絶やしにする旅をしているの。魔王を倒す勇者よ」
「お前の発言のほうが魔王だよ」
 勇者と聞いた少女はこちらの様子を窺うように見つめてくる。
「本当に......?」
 まだ疑っているようで距離が近づくことは無い。そんな少女にこちらから近づいていく。
「本当よ。」
 キリコが少女と目線を合わせるように屈んで尋ねる。
「あなたは?」
「わ、わたしは......プロカから来たの」
 抱えている本をギュッと抱き身構えた。
「大丈夫よ。私たち本当に魔族じゃないの。ね、勇者様?」
「うん。魔族じゃないよ。勇者でもないけ......」
「勇者よ」
 勇者の部分を否定してみたが、上から被せてなかったことに。今のは確実に耳に入っていたと思うが無理矢理押し通していくつもりらしい。
「勇者じゃないの?」
「勇者よ」
 小首をかしげる少女にキリコは断言する
「勇者なの?」
 二度目の質問はキリコではなくイズに向けられたものだった。イズは見上げてくる少女に否定を口にしようとしたが、キリコに阻まれて叶わない。
「勇者よ!」
 キリコの力強い肯定に少女は目を輝かせた。
「ほんとうなのね!!あのね、わたしね、アンナって言うのよ!プロカから来たの。」
「ええ、そうみたいね。一人で来たの?どうしてこんなところへ?」
 キリコの問いを聞き、目を輝かせていたアンナは突然ばつの悪そうな顔をして視線を下に向けてしまう。
「まぁいいわ。ここでのんびりもしていられないし、話は村についてからゆっくりしましょう。」
 責められたようなアンナのしゅんとした姿が気の毒になったのかキリコが屈めていた身体を起こし彼女に手を差し出す。
「ああ」
「うん」
 気付けばもう日が暮れかけている。のんびりしていられないというのも事実なので、イズは特に否定もなく頷いた。アンナもキリコの手を取り頷く。
 二人は魔族が現れたときのために彼女の護衛をすることとなった。代わりに彼女は二人を村まで案内してくれるという。

 そうして三人は急いで山を下っていった。


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 山を下りようやくたどり着いたプロカの村には残念ながら宿屋が無く、旅人は受け入れていないらしかった。大人は、子供のように勇者と名乗ればすぐに信じ、目を輝かせてくれるわけではない。しかしアンナの説得のおかげで、一晩だけは泊めてもらえることとなった。
「それで、どうして一人で山へ来ていたの?」
 泊めてもらえることとなったのはやはりアンナの家だ。二人に提供された埃っぽい屋根裏部屋へと遊びに来たアンナに、キリコは先程の問いをもう一度投げかけた。
 アンナは再びしゅんとして俯いてしまう。
「あのね......お花が欲しくて......」
 しばらくしてようやく口を開いたアンナにキリコが諭すように言った。
「でもね、一人で外へ行ったらら危ないわよ?」
「うん。だからまぞくを見かけたら、すぐ逃げられるようにこの本もってたの」
 山で出会ったときからずっと両手で大事そうに抱えていた本を差し出す。イズはその本を受け取り、中を見る。正直に言えば二人の会話にはさほど興味がなかったので、キリコがアンナと話している間暇つぶしがてら読ませてもらうことにした。
 その本には人間を含む様々な種族についての説明が子供にもわかりやすいように書かれている。その中で印がついている魔族のページから読み始めた。


「へぇ、魔族って人間に化けられるのな」
「は?」
 話しを続けていた二人が突然振り返る。
「そんなことも知らないの?」
 キリコが驚いたような、飽きれたような、そんな顔で尋ねる。
「おう」
 何度も言うようにイズの町はとても平和で、村人たちは魔族に対する危機感を持ち合わせていなかった。その中で育ったイズは魔族について詳しく教わったことは無い。勇者を目指していたわけでもない、ただの面倒臭がりな少年のイズは自主的に魔族に関する知識を得ようという努力をしたことも当然ない。そうして彼は知識も警戒心も薄いまま気楽に旅立った。
「あなた、それでよく勇者になろうなんて思ったわね」
「なろう思った事自体ないからな」
「全く、勇者の風上にも置けないわ」
「むしろ俺は、風上に置かれたお前の悪影響を風下で受けてる方だし。って言うか俺は勇者じゃないし」
 いつものように果敢に勇者を否定していくが当然のようにキリコには聞いてもらえず、すべて大きなため息に流されたしまった。
 ため息をつきたいのは自分の方だと思っていたが、どうも今回はイズのほうがおかしいようだ。
「お兄ちゃん本当に知らなかったの?」
 アンナまでもが呆れたような顔でイズを見上げている。イズからすれば自分と同じように平和なこの町で生まれ育った彼女が魔族に関する知識を持っている方が不思議だ。しかし、そんなことは今どき勇者であろうがなかろうが関係なく、誰だって知っている常識らしい。
「そんなのじょーしきだよ。みんな知ってる」
「こんな平和な村でもか?」
「そりゃそうよ。さっきも言ったでしょう?いつ魔族が襲ってきてもおかしくないの。今が平和だからって油断はできないのよ」
 魔族に襲われたことがなかったとしても関係なく人々は魔族を警戒している。つまり、イズの村のような状況のほうが珍しいようだ。確かに自分たちは少々警戒心が薄すぎるように思える。
「まじか......普通はこんなもんなんだな」


 アンナが部屋に戻った後、二人して寝転がりぼんやりとしていた。食事も済ませ、あとは眠るだけだ。真っ暗な屋根裏部屋では離れたところで転がっているキリコの様子は確認できないが、もしかするともう眠っているのかもしれない。

 魔族は人に化けることができる。
 そんな世間では常識らしい事実をはじめて知ったイズは、今までの旅を思い出していた。
「だからあんなに部外者が来るのを嫌がるわけだ」
 プロカに限らず旅人を受け入れない村はいくつもある。受け入れている村も殆どは一日や二日で村を出て行くという条件付きだ。
「小さな村ならそれが当たり前よ」
 独り言のつもりだった呟きに返事があった。どうやらまだ起きていたらしい。
「魔族がいつ入り込むかわからないもの」
 イズの村は来るものは拒まない。長期の滞在はもちろん、住み着くのだって歓迎してきた。旅に出てから外の村を見てずっと不思議に思ってきたが、これで納得だ。これが普通なのだろう。
「でもヴェルセラはいろんな人が入り乱れてたよな」
「大きな町は人が集まるものよ。いちいち部外者の出入りなんて気にしていないの。いざというときのために、衛兵もいるわ。」
「へぇ」
「まぁ、そういう大きな町が魔族に襲われたって話は聞いたことないけれどね」
「魔族なんていくらでも紛れ込めそうなのにな」
 イズはヴェルセラの大通りを思い出した。人になんか化けられなくても魔族の一人や二人気づかれなさそうなほど人がいた。あの旅人や商人の中にももしかすると......
「そう言えば、お前はなんで俺の事魔族だと思わなかったの?」
「どうして?だってあなた勇者じゃない」
「違いますけ......」
「おやすみなさい」
「聞けよ」



 翌日は起きたらすぐに出発となった。ゆっくりはできなかったが、本来部外者を受け入れない村に一晩泊めてもらい、朝食まで用意してもらったのだからありがたいものだ。
 見送りにはアンナとその家族、それからプロカの村長が出向いてくれた。恐らく村長は見送りというより出ていくのを確認しに来たのだろう。他にも村人からの視線を感じる。余所者が出ていくまでは安心できないのだ。人々のその警戒心の強さに魔族とはそれほど恐ろしい物なのだとイズはこのとき初めて認識した。
「じゃあ行きましょう」
「そうだな」
 キリコの言葉にイズが頷く。村人からの視線で居心地がいいとは言い難い。
 アンナの両親からの感謝の言葉と長老の社交辞令のような挨拶を聞き、村を出ようとする二人をアンナが呼び止める。
 彼女が両手で抱えているのは昨日イズが見せてもらったあの本だ。
「お兄ちゃんまぞくについて、ぜんぜん知らないから」
 アンナは昨晩と同じように本をイズへ差し出す。
「だからこの本あげる。これを読んで、悪いまぞくとまおうを絶対やっつけてね!」
「あ、ああ。ありがとう......」
 アンナとも別れの挨拶を交わし終えた二人は、今度こそ村を出た。


「はぁ~」
 この本を受け取ってしまったということは、もしかして自分を勇者だと認めたことになるのではないだろうか。イズは再び大きなため息をついた。
 勇者イズの冒険は本当に始まってしまったのかもしれない。
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