01 ウツロ ~ 「虫」は自己否定の象徴
文字数 1,284文字
<キャラクター名>
ウツロ
<アルトラ名>
エクリプス
<能力>
虫を自在に操ることができる。
<投影タイプ>
自己否定
<解説>
やはりまず、主人公であるウツロの紹介をするのがよいでしょう。
わたしという人間の大部分を占める要素を投影した、とても大切なキャラクターです。
しかしそれゆえに、作中ではおそらく、彼がいちばん、気の休まることも許されず、苦しむことになるでしょう。
主観ではありますが、わたしが味わってきた、そしてこれからも味わうであろう苦痛を、ウツロはおしなべて、味わうことになると思います。
架空のキャラクター(という表現には、どこか引っかかるものがありますが)とはいえ、われながら残酷なことをしている気分です。
*
先のとおり、ウツロはその生い立ち、そこから生じるトラウマから、激しい自己否定の衝動に苛 まれています。
自分の存在は間違っている、自分は醜い、おぞましい……『毒虫』のような存在だ(本文中より引用)
ここで断っておきたいのは、「毒虫」あるいは単に「虫」は、何か特定の、生物としての虫を指しているのではなく、ウツロの中で、つまりわたしの中で、自己否定の「象徴」として、比喩的 に用いているのです。
存在そのものが、何かとてつもない罪悪なのではないか?
そんな「自責の念」に駆られる、キーワードなのです。
本作の構想自体は、わたしが中学生の頃だったと思いますが、ちょうどその頃、わたしは頭の中で漠然と、「なぜ自分は人間であって、虫ではないのか?」という、自身の存在に対する懐疑、要するに自己否定の発露だったのだと思いますが、それをすでに持っていたのです。
年齢にともなう成長とともに、その衝動もやはり成長していき、「本当は虫に生まれるはずだった、間違って人間になったのだ」とさえ、思うようになってきます。
やはり主観ですが、その耐えがたい精神的苦痛を、ウツロにはぜんぶ背負ってもらった形になります。
*
この小説を書きはじめてからのことですが、夢の中にまで、ウツロが登場するのです。
それはつまり、自分で自分自身を見ているということになるのだと思いますが、うずくまって、言葉も発せない様子で、静かに落涙しているのですね。
自分は何か、とんでもないことをしでかしているのではないか?
その夢を見るたびに、そう考えてしまいます。
しかしながら、とてつもなく漠然としていますが、小説の中でウツロが救済されたとき、わたし自身の存在にも救済が与えられる、そんな気がするのです。
ウツロが冷たい鉄格子を破ったとき、彼は心の底から笑っているのではないか?
そんな曖昧すぎる期待感、何の証明もないことが、わたしの小説を書く、最大の原動力となっているのです。
たとえ矮小 な虫にすぎないとしても、這 い続ける虫でありたい(本文中より引用)
それを実際に行うのは、ウツロにとっても、わたしにとっても、長く、つらい道のりかもしれません。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんのよりそいの心に、深く御礼申し上げます。
それでは今回は、この辺りで失礼いたします。
ウツロ
<アルトラ名>
エクリプス
<能力>
虫を自在に操ることができる。
<投影タイプ>
自己否定
<解説>
やはりまず、主人公であるウツロの紹介をするのがよいでしょう。
わたしという人間の大部分を占める要素を投影した、とても大切なキャラクターです。
しかしそれゆえに、作中ではおそらく、彼がいちばん、気の休まることも許されず、苦しむことになるでしょう。
主観ではありますが、わたしが味わってきた、そしてこれからも味わうであろう苦痛を、ウツロはおしなべて、味わうことになると思います。
架空のキャラクター(という表現には、どこか引っかかるものがありますが)とはいえ、われながら残酷なことをしている気分です。
*
先のとおり、ウツロはその生い立ち、そこから生じるトラウマから、激しい自己否定の衝動に
自分の存在は間違っている、自分は醜い、おぞましい……『毒虫』のような存在だ(本文中より引用)
ここで断っておきたいのは、「毒虫」あるいは単に「虫」は、何か特定の、生物としての虫を指しているのではなく、ウツロの中で、つまりわたしの中で、自己否定の「象徴」として、
存在そのものが、何かとてつもない罪悪なのではないか?
そんな「自責の念」に駆られる、キーワードなのです。
本作の構想自体は、わたしが中学生の頃だったと思いますが、ちょうどその頃、わたしは頭の中で漠然と、「なぜ自分は人間であって、虫ではないのか?」という、自身の存在に対する懐疑、要するに自己否定の発露だったのだと思いますが、それをすでに持っていたのです。
年齢にともなう成長とともに、その衝動もやはり成長していき、「本当は虫に生まれるはずだった、間違って人間になったのだ」とさえ、思うようになってきます。
やはり主観ですが、その耐えがたい精神的苦痛を、ウツロにはぜんぶ背負ってもらった形になります。
*
この小説を書きはじめてからのことですが、夢の中にまで、ウツロが登場するのです。
それはつまり、自分で自分自身を見ているということになるのだと思いますが、うずくまって、言葉も発せない様子で、静かに落涙しているのですね。
自分は何か、とんでもないことをしでかしているのではないか?
その夢を見るたびに、そう考えてしまいます。
しかしながら、とてつもなく漠然としていますが、小説の中でウツロが救済されたとき、わたし自身の存在にも救済が与えられる、そんな気がするのです。
ウツロが冷たい鉄格子を破ったとき、彼は心の底から笑っているのではないか?
そんな曖昧すぎる期待感、何の証明もないことが、わたしの小説を書く、最大の原動力となっているのです。
たとえ
それを実際に行うのは、ウツロにとっても、わたしにとっても、長く、つらい道のりかもしれません。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
みなさんのよりそいの心に、深く御礼申し上げます。
それでは今回は、この辺りで失礼いたします。