第2話

文字数 3,868文字

 漫然と質問に答えているうち、気づけば結構な時間が経っていた。

「ご質問はまた後で受け付けますので、ひとまず先へ進みましょう。この先は品質管理検査室となっております。収穫野菜の検品をする様子が見られますよ」

 専門のスタッフが待っているはずなので、一本道の通路を進むよう客たちを促して、僕は最後尾へ回る。
 1人、ディスプレイを見つめたまま動かない客がいた。
 単独旅行者と思われる高齢男性だ。白髪で、アジア系の容貌をしている。

「他の皆さん、先へ進まれましたよ。何か気になるものでもありましたか?」
 英語で話しかけると、彼はハッとした様子で「すみません」と頭を下げた。日本ルーツだとすぐにわかる仕草だ。先方も僕のネームプレートに目をやり、「日系ですね」と呟く。
 妙な親近感を抱かれてはと、つい身構えた。名前が日本風(ジャパニーズ)なので、勝手なイメージを持たれてしまうことが多いのだ。

 日本国は、数十年前に起きた海底火山の噴火の余波をもろに食らい、国土の40%を海中に沈めることとなった。現在は人の住めない水没国家となっていて、全国民が国外に脱出し、移住地と日本の二重国籍を許されている。
 僕も祖父母の代に北米大陸に移住した家系の3世だ。
 母から日本の文化や言語をひと通り教えられてはいたが、正直なところ、自分のルーツであるという以上の感情を抱いたことは一度もない。在りし日の故国の姿を懐かしむような話題を振られても困るのだが、高齢の日系人観光客は、なかなかの確率でその話題を繰り出してくるのだった。
 でも、今回の男性の口から出てきた言葉は、想像とは少し違っていた。

「レゴリスでしたっけ、月の土。あれは、焼き物もできるんですか?」
「は?」
 思わず、客前では出したことのない声と表情が出た。
 ヤキモノ。
 しばらくしてから、忘れかけていた日本語が脳裏に浮かぶ。

「ああ、陶磁器類のことですね。レゴリスを利用してガラス質の器を作っている会社は聞いたことがありますが、いわゆる陶磁器ですと……」

 記憶に何か引っかかるものを感じ、僕は脳波で生体デバイスにアクセスし、AIを起動した。他の質問ならいざ知らず、土のことはやはり気になる。
 埋め込み型(インプランタブル)ネイティブと呼ばれる僕ら世代の人間は、大抵が極小デバイスを耳の後ろなどの皮膚下に埋め込んで、インターネットやAIを脳波経由で利用している。
 利用中は表情が硬くなることもあり、年配客で嫌がる人が多いから、観光客を前にしている時はなるべく使わないよう、上層部から通達が来ているのだが。
 瞬く間に検索結果が出た。

「ないことはないですね。レゴリスと同成分の模擬砂(シミュラント)を使った例ですが、宇宙焼き物師を名乗るアーティストが何名かいて、既存の陶土に混ぜ合わせて使っているようです。さすがにレゴリス100%の例は見当たりませんね」
「宇宙焼き物師……」

 その部分を呟いてしまう気持ちはわかると思った。検索をかけたついでにざっと概要を見たが、呆れた連中だ。主な活動場所は全員が地球。軌道エレベーターの利用が普及したこの時代に生きていながら、地球から出もしないでシミュラントを部分的に使用しただけの作品を作り、宇宙を名乗るとは。
 てっきり僕と同様の印象を受けたのかと思いきや、白髪の男性は真剣な顔つきをしていた。ごつごつした自分の掌を、じっと見下ろしている。
 
 土に関する仕事をしている人なのかなと、ふと思った。
 見覚えのある掌をしていたからだ。普通なら他の部分より肌の色が明るく見えるはずなのに、皮膚の皺や指紋の間に日常的に泥が入り込むと、色味がくすんで薄汚れた印象になる。僕も地球で土壌学を学んでいた学生時代は、そんな掌をしていた。

 カズマ、と呼ぶ声がする。品質管理検査室のスタッフだ。
「あ、もう行かないと。次の説明が始まりますよ」
「相田さん、お願いがあるんです。あとでお時間いただけませんか」
 さっさと前へ進んでほしかった僕は、反射的に「もちろんです」と答えてから、質問ではなくお願いと言われたことに気付いた。

     *

 スケジュールが立て込んでいるから、ランチの間なら時間を取れる。そう伝えると中村さん――例の白髪の単独旅行者――は、せっかくの<月野菜ランチセット>をゆっくり味わうことなく、さっさと胃袋に収めてしまったらしい。
 僕も社食のきつねうどんを、いつもの半分の時間で食べ終える羽目になった。
 飲み物の自販機が並んだ休憩スペースで席を勧め、向かい側に腰を下ろす。
 正直、気が進まなかった。昼休憩の時間を観光客に差し出すのは初めてだ。

「休憩時間に申し訳ない。どうしても聞いていただきたい話がありまして……」
「いえ、まあ、僕にお手伝いできることなら良いのですが」

 中村さんは神妙な顔つきをして、膝の上に抱えたリュックの中から、ぐしゃぐしゃに丸めた紙の球に見えるものを取り出した。
 机の上に置くと、ゴトリと重い音がする。
 どうやら紙は梱包材で、中には固形物が包まれているらしい。レタスの葉のように紙を剝がしていくと、中から赤っぽい球体が現れた。
 見た目は素焼きの土器だ。結構大きくて、サッカーボールくらいのサイズがある。
 表面には日本語のひらがなで“ひのとり”と、恐らく筆で書かれていた。
 なんだこりゃ。
 率直な感想を心の中で漏らすと、答えるように中村さんが口を開いた。

「信楽焼の球体です。これは、素焼きの状態ですが」
「えーと、もう一度お願いします」
「信楽焼。日本の伝統的な焼き物なんですが、知りませんか」

 シ、ガ、ラ、キ、ヤ、キ。一音ずつ区切って言われてもわからない。僕は異文化コミュニケーション支援AIを起動させ、シガラキヤキの意味を脳波で問いかけた。いくつかの画像と簡潔な説明が、視覚野と言語野に展開された。

『信楽焼
 日本国の滋賀県甲賀市信楽を中心に産出されてきた陶器。
 2017年、日本六古窯のひとつとして日本遺産に認定。
 一般には狸の置物が有名。』

「あっ」
 思わず声が出た。この狸、どこかで見たことがある。
 ややあってから、祖母が車のスマートキーにぶら下げていたのだと思い出した。とぼけ顔で平たい帽子を被り、酒瓶を抱えて、鈴と一緒に確かに揺れていた。
 
『可塑性を持ち、こしが出るので、大物や肉厚の物を造るのに最適。細工しやすい粘性があるため、小物づくりにも適している。』
more.
『分類としては炻器(せっき)に属し、焼成温度は1100~1250度。
 高温で焼成することで、土中の鉄分が赤く発色し、特徴的な緋色を生じる。』
more.
『時代ごとのニーズに応じた多様な変化を経てきたが、現在、日本国の水没により陶土の入手が困難となり、伝統の断絶が危ぶまれている。
 管理伝統工芸士は中村孝雄。後継者未定。』
more.
『管理伝統工芸士は、水没期の日本で成立した制度。1工芸につき1名以上が日本国から委嘱され、伝統の継承と保存及び、他の伝統工芸士を統括する。』

 おや、と思った。偶然だろうか。目の前の人も中村さんで、確か名前は。

「もしかして、信楽焼の管理伝統工芸士さんですか?」
 半信半疑で尋ねると、中村さんは目をちょっと見開いてから頷いた。
 なるほど、土を扱う人の掌をしていたわけだ。
 しかし……と、僕は戸惑う。
 信楽焼の管理伝統工芸士が月に来てまで、一体何の用だろう。
 疑問を察したかのように、中村さんは居住まいを正すと、静かに口を開いた。

「この球体は、宇宙焼き物師を名乗る孫が作ったものです。私の手元にあった信楽焼の、最後の陶土を使いましてね。作品に納得したら、後継者に指名しろと」
「えっ……そうでしたか」
 
 “最後の陶土”という部分が気にかかった。起動したままのAIが敏感にそれを察知し、すぐに情報を送ってくる。

『信楽焼 最後の陶土
 日本水没前、滋賀県は海外の姉妹都市に協力を仰いで、信楽焼の陶土を大量に持ち出し保存した。一部は将来的な土壌分析のために永久保存とし、残りは使用分として管理伝統工芸士の管理下に置かれた。数十年で枯渇すると予想され、模擬陶土の作成を視野に入れた技術の継承方法が議論されている。』

 つまり、使用分の最後の陶土を孫に使わせたということか。先ほどの検索結果には、後継者は未定と出ていた。そのポジションを狙っている孫が、祖父に認めてもらうために作品を制作したということだろう。よくわからないが、管理伝統工芸士というのは、そんなに儲かる仕事なのだろうか。

「実を言うと私は、後継者を育てるつもりがありませんでした。
 日本が水没した当初こそ、伝統を守るのだという使命感に燃えましたがね。
 収入としても微々たるものですし、ほとんどの伝統工芸士は副業で生計を立てるのが当たり前です。他国に馴染んだ若者世代にまで背負わせる必要はないのではないか。彼らには他にもっとやるべきことがあるのではないか。そう思ったのです。
 それに信楽焼は、土地の土で作るから意味がありました。
 孫にもそう言ったのですが……あいつは、信楽焼を復活させるとか、妙なことを口走りましてね。やるだけやったら気が済むだろうと、最後の陶土を渡したのです。
 孫によると、この球体は、月面に置いて初めて完成するのだそうです。
 どういうことなのか、私にはさっぱりわかりませんが……」

 中村さんの視線が“ひのとり”と書かれた球体からこちらに移った。
 膝に両手をつき、彼は落ち着いた仕草で、深々と頭を下げた。
「お願いです。こいつを月面に置いて観察し、様子を知らせていただけませんか」
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