第6話

文字数 2,940文字

『低軌道を周回する宇宙観光船を予約した。地球一周の旅だ。万里の長城を見つけるのが密かな楽しみ。それを終えたら次は、いよいよ月へ出発だ。
 “ひのとり”を預かってくれそうな人に、目星は付けてある。
 HPで調べたら、同じ日系人の職員が案内をしているらしい。日本ルーツなら、信楽焼を知っているかもしれない。その進化系だと言ったら、少しは興味を持ってくれるんじゃないか。宇宙的な視点で、何か活用法を見出してくれたら嬉しい。』

 電子ノートの日記の最後のページには、そんなことが書かれていた。
 別のファイルには“ひのとり”に使用した陶土の成分が細かく乗っていた。
 使用する全ての土について、月面に放置した場合の収縮率と耐熱耐寒温度を割り出した計算式や、気の遠くなるような実験の記録までもが。

 僕は日記に戻り、ページを(さかのぼ)った。
 何かしていないと、指先の震えが全身に広がりそうだった。

 宇宙焼き物師の肩書や月面に立つ信楽焼の狸を、滑稽に感じた自分を思い出す。
 何もわかっていなかった。
 どこにいようと全力を尽くす人は、そうしている。
 与えられた環境で、手の届く方法で、突き抜ける情熱で。

 “あの宇宙観光船の事故”の代償は、観光客の減少なんかじゃない。
 そのことを僕はたぶん、初めて思い知った。

「あいつの両親、娘夫婦には、ひどく罵られました。
 なぜ最後の陶土を渡したのか。陶芸など教えたのか」

 中村さんの声がぽつぽつと降る雨音のように、耳に届いた。

「忙しい娘夫婦に代わって預かりがてら、土で遊ばせているだけで、教えているつもりなどなかった。それが同じような道を選んで、後継者にしろなどと言う。
 重荷になるとわかっていたから、表向きは渋っていたが、内心私は、嬉しくてね。
 沈みゆく国の伝統を守って何になる、無駄じゃないのかと思っていたが、若い世代が受け継ごうとする価値があったのだと、密かに自慢に思ったものです。
 それが、こんな結果を招くことになってしまった」

 中村さんは項垂(うなだ)れたまま膝に手をつき、さらに頭を下げた。

「相田さん、写真とメッセージを、ありがとうございました。
 最後の作品があなたのような、実際に宇宙で仕事をしている方の目に留まって、あいつも本望だったと思います。
 その電子ノートは差し上げます。陶土について書いてあるようですから、孫の生み出した配合が必要なら、どうぞ使ってやってください。
 あいつのしたかったことを見届けることができて、私は満足です。
 あなたにまで、このような話をすることになってしまい、申し訳ない」

 何度もお手間を取らせてしまって、すみません。
 日本式に謝罪を重ねて、中村さんは静かに席を立った。

「あの、中村さん」
 ほとんど反射的に、声をかけていた。
「この日記、全部読みましたか」
 しばしの沈黙を置いて、中村さんはゆるゆると首を横に振った。

「……いや、辛くてね。最後のページと、他のファイルを少し覗いただけで」
「行きましょう」
 席を立ち、僕は歩みを促した。不思議そうな目を向けられた。
「お孫さんの気持ち、直接見てほしいから、行きましょう」

 僕は戸惑う中村さんを連れ、関係者以外立ち入り禁止の廊下に招いて、建物の奥へと進んだ。
 こんなこと見つかったら、確実に処分ものだ。
 突き当りの扉をロック解除すると、<ジャスミン>の操縦ブースが現れる。
 生体認証を済ませて起動シーケンスを進めているところで、別の職員に見つかってしまった。
「あれ、何してるんですか。その人、観光客じゃ……」
 僕は口の中で舌打ちして振り返り、何食わぬ顔を装う。
「ゲストだよ。大丈夫だ」
「え、聞いてないですけどねえ。通行証はお持ちですか?」
「土のプロなんだよ。陶芸家だ、信楽焼の」
「シラガ? 有名なんですか?」
 シ、ガ、ラ、キ、ヤ、キ。1音ずつ区切って教えてやったのに、通じない。
「聞いたことないなあ。とりあえず一度、事務室に戻って手続きを……」
 こんな時にうるせえな。
 僕はとうとう、苛立ちに任せて怒鳴りつけた。
「シガラキヤキ! 有名なジャパニーズタヌキだよ、知らねぇのか!!」
 相手はたじろぎ、目を白黒させながら部屋を出て行く。
 誰か呼びに行ったかもしれない。急がなければ。

 僕はまず、<ジャスミン>に記録された観察初期からの映像を再生した。

 赤い素焼きの“ひのとり”。
 初めて月面に立った信楽焼の「狸」。
 太陽フレアによって翼を広げ始めた「鳥」。
 何もかもが砕け散った後に残る「緑」。

 ブザーが鳴って、エアロックの減圧が完了したことを知らせた。
 すぐに<ジャスミン>を分厚い扉から放出し、モノクロの月世界へと進ませる。
 地球より月の方が星がよく見えると考えている人がたまにいるが、誤解だ。大気のない空は太陽光ですら拡散させない。漆黒の背景に白いレゴリス。それが月だ。

 生も死もない、その荒涼たる沙漠のような場所に、宝石のような緑が現れたら。
 人類は歓声を上げる。それはもう、たくさんの人と僕自身で実証済みだ。
 モニター画面に大写しになったガラス製の双葉は、周囲のレゴリスと同じ成分だからだろうか。いつも不思議と埃にまみれておらず、瑞々しい輝きを保っていた。
 きっとこれも、彼の計算の内なのだろう。

「お孫さん、すごい人ですよ」
 操縦席に座ったまま、僕は低く呟いた。
「地球にいながら月のことを調べて、土のことも調べて、収縮率とか帯電性とか太陽フレアとか、全部調べて実践して。こういうの、なかなかできることじゃない。
 あなたが守ってきた信楽焼を、宇宙に出したかったからです。
 人間と一緒に、連れて行きたかったんです」

 人類はもう火星を目指している。
 この先、地球はどんどん遠くなるだろう。
 他に大事なことはたくさんある。
 水没した国のたった1つの文化を守り続けたことに、意味はあったのか。

 そんな中村さんの葛藤を彼は、鮮やかにぶち壊してみせたのだ。
 日記のとあるページに、こう書かれていた。

『陶土はもうない。でも信楽焼は、月面で進化を遂げた最初の焼き物になる。
 形がなくなっても、記録さえ残れば、人類はこれを忘れないだろう。
 月でも火星でも、シガラキヤキと言えば通じる日が来る。
 他の惑星のレゴリスから作られた器はそのうち、全てがシガラキヤキと言われる。シガラキヤキが焼き物を意味する宇宙共通語になる日が、絶対に来る。
 無駄なことなんて1つもない。宇宙はそういう場所だと、俺は思う。』

 中村さんは微動だにせずモニターを見つめていた。
 廊下から複数の足音が聞こえてきて、空気がにわかに騒然とした。
 何してんだ、カズマ。上司の声がする。振り返った僕の目は赤かっただろう。
 部屋に入ってきた職員たちの視線が、僕を通り越してモニター画面を見た。
 わあっと驚愕の声が上がり、誰もが度肝を抜かれた顔つきで、立ち尽くした。
 ぽかんと口を開けたその顔。僕は嬉しくて、おかしくて、思わず笑った。

 おい、やったぞ。
 宇宙のどこかにいるだろう彼に、呼びかけた。
 君の作品は記録に、記憶に残った。
 他の誰が忘れても、僕は忘れない。ここにいる奴らもきっと忘れない。
 細胞に抱えたまま、いつかその日が来たら、宇宙の果てまで会いに行く。
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