第5話

文字数 1,536文字

 あまり知られていないことだけれど、月面のレゴリスには緑やオレンジの微細な色ガラスも混じっている。隕石が衝突した際の熱で表土のケイ素がガラス化し、その時に化学反応を起こして、そうした色がつくこともあるのだ。
 
 「鳥」が消え去った後に残っていたのは、そうした緑の月面ガラスを融解して形成したと思しき、植物の双葉を模した小さなオブジェだった。

 生命が育まれることのない、有機物皆無の月面にふさわしい、鉱物性の植物。
 樹木の果実が甘く熟すのは、鳥に種ごと食べてもらい、糞として排出された場所で発芽するためだと、聞いたことがある。
 炎で生まれた焼き物の鳥は、ガラス製の双葉を残すのだ。

 僕はその写真も撮って電子メールで送ったけれど、中村さんからの返信はなかった。いろいろお願いしてしまったから、調整が難航しているのかもしれない。
 宇宙焼き物師で中村姓の人を検索してみたけれど、ヒットしなかった。作家としての名前は本名と別にしているのだろう。全員のプロフィールを調べてみても、祖父の中村さんと繋がる情報は非公開にしているらしく、絞り込めなかった。

 “ひのとり”が完成したことは明らかだ。ガラス製の双葉は、月面に元々ある安定した素材から作られているので、隕石がぶつかって砕けない限り、もう変化を起こすことはない。
 それなのに僕は<ジャスミン>を操作するたび、荒涼としたモノクロの世界に忽然と現れる鮮やかな緑に、会いに行ってしまう。
 日々の業務をこなしながら僕は、電子メールの着信を待ち続けた。

     *

 窓ガラスの向こうに広がるレタス畑を見せると、観光客たちからはやはり、思いがけず知己に出会った時のような歓声が上がった。
 軌道エレベーターに乗り、漆黒の宇宙空間を抜け、はるばる月面までやってきた彼らが緑にどんなに輝きを見出しているのか、以前よりもわかる気がする。

「最近ちょっと、増えてきましたね」
 ここまで観光客を導いてきた女性職員が呟き、頬を緩ませて去っていった。
 確かに少し増えたようだ。今日はどんな顔ぶれだろうと1人1人の顔を見て、ある人物に目が留まり、僕は思わず「あっ」と声を上げた。
 白髪でアジア人の容貌の、単独旅行者らしき高齢男性。

「中村さん!」
 名を呼ぶと彼は少し微笑み、どうも、と頭を下げた。
 お孫さんと連絡を取りたいと電子メールで打診して以来、かれこれ2か月ほど経っているだろうか。返信はまだ来ておらず、体調でも崩したのかもしれないと心配していたのだ。まさかこうして本人が再び訪れてくれるとは。

「見学されるんですか?」
「いや、今日は相田さんに会いに来たんです。どうしても直接お話したくて」

 急遽、同僚と案内役を交代してもらうことにして、僕は中村さんを談話室に誘った。お孫さんも連れてきてくれたのかと思ったけれど、彼は1人だった。

「お久しぶりです。メール、見てくださったか心配していたんですよ」
「返信せずにすみません。どうも文章にするのが難しかったもので」

 丁寧に頭を下げると彼は、背から下ろしたリュックを膝に乗せた。
 そして中からおもむろに、1冊の電子ノートを取り出した。
 手書きに特化した記録端末だ。アイデアをメモ書きやイラストで直感的に残したい、アーティストタイプの人間に好まれていると聞く。

「あなたにこれを、どうしても自分で渡したかったのです。
 内容はコピーですが、孫が書いたものでね。例の“ひのとり”と一緒に、ホテルの部屋に残されていたのです。
 孫はその日、ホテルを出発して、あの宇宙観光船に乗りました」

 一拍置いて僕は、その言葉の意味を理解した。
 中村さんと目が合う。
 頷こうとして中村さんは、不意に目尻を歪めた。
 端末の暗い画面に大きな水滴が落ちた。
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