第48話 善の花

文字数 2,018文字

 むし暑い朝だった。山倉は物音で目が覚ました。

縁側に出ると、庭先に、朝顔の鉢が2つ並べて置いてあった。

ひとつはよく見る朝顔だが、もうひとつは見たことのない朝顔だ。

「おえい。この朝顔はどうしたえ? 」

 山倉はすぐに、女房のおえいを呼んだ。

「さっき、勇助さんが置いて行ったんですよ。

ひとつは、育種に成功した変化咲きだそうです。

見比べてほしいと、2つ置いていったんですよ」

 おえいが穏やかに告げた。

「菊蔵の野郎。まだ、育種をやっていたのか? 」

 山倉は庭に出ると、2つの朝顔を見比べた。

勇助の店の番頭、菊蔵が育種に情熱を注ぐあまり

主殺しの疑いをかけられたり、店の金を使い込んだとして

大騒ぎになったことが昨日のことのように思える。

さすがに、もう、やめたと思っていたが、

今度は、朝顔の育種に挑戦したらしい。

育種=品種改良

「どうやって、資金を集めたんだ? 」

 山倉が訊ねた。

勇助は店を継いでから、堅実な商いを続けていると聞いた。

店の金を出してまで、賭けに打って出ないはずだ。

「講を結成して、出資者を募ったと聞きました。

たしか、湊屋の先代も参加なさっていたそうです」

 おえいが答えた。

(朝顔の鉢が、お礼の品というわけなのか? )

「そいつはおかしいじゃねぇか。わしは何も知らねぇぜ」

 山倉は首を傾げた。

たとえ、話が来ても受けなかっただろう。

自分ではないとすると、他に考えられるのは‥‥ 。

山倉が、与六が住む小屋の方をふり返ると、

与六が居心地悪そうに、小屋の前に立っていた。

「花合わせの番付にも載ったそうでさあ」

 与六が苦笑いすると言った。

「そう言えば、湊屋さん、何か祝い事があったみたいですよ」

 おえいが気になることを言った。

「祝い事が何なのか、確かめに行きませんか? 」

 与六が好奇心丸出しで言った。

「喜三郎の件で伝えたいこともあるし、行くとしよう」

 山倉がそう言うと、急いで、身支度を整えた。

検死の結果、喜三郎は、心臓発作で急死したことがわかった。

裏長屋で、孤独死したことは残念ではあるが、

事件ではなかったことで、どこか救われた気もした。

 葬式が済んで間もないと言うのに、店を開けていた。

「いらっしゃいませ」

 おすまが、店先に立ってあいさつしていた。

「先代の死因がわかったぜ」

 山倉が単刀直入に、用件を伝えると、おすまの顔から笑顔が消えた。

(さすがに、いきなり、本題に入ったのはまずかったか? )

山倉が、しくじったと思い下を向いた時だった。

「美味そうな匂いでさあ」

 与六が鼻をくんくんさせると言った。

「ちょうど、味噌汁が出来上がったところです。

どうぞ、お召し上がりになってくださいまし」

 おすまが愛想良く、2人を店の奥へ案内した。

店の奥の一角に、以前はなかった上がり座敷が設けられていた。

すでに、2席が埋まっていた。

2人は物珍しそうに、味噌汁を味わう客たちを眺めながら席についた。

「いつから、茶屋に変わったんだ? 」

 山倉が言った。

「生業は乾物屋のままです。店の品を知っていただくために、

無料で、味噌汁をお出ししています」

 おすまがにっこり笑うと言った。

「そんな余裕があるのかい? 」

 与六が意地悪い質問をした。

借金地獄のため、新しいことに挑戦する余裕はないはずだ。

「先代は、新しいことがお好きでした。これも、先代の案なんです」

 おすまが、喜三郎を先代と尊敬の念を込めて呼び、

治平とおすま夫婦が先代の意志を継いだと知り、

旅立った者と残された者との間にわだかまりはないと確信した。

その後、おすまははずんだ声で、この数日間に起きた奇跡の出来事を語った。

祖母のおたみが亡くなった後、おたみが愛用していた

箪笥を整理していたら、高価な着物がたくさん出て来た。

借金の返済にあてるため、古着屋へ持って行ったら、

高価な品なため、扱えないとことわられて、今度は、

呉服屋へ持ち込んでみた。すると、呉服屋が高値で買い取ってくれた。

その後、借金をふみ倒した大名の江戸屋敷から、

天明の大飢饉の後、喜三郎が快く、大名貸しに応じたことが、

善行に値するとの判断が下って、褒賞金をいただいた。

何でも、幕府が全国に、「孝行奇特なる者」の調査を命じたため、

奇特なる者のひとりに、喜三郎を選んだらしい。

着物を売った金と褒賞金が、借金返済の足しになっただけでなく、

生前は、災いの元だった先代や大女将も、これで汚名返上が出来た。

「他にも良いことがあったんです」

 旅装束姿の平八が話に加わった。

「他に良いこととは何だ? 」

 山倉が身を乗り出すと訊ねた。

「契約を打ち切られた取引先が戻って来たんですよ」

 平八が答えた。

「旅にでも出るみてぇな恰好だなあ」

 山倉が言った。

「さようで。これから、上方へ参りやす。

大口の取引がまとまりそうなんでさあ」

 平八はそう言い残すと、風のように去って行った。

 店を出ると、「黒松屋」の方角に、火の手が上がっているのが見えた。

 2人は急いで火事場へ向かった。

 



 
 





 













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