第32話 あじさい祭り

文字数 1,266文字

 六兵衛は明日にも、菊蔵を奉行所へつきだすつもりだと息巻いていたが、

1週間経っても、「越前屋」の者が、番頭を奉行所へつき出す様子はなかった。

山倉は気になって、「越前屋」の様子を確かめに行った。

すると、「越前屋」の前には、黒山の人だかりができていた。

菊蔵が期待した通り、新種の紫陽花は、客の目を引いたらしい。

「いらっしゃいませ。あら? 」

 店から出て来た女中が、山倉に気づくと会釈した。よく見ると、

その女中は、勇助の幼馴染のお園だった。

「店番かい? 繁盛しているじゃねぇか」

 山倉が、店の前に群がる客を遠巻きに眺めると言った。

「おかげさまで。一時はどうなることかと思いましたが、

番頭さんの策が上手いこといきまして、

今では、新種の紫陽花を求めるお客様が後を絶たない盛況ぶりですよ」

 お園が穏やかに言った。

「あのあと、店はどうなったかと心配していたが、この分だと、大丈夫そうだ」

 山倉がほっとしたように言った。

「山倉の旦那」

 山倉が帰ろうとした矢先、勇助が駆け寄って来るのが見えた。

「大変だったが、終わり良ければ総て良しだな」

 山倉が言った。

「あの。ずうずうしいお願いなんですが、

おたえちゃんと最後にもう1度、会えるようにして頂けませんでしょうか? 」

 勇助が頭を下げると言った。

「かまわねぇが、なんだ、今になって、

別れを告げたことが惜しいと思いなおしたのかい? 」

 山倉がぶっきらぼうに言った。

 もし、勇助が復縁を望んでのことだったら、

山倉は、願いは聞き届けないつもりだ。

ズルズルと、報われない恋愛に縛られるほどむごいことはないからだ。

「惜しいとは思っていません。

おたえちゃんのことは好きでしたが、今思うと、御家人株を買ってまで、

身分違いの恋を成就させようとは浅はかだったと思います」

 勇助が苦み走った顔で言った。

「相分かった。おたえちゃんをそれとなく、あじさい祭りにでも連れ出すさ。

おめぇは偶然、来ていたということにしょう」

 山倉は、勇助を信じておたえとの間の仲立ちを請け負った。

 あじさい祭り当日。山倉は、小五郎におたえを迎えに行かせた。

それと言うのも、赤城家に行けば、

多聞と顔を合わせることになりかねないと思ったからだ。

小五郎とおたえとの間の縁談話で、

親戚になりかけた2人であるが、前回の事件で、

手柄を横取りされたうらみは残ったままだった。

どこでどうなったのか、

菊蔵が釈放されたことや「越前屋」が菊蔵を

奉行所へつき出すことを思いとどまった黒幕が

山倉ということで、赤城の耳に届いたらしく、

2人の仲はぎくしゃくしていた。

どうやら、赤城は、山倉が1度は、菊蔵を罪人としておきながら、

その後、撤回したことが気に食わないらしい。

「おじさん。おたえちゃんを連れて来ました」

 小五郎が、おたえを連れて現れた。

「おじさんも、ご一緒だとは知りませんでした」

 おたえが言った。山倉の目には、おたえが、

小五郎と2人きりではないことをガッカリしているようにも見えた。

あじさいが咲き誇る道を歩いている時だった。

向かい側から、勇助が歩いて来るのが見えた。






 



 


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