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文字数 3,258文字

 ズッダンズズダン、ズッダッズッダッ・・・・・・。
 スローリーなテンポから一転して、次のナンバーは、超絶早いドラムがリズムを刻む。
ワーッと、観衆のどよめきが大きくなり、みんながいっせいに手拍子を始めた。叫聖朱ファンにはおなじみのナンバー『紅海』の演奏が始まったのだ。
「紅海だーーーーー!!!」
 吉雄が絶叫すると、ファンも、バンドのメンバーも呼応して絶叫する。ハイスピードなビートが、全てを包み込むようだった。


♪紅海♪
 ドントルックバック ナイルの大地を
 アウェイフローム オアシスの堕落
 砂の嵐が吹きぬける 荒野へ
 異民族の支配にもう耐えられない
 すれ違う王と預言者
 幼児(おさなご)が死んでゆく

 俺たちは走り出すんだ。追って来るのは軍勢
 神がそばにいることをそれだけを信じて走れ

 紅海 紅海 俺たちを止める奴はいない
 紅海 紅海 海が割れるぜ 道ができるぜ

 紅海 紅海 俺たちを止める奴はもういない
 紅海 紅海 海の神様 子牛じゃねえぜ


 パスポートがどうとか、ビザがどうとか言われても、わかるわけがない。おまけに不法入国、不法就労、だのさらに意味不明な言葉に理解は追いつかない。
 ヨシュア、いや吉雄には、自分が置かれている状況がさらにさっぱり理解できなかった。
 朝の講義に間に合わないことを悟った万里子は、嫌々ながら・・・・・・というよりこのイケメンの外国人と離れたくないと感じた万里子は、そのままとって返して歌舞伎町の知り合いの店に吉雄をかつぎこんだ。
 勤務しているキャバクラではないが、万里子が頼りにしている友人がこの店で働いているのだ。
 その店の名は、二丁目の「ゴモラ」という。ぬっと店の奥から姿を現したのは、想像通りのそっち系のおねえさんだった。
「あっら~。万里子ちゃんじゃない~。それにとってもイ・ケ・メ・ンなそのおにいさんはどおしたのおおおお~」
 すべての発音に濁点がつくような発声をする、その「見た目は女、中身は男」なおに、、、ねいさんは、すぐに吉雄の手を取る。
「え?この人?どこから来たの?わかんないの?アメリカ人じゃないわよねえ。アラブ?中東?まあ、ヒゲロンゲがいけてるわあ。もしかして、あれ?テロとかそんなやつ?いっやーんこっわいいい」
 万里子と何やら自分のことを話しているようだが、何を言っているのかさっぱり理解できない。言語というより概念がそもそも意味不明なのだ。なんとか理解できるのは、自分がこの平たい顔の民族とは違い、彼らにとっては自分こそが異邦人であるということくらいだった。
 恐らくは神の思し召しか何かわからないけれど、遠い異国へ飛ばされてしまったらしい、と吉雄はごくりとつばを飲み込んだ。
「っでさあ、この人なーんにも持ってないのよ~。この変な服でしょ?あと、はだしだし、身分証みたいなの全然持ってないんだもん」
 万里子が困った顔をしている。
「いやあああん、税関?入管?捕まっちゃうううう」
 おっさ、、、、お姉さんがあっちょんぶりけな顔をして騒ぐ。
「捕まっちゃうよね、やっぱり。・・・・・・うーん、せっかくのあたしのタイプなのに、それはまずいなあ。よし、かくまっちゃう!」
 決心したかのように、拳を握りしめる万里子に、ゴモラのお姉さんも
「いざとなったら、いろんなヤベめな人紹介してあげるから、・・・・・・うふん。がんばっちゃいなさい~」
と、わき腹のあたりで手を振っている。
 かくして身寄りのない吉雄は、野々村万里子の6畳一間のアパートへ、転がり込むことになったのであった。これが神の思し召しだったのだとすれば、敬虔なる神の僕ヨシュアにとっては、とんでもない試練であったに違いない。ああ、神も仏もないというのは、まさにこのことを言うのである。

 そもそもなぜ、大学生の万里子がキャバ嬢という夜のバイトをせねばならなくなっているかといえば、彼女のもう一つの顔のせいであった。
 はっきり言って万里子のアパートの隅で、体育座りをしながら小さくなっている吉雄であったが、未だに一体全体何がどうなっているのかさっぱりわかっていない。
 もしかするとこれは夢で、悪魔による幻を見せられているのかもしれない、とも思う。そうだ、きっとそうだ。私はまだ死の縁を彷徨っていて、意味のわからない黙示録を神か悪魔に見せられているのだ、と必死で思い込むようになっていた。
「ああ、神よ、どうしてこのような試練を私にお与えになるのですか」
 そう吉雄は何度も何度も祈ったが、悪夢は全然醒めそうになかった。
 それどころか、はじめ天使かと誤認したこの女は、昼間は魔法のように姿を消していなくなるのに、夕方くらいになると変化して悪魔の本性を現すのだった。
 やっぱり悪魔だ。この女は悪魔に取り付かれている!と吉雄は混乱し、胸をかき乱されるのである。
「ねえねえ、これ見てみて、カワイイでしょ?でしょでしょ?」
 キャピキャピ飛びはねながら、万里子は服をあっという間に着替える。真っ黒な衣装、頭には角がついている。血の色の唇に変わり、牙が覗いている。茶色かった瞳が、いつのまにか片一方は緑、もう一方はブルーに怪しく光り、フリフリのたくさんついたふわふわの衣装に、これまた真っ黒なストッキングで金属鋲のついたガーターベルトな姿に化けるのだった。これこそ噂に聞く。悪魔以外の何者でもない。
「え?あたし?そうそうバンギャなのよ」
 ばんぎゃ?と聞いても、まともな読者にはなんのことかわかるまい。ましてや吉雄にも、何を意味するかわからない。説明しよう。
 バンギャ、とはバンギャルの略だと知っておいて損はない。そしてバンギャルは、バンドギャルの略だと知っておいて損はないだろう。どうして二回も略さなくてはならないのか、まったくもって我々には意味不明だが、この末法で世紀末な時代では、そういうことになっているのだから仕方がない。
 バンギャルとは、つまりは特定のバンドのおっかけをしている少女たちのことであった。そして万里子の格好の描写でなんとなく察しはつくだろうが、彼女はヘビメタバンドのおっかけをしていたのである。
 昼は大学生、夜はバンギャ。当然お金が足りない。だからライブのない日はキャバクラでバイトをして、そのお金を全部またバンドに貢ぐ。万里子の生活はその繰り返しである。それがめまぐるしく変われば換わるほど、吉雄には変化しまくる悪魔か妖怪に見えて仕方がないのであるが、それはまあ、そっとしておこう。
「そうだあ!吉雄も行こうよ!うちの推してるバンド、めっちゃカッコいいんだから!」
そういわれて、吉雄は引っ張り出された。さすがに最初の服のままではイケてないとかで、これまた鉄の鋲がついた黒づくめの皮ジャンのようなものを着せられる。
「あっら~。吉雄、なかなか似合うじゃない!いや~、やっぱりバンドから吉雄に乗り換えよっかな」
と、万里子は嬉しそうに腕を組んだりしてくる。
 黒尽くめの二人が夜のライブに出かける様は、もはやカップル以外の何者でもないのだが、吉雄はどんどんと、神の世界から悪魔の世界へ毒されていくのを感じていた。  
 ダメだ、と思えば思うほど、万里子のおっぱいがむぎゅ、と触れて近づいてくるのだ。
 神様こんな試練はむごすぎます!と思えば思うほど、万里子のいい匂いが漂ってくるのだ。
 これは、悪魔の誘惑だ!跳ね除けねばならない!
 そう思って万里子の絡んでくる腕をどかそうとするのだが、
「どうしたのー?腕痛い?ごめんね」
とか言われちゃったりすると、
「う、ううん。・・・・・・いや、なんでもない」
とそのままにしちゃったりもする。読者諸君も吉雄、頑張れ!負けるな!と心から応援したいと思っているだろうが、男子なら一度万里子に言い寄られてみるといい、それがいかに無駄な抵抗か思い知ることになるであろう。
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