1 序章

文字数 2,017文字

 それは、夏休み最初の夜中のことだった。おりしも満月はこうこうと夜を照らし、石狩川の両岸に集結した総勢100名以上の不良軍団の姿を不気味に浮かび上がらせていた。
 北海道の夏は短く、不良たちの気は短い。
「おらあ!かかってこいやあ北斗星!」
「なんだと!この石狩鍋!チャンチャン焼にしてやるべ!」
 お互いに口汚く罵り合うのは、道内でも一・ニを争う不良・ヤンキー・鼻つまみ者の巣として知られた北斗星学園と石狩川高校の面々であった。それぞれ竜虎をあしらった純白の特攻服や、あるいは今や絶滅したと思われた短ランとボンタンズボンに身を包みながら、今か今かと会戦の火蓋が切られるのを待っている。
 本来なら、どちらも信仰に篤いキリスト教系の私立ミッションスクールである両校の生徒であれば、品行方正・清廉潔白・文武両道・天真爛漫な生活を送っているはずであるが、そこはほら、家庭に事情のある生徒や中退者、あるいは元の学校で不登校になったといった問題を抱えた子供たちを全国から積極的に受け入れていた結果、多分に漏れず思わず母校に帰りたくなるようなヤンキー高校が出来上がってしまったのは想像に難くない。あまつさえ、そんな高校が石狩川をはさんで2つも存在するものだから、両校の生徒が真夏の夜の夢のごとくぶつかり合うのは、夏休みの恒例行事のようになっていた。
 かくして罵り合いと叫び合いは、一層の激しさを増し、ついにその戦いがスタートすることになる。
 「はんかくせえ!やっちまうべ!」
 そう叫びながら、飛び出していったのは石狩川高校2年の小田悠太だった。悠太は、北斗星学園の木刀軍団がひしめく対岸へ向かって、ざぶんと川へ飛び込んだ。それが合図になったかのように、両岸の生徒たちは奇声を上げながら全員が川の中へ突進を始めたのである。
 そうなったら後は、上を下への大乱闘となることは必定である。それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図、あるいは爆発する青春の血と汗と涙に相違ない。
 ある者は鉄パイプやら木刀やらを振り回し、とはいえ清流に足を取られながらひっくり返る。またある者は素手で相手高の生徒を殴りつける。そしてまたある者は、相手に馬乗りになろうとして飛び掛りながらそのまま川の中へ落とされるなど、絵に描いたようなヤンキー大戦争が繰り広げられるのであった。

 「うおおおお!」
 悠太も、大声を上げながら一番首を狙って敵陣へと突っ込んでいく。もっとも、もはや敵将が誰かなんてわからなくなっているので、相手なんて誰でもいいのだ。水面に叩きつけられる木刀をかいくぐり、アタタタタ!と繰り出される拳の嵐から身をかわしながら、北斗星高校の生徒に体当たりし、頭突きを食らわせながら進軍していった。
 誰かよくわかんねえけどぶん殴る。
 誰かよくわかんねえけど張り倒す。
 誰かよくわかんねえけど蹴り上げる。
 その時だった。
「悠太!危ねえうしろ!」
 誰かの声がして、とっさに振り向く。北斗星高校随一の巨漢がまさに両手で悠太に掴みかかろうとしていた。のけぞるように体をかわす悠太は、
「俺のハートに火をつけやがって!」
と今度は逆に巨漢のお腹目がけてタックルすべく飛び掛っていった。
 だが、その攻撃は実を結ばなかった。
「ぐふっ」
 悠太は、自分の体が水中に浸かるのを感じた。川底の石に生えた藻に足をすべらせて、そのまま顔面から水面に突っ伏したのである。ビチャン!だかバシャン!だが、ジャボン!だか、激しい水音がして、急激に自分の三半規管が機能を失うのを知った。
『・・・・・・やべえ』
 水を呑んだ。どっちが上かわかんねえ。俺、もしかして溺れたのか。このまま死ぬのかな。息が苦しい・・・・・・。
 そんな考えが一瞬のうちに脳裏を駆け巡る。真っ先に思い出したのは、実家の牛たちとサイロだった。草原のごとく広がる農場と、親父とお袋と、あれだけ嫌だった牛舎の掃除をしている自分と、ぐるぐる巻きになった牧草ロールと、それから、それから・・・・・・。
 悠太を構成する全ての記憶が、映画のように次々に見えるのを感じた。これが、走馬灯ってやつか。走馬灯って何かわかんねえけど。
 酪農なんて継ぎたくねえ!と暴れた中学生時代。盗んだバイクで走り出した十五の夜。嫌々ながら入った石狩川高校だけど、不良仲間と花見しながら5月に食ったジンギスカンは旨かった。なぜ花見が4月じゃないかって?そりゃあ寒い北海道だからに決まってるべや。
 そして、一人の女の子の横顔が浮かんだ。牧田真理恵、クラスのヒロインで、清楚な美少女。悠太がひそかに想いを寄せていた制服姿の真理恵が、学校に併設された礼拝堂のステンドグラスからの光を浴びて微笑んでいる姿だった。
『・・・・・・ああ、俺、やっぱり死ぬんだべ。最後に、真理恵ちゃんに告っとけばよかったなあ』
 悠太は、そのまま意識を失っていった。
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