24 大団円

文字数 2,441文字

 はじめガリラヤ地方で活躍し、エルサレムで十字架に掛けられたナザレのヨシュアという若者が、復活を遂げたのはその死から3日後のことであった。
「げほっ」
と例のごとく、ヨルダン川の岸辺で一人口から水を吐いたヨシュアは、それが確かに自分の故郷であることをすぐに理解した。そこは確かに、自分のもといた時代であった。
 なぜなら、まず一番に空気が清浄であったからである。20世紀の大都会東京で長い間過ごしていたのでわからなかったが、こんなにも空気そのものが美味しいとは思わなかった。空気はいくぶん大量の二酸化炭素に覆われた未来よりも乾燥気味ではあったが、そんなことは小さなことである。何よりも自分が生きていて、そしてイスラエルの地へ戻ってこれたことを神に感謝したのだ。
 あちらの世界での最後の瞬間の記憶は、もはやあいまいになっている。叫び、歌い、気がつけばヨルダン川のせせらぎが体を濡らしていた。

 びしょびしょになっていたライブ衣装から水をしっかり絞ると、彼は再びそれを身につけて、しっかりした足取りで歩きはじめた。
「私には、伝えたいことがあるんだ」
 イスラエルの民に伝えたい。この国にはこれから苦難が待っているが、同時に希望もあることを。神の意思に背けば、その苦難は長く続くだろう。しかし、神の意思を守れば、きっと希望は現実になるに違いない。その預言を、ヨシュアは実際に見て、聞いて、そしてここへ戻ってきた。
 あの世界は、きっと神が自分に見せたもうた黙示の映像のようなものだったのかもしれない、とヨシュアは思った。
 あるいは、自分が祭司とローマに捕えられ、十字架に掛けられたことも、痛みをともなう強烈なヴィジョンであったのだろうか。
 どこまでが現実で、どこまでが幻視だったのか、それはヨシュアには到底判断できない神のみわざなのだ。

 「ゴモラ」で見たニュース。テレビの映像。そこにあるはずのないヴィジョンが、たしかに映っているし見えている。けれどそれは、目の前でたしかに起きているのに現実ではなかった。
 あんなことが自分の身体で起きていたのかもしれない、とヨシュアは振り返る。けれど、どこまでが現実でどこからが幻かは、この際どうでもいいのかもしれない。
 神が意図なさっているのは、きっとこの体験を通じて、みんなにも何かを伝えることに相違ないからだ。
「みんなにもう一度会いに行こう」
とヨシュアは決めていた。
 仲間たち、支援者たち、みんなの顔が一人ずつ思い浮かんだ。早く、みんなに会いたい。そして、神から預かったこの体験を、みんなに話したい、とそう思った。
 万里子のことは忘れられそうになかったが、彼は頭をぶんぶんと横に振って、忘れようとした。
 私には使命がある。あるいは彼女とのことも、神が見せたもうた一時の励ましであったのかもしれない。ストイックな自分に欠けていた、「誰かを愛する」という感情を教えるために、神が与えてくれた体験なのかもしれない、とも思った。
 弱きもの、罪深きもの、傷ついたものを深く愛したい。そんな思いが、いっそう強くなるのをヨシュアは感じていた。
 一歩、一歩と確実に歩みを早めるヨシュアは、エルサレムへの道のりをしっかりと踏みしめるように進んでいった。

 しかしながら、その後彼に会った旧知の者がみな、最初それがヨシュアだと全く気付かなかった理由を、彼が理解するのにはかなり時間がかかった。
 なぜなら、彼は20世紀の高い技術で製造された、ウォータープルーフでUVカットなマスカラ、ファンデーション、チーク、そしてヘアスプレーでバッチリ決められた「叫聖朱」のメイクのまま、復活したからであった。
 水に濡れても、川に浸かっていても安心なそのメイク姿では、誰一人としてそれが復活したヨシュアであることに気付かなかったとしても仕方がなかったのである。


 さて、野々村万里子は、吉雄が姿を消してからしばらく抜け殻のような日々を過ごした。あれだけ夢中になったバンギャ活動も、すっかり熱が冷めたように、辞めてしまった。それだけ、吉雄たちとの活動に全てを捧げていたのであった。
「あのね、あたし故郷へ帰ろうと思うの」
 ゴモラのお姉さんたちに、万里子はそう言った。
「あっら~、さみしくなるわね~。でも、それもいいかもしれないわ。幸せがどこに転がってるかなんて、神様じゃないとわかんないんだもの」
「そうかもね。本当にいろんなことがあった東京だけど、やっぱりあたしには背伸びで向かなかったのかもしれない。なんだか最近、気分もすぐれないし、空気が悪いのかなあ」
「あははは、そりゃ新宿だもの。排気ガス大気汚染、騒音、飲んだくれのゲロ、なんでもありよ。・・・・・・ところであんた、地元ってどこなの?」
「ん?北海道」
「んまあ、どさんこだったの!道理で色白だと思ったわ」
「まあね・・・。う、やっぱり気分悪い。ごめんちょっとトイレ借りるわ」
 万里子はそう言って、うえええとエヅきながら店のトイレに駆け込んでいった。

 懸命な読者諸君ならすでに気付いたに違いない。万里子がこの時実は身ごもっていて、その子の父が誰なのかも。
 そしてそれから北海道に帰った万里子が、未婚の母として苦しい生活を強いられ、それを見かねて一緒になった元同級生の若者が「小田君」だと言うことも。
 しかし、その子は何も知らない。
 知っているのは、万里子と、神と、そしてこの物語を読んだあなただけなのだから。

 こうして、父と子と聖霊の物語は、・・・・・・ああそうだとも!世紀を超えた壮大な物語は本当に幕を閉じるのであった。
 信じるも信じないも自由ではあるが、この物語が真実であると信じた者だけが、もしかすると救われるかもしれないし、救われないかもしれない。
 その全ても、また神の思し召しなのだから。
 あなたに神のご加護がありますように、アーメン。

(了)
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