届け、僕達の歌

文字数 2,264文字

 第三日曜の午前中にスタジオの予約が取れたので、ライブのリハーサルを行う。社長さんやトレーナーさんにも見てもらった。
 協力してくれる大人達と対等にやり取りする緋彩を見て、隔たりを感じる。私だって真面目に取り組んでいるけど、失敗しても守ってくれるという甘えがあった。
 音量調節やライト演出の打ち合わせ、立ち位置のチェック。一曲ずつ歌って、動きの見直しをする。
 今度は通しで三曲歌って、休憩に入った。私はパイプ椅子に腰掛けて、ミネラルウォーターを飲む。
 緋彩は隣に座り、ジッと私を見ていた。薄茶の瞳は濁りがなく、水晶みたい。
「本番まで、あと僅かだな」
「ライブは初めてだから、ドキドキしちゃいます」
「次の曲は、どんな感じにしようか」
 私は答えられなかった。「Jul」を完成させた満足感が抜けていないし、クリスマスで一区切りと思っていたから。緋彩はいつもと同じくニコッとして、こちらに身を乗り出す。
「エールを送る曲はどうかな。次に出すのは春だろうし、旅立ちのイメージがあるじゃん」
 旅立ち、か。今の環境に満足出来なくなったら、緋彩はもっと広い世界に羽ばたきそう。
 容姿は文句なく、センスもあり、努力家だもの。海外でも通用する俳優さんになれる。
「今回はカラオケに乗せて歌うけど、演奏出来るようになりたい。ギターを覚えようかな」
「弾けたら格好良いですね」
「やっぱり?」
 緋彩は悪戯っ子のように、ニシシと笑う。常に先を見据える相棒。私は緋彩と並ぶ資格があるのだろうか。


 配信ライブ当日を迎える。スタジオ入りし、ストレッチと発声練習の後、リハーサルをした。
 控え室は緋彩と一緒だけど、社長さんが来春スタート予定のドラマについて話があると言って、緋彩を廊下に連れ出す。その隙に、私は衣装に着替えた。
 光沢がある緑のシャツに、白ジャケットとスラックス、黒いリボンタイをつける。鏡を見ながら服装チェックしていると、緋彩が戻ってきた。社長さん、タイミングが絶妙です。
「オレも着替えよう」
「トイレに行ってきます」
 緋彩がシャツを脱ぎはじめたので、私はワタワタと控え室を出た。生着替えに興味はあるけど、下手をしたら鼻血が出る。廊下で、ほてった頬をパタパタと手で扇いだ。


 メイクと髪のセットをしてもらい、社長さんが呼びに来る。間もなく本番だ。緋彩と目配せをして、スタジオに向かう。
「歌詞が飛んだり音程が外れたりしても気にするな。楽しく歌おうぜ」
「誰に言っているんです? 僕、失敗しませんので」
「言ったな」
 配信時間になり、私達はスタンバイした。緋彩は私と揃いのジャケットとスラックスに赤いシャツを着て、黒いネクタイを結んでいる。前髪を後ろに撫でつけているので、いつもよりワイルドだ。
 緋彩が音出しの合図を送ると、「僕だけのプリマベーラ」のイントロが流れる。私達は笑い合って歌いはじめた。
 社長さんやスタッフさん達が私達を見守る。緋彩がいるから心強かった。
 それにしても、緋彩は手の振りや横ステップが滑らかだ。私なんて、カクカクしてメカっぽいと揶揄されたのに。
 間奏パートで緋彩がアドリブをぶっ込んできた。私の肩を抱いて、額同士をコツンと当てる。
 仲良しアピールにしては甘ったるいよ。ジロリと睨めば、緋彩はふふっと笑った。
「僕だけのプリマベーラ」が終わり、緋彩がハイタッチを求める。パチリと手を合わせれば、緋彩は誉めるように私の頭を撫でた。
 呼吸を整えて、私達は背中合わせになる。アコースティックなメロディが流れて、一曲目とはガラリと変わった空気に包まれた。
 目線を合わせるタイミングは、緋彩が出す。カメラには映らない側の手で、小指同士を絡めてきた。前以てされると分かっていても、心臓に悪い。
 目と目が合えば、緋彩は憂いを帯びた表情で微笑む。スッと小指が離れて、寂しい気持ちになった。切なさが表情に出るならば、結果オーライか。
 早いもので、ラスト一曲となる。はじめはミディアムテンポなので、動きは控え目。緋彩はソロパートで、アピールするように前へ出てウインクする。私もソロパートでは、指でバキューンと撃つポーズをした。
 徐々にテンポアップし、サビは二人で手拍子。皆もノッてと、緋彩が手を挙げる。
 ディスプレイの向こうにいる子羊ちゃんへ歌を捧げるよ。碧として、全力でパフォーマンスを演じた。


 ポーッとしていると、ペチペチと頬を叩かれる。ライブが終わったんだ。夢から醒めた気分だった。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
 最高の笑顔でねぎらう緋彩に、私は泣きたい気持ちと共に笑った。


 ライブは午後イチ配信だったので、ムーンプロダクションに戻り、社長さんと緋彩の三人でライブのアーカイブを見る。会議室にノートパソコンを持ち込んで、三人で一つのディスプレイを眺めた。
 あんなにも、碧になりきっていると思ったのに。時折、恋する私が表に出ていた。
 二人は気付いているだろうか。チラリと様子を窺うと、プロの眼差しで黙々と閲覧中である。
 見終わった後、社長さんは緋彩のSNSアカウントをチェックした。コメントを読むとライブは好評で、期間限定で終わるのは勿体ないという内容が多い。
「トラブルもなく成功して良かった」
 緋彩は心からの笑顔を私に向ける。本当に、そう思う? 社長さんと目が合って、ついビクッとする。
「緋彩はこの後、仕事はないんでしょう。田所くんにマンションまで送ってもらいなさい。碧は話があるから残ってね」
「はい」
 契約更新について意思確認をするのだろう。私の心は決まっている。
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登場人物紹介

緑川詩名(みどりかわ・しいな)

緋彩ファンの女子高生。

根は真面目で素直。

深く考えずに思い切りの良い行動をする。

音楽経験はゼロだが、音域が広い。

椎川碧(しいかわ・みどり)

ボーカルデュオ、Julのメンバー。

小柄で可愛い顔をした、ちょっぴり生意気な弟系。

緋彩に憧れてオーディションに応募した中学生男子……という設定。

真咲緋彩(まさき・ひいろ)

十代女子を中心に大人気の若手俳優。

柔和な見た目に反して、男気があり真っ直ぐな気質。

プロ意識は高く、恵まれた容姿や才能に甘んじることはない努力家。

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