第5話

文字数 1,780文字

 夏フェスでの成功を収めた彼らはすぐさまアルバムの制作に取りかかった。アルバム制作は多忙を極めたが、メンバーはそれぞれ充実感にあふれる言葉を口にした。
「初めてのオリジナル制作からフェス参戦までが信じられないくらいハマって理解が追い付かなかった。アルバム制作は良い振り返りになると思うよ」
「いろんな曲に取り組んできたけど、ここにきてあらためて自分たちの原点はロックだと思えるようになったんだ」
 
 そして完成したファーストアルバム『アトモスフィア』を引っ提げ、エアバンドは初の全国ツアーを敢行した。北は択捉島、南は沖ノ鳥島まで彼らの活動は日本中に広がったのだった。そして、ツアーファイナルの会場となったイオンモール東員には、いなべ市民の四人に一人が参加したとも言われている。凱旋ツアーとも言える優しい雰囲気の中で演奏された新曲『断熱膨張』の素朴ながらも力強いロックサウンドに、かつての駅前路上ライブの姿を重ねて涙する観衆もいた。
 世間の注目を集めたエアバンドは各主要音楽誌から「不安定な時代が望んだ、捉えどころのないバンド」「インストゥルメントを文字通り昇華させた音楽性」「音楽界におけるブラウンムーヴメント」と絶賛された。

「ようこそ、ユー・エス・オー・ワールドニュースの時間です。今日のヘッドラインは日本の新しいロックバンドです」
「いま日本のヒットチャートを賑やかせている異色のバンドがいます。それはエアバンドです。
 エアバンドは東京から200マイル離れた小さな町で結成されました。ローカル線終着駅でのストリートライブから始まったエアバンドは瞬く間に日本中に知られ、今では韓国や台湾、ナウルにもファンが広がっていると言われます。
 世界的エアテルミニストのイルニヤ・パドトゥ氏は日本のエアバンドを高く評価しています。
『今まで日本のロック・ポップといえば、サビとかコード進行とか四つ打ちといった伝統様式を重視していると考えていました。しかし、エアバンドはそれらの伝統を内包しつつも全く異なる作品を生み出しています。』
 パドトゥ氏は自身が主催するリッスンブール音楽祭にエアバンドを招待する用意があると述べています。
日本で生まれた音楽の『新しい形』、今後の展開が楽しみです。東京支局からヌズゲブでした」
 国内のみならず海外メディアにも取り上げられたエアバンドには否が応でも次の新曲への期待がかかるのだった。
「正直、自信があると言ったら嘘になる」と兄は言った。「僕はエアキーボードみたいに作曲ができるわけじゃないし、エアベースほど作詞センスがあるわけじゃない。カッコつけたって様にならないから、今回はできるだけ自然体で取り組みたいと思う」
 プレッシャーのかかるシチュエーションでも自分の弱さに向き合う姿に、初めて私は兄に強さを感じた。

 そうして完成した新曲『いるつもりで抱きしめて』はエアボーカル出演ドラマ『ボイルとシャルルのベルスーズ』の劇中歌として発表された。エアバンド初のミュージックビデオはエアボーカル演じるラブドールメーカー勤務の青年がエチオピアでの強化合宿中に妻に再開するシーンをモチーフに作成され、動画投稿サイトでは公開から15分足らずで100万回視聴された。配信リリースも好評を集め、「女子高生のケータイの95%にエアバンドの曲が入っている」という調査結果も発表された。ロックバラードの王道をなぞりつつも、兄の紡いだシンプルで私小説的な歌詞が人々の共感を集め、今年のクリスマスシーズンを代表する「エア恋人たちの聖歌」と呼ばれた。
 新旧の強力なヒット曲が集うクリスマスシーズンの総合ヒットチャートにおいて初登場4位、最高2位を記録したが、総合1位はエグゼクティブビジネスパーソンの『マジで過労死する5秒前』に阻まれたのだった。
 
 この頃にはエアバンドのファンクラブも会員数100万人を超え、様々なファン層が形成されていた。大半がエアバンドの全てを愛せるライトなファンだったが、中には路上ライブ時代の3人を正統とする「オリジナルスリー派」もいた。ビジュアル重視の「エアボーカル推し」の存在も目立ったし、数は少ないながらも熱狂的な支持からエアベースのファンは「教団」とも呼ばれた。そして、存在は不確かながら度々ほかのバンドから揶揄されたのが「エア会員」であった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み