【弐拾睦】そして朝はやってくる
文字数 2,538文字
山田は頷いた。
「でも何でおれが来ると思ったんだよ?」
「男ってのは諦めの悪い生き物だからな。たったひとりの女のことすら忘れられねえんよ」
それはお前も一緒なのでは――いや、野暮なことは言わないでおこう。それに……。
「ありがとな」
山田が、不思議そうにこちらを見る。
「この半年、おれと彼女の関係を繋ぎ止めてくれてたんだってな。……でも、何で『挨拶した』なんて言ったんだよ?」
「人は急場の過去形に弱いんよ。リミットが迫っている時は特に、な」
早い話が、焦燥感を煽ったってことだ。おれも何となくだが、山田の哲学と言うか、人の心を見通したような発言の意を予測できるようになってきた。
タクシーの窓から星降るカーペットとなった夜空を眺めた。きっと、今頃ははるかも飛行機で向こうでの生活のことを考えているだろう。いや、それともおれのことか?……なんて。
はるかの両親はおれたちに挨拶して帰宅した。一度はおれたちふたりを車で送ると言って下さったが、辞退した。理由は――何となく、だ。多分、おれはまだその場の空気や雰囲気に浸りたかったのかもしれない。で、それから数時間ほど空港に残り、今に至る。
「こんなことを言うのはアレだけど、どうしてはるかはおれを好きになったのかな?」
そんな野暮な質問、本人には訊けない。が、おれにはそれがずっと、ずっと疑問だった。
「今更いいだろ。んなこと」と山田は破顔した。「んまあ、おれにはわかる気がするがね」
その理由とやらをおれは訊ねた。すると山田は、「キミは親切な奴だからな」とニヤリとし、「案外、応援団に入ったのも、おれじゃなくてキミが目当てだったのかも知れねえぜ」
まさか。でも、この男がジョークで言ったことで外れたことは殆どない。しかし、だとしたら……顔から火が出そうになる。
「ハッハッハ、あんちゃん、良かったねぇ」タクシーの運転手が言った。ありがたいことに、彼はおれが空港にいる間はメーターをストップしてくれていた。何故そうしてくれたかと言うと、
「いやぁ、おれも後悔してることばっかでね。カミさんにも逃げられちまったし、昔、アンタと同じような状況になったこともあった。ダメだったけどな。だから、アンタの話を聞いて居ても立ってもいられなくなったんだよ」
やはり、男と女には様々なドラマがあるらしい。
おれとはるかの間にも、だ。これからおれと彼女がどうなるかはわからない。待っているとは言ったが、遠距離恋愛は過酷だとみんな言う。となると、お互いの忍耐力と甲斐性の問題になるだろう。
「月が綺麗だな」おれは月を眺めて言った。
「おい、おれはゲイじゃねえぞ」
「知ってるよ、何年の付き合いになると思ってんだ」
ざっと二〇年以上。そう答える山田はどこか照れ臭そうだった。「月が綺麗」か。そんなことをおれが言う日が来るとは思ってもなかった。しかし、人間、生きていれば変わることもある。今は燻ぶっていても、必死に行動すれば、きっと何かが変わる。
おれも変わった。
人間、変わろうとするには莫大なエネルギーが必要となる。だが、変わり始めてしまえば、後は大したことはない。きっと何とかなる。だから、人生なんて楽観していればいい。
「でも、おれがここまでやったんだから、次はお前の番だぜ」
からかい半分にそう言ったつもりだったが、山田は満更でもない様子で、
「かもな。おれも頑張ってみっかな」とアピールした。だが、人の心を見透かすようなことを言うクセは何とかしたほうがいい。「まさか、言わんよ。へこんでる時以外は、な」
へこんでる時以外は、か。確かに山田の人の心を見透かす能力は、傷心している時には麻薬のような依存性がある。一度地獄を見ているからかもしれないが、山田は人の感情の流れにとても敏感だ。だからこそ人に気を遣い過ぎて、その結果傷ついて、恋愛も長続きしないのだろう。まぁ、それはそれで、山田のいい所ではあるのだけれど。
「そう言えば、間宮さんにおれのことで協力するように言っただろ」
「へへ、バレたか」
やはりか。頭抜けたコミュニケーション能力を持つ山田のことだ。彼女と仲良くなって、あれこれ頼むのは想像するのも容易い。しかし、どうやって彼女に協力させたのだろう。
それにしても、間宮さんには申し訳ないことをしてしまった。だが、人の意識はそう簡単に変えられない。
だって、おれが好きだったのは、はるかだったのだから。
ただおれは、どんな形であれ、間宮さんに幸せになって欲しいと思っている。今夜、はるかと会えたのも彼女のお陰だし、これまで何度となく相談にも乗ってもらったわけで、感謝しても仕切れない。
おれは携帯を取り出し、間宮さんにお礼のメッセージを送った。
そして、はるかにもメッセージを送った。
何て送ったか?――それは教えられない。
ただ、ひとつ言えるのは、おれが彼女を大好きだということだ。
「でもよ、おれとはるかの仲を取り持つ為に連絡先がどうとかウソつくかね?」
そう、はるかが連絡先を知りたがっているという話、あれは山田の詭弁だ。山田は、おれにははるかが連絡先を知りたがっていると言い、はるかにはおれが連絡先を知りたがっているとウソをついた。後はテレコが起きないように片方にアカウントを教えれば、それで完了。
間宮さんを策士と呼んだ山田も、随分な策士だった。
「はは、全部お見通しだったんか」
「いいねぇ、いいねぇ」運転手が言う。「アンタらほんとにいいコンビだねぇ」
「まあね」山田がフランクに答える。早くも運転手と打ち解けたらしい。「彼は、最高の相棒だからさ」
嬉しい限りだが、何だか照れ臭い。おれは外の景色を眺め、表情を隠した。
窓から覗ける夜のストリート――街の灯りやネオンが躍動し、まるで生きているようだ。
時刻は二三時――後数時間で朝になる。