【拾玖】爆弾は爆発するか?
文字数 3,585文字
山田から何かしらのアプローチはしておいたほうがいいとは言われていたが、メッセージを送っても返信は遅く、冷たい態度であしらわれるばかりで、気力も尽き掛けていた。
空白の時間。無気力に流れて行く時間の中で、おれは確実に何かを失っていた。
仕事への意欲もなくなり、下手なミスも増えた。社内でもおれに何かあったのではとウワサになっていると間宮さんが教えてくれた。
例のメッセージの一件以来、間宮さんとは度々一緒に帰るようになった。と言うより、彼女が勝手についてくる、と言ったほうが正しいだろう。
話を振るのは基本的に彼女のほうで、おれは適当な相槌と打ち当たり障りのない返答をするばかり。だが、間宮さんはイヤな顔をするどころか、笑みを浮かべておれにくっ付いて来る。
――もしかして、間宮さんと付き合ってる?
数日前、同僚にそんなことを訊かれた。おれは正直に付き合っていないと答えたが、その同僚は安堵のため息をついておれの肩を叩くと、じゃあ、おれが間宮さんと付き合っちゃおうかなとほざき出した。別に構わない。このフリーセックスの時代に誰が誰と付き合おうが、おれの知ったことではない。
が、残念ながら、間宮さんはこの同僚を嫌っている。
彼女が言うには、上司にはおべっかを使い、自分より下と判断した人間には横柄に接する太鼓持ちな性格がイヤなのだとか。
事実、おれも下の人間と判断されたようで、偉そうに仕事の口出しをしてきたり、プライベートに干渉してきたりと悪い印象しかない。
そこでちょっと悪い虫が首を擡げ、おれはひとつ仕返しをしてみようと思った。
――でも、間宮さん、○○さんのこと、人を見て態度を変えるから嫌いって言ってたよ。
そう言うと、そいつの顔は見る々々内に青ざめてしまい、口八丁のデカイ口をポッカリ開けて黙り込んでしまった。
流石にこれは応えたらしい。
が、おれは最後の慈悲心で彼の心臓をナイフで抉るのは止めておいた。
もしかしたら、それを言ったのは間宮さんじゃないかもと付け加えると、そいつは引き攣った笑顔で良かったと呟いた。これで彼も少しは態度を改めてくれればいいのだが。
しかし、これでは数ヶ月前に逆戻りだ。こんな様では、山田にも会いづらい。奴はそんなこと気にしないだろうが、おれはおれで負い目がある。このままでは恋愛だけでなく友情まで壊れてしまいそうだ。
「最近元気ないですねぇ。よかったら、話聞きますよ?」外夢市駅の改札を出た所で、間宮さんは言った。気持ちは嬉しいがどうもそんな気分にはなれない。断ろうとした、その時――
「よぉ、相棒。何してんよ?」
山田だった。見慣れない黒のスーツに赤地に白のストライプが入ったネクタイ。シャツの第一ボタンは言うまでもなく開いている。山田にしてはフォーマルな気もするが、長い髪はカチューシャでうしろに撫でつけ、右手の人差し指と薬指には指輪が嵌っていて、どことなくホストっぽい。山田はおれと間宮さんが一緒にいる所を見て、顔を引き攣らせた。
「あ、悪い。お邪魔だったかな」
そそくさと逃げようとする山田を引き止めたのは、間宮さんだった。
「あ! 先輩、お久しぶりです!」
目が悪い所為で目を細めて睨みつけるように彼女を見る山田。同じ中学とは言え、まともに顔を合わせたこともない子だ。山田も知っているはずは……。
「あぁ、久しぶり。そうか、外山の後輩ってキミだったのね」
驚いた。一体、いつどこで顔を合わせたのだろう。
「はいッ! 覚えてて貰えて嬉しいです! じゃあ、今日はこれで失礼しますねぇ!」
そう言って間宮さんは帰って行った。
本当に助かった。ホッと胸を撫で下ろすと、山田がおれの肩をポンと叩いた。
「モテモテだな。この調子で高梨から乗り換えるのもありだな?」
「そんなこと……」
「誰かを好きでいるってことは幸せなことばかりじゃねえんだぜ」
その通り。人を好きでいるということは幸せなことばかりではない。それは今のおれが一番よくわかっている。
「てか、何であの子のこと知ってんだよ?」
「小学五年の時にな、委員会で一緒だったんよ」流石はブラックホール、そんなこと、よく覚えているもんだ。「まぁ、向こうも覚えてるとは思わなかったけどな」
おれは図らずもブラックホール同士が相見えた瞬間を目にした訳か。いや、そんなことどうでもいい。今のおれは完全にドン詰まり。手も足も出ないアザラシ状態。
「ダメな時は何をやってもダメよ。でもな、そんな一時の感情に振り回されて人生を棒に振るようじゃ、誰も好きにはなってくれないで?……まぁ、おれを除いてな」
最後のひとことはエクスキューズで言ったに違いないが、その微妙な慈悲心が妙に滑稽で思わず笑ってしまった。何笑ってんだよ、と咎める山田も同様に笑う。
「何だよその気遣い」
「事実なんだから仕方ねえべ。別に、おれはキミが高梨と付き合おうが付き合うまいが、破局しようが、縁を切ろうとは思ってねえよ。だから、変におれに気負いすんなよな?」
まるでおれの心を見透かしているようだ。しかし、そう言われてみると、何だか自分が気負いしていたのが馬鹿らしくなって来る。
「ま、でも諦めるのは相手の気持ちを確かめてからでも遅くはねえよ。何より、ここで身を退いたら後に残るのは後悔だけだ。それに理由を知って振られたほうが後にひかないし諦めもつくってもんだで。心配すんな。ダメならダメで、酒の一杯でも奢ってやるで」
山田。おれには本当に大層な友人だ。人には心を許せる親友が生涯に数人できればいいと言われているが、山田は紛れもなくおれの親友だ。それだけは断言できる。
「ありがとう。でも、何でそんな格好してんだよ。年貢の納め時か?」
「年貢なんか納めんよ。今度の芝居の衣装さ。それよりメシでも食おうぜ。高梨に連絡しなきゃだしな」
おれたちはウエストサイドの牛丼屋に入り、買った食券を店員に渡してテーブル席に座ると、鞄から携帯を取り出して高梨さんとのメッセージ画面を開いた。
とにかく何でもいい。話を聞きたい。そして、彼女に、
会いたい。
その思いひとつで、おれは文章を紡ぐ。
完成した文章を山田に校正して貰い、おれは送信ボタンを押した。
――久しぶり! あれから少し経つけど会社での生活はどうかな? 辛くはない?
既読は、メッセージを送信してから少し時間を置いてからついた。ブロックはされていない。その事実がおれを大いに安堵させた。少し時間を置いて、返信が来る。目を凝らす。
――ひさしぶり。うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。
山田にメッセージを見せた。山田は、不穏なにおいがすると言った。おれも同意見だ。心が揺れる。脳が汗を掻き、食道から胃液が競り上がってくる。さぁ、どうすればいい。
「誘いを掛けてみるか。曖昧な理由で断られたら、そこでアウト」
その曖昧な理由の代表格が「忙しいから」だそうだ。
今日日、遠洋漁船にでも乗っていない限り、ちょっとした時間すら空けられないような忙しさなど存在しない。確かに仕事で時間がないのはわかるが、何の吟味もなく「忙しい」と切り捨てるのは、もはやこちらと会うつもりがないという暗喩なのだそうだ。
ちなみに「予定がある」というのもその代表格ではあるが、普通、ある程度の付き合いがある相手なら、その予定を多少は開示する筈で、逆にそれを伏せるのは、相手に疚しい気持ちがあるからなのだそうだ。が、逆に予定を開示するにも、親密な相手にウソをつく場合がある為、安心はできないが。
山田は、とりあえずは話を振って様子を見ることを提案し、おれもそれに乗った。
――そっか、ならよかった。もしよければ久しぶりに飲みに行かない?
ストレートなメッセージ。一応山田にも確認してもらったが、特に問題はなし。おれはそのままメッセージを返信した。既読はすぐについた。が、返信はすぐには来ない。どう返信しようか迷っているらしい。
おれは注文した品に手もつけず、携帯を握り締めたまま祈った。祈り続けた。携帯が振動した。すぐさま返信内容を確認する。
――ゴメン、忙しいから当分無理かな。
ゲームオーバー。目の前が真っ暗になった。