第10話 KATO Nゲージ 電動ポイント4番 左 20-220をお求めのお客様

文字数 10,627文字

「天の川鉄道模型社さーん」
「はいはーい」
 メイが答える。
「ここにハンコお願いしますー」
「おつかれさまですー」
 宅配を受け取るメイ。
「届いた?」
「届きました!」
 マスターとメイが、目を見合わせる。
「あけてみよう」
「え、私で良いんですか」
「君の設計したものだからね」
「じゃ、遠慮なく」
 届いた箱をあけるメイ。
「開けた途端に崩壊することも昔はあったからなあ」
「マスターに設計の肉厚に気をつけて、って言われて、そこは注意しましたから……おおー!!」
 メイが声を上げる。
「お、壊れてない!」
 マスターも喜んで工作台の上に持っていく。
「前やったときはパーツがバラバラになってましたもんね」
「これはいけるんじゃない?」
 二人は興奮している。
「うちオリジナルの3Dプリンタ製鉄道信号機の量産、これでいけるんじゃないですか?」
「だね!」
「チップLED入れての光漏れ防止試験もクリアしてますし」
「あとは組み立て後の強度だけど」
「いろいろ試験しましょう。でもこの出来なら、組み立て済完成品ならかなりいけそうですよ!」
「メーカー製や他のショップの信号機はセンサーレール付属が普通だもんな」
「でも、うちのはダミーレンズで点灯させなくてもいけるし、チップLED入れて完全点灯も、赤のみとかのダミー点灯もいけますからね。それに自動運転システムの信号機ボードにつないでPC制御にも対応」
「まさにニッチ! メーカーが手を出さない隙間の隙間! でもメーカーが手がけたら一撃で量産されて値段に負けるけどなあ」
「3Dプリンタはニッチニーズに合わせた量産こそ真髄ですよね!」
「ほんとそう。でもメイの3D設計の会得、早かったなー」
「それほどでもー」
 メイは照れる。
「ほんと、メイちゃん、よくやったよ」
 メイは、ジワッと胸が熱くなった。
「ほんとうに、嬉しいです」
「よかったね! じゃ、お祝いにオランジーナ飲もう」
「そうですね」

 二人は乾杯した。
「ただ、これ、販路どうするかな」
「通販じゃダメですか」
「通販だと現物のイメージ沸かないかもなあ」
「プロポーションの良さ、わかりにくいかも知れませんね」
 そのとき、ネコのテツローがまたフーッと吠えた。
「え、まさか」
 そのまさかだった。
 あの彼!
 マスターの15年前を知っている、彼。
 メイは身構える。
「いらっしゃい」
 マスターはすこし顔を引きつらせたが、平静を装っている。
「ありがとう」

 彼はしばらく店内を見ていて、メイはそれを警戒しながら観察している。
 見た目悪そうな人には見えない。でも、どこか影がある。
「あ、それは?」
 工作机の上に気付かれたマスターが、一瞬顔をピクンとさせたが、諦めた声で言った。
「オリジナルの3Dプリント製の鉄道信号機だ」
「Nゲージか。すごく繊細でプロポーションも良いな」
「ありがとう」
 でもマスターはあまり嬉しくないようだ。
「これ、売るのか?」
「まあ、うちの店で開発したからな。開発費用を償還しないと」
「販路はどうするんだ? 通販だけじゃうまくいかないぞ」
 彼は容赦なく核心に踏み込んでくる。
「まだ、ノーアイディアだ」
 マスターは苦しげに言う。
「なら、うちで扱おうか。鉄道模型誌にもツテがあるし」
「それは勘弁して欲しい」
 マスター、やっぱり……彼と敵対しているんだ!
「そうですよね」
 メイがそう続く。
「つれないなあ」
「そりゃ、あんなことがあったからな」
「15年前じゃないか」
「人間はそんな変わりはしない」
「そうか。まだ恨んでいるのか」
「恨んでるわけじゃない。ただ、お前を信頼したくない。したくてもできない」
 マスターは拒絶する。
「そうか。人間関係は、もうすでに終わっていたのか」
「友人としては、な。店と客の関係ならまだ良いが」
「そうか。うちのクラブで今度大きなレイアウト作るから、電動ポイント4番買いたいんだが」
「右分岐、左分岐どっちだ?」
「左分岐を2つ」
 メイは黙って取り出して包む。
「ありがとう」
「こちらこそ」
 しかしそう答えるマスターの顔は凍っている。
「まあ、その信号機、何があっても結局はうちで扱うことになるよ。というか」
 彼は冷酷に言った。
「扱ってください、とお前が頼むことになる」
「すみません、それ、勘弁してください」
 メイが割って入る。
「メイくんもたくましくなったね。でも、世の中はそうはいかない。キミも学ぶことになる」
 メイは応える言葉がない。
「じゃあ、邪魔したな」
 あまりのことに、メイもマスターも、「ありがとうございました」を言うのを忘れてしまった。

「なんですあれ!」
 メイが不愉快な声を出す。
「15年前って、何なんです?」
 マスターは、言葉を探していた。
「俺も、気持ちがまとまらないんだ」
「15年経っても?」
「ああ」
 マスター、何故……。
 マスターはしばらく黙っていたが、ふっと思いを切るように、回覧板を取り出した。
「あ、言ってなかったけど、うち、この代々木上原の商工会まつりに出展するよ」
「ええっ、ほんとですか?」
「ああ。鉄道模型レイアウトを展示するんだ」
「じゃあ、そのレイアウトにこの信号機を使えば」
「一応宣伝になる」
「少し効果あるといいですね!」
「現実的にはそれしか道はないからね」
 メイは辛かった。
「あ、メイ、その展示の場所、区の地域センターなんだ。明後日この店休業にして、打ち合わせと現地確認するよ」
「はい!」

  *

 そしてその明後日がきた。
「マスター、しんどそうだったなー」
 メイは地域センターにきた。
 ちょっと早すぎたかな。
 この地域センターには複合施設として図書館や地域活動支援センター、地域包括支援センター、区役所支所といったさまざまな施設が一緒になっていて、そこに体育館などの健康作り施設もある。
「メイくんではないか」
 そこにあの人がいた。
「姫騎士さん!」
「うむ、其方も体力作りか?」
「いえ、ここでやる商工会まつりの下準備に」
「ぬ? マスターとの待ち合わせは?」
「15時って言ったのに、まだ来てないんですよ」
「うぬ? それは午後5時、すなわち17時ではないのか」
 姫騎士に言われて、メイはびっくりしてケータイを見た。
「ほんとだ!」
「やはりのう。では、それまでの時間で余と体力作りでもせぬか?」
「え?」
「いろいろと話したいこともあるでの」
 メイは、察した。
「じゃ、お願いします」

「だからって、なんでこれなんですか!」
 その数分後、メイはこの地域センターのプールの脱衣場で、競泳水着姿に着替えていた。
「うむ、メイくん、よく似合っておるぞ」
「なんで姫騎士さん、競泳水着2着持ってて、その片方貸すんですか。用意良すぎます!」
「水着は水中抵抗の大きい練習用と、抵抗の少ないタイムアタック用を使い分けるのだな」
「……そうですか」
「身体を洗ったらプールに入るぞ」

 プールに入ると、メイは姫騎士とともに、人のあまりいないプールサイドに向かった。
 プールでは泳ぐ人用と、水中歩行用にレーンが区切られている。
「案外ここは、この水面反響音で話し声が漏れにくいのだ」
「え、ほんとうですか」
「ああ。マスターもそれを知っている」
「ええっ。マスター、ここにこうすることを」
「なかば、頼まれたのだな」
「……15年前ですか」
「ああ。その話、マスターはまだ割り切れてはおらぬのだ。その時余もいたのだから、それを察しておる」
「どこにいたんですか」
「それは、当時ネットの草創期を過ぎた頃に存在した、『帝都レイルクラブ』という巨大鉄道模型サークルでの話なのだ」
「初耳です」
「ああ。それは現存せぬからな。余も、彼も、マスターもそこにいて、活躍し腕を競っておった。そのメンバーの何人もが模型誌掲載常連であったし、また模型のメーカーの人間も、またサードパーティメーカーも、模型店もおった。実にそうそうたる面々だった」
 姫騎士は思い出していた。
「楽しい日々だった。みな、たがいの腕にほれ、リスペクトし合い、運転会も毎回楽しかった。それを楽しみに、みな日頃の仕事をがんばり、帰宅すると工作に励んでおった。情報交換も活発で、みなアイディアを出し合ってコンペやコラボをいくつも重ねておった」
「素敵……でも、それがなぜ」
「それが。大きなイベントを開催し運営することになった。帝都レイルクラブ初めての大規模運転展示。クラブの周りの200人以上の参加者をさばかねばならなくなった。我らはその運転展示のスタッフとして、準備に奔走した」
 姫騎士は、一度間を置いた。
「準備は順調だった。マスターの素晴らしいプロジェクトスケジュール管理の下、全てが順調だった。あの日まで」
「あの日?」
「そう。マスターと彼は、両輪でその運営をやっていた。だが、突然、彼が音信不通になった。仕事が忙しい、というのが理由であった。だが、真相はわからぬ。ただ、マスターの進行管理の問いかけに、彼は一切応答しなかった」
「忙しかったのかな」
「ところが、彼はなんと、そのあと無関係な鉄道模型の展示即売会場に平然と現れたのだ。マスターに応答しないのに、ほかのものと普通に会話し、ほっつき歩いておった」
「えええっ、それ、今で言う既読無視ですよね!」
「ああ。受信はしても応答はしない。無視だった。しかも、マスターだけを狙い撃ちに」
「そんな」
「周りの皆は戸惑った。彼が何をしたいのか、意味がわからぬ。期日がドンドン迫ってくる。もう作業は彼の作業待ちのまま、もう遅れが必至となった。そして必至になっても、彼はマスターに対してのみ、何の応答もせぬ」
「それ、もしかすると、いじめ……」
「ああ。冷静に見れば初期のいじめの状態に似ておる。だが、このレイルクラブに、だれもそれを止めることのできるものはおらぬ。そしてマスターは無理だが彼のいない穴埋め作業を懸命に行っていた。でも、それも無理だった。そして、無理であることのお詫びを発表しようにも、その権限は彼が握っておった」
 姫騎士は辛そうに言う。
「彼がせめて、もう無理だ、といってくれれば、マスターも救われていただろう。無理でもやりたいというなら、マスターも喜んで手伝ったであろう。だが、彼はどちらもしなかった。そして、イベントの開催日が来た」
「なんてこと!」
「マスターも他のスタッフも、みんなで土下座して謝った。だが、みな、参加予定者はそんなことしなくていいからとなだめ、理解して延期されることを理解してくれた」
「優しいですね」
「ああ。実に素晴らしい仲間だった。だが、彼はそのなおも時折しか応答せぬ。そしてマスターは心労でヘトヘトになった。そして、気付いたのだ。これ以上はもう無理だ、と」
「そりゃ無理でしょう!」
「鉄道模型どころか、本業に差し障り始めたマスターは、レイルクラブを辞した。今思えば、彼はマスターを嫌って、追い出したかったのかも知れぬ」
「でも、そんなことするメリットなんて、あったんですか」
「わからぬ。ただ、一般的に、いじめというものに原因などないのだ。いじめられる側も、いじめる側にも理由などない。あるのはただの『もやもやした苛立ち』と『口実』だけだ」
「そう、かもしれません」
 メイは思い出していた。そんな時期が彼女にもあったのだ。
「それからあとはわからぬ。私もそのレイルクラブから距離を置くようにしたからの。彼が思うがままにレイルクラブを牛耳ったのかも知れぬ。それはわからぬ。だが、事実は、そのしばらくあと、帝都レイルクラブは解散したのだ」
「やっぱり彼のことでしょうか」
「なかにはマスターが彼のことについておかしいと言い出したのがそもそもの原因だという者もいる」
「ええっ、逆じゃないですか。もしかすると、マウンティング?」
「それかもしれぬ」
「そんな。鉄道模型は趣味なんだから、楽しくやれば良いのに」
「それが、趣味であるがゆえにトラブルがおきるのだ。趣味のサークルに厳密な責任関係も指揮系統も普通はないからのう。その上に趣味の違いで意見も異なる。そこが趣味を大勢でやることの、真に恐ろしいところなのだ」
「だからよく鉄道模型サークルで追放騒ぎが」
「しかり。悲しい負の面であるのだ。もちろん、それに注意して運営して、問題なくやっておるサークルの方がずっと多い。だが、それでも悲しい結果になることはある」
「つらいです」
「余もしかりである」
 姫騎士は競泳水着姿のまま、デッキチェアに座った。
「さて、余の存じておる15年前のこととは、このことであるのだ」
「ありがとうございます」
「ところで、こういう理由であるが、水着シーンも結局やってしもうたのう」
「ああっ、ほんとだ!」
「今気付くまでもなかろうに」
「そうですよね……。これ、著者、きっと私たちの競泳水着姿、描きますね……それもエロい感じに」
「誰かに頼めれば良いのだが、残念ながらカネもコネもないのが現実である。非力な著者を持つとキャラがメーワクを被るという典型的な例であるの」
「ほんとそうですね」
 二人は溜息をついた。
「その後、彼はその帝都レイルクラブの後、西東京レイルクラブを作った。帝都レイルクラブとメンバーが被っておるらしい。例によって模型問屋から模型店までのネットワークまで引き継いでおる」
「だから、私たちの新製品、鉄道信号機を扱うって……そういうことなの?」
「ナンダその鉄道信号機とは?」
 メイは説明した。
「なるほど。ほぼ脅迫であるのう」
「ですよね」
「でも、問屋ルートに載せるには彼の力を使わざるを得なくなる。それどころか通販で売ろうにも、彼がダメだと噂を流せば、狭い世界、あっという間に付和雷同する者が涌いて評判が墜ち、失敗は確実」
「そんな……」
「狭い世界であるからの。鉄道模型も」
「自由に模型やっているだけなのに」
「現実にはそうはいかなくなっておるのだ。だからマスターはそれと縁を切って」
「天の川鉄道模型社を作ったんですね」
「さふである。しかし、正直、経営は厳しいであろう?」
「薄々そう思ってます」
「金で才能は買えるが、才能で金を得るのはひどく難しいのだ。結局、お金には勝てないのだ」
「悲しいです」
「それが資本主義なのだ。それを変える方法を人類は未だに見つけておらぬ」
「あと、聞いて良いですか」
「なんであろうか?」
「彼からSDカード、受け取ったんです」
「うぬ……それはもしかすると、その帝都レイルクラブのなにかであるかも知れぬの」
「どうしたら良いでしょう」
「中を見るのもナニであるからのう。もしかするとウイルスとかヤバいものが入っている可能性もなくはない」
「そんな」
「帝都レイルクラブにはアングラウェブにハマっておる者もおった。今で言うダークウェブである。人に頼まれればサイバー犯罪をやる者もいても不思議ではない。IT技術者と鉄道趣味の親和性は実は一部で高いからのう。悪のIT技術者もそうなのだからの」
「じゃあ、封印してたほうがいいですね」
「さふであろう。かといって、紛失するとさらに危険だ」
「大事に保管しておきます」
「それがよい」
「あ、あと」
「まだあるのか」
「この前、店に盗聴マイクロマシンが」
「そうか。そんなこともあったのか。それもそれがらみであろう。帝都レイルクラブの闇はあまりにも深かった。それでも皆、鉄道模型を楽しむという一点では共通していたはずなのだ。それがそのトラブルで崩壊した。恨んでおる者も居るかも知れぬ」
「15年ですよ。私なんかそのとき4歳ですよ。どんだけ根に持つんですか」
「根に持つ人間はいくらでも根にもつからのう」
「ひどい……鉄道模型って、楽しいものだと思っていたのに」
「皮肉であるのだ。楽しいものだからと無責任を決め込む者もいるし、楽しいものだからとすごくがんばってしまう者もいる。その合間でくるくる立場を変える者も。しかもそれは全く責められないと来ている。実に難しい」
 姫騎士は息を吐いた。
「だから、余の異世界鉄道模型は、孤立し孤高である道を選んだのだ。仲間を作ると煩わしい上に、悲しいことも増える」
 メイは目を伏せた。
「でも、それゆえに理解者が現れたときは喜んでしまうのだ。舞い上がってしまいそうなほどに。それでもいつか別れが来てしまう。もう何度余はそれを繰り返したか」
 姫騎士は言った。その顔に影が差す。
「だがな。にもかかわらず、鉄道模型はステキなものなのだ」
「そう思えなくなりそうです」
 メイは苦しげに言う。
「にもかかわらず、なのだ。メイ、その真の意味を考えてみるのだ。そこに迷ったときの原点がある。そしてどんなときも、原点に戻れば、迷いは自ずから消えるのだ」
 姫騎士は自分にも言い聞かせているようだった。
「消えるはずなのだ」

  *

 身体を乾かして、着替えたメイと姫騎士は地域センターのロビーに出た。
 マスターが缶コーヒー片手に待っていて、すぐに姫騎士とアイコンタクトした。
「ゆっくり入ってたな」
「お風呂みたいに言わないでください」
 メイは無理に笑う。
「二人の競泳水着姿見たかったなー」
「マスター! ふつーにスケベなこと言わないでください!」
「まあ、そうだよな。じゃあ、展示の下見だ。商工会の実行委員さん、もうすぐ来るから。なんとかこの代々木上原の再現したいんだけどな-」
 マスターはそう言いながらiPadのGoogle地図で代々木上原を見せた。
「でも10連のNゲージ対応のホームある駅の再現、大きくて厳しくありません?」
「そりゃ厳しいさ。でも、見て喜んで貰えるのは、嬉しいじゃないか」
 マスターのその表情に、メイは心打たれた。
 まるで少年のような、夢見る瞳。
 これが原点だったはず。
 精密だけど高価なプラットフォームの既製品模型などなくても、車両のケースの角を停車目標にして列車を止めるだけで楽しかった頃があった。
 そして初めての模型の分解。パーツの固定用の爪を折って元に戻せなくなったりもした。それでも悲しくなっても、その模型は自分だけの愛車だった。
 初めてのレイアウト。ベニヤ板に線路を固定して。たったそれだけでまだ作ってもいない風景を想像して嬉しかった。
 そして作っていく。バラストを撒くときにボンド水に遊ばれて泣き、山を作ろうとして作り方がわからず泣く。それでも楽しい日々。
 それが、結局うまく作れずに処分するハメになったときのあの強烈な悲しさ。
 次はうまく作ってあげたい。作って理想の鉄道を楽しみたい。
 そう思って、いろんな技法に挑戦していく。
 LEDの配線を間違えてそれを燃やすこともあった。他の回路も加熱させて肝を冷やした。
 そして、正直、イタズラで模型を粗末に扱ってしまい、あとで死ぬほど後悔することもあった。
 それでも、どんどん模型が愛おしくなっていく。
 マスターもきっとそうだったんだろう。

 でも、にもかかわらず、模型であんな辛い思いをしたのだ。
 メイは、なんとかマスターを守りたいと思った。
 とはいえ、どうしたらいいかわからない。
「マスター、信号機……」
「ああ、あれね」
 マスターは言った。
「やっぱり、彼に頼むしかなかった」
「ええっ」
「いろいろとお金の都合が付かないからね。店を潰して、雇っている君を放り出すわけにも行かない」
「そんな」
「お金には、勝てないんだ」
 マスターの言葉に、寂しさがのっていた。
「私がいなければ、店は助かりますか?」
 メイはそう言った。
「何を言うんだ」
 マスターは驚いている。
「私、本気です!」
「そうはいかないさ」
「でも」
「君がいなきゃ、うちの店はとっくの昔に潰れてたよ。感謝している」
「でも、私のためにそんな辛い思いして店続けるなんて」
「辛くはないさ」
 マスターは軽く言った。
「もっと辛いことはいくらでもあったから」
 メイは心が痛かった。
「鉄道模型の前の仕事、実はもっとつらかったんだ。だから、今は天国だよ。好きなことでこうして曲がりなりにもやって生きていけるなんて、十分夢の中だよ」
 マスターは微笑んだ。
「メイ、ありがとう」
 そんな……。
「ありがとうなんて。私こそ……というか、私、まだ何も出来てないです!」
「そうか。なら、代々木上原駅再現、がんばろうか。うちの店の出展用に」
「……そうですね」
「今日は店休みにしてるから、ロケハンしよう。実地調査は大事だ」
「はい!」
 メイは思いを飲み込んだ。
「いつか、複々線完成前の東北沢や下北沢も作りたいです!」
「そんなの置ける場所あるかなあ」
 マスターは笑った。
「でも、いつか作りたいよね」
「はい!」

 展示スペースの確認を終えて、二人は代々木上原駅の周りを歩き、写真を何枚も撮り、メモを書いてどれを再現するか検討した。
 そして入場券を買って駅に入り、それをつづけた。
 楽しい時間だった。ジオラマ作りの大きな楽しみの一つだ。
 だけど……。
 同時に、切ない時間が、流れていく。
「この世の中に一度として同じ時はない。全ては時の向こうに流れ消えて言ってしまう。それに抗って、作り手の思う一番素敵な瞬間で固定するのが、情景模型を作るということなんだ。だから、鉄道模型は人の心を打つんだ」
 マスターがぽつりとそう言った。
 本当に、鉄道模型を、マスターは愛している。
 それなのに……。
「なあに、うちの店がだめになったら、俺はまた何か別の仕事探すし。でも、メイ、君と一緒に店がやれるうちは、できるだけ店をがんばりたいんだ」
「マスター」
 メイは、言った。
「私、店の戦力になってます?」
 マスターは笑った。
「もう少し、ってところもなくはない」
「ええー」
 メイはがっかりする。
「それでも十分助かってるよ。さあ、これでだいたいあらかた見終わったかな」
「どうしてもわかんないところはありますね」
「そこは類推と想像でやるしかないね」
「そうですね」
「でも、早速取りかかろう。プランを製図して。ベースは知り合いの木工屋さんに発注しよう」
「ベースから紙のペーパーレイアウトにはしないんですか」
「水濡れがやっぱり怖いよ。でもペーパーの技術がないとこの大きな駅をこの時間では作れない。君の活躍が鍵だ」
 メイは、震えるような気持ちになった。
「がんばり、ます!」
 そう、メイは宣言した。
「うんうん。よろしくな」
 そのとき、二人のいる代々木上原駅のホームを、ロマンスカーが通過していった。
 温かそうな明かりの展望席から手を振っている子供。
 それに二人は軽く手を振り返す。
 優雅にゆっくりと滑っていくロマンスカー。
 それを、二人は、ぼうっと見送った。
「じゃあ、帰るか」

 二人で駅を後にして、通りを歩いて行く。
 辺りはすっかり暗くなっていた。
「あら、お二人さん、今日お店休みじゃなかったんですか?」
 店に戻ると、隣のイタリアンのコックの彼女がいた。
「いや、ちょっといろいろ仕入れがあって」
「でも、お二人、並んでると恋人というより、兄妹みたいですね」
 うふっと彼女が笑う。
「そんな!」
「まあそうかもしれん」
 メイは真っ赤になった。
 でも……嬉しい。
「あ、そうだ。試したい新メニューがあるんで、試食してくれない?」
「え?」
「夕食の代わりにならないかな」
「いいんですか!」
「この前席借りちゃったし。その埋め合わせ」
「じゃあ、およばれします!」
「そうね。じゃあ、ディナータイムの準備する間、店の中で待ってて」
「はい!」

「隣のイタリアン、こんな良い店だったんですね。テーブルのランプシェードが食堂車、っていうか、オリエントエクスプレスみたいで洒落てる。配光も独特で」
「ああ。俺がインテリア設計したから」
「えええっ、マスターそんな仕事も!」
「工務店の知り合いと組んで、そういう仕事もしてたんだ」
「ほんと、マスターには助けられてるんですよ」
 コックの彼女が微笑みながら手際よく準備していく。
「なんか」
 メイは言った。
「これ、デートみたい」
「え、そうじゃないと思ってたの?」
 またマスターが軽口を言う。
「いえ、素敵です」
 マスターは微笑んだ。やや薄暗くムーディーなディナータイムのこのイタリアンで、マスターの彫りの深い顔が、それでさらに一層ハンサムに見えた。
「さあ、明日から忙しくなる。がんばるためにも、食べなきゃな」
「そうですね」
 その時だった。
「あ! うわあああああ!」
 コックの彼女が声を上げた。
「え、どうしました!」
「レンジとオーブンのスイッチ間違えちゃってた……」
「ええっ!」
 二人がキッチンを覗くと、その泣きそうな彼女の手には、黒い何かがあった。
「あれ、イカスミのパスタじゃないよね」
「それどころか、なんかのダーク・マターですね」

「というわけで」
「いただきますー」
「ほんと、すみません!」
 本日営業休止の札を出してきた彼女が謝るなか、二人は代わりのインスタントの冷凍パスタを食べることにしていた。
「そりゃさ、タダ飯期待しちゃダメってコトでしょ」
「期待させておいて、すみません!」
 彼女が謝る。
「いいんですよ。ここで食べるだけでも素敵です!」
 メイもフォローする。
「美味しい。本格イタリアンのお店で食べる日清スパ王」
「ひいいい、ごめんなさい!」
 でも、3人は笑っていた。
「忘れられない思い出になりますね」
「ああ。ほんとうにな」

 だが、これから天の川鉄道模型社を襲う試練の厳しさを、メイはまだ知らなかった。
 それが、メイの想像をはるかに超えていることも。
〈続く〉
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登場人物紹介

照月メイ

 19歳。ニートだったところを縁あって天の川鉄道模型社にバイトとして雇われ、メイド服まがいのコスチュームを着て店員をしている。仕事は接客とカスタム模型制作補助。ネトゲと深夜アニメ大好きでレジ打ちが苦手。

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