第4話 鉄道車両技術入門・近藤 圭一郎 (著, 編集)をお求めのお客様

文字数 9,704文字

「やっぱり模型作業用のライト、いいのにすると楽ですね、眼が」
 メイがそう言う。これまで開いていたところ、PCデスクの後ろに、メイのための工作机と座椅子が置かれている。
「同じアームライトでも発光部が平面だと影の出来方が違う。ふつうの電球用のアームライトは電球、点光源だから影が不自然に出来てしまう。模型の理想の光源は太陽光の平行光源が理想だからね。それに近いほうがなにかといい。平面が発光してる明かりは平行光源に近い。アームライトも歯医者さんのように光の当てかたが自由になる。あと」
「ガッカリブルーですよね。LEDの仕組み、ようやくわかりました。電子が光に転換するとき、チップの化合物が安いのだと紫外線に近い波長の光が出ちゃうんですね」
「波長400ナノメートル以下が紫外線。青に近ければ近いほど眼にはきつい。白いLEDが青くなって見えるのはたしかにがっかりだし、それ以上に目に悪い。長時間作業していると段々疲れてきちゃうし、眼を痛める。工作の腕は眼にかかってる。でもメイちゃんも、最近ようやく垂直水平が出せるようになってきたね」
「ありがとうございます。教わったとおりなんですけど」
 メイはオリエント急行のプルマンカーを自分で改造して作った展望車のデッキをみつめている。
「垂直水平は、まず工作物の土台、ベースをしっかり水平にすること。それからあとはよく見て工作。それでもし曲がっていたら、修正出来るときは修正、出来ない固定後であれば、平行四辺形になっている2つの鋭角の角を含む三角を削るとよい、って」
「そう。少し柱は痩せるけど、綺麗にはなる。人間の眼はは柱の痩せ方には甘いけど、傾きには厳しいからね」
「そうですよね。どうです! これ」
 メイがドヤ顔でその展望車を見せる。
「もう少しかな。でも前よりは随分良くなった」
「ありがとうございます!」
 メイは嬉しかった。
「深夜アニメやネトゲより面白いでしょ」
 メイはちょっと考えた。
「同じぐらい、かな」
「なんだ、その程度なのか」
 でも、メイはそう照れ隠ししたが、実は模型作りが楽しくて、店番しながら工作し、家に帰っても工作し、最近深夜アニメもネトゲもご無沙汰になっていたのだった。
「まあいいか」
 マスターはそう言うと、また自分の工作に戻ろうとした。

 その時だった。
「マスター! こんにちは!」
 やや幼い男の子の声が響いた。ここ数日よく来る彼だ。
「おー。いらっしゃい。今日の中学校は終わったの?」
「はい!」
 元気な声が店に響く。
 だがその声にメイは一瞬イラッとした顔になる。
「マスターの作ったJR海老名駅の模型、すごいですよね」
「ありがとう。あれ、鉄道模型雑誌のコンペに出品して、入賞して載ったもんね。その後すぐこの店開いて、コンペに参加する資格なくなっちゃったんだけども」
「でもこうして、ここでマスターの作品見られるから嬉しいです!」
「そうかそうか」
 メイは模型に集中しようとした。
 マスターが応対してるから、私は別に良いわよね。
 と、我関せずを決め込むはずなのに。
「メイちゃん、彼の分のコーヒー淹れてくれない?」
 呼ばれてしまった。
「わかりました」
 ちょっと憮然とした顔でメイはキッチンに向かった。
「メイちゃん、どうかしたの?」
「どうもしてません!」
 マスターはちょっと気付いたようだが、ちょっと考えた後、彼の相手に戻った。
「おおー、Nゲージファインスケールの入換信号機か。小さいねこれ!」
「はい。でも、ちゃんと点灯します」
「LEDチップは0608?」
「はい」
「ありゃ、電源は乾電池か」
 マスターは驚く。
「短時間のテストなら電流制限抵抗は乾電池の内部抵抗で十分です」
「確かにそうかも。おお、ちゃんと光るね。でもこれ、裸眼で作ってるの?」
「はい!」
「さすが。若さだね。ほんと。まぶしいよ」
 メイはさらにムッとする。
「はい、コーヒー!」
 すこしガチャンとカップを置いてしまう。
「失敬!」
 そう言うと、メイはまた戻っていった。
「マスターのカスタム蒸機、さすがですねー」
 ショーケースの中に並んだ蒸気機関車の模型について、彼はそういう。
「まあな」
 その隣にメイの作ったカスタム蒸機がある、
 つい、どう見るかとメイは気にしてしまう。
 彼はそれを見ると、ぷいっとこう言ったのだ。
「こっちはいいや」
 ええっ! なに! 何なのこの子!
 失礼ね! 私がマスターと勝負にならないのは知ってるけど!
 いくら何でも失礼すぎる!
 メイはさらにムッとする。
「マスター、鉄道模型にSICインバーター使えませんか?」
「まあ、そのうち使うんだろうね」
「SIC使うと導通損失とスイッチング損失が減るので、装置が小さく出来ますよね」
「そうかもしれん」
 彼はマスターになついてメチャメチャ嬉しそうだが、メイはかえっていらだっているのだった。

「いったいなに? あの子!」
 彼が帰った後、溜息の後にメイはそう吐き捨てた。
「まあ、相手は中学生だから」
「中学生でもあそこまでヒドくない子もいっぱいますよ」
「そうかもしれん」
「それに毎回安いものチマチマ買っていって。綿棒とか」
「お客に高いも安いもないさ。お客はお客」
「そうですけど!」
 メイはまた苛立っていた。
「どうしたの、メイ」
「もう。知らないっ!」

 そして、次の日も彼が来た。
「マスター、このお店、書籍も扱っているんですね」
 彼が言う。
「模型作りに関係しそうな本だけ、付き合いのある本屋さんから入れて貰ってるんだ」
「これ、結構古そうですね」
「蒸気機関車/スタイルブック 山崎 喜陽 (著) だね。蒸気機関車のことならこれ読むとばっちりだ」
「そうなんですか。こっちは? 箱入りで高そうですね」
「蒸気機関車―記録写真 (1970年) 西尾 克三郎 (著), 黒岩 保美 (著)。これも名著だね。写真が素晴らしい」
「この変型版の写真集は」
「あ、それは動止フォトグラフ―In a blur of speed (国鉄主要車両編) 広田 尚敬 (著)。走ってる車両を流し撮りでピタッと真横から撮った昔の写真集。お召し列車を当時の先帝陛下ごと真横から撮ってるところもある」
「ホームページの『かけやま写真館』さんみたいですね」
「そうだね」
「あそこの写真、ほんと資料性高いですよね」
「自由形模型の参考図作るときにすごく助かるね。プランニング段階の図面はあそこの写真借りるといい」
「マスター、今度室内灯自作したら、抵抗値間違えてて車両溶けちゃいました」
「ありゃ。それはいろいろマズいねえ」
「はい」
「でも、もっと難しい点滅回路作ってたのにそんなミスなんでするの? この前見せてくれた模型で」
「はい。12F683ってPICにプログラムを書いて、PWM制御でじわじわついてじわじわ消える点滅を作りました」
「あれあると回転灯もどきが作れるから良いよなあ」
 彼は模型とマスターに夢中。そしてメイは相変わらず、それが不愉快だった。
 でも、なんでだろう。なんでこんなにイライラするんだろう?
 メイは自分で自分がわからない。
「はい、コーヒーです」
 それでもメイはコーヒーをだす。
「マスター、こんど僕たちの中学校にも来てください。学校で模型の運転会やりますから」
「うーん、日程が合うかなあ。行くために店休むわけにはいかないからなあ」
 今度はシカトかよ! ますますメイは不愉快だった。
「あ、マスターの店で、模型の取り寄せ取り置きって出来ます?」
「できるけど、普通の模型店やAmazonとかネット通販より高くなっちゃうよ」
「いいんです」
「手に入るかなあ」
「KATOの20-063、車止め線路Aです」
「え、それでいいの? あの車止め標識の光るやつ? 君なら自作出来ちゃうんじゃない?」
「見てみたいんです。メーカーがどう作るか」
「高くなるよ」
「いいんです、マスター」
「そうか。じゃあ、メイちゃん、取り寄せ伝票書いて」
「わかりました」
 メイは不愉快ながら、注文伝票を書く。
「会員証はございますか」
「忘れてきちゃいました」
 なんだとう!
「じゃあ、お名前から探しますので、こちらに記入して、お待ちください」
 PCの顧客リストからさがして、伝票をの空欄に記入して埋める。
 ああ、めんどくさい!
 メイはさらにイラッとしていく。
「これで承りましたので、届いたらお電話しますので受け取りにいらっしゃってください」
「はい」

 メイはそこからさらに頭にくるようになった。
「はい、天の川鉄道模型社です」
 また鳴った店の電話の向こうの声は、彼だ。
「いいえ、まだ入荷してません」
 メイはメチャメチャ不機嫌になった。それでも必死にそれを隠そうとする。
「入荷したらお電話差し上げますので、それまでお待ちください」
 電話が切れると、メイはまた溜息をついた。
「もー! あの子ったら!」
「まあそうかもなあ」
「入荷の電話照会1日12回も! それがここ一週間ずっとです! 毎回入荷したらこっちから電話するっていってるのに! なんでそんなに確認するの! 900円の車止めでこんな電話応対繰り返させるなんて、どうかしてます!」
「そうかもしれん」
「『そうかもしれん』じゃないですよ! なんなんです、あれ! ヒドすぎます!」
 マスターは工作の手を休めずに口にした。
「彼が普通の子じゃない、ってのはメイもわかってるよね」
「ええ。多分発達障害でしょうね」
「たぶんね。今はそう呼ぶことになっている。でも、俺はそう決めつけるのは嫌いだ」
「嫌っても解決しませんよ」
「というか、あれ、解決出来ると思う? 医者に連れてけば、黙らせるため、感覚を鈍くするための薬が処方されることもある。そうなるとあの子、あの鋭敏な感覚と工作力を発揮することなく、無為に寝込むだけの日々になることもある」
「でも、あのままだと彼のためにも」
「それを考えるのは彼の主治医だよ。俺たちは模型店でしかない。判断する知見もないからどうもできない。まあ、あれがヒドくなって雪だるま式になったら悪循環を切るために薬飲むしかないだろうけど、それは家族と医者の判断することだ」
「十分ヒドいですよ。薬でも何でも飲めば良いじゃないですか」
「けっこうメイもヒドいこというなあ」
 マスターは頭をかいた。
「まあ、店をやってればいろんなことがあるさ。電話で予約注文と予約注文取り消しを延々と繰り返す子もいるし」
「でも彼、このうちの店のお客さんとして、いいんですか?」
「うちは大人向けの店だから彼を閉め出す? そうはいかないさ。彼、すでにうちの店の会員だよ」
「それでもヒドすぎます!」 
 マスターはちょっと模型用の電子工作の手を止めた。
「ああいう子は時々いる。でも、大人になると、途端にああいう感じの子はいなくなるよね」
「そりゃそうですよ」
「なんでだと思う?」
「当人が気をつけるように成長したんじゃないんですか?」
「そういう子もいる。でも、あの行動には薬の効く不安や強迫といった症状のものならいいんだけど、他の理由だったら薬は効かない。それなのに無理矢理に強い薬で止めようとすると、もうまともな行動も出来なくなる。一日中寝込んだりね」
「それじゃ、学校とか行けないじゃないですか」
「そういう子もいる。考えてもごらん。自分が行きたいところにもいけず、何もする気も起きず、無為に日々を過ごす。それは楽しいかな?」
「いえ……辛いですよね」
「その辛さがさらに不安と強迫を作り、余計にその対策の薬も増える」
「悪循環じゃないですか」
「そしてそうなると学校にも行けず、勤めも出来ない」
「じゃあ、どうなるんです?」
「入院したり施設に入ることになる。そこでは好きな鉄道模型なんか出来ない。ますますその辛さから病状が悪化して、社会に戻れなくなる。ほぼ一生、病院か施設で過ごすことになる。どんなにそこで優しくされるとしても、そこに最大の幸せ、自由はない。そして世の中に存在しないように見えてしまう」
「そんな」
「そうはならなくてすむ子もいる。でも今の日本では、精神病棟で過ごす人が今も29万人いる。中には退院出来ないとか、させてもらえなくて入院から入院へとなってる人もいる。そんなのが精神的にいいわけがない」
 マスターは回路をテスターでチェックしている。
「彼からそれでも鉄道模型を取り上げられるかな。彼から、人生の希望を奪うことが出来るかな?」
 メイは言葉もない。
「医者がすべて、患者の症状のうち、薬で解決出来る部分と出来ない部分の鑑別ができる腕を持ってるとは限らない。俺たちに彼の面倒見る力はないけど、同時に、彼から模型を取り上げ、始まったばかりの人生の希望を取り上げてしまう資格はないさ」
「でも、このまま彼のやりたい放題には出来ないと思いますけど」
「その判断をするのは俺たちじゃない」
 マスターはそう言いながら、ちょっと悲しそうだった。
「そもそも、ああいう子を、とりあえず目に見えないところに行ってくれ、っていう考えは残酷じゃないかな? 目障りでないところに行ってくれ、って。昔、そういう障害者をまとめて見えないところ、収容し、ガス室に送った国がある。生きてても当人も苦痛だし、彼らに与える福祉の予算ももったいない、って論理を作っちゃって。その国では誰も疑問に思わず、『医療的に正しい行為だ』と思って医者も看護師も、その病院の周りの人も、せっせとガス室に患者を送り込み続けた。しかも計画的に、効率的にやろうとした。その病院に行くバスは行きはぎゅう詰めで、帰りは空だった。そりゃガス室で殺しちゃって火葬もそこでやっちゃって、帰り道ないんだから。恐ろしいことに、2年間もそれが続き、公式資料だけで7万人が殺された。しかもその国はそれから後も似たことを続けて20万人以上が犠牲になったという」
 マスターは続けた。
「ホロコーストは1100万人が殺されたけど、その虐殺の効率化はまず医療で始まったんだ。医療現場で良いことしてるつもり、『恵みの死』ということで7万人が殺された。ミュンスターの司教が『貧しい人、病人、非生産的な人はいて当たり前だ。それを殺してもいい事にしたら、老いて弱った我々も殺されるだろう』と教会で痛烈に批判するまで、それは続いた」
 メイはその言葉を受け止めている。
「極端かも知れないけど、でも彼らを追い出せばいい、ってのは恐ろしいことだ」
 マスターは模型に使う電子回路のハンダ付けをまた始めた。ハンダごて界のフェラーリとも呼ばれるジャパンユニックスが大活躍している。
「少し苛立つかも知れない。でも、その少しのいらだちで、それがそういうとんでもないことにつながるってことを、忘れちゃいけないんだ」
 メイは、受け止めていた。
「そうですね……苛立つことは正直あっても、それは、ただそれだけのことですものね」
「彼にはすごい才能がある。あの歳であれだけできるなんて。本当に将来が楽しみだ。それすらも鉄道模型ごと摘み取るなんて、あまりにも残酷だ、と俺は思ってる。それに」
「それに?」
「多分、彼は学校でいじめられてる」
「……そうですよね」
「だから、ウチの店に逃げ込んできてるんだよ。そんな彼から居場所すらも奪うのは、残酷すぎると思わないか?」

 メイは考え込んでしまった。自分はたまたま障害なく生まれ、障害にならずに生きている。でも、どこかでなにかが変われば、自分がああなるかも知れないんだ……。
 模型も、希望も取り上げられるなんて。そんな人生、辛いなんてもんじゃない。
 そんなことを考えながら、その日の営業時間が終わり、店を閉めてSECOMのスイッチを入れて帰った。

 そしてしばらく後。
「こんにちは!」
 彼が店にきた。
「いらっしゃいませ」
 メイが応える。
「マスターはいますか」
「今ちょっと預かった戦前の鉄道パンフレットのコレクションを鑑定に出すのにでかけてて」
「そうですか」
 彼はすこしションボリした。
「でも、コーヒー淹れますね。多分今日のうちには帰ってくると思いますから」
 メイが奥に行こうとしたときだった。
「あの」
 彼の声に、メイは怪訝な顔になる。
「これまでいろいろ失礼しちゃってすみません」
 ええっ。
「僕、そういうことにそのときに気付けなくて。ごめんなさい」
 メイはそれを聞いて、胸が一気に張り裂けそうになった。
 彼女は気付いたのだ。
 その癖に気付いてもそれを直せないことに一番苦しんでるのは、彼本人だった!
「いえ、大丈夫ですよ」
 メイは答えながら、彼が内心どんなに心細く生きているかを察した。
 中学生であんなにすごいことができるのに。
 私はこの子からそれを、希望ごと奪うところだったんだ。
 私、ほんとうになんて残酷だったんだろう!
「それより、学校大丈夫?」
「大丈夫です」
 そう彼は言うが、メイでもわかった。
 やっぱり大丈夫じゃないんだ……。
「ねえ」
 メイはコーヒーの準備をすると、その前にカウンターを回って彼の所に行った。
 神様って、なんて残酷なんだろう!
「ちょっと、ハグさせて」
「え、なんでですか」
「そうしないと、私の気が済まないの」
「そうですか」
 メイはその答えで、その胸で彼の顔を受け止めた。
 小さな身体……。
 これで、この小さな身体と幼い脳で、孤独に自分の障害と、周りの無理解と戦ってきたんだ。
 その様子を想像して、あまりにも切なくて、メイは胸が痛んだ。
 黙ってるけど、一人になったとき、この子はそのことをきっと寂しく考えているのだ。
 どれだけそれが辛いか。そんな日々を過ごしているなんて……。
 涙が出てきそうだった。
 そのとき、表のドアが開いた。
「帰ってきたよ。鑑定で結構いい値段ついたから、預けてくれた人に報告しないと。っていうか、メイ、なんでそう彼を充電してあげてるんだ?」
「充電してあげたくなったんです」
 メイは彼を抱いたまま、答えた。
 マスターはちょっと考えると「そうだよな」と言って、小上がりに上がった。
「すみません」
 彼は恐縮している。
「いいのよ。これぐらい」
 メイはそう微笑み、彼を離した。
「あ、マスター、前言ってたオススメの本って、どれですか」
「そうそう。これ」
 その彼に言われてマスターが奥から出したのは、「鉄道車両技術入門・近藤 圭一郎 (著, 編集)」だった。カーブをくるE231系500番台山手線が表紙の本である。
「取り寄せておいた。君ならもうこれ読んで理解出来ると思うんだ」
「ちょっと中身見て良いですか」
「いいよ」
 メイもチラリと見た。
 車両の構造だけでなく信号の仕組みとかがびっしり書かれている。
 ひいいい、この本、大学工学初歩レベル、工業高校レベルじゃない!
 中学生には、きっとまだ無理ー!
「ありがとうございます!」
 それでも彼は財布を取り出した。
「え、これ、買うの?」
 メイは驚く。
「マスターお勧めなら、買ったほうがいいと思う。それに実際見てみると面白そうだから」
 彼は喜んでいた。
「そうだよな」
 マスターが頷く。
「じゃあ、レジお願い」
 メイは一瞬の後、言った。
「はい!」

 彼が帰っていった後。
「マスター、彼、どうなるんでしょうか」
「そうだな。頭はメチャメチャ良いから、あの工学書、あのまま簡単に理解すると思うんだ。そして、きっと、模型に応用したり、将来の仕事につなげるられると思う」
「将来」
「そう。中学生には未来がある。そしてウチの店も、ファンをつかむなら低年齢からってのは、商売のセオリーでもあるし」
 マスターは一口コーヒーを飲んだ。
「何よりも希望があって良い。話してると、まだこの世に絶望しなくて良いんだ、って気になるからな」
「でも、神様って、残酷な気がします」
「その神様が彼に、その代わりにすごい才能をくれちゃったからなあ」
「辛いのに」
「それは、生きてるものすべてに与えられた宿題だからな。そしてその答えが見つかったら、多分この世からそいつは戻って行っちまう。この世はその宿題を解くことでもう一つの世界を解決して奇麗にするツールウォッシュ液の入ったバッドみたいなもんだ。ツールをそこで汚れを落として奇麗にしないと、作品のほうが汚れちまうだろ?」
「じゃあ、この世は作品じゃないんですか」
「ああ。残念ながら、この世はそういう、汚れを落としていくだけの悲しいもんだ。それでも宿題を解かないわけにはいかないのさ。その上、途中で放棄したら宿題増えるようにできてるからな」
 マスター、なんでそんなことを。
「俺もそういう要素があるからな」
「……マスター、昔に何があったんですか」
「え、なんで?」
「いい加減、そろそろ教えてくださいよ」
「それはヤダ」
 マスターは微笑むと、また工作台に向かった。
「でも、メイ、なにか彼に嫉妬してたの?」
「えええっ」
「彼氏奪われた乙女みたいな顔してたよ。メイもそういう顔の時もあるのか、って初めて知った」
「そんなんじゃありません!」
「じゃあどんなのなの」
「それより、例の私の自由形自作展望車の展望デッキ、また直したから、見てください!」
「ああ、そうだったね」
 マスターが見る。
 その真剣な眼が、メイにはものすごく素敵に見えた。
「水平垂直も良くなって、前の被災したみたいな感じじゃなくなってきた」
「ありがとうございます!」
「でももっと綺麗に揃えないと、コンペには出れないなあ」
「コンペ?」
「鉄道模型雑誌の模型コンペ。メイはまだバイトだから、出展する資格もってるよ。プロの俺はもう無理だけど。イイの出来たら送ると良いよ」
「ほんとうですか」
「ああ。そうすれば、注文品手伝えるようになって、俺が楽になる」
「その時、その分時給上げて貰えますよね」
「まあ。上げるしかないよなあ」
「やったー!」
「でも、それにはまだまだクリアしなくちゃいけないテクニックがあるからな」
「覚えます」
「まあ、そのためにも、これからつまんない嫉妬はしちゃダメだぞ。ただの比較はそれにすぐ墜ちるから厳禁だ。自分のやりたい模型をどうやったらよく作れるかに全力を。嫉妬は百害あって一利無し。俺、嫉妬で陰口言う奴の惨めな末路をいくつも見てきたから」
「はい!」
「それに気をつけて」
 メイは少しクスクスと笑った。
「まるでマスター、実の娘に話すみたいになってる」
「ああ、そうか。メイは俺、預かってるだけだもんな」
「『お父さんは心配症』って感じ」
「そうかもしれん」
 マスターはそう言うと、また考え込んだ。
「君を預かるときに、本当の君のお父さんから言われたことを思い出したよ」
「え、なんですか?」
「……まあ、そのうち著者が書くだろう」
「なんですか! それ、コミック版パトレイバーみたいな台詞じゃないですか」
 (著者注:ほんと、たいしたことじゃないんですけどね)
 ↑↑↑こらー!! 著者も、ゆうきまさみ先生の下手なマネしないの!!
「似てるかもな。ウチの著者、パトレイバーも好きだし」
「そうですよね」
「まあ、それより宿題をやっつけないとな」
「はい!」
 メイはまた工作机に向かった。
 その時、つい、笑顔になってしまったいた。
 こんな素敵な日々が、ずっと続いて欲しいなあ。
 心から、そう思うのだった。

 だが、この店の危機は、このとき迫っていた。
〈続く〉
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登場人物紹介

照月メイ

 19歳。ニートだったところを縁あって天の川鉄道模型社にバイトとして雇われ、メイド服まがいのコスチュームを着て店員をしている。仕事は接客とカスタム模型制作補助。ネトゲと深夜アニメ大好きでレジ打ちが苦手。

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