第5話 トミックス (0468) 動力台車 DT71D(黒車輪)をお求めのお客様
文字数 9,318文字
「さあ、いくわよ」
メイはそう小さく口にしながら、とあるデパートの上層階に向かう。
雑踏がやむことのないとある賑やかな街並み。
今日は天の川鉄道模型社の休みの日である。マスターは気ままに店を開けたりしているのだが、基本的に水曜日を休むことにしている。
その水曜日、メイが訪れたのは、デパートのおもちゃ売り場隣の鉄道模型ショップである。ここにも大きなレンタルレイアウトがある。
「やっぱり」
メイはその様子を一瞥すると、片手にゼロハリ風味のアタッシュケースを提げて、そのショップのレジに向かう。
「レンタルレイアウト2時間お願いします」
店員が慣れた様子で『走らせるのは何番線にします?』と聞く。
「あいてる番線ならどこでも良いです」
そのメイの言葉の気迫に、店員が少し怖じ気づくほどだった。
そのレンタルレイアウトは、いつものようにのぞき込む買い物客がちらほらいる程度で、あとは運転テーブルに着いた子供が黙々と車両を走らせている、というより、暴走させているのだった。
スケールスピードといって、小さな模型はその分ゆっくり走らせた方が実感的で良いとされるのだが、幼い子どもたちはスロットレーシングを楽しむがごとくに車両をフルスピードで走らせている。明らかにオカシイ速度である。新幹線を追い抜く八高線電車もいる有様で。こうなると模型であっても可哀想に見えてしまうのだ。
そのくせその子たちはレールに車両を載せるのに、つまらないかっこつけでリレーラーという補助具を使わずに手だけで載せようとして、なかなか載せられない上に、その反対の手を不用意に線路に置いてしまう。
当然そこに他の人の車両がぶつかって、さっそく言い合いになっている。
そしてその様子をのぞき込むおじさんが、走っている車両について、独り言を言っている。よく聞くと『こんなのはありえないよなあ』『台無しだよなあ』『わかってないなあ』といった類いのケチ付けである。聞こえるか聞こえないかの声量でブツブツ言っているのがまた卑怯なところである。
そしてレイアウトのコーナーの向こうでは子供が『買って買ってー!』とお母さん相手にわがままを言って床に転がってギャン泣きしている。
まさに阿鼻叫喚だが、こういう店で良くある風景である。
「よし」
メイは運転テーブルに着くと、アタッシュケースから車両を出す。このケース、鉄道模型車両用の専用品である。
「なんですかそれ」
運転させていない子供が聞いてくる。この瞬間、「なんですか」といわれるのが自由形車両作りの趣味の醍醐味なのだ。メイはここで早速少し満足していた。
「これはオリジナルデザインの新在直通高速度試験車。TRY-Xって名付けてる。ミニ新幹線規格でいろんなマル秘ギミック満載。それとこっちは自由形のV形シリンダーのドイツ・ヘンシェル19.10形を再デザインした蒸気機関車の牽引するオリエントエクスプレス改。編成最後尾にはオリジナルの展望車付きなの」
「すごい! ほんとうにすごい! おねえさん、すごいモデラーなんだね!」
「まあ、それほどでもないけど」
「でも、今他の子がメチャメチャしてますよ。こんなカッコいいフルスクラッチ走らせたら、巻き添えで壊されちゃいますよ」
驚く彼に、メイは、言い切った。
「私、壊されないので」
その気迫に子供がすこしビビっていた。
すぐにメイは慣れた手つきで車両を並べる。リレーラーをつかってテキパキと載せる。
そして、引き込み線で電源のダイヤルをつまみ、少し通電させ、動力の調子をチェックする。
そのとき、他の子がスピードオーバーで派手に脱線させた車両が脱線のまま、メイの置いたTRY-Xにぶつかろうとしていた。
しかし、メイはそれに気付くと、ぱっとすぐにTRY-Xを発車させてそれを回避する。さっきまでそれを載せていた引込線に脱線した113系横須賀線のクハが突っ込んでいる。危機一髪だったが、メイは少しも動じないどころか、その脱線させた子とさっきまでスピード競争をしていた子の湘南新宿ラインE231系を追いかけ始める。
!!
進路上に線路に手を置きそうな男の子がいる!
メイは慌てずに減速し、自作のリモコンを操作する。小出力の電波のコマンドに反応して車体のスピーカーからオリジナルのミュージックホーンが鳴り、その男の子は驚いて手を引っ込めた。それを見て、メイはそのTRY-Xを再加速させる。
E231系はスケール換算で考えるとどうやっても新幹線より速く、リニアに近いスピードで爆走している。
だが、TRY-Xは車体を徹底的に低重心化していて、なおかつギア比を変えたモーター車のパワーでコーナリングスピードを稼げるので、どんどん間を詰めていく。
逃げようとその子供が電源のダイヤルを最大位置まで回している。しかし……逃げられない! メイの巧みな運転は、カーブの限界速度を守りながらその脱出速度を稼ぐ、スロットルレーシングの熟練テクニックそのものなのだ。そして動力部の高速性能重視へのギア比変更で、アリエナイほどピーキーに速くなっている。
しかも、メイはその時、また手元の自作リモコンをピッと押した。途端にTRY-Xの屋根上の回転灯が点灯した。回転させながら驀進するその様子は、高速道路で取り締まりをする屈強な高速機動隊のパトカーが違反車を追うような勇猛ぶりだ。
そして子供が唖然としているウチに、そのE231系の前にTRY-Xが回り込む。
「はい、そこの運転士さん、速度落として止まってくださーい!」
子供が思わずダイヤルを戻すと、それを路肩に追い詰めるパトカーのように前に出ていたTRY-Xの車体から上に向けてぱっと板状のモノが飛び出た。エアブレーキだ! またしてもメイのリモコン操作でそれは作動したのだった。ラジコンやドローン用の部品を駆使したギミック満載のTRY-Xである。メイはまるでスビード違反の交通取締のように暴走Nゲージ列車を止めることに成功した!
さっきまで文句言っていたおじさんは、その様子を見ていて唖然としていたが、すぐに別の番線を走っている車両に文句を付け始めている。はやくもこの空間を支配し始めたメイには勝てないと思ったのか、文句を付けないのがいかにも小物である。
「こんな編成ないよなあ。マイテとA寝台とシュプール客車をつなげて機関車で牽引するとか。アリエナイよ」
走らせている子供が、それに気圧されて、何も言えなくて半べそになっている。
「ええ、今は無いですね」
メイが即座に答える。
「でも昔は連結器さえあえば、工場入場回送なんかでいろんな珍ドコ編成がありましたよね。JR四国でも気動車とトロッコ列車つないだ例があるって。そのもっと昔はもう資料がないですからね。秋田なんかでも土崎工場に回送する20系客車を50系の客車列車につないで回送している写真が鉄道ジャーナルのバックナンバーにありましたね。特にこの子の編成はたしか1992年の『快速ナイスホリデー珍ドコ列車』の編成ですね。92年11月3日の運転だったように覚えています」
メイは返す刀でバッサリと両断し、そして走らせている子供に優しくアイコンタクトした。半べその子供が深く頷いている。
「よく調べてちゃんと車番まで再現してるのが素敵だねー」
この嫌み返しに、当然その嫌みケチつけおじさんは何も言えずに退散するしかない。
だが、もうひとりまだ暴走させている子がいる。京急2100形がこれまたリニア並みの爆走である。
そこにメイは持ち込んだもう一編成、V形シリンダーの蒸気機関車牽引のオリエントエクスプレスを走らせて近づけていく。
V形シリンダーの蒸気エンジンは整備も難しく、それを使う機関車は試作車が数両あるだけでほぼ実用化されてないのだが、メイはそれをフルスクラッチで超高速旅客牽引機として仕上げていた。繊細な足回りは3Dプリンタで作ったパーツを多用している。
それが京急2100形に追いついていく。
それを運転する子供は、その繊細かつ優美な機関車と、宝石のように丁寧に整備されつややかに輝く車体に室内灯フル装備のオリエントエクスプレス客車に、目を奪われていた。
そしてどの直後、自分のやっていることの恐ろしさにようやく気付いた。
自分の買った模型がいくつ買えるかわからないほどの超高級品が追いかけてくる!
ぶつけたら大変なことになる!
京急2100系の子は、ようやくスピードを落とした。その身体が震えている。メイはその子にアイコンタクトすると、その特別なオリエントエクスプレスをペースカーのように扱い、彼を適正なスケールスピードに誘導していく。
子供はそのスケールスピードの美しさに気づいたようだ。それをまねて、他の子も速度を下げ始めた。
そしてお店の店員が察して店の照明を少し暗くした。オリエントエクスプレスの室内灯が夜汽車のようにキラキラと輝き、デパートで通りがかった人が次々と魅入って、最後には店の周りに人だかりが出来ていた。
ギャン泣きしていた子も、メイの走らせている車両を見るのに夢中になって、泣くのを忘れている。そしてただ親にほしがったところで手に入りようがないものがあるのだと思い知らされているかのようだ。
そしてメイは、みんなに展望車のテールランプを魅せるようにゆっくりと減速させて停車させ、手際よく片付け。その2つの編成をアタッシュケースに収納した。
そしてリレーラーとクリップボードを返却し、その店でいくつか整備用の補充パーツと、改造の種にするジャンク車両を買って帰ることにした。
天の川鉄道模型社は鉄道模型店なのだが、社割、社員割引はないのだ。こういう量販店の方が品揃えが良いのは致し方のないところである。というか、今の時代に個人経営の小売店に品揃えを要求するのが間違っているとメイは思う。
お会計の後、メイに店の人が深く一礼していた。そこまでと思うが、彼らにとってもこれはどうにかしたかったのだろう。事実、それが解決したのだった。
その模型の鮮やかな運転に目を奪われた人には、メイが『神様』に見えたかのごとくのシーンであった。
事実ツイッターにムービーを上げている者もいたようだ。
それを背に、ゼロハリ風味の車両ケース片手に颯爽と帰って行くメイの後ろ姿。
まさに、時代劇のようで、いわゆる無双シーンでもあった。
かわって次の日は、天の川鉄道模型社の営業日である。
「ありゃー、ヘッタクソだなー。また垂直水平が甘いよ」
工房で声が上がる。
「えー、これでもだめですか! がんばったのに!」
「甘い甘い。まだ水は入る。工作も仕事もとどめを刺すのが大事だ」
いつものようにマスターにやっぱりダメ出しされてるメイだった。
貸しレでは 神様だけど ド下手くそ 店に帰れば 素人同然
(メイちゃんココロの狂歌)
*
いつもの代々木上原・天の川鉄道模型社。
「今日は、お客さんが来るんだ」
マスターが真顔で言い出した。
「来るから良いじゃないですか。商売繁盛で何よりですよ。ヒマしてるより良いと思いますけど」
「いや、そういうことじゃなくて。正直、ちょっとめんどくさい客なんだ」
「え、どんな人です?」
「今は言えない」
メイは怪訝な顔になった。
「あ、まさか。離婚で落ち込んでて私が地雷踏んだ人みたいな?」
「違うよ」
「親友の同僚を失って買い物依存になってるのを私が地雷踏んだ銀行頭取?」
「違うよ」
「自信を失っててそれをまた地雷踏んだ孤高の凄腕アルミ缶モデラー?」
「違うよ」
「じゃあ、あのくそ生意気な凄腕中学生モデラーだ!」
「違う違う。ドサクサに紛れてここまでのダイジェストにしちゃだめだ」
「えー、なんでー」
「そんなことやってると、著者に読者サービスとして水着回やらされちゃうよー。うちの著者、ド変態だから」
「あ、それヤバい。確かにド変態ですもんね。私、あぶない水着は絶対イヤですよ!」
(著者注:昨今、まだまだ変態としても修業が足りないことを痛感しております)
↑↑↑著者さん、だからそっちの方向じゃないってば。もー。
そんなバカなやりとりを見ろしているネコのテツローである。
「テツロー、もう少しで処分されるところでしたもんね。今じゃすっかりなじんでフクフクになって」
「そう。オスの三毛って珍しいから幸運を招くって珍重されてるのに、なんで処分寸前になってたのか、イミわかんないよ。前のオーナーがどうかしてるよ。多分」
その時だった。
「こんにちわ」
やってきた背広の客に、テツローが「フーッ!!」と威嚇の声を上げる。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら、なぜテツローがこんなに珍しく機嫌悪いのか、まだわからないメイだった。
「なかなか良い店だよな。この内装もセンスがあって。カフェコーナーとか洒落てて良いよな」
彼はカバン片手の目立たない背広姿だが、テツローがおびえるほどのなにかは確かに持っている。そんな不思議な男性だった。
「ああ。俺の秘密基地ってところだ」
「たしかにそうだな。こういう店をもつのは、多くのモデラーの憧れだもんな。あちこち素敵で、見ていて飽きない。陳列からバックヤードまで。工房部分もすべてが良い店だ」
「ありがとう」
「この揃ったフィギュアも。お前、好きだったもんな。このキャラ」
「まあな」
「でも店の子は全然違う雰囲気で」
「そりゃそうだ」
マスターは言った。
「でも、うちの子、なかなか優秀でいい子なんだせ」
えっ、私のこと? メイは戸惑った。
「マスター、よく聞こえなかったー」
冗談のようにメイが聞く。
「ヤダよ」
拒絶するマスターとメイのペアのコミカルさに、彼は笑っていた。
「ただ、それでも一つだけ気に入らないところがあって」
「えっ、なんでしょう?」
彼の言葉に、メイが聞く。
「あのころの写真をまだ飾ってるのが気に入らない」
「そうか。いい写真だと思うけどなあ」
そういうマスターの工作机の奥に写真が飾られていた。なにかの記念撮影の写真である。でも、まだセピア色にはなっていない。そこまで昔のものではないようだ。
「よくはないさ。若気の至りそのものだ。そんなもの、若いウチに脱ぎ捨てておきたかったのに。いまさらあんな時代を思い出したくない」
彼は深く後悔しているようだ。
「そうか。俺としては、あのことがあっても、あのことは無駄じゃないと思っていたんだが。あの写真しか探してもなかったし」
「そうはいかないさ。今思い出しても、苦い思い出だ。だから写真もできるだけ撮らないようにしていたんだ」
「わかるよ。あのことは、ある意味ヒドかったな」
メイはなんの話をしているか、さっぱり見えない。
「あれから15年か。早いもんだな」
「ああ。月日は矢のごとく駆け抜けていく」
「注文してたパーツ、手に入ったか?」
「入ってるけど、なんでこんなのウチで買うんだ? ネット通販や量販店の方が安くて確実に手に入るのに。予備の動力台車なんて」
「それとここは全く別だからな。あと、作りたいモノが出来て」
「戦争でも始めるのか?」
「それに近いかも知れない」
わからん……聞いてて、さっぱりわからん。
メイは目を白黒させてるしかない。
「なあ、また同じところに戻らないか。今ならお前の才覚でいくらでも何でも出来るぞ」
「それがイヤだったから、この店を作ったんだぜ。わざわざなんで戻る理由がある?」
「そうか。あそこでは切れ者で有名だったのに、今は模型屋の主人か。もったいないな」
「職業に貴賎はない。俺は俺でこの仕事、気に入っているんだ」
「そうだろうな」
彼は息を吐いた。
そして、そのカバンの中のケースから、マイクロSDカードを一枚出した。
「もし何かあったら、これ使ってくれ」
「あ、いや、受け取れないよ。こんなもの」
「そういうと思ったが、受け取って貰う」
「すまん、勘弁してくれ」
「それはできない。これを我々のもとにまた持って帰るわけには、いかないんだ」
しばらくそんなやりとりがつづいた。
「あの!!」
メイが大きな声を上げて割って入った。
「マスターは受け取りたくない、あなたは持って帰れない。そういうことですよね!」
「まあ、そうだけど」
「そうだね」
「じゃあ、私が預かります。これでいい?」
マスターと彼は同時に驚いている。
「なんだそれ。ジブリ映画のシーンじゃあるまいし」
「いや、案外いいスキームかも知れない」
彼はマイクロSDをケースに入れた。
「じゃあ、預かってくれ」
「はい、預かりました。お預かり票とかいります?」
メイが聞く。
「いや、これが存在してるだけでマズいから、いらないよ。いざとなったら読み取って、そこから先は好きにして良い。ただ、マスターになにかあったときに限るけど」
「わかりました」
「メイ、いいのか?」
マスターはまだ驚いている。
「だって、せっかくお二人に出したコーヒー、言い合ってるうちに、すっかりアイスコーヒーになってますもん」
メイはそう言うと、「入れなおしてきます」とカップを下げ、冷蔵庫の方に歩いて行った。
「なかなか良い子じゃないか」
「そういう関係じゃないよ」
マスターはやるせない顔になっていた。
「じゃあどういう関係だ?」
ちらりとキッチンから見たマスターの顔は、これまでメイが見たことのない顔だった。
「友人から預かってる。でもその細かいことは言えない。お前相手ならなおさらだ」
「そうか」
彼は寂しそうに言った。
「今から時間が逆になってくれればどんなにいいか」
「無理なモノは無理なんだ。受け入れるしかないよ」
「わかってるさ。でも、そう思いたくもなる」
男二人で、カフェコーナーで溜息を揃ってついていた。
それをメイは見た。
「マスターとあなたは、親友ってコトですか」
「え、親友?」
マスターと彼は目を見合わせた。
「親友、ではないよなあ」
「ああ。その発想はなかった」
「じゃ、何なんです?」
「うーん、なんて言ったらいいか」
「まあ、簡単に言えば」
彼が言った。
「追うものと追われるものだったのさ」
メイはまた目を白黒させた。
「やっぱり意味がわかりません」
「ああ、まだわかんないほうがいいよ」
マスターは隠そうとしている。
「そうだな。経緯を話すには長すぎる話だからな」
「それが親友じゃないなんて」
マスターは、肩を鳴らしていった。
「それがその困った事情ってやつさ」
「あ、そうだ、それとコレとは別で、こういうもの作ったんだ」
そう言って彼はカバンから車両ケースを出した。
「拝見します、って、うわっ」
メイは見るなりのけぞった。
「これ、『或る列車』じゃないですか! それも最近できたJR九州の気動車の奴じゃなくて、みなとみらいの原鉄道模型博物館になったブリル社製のまぼろしの豪華列車! でもあれはずっと大きな1番ゲージだけど、これはNゲージですよね。どっかのメーカーで生産した試作品ですか?」
「いや、これ、フルスクラッチだ」
「ええっ。手で作ってこんなカチっと仕上げた編成ものを仕上げるなんて」
「ああ。普通の人間の能力では無理だ」
「3Dプリンタでもなさそうだし……どうやってこれを」
「それは教えられないよ」
「……デスヨネー」
確かに凄腕なんだろうけど…。
「まあ、やり方はなくはない。難しいけど出来る」
マスターはそう言う。
「出来るけど、酷く難しい。それを彼はやってのけるんだ」
そのマスターの言葉に、不思議な感情が乗っていた。
なんだろう、この感覚。
……ああ、そうか。
寂しいんだ。とても。
マスターも彼も。
「まあ、たしかに寂しいかもな」
「ああ。世の中には上には上がいる。青天井に」
男二人は、息を吐いた。
「そして、人の正当な評価なんて、人間には不可能だ」
「まあ、それをあのとき、要求されたよな」
「なんとも言いがたいよ」
そのとき、ケータイが鳴った。
その彼の胸ポケットだ。
そのケータイを取り出して、通話はせずにナンバーだけを見て、彼は帰り支度を始めた。
「本省から呼び出しだ」
「こんな時間に? 国会会期中でもないのに?」
「ああ。働き方改革なんて言っても、自分とこのそれが全く出来てないって話だ。情けないことだ」
そう嘆きながら、彼はコートを着て、「また来るよ」といって帰って行った。
見送った後、メイはマスターに聞いた。
「マスター、昔、あの彼と一緒に仕事してたの?」
「ノーコメント」
模型作りから目を離さずにマスターは答える。
「本省って言うから、霞ヶ関?」
「ノーコメント」
「まさか、FBIとかCIA、NSAとか?」
「ノーコメント」
「それとも……あ、そうだ、マスターはスパイとかなんじゃない!?」
マスターは笑った。
「だって、このお店、ほんとに経営大丈夫なのかな、って働いてても思うし!」
「ひどいな。それに俺、そんな勤勉じゃないよ。俺にポルコ・ロッソみたいなこと言わせないでくれ」
「『紅の豚』だ! ジブリの!」
「あれはアニメ。実際はそんなかっこよくないよ」
「実際?」
「たぶんね」
「たぶん?」
メイが追及する。
「それより掃除と納期の近いデカール用のPCでのトレスを急ぎでやってくれ。忙しいんだぜ。本当は」
「あ、逃げた!」
「それどころじゃない。締め切りは怖いぞ」
「借金も怖いですよね」
メイはそう言いながらPCに向かう。このごろデカール作成係を頼まれるようになったメイである。
「もっと怖いよ。幽霊なんか少しも怖くないさ。借金と締め切りはすごく怖いぞ」
マスターもハンダごての手を休めない。
そして、二人がかりでなんとか注文品の作業が終わった。
マスターはその注文品の発送のために宅配の事業所に行くというので、メイが戸締まりをしてSECOMのスイッチを入れて、帰宅した。
そして部屋に戻って、メイはベッドの上に転がった。
「今回は地雷処理も地雷踏んづけることもなくて、平和だったなー」
メイはそんな独り言を言いながら、着替えている。
「もう被害担当艦はやだもん。お客さん相手は楽しいけど」
そして、見つめた。
「でも、なんだろ、このSDカード」
メイは考えていた。
なんだろう。本当に。
まさか……まさかよね。
「ま、いっか」
メイはそのSDカードを自分の部屋の机の中にしまい、その日は眠ったのだった。
そのSDカードの正体も知らずに。
〈続く〉
メイはそう小さく口にしながら、とあるデパートの上層階に向かう。
雑踏がやむことのないとある賑やかな街並み。
今日は天の川鉄道模型社の休みの日である。マスターは気ままに店を開けたりしているのだが、基本的に水曜日を休むことにしている。
その水曜日、メイが訪れたのは、デパートのおもちゃ売り場隣の鉄道模型ショップである。ここにも大きなレンタルレイアウトがある。
「やっぱり」
メイはその様子を一瞥すると、片手にゼロハリ風味のアタッシュケースを提げて、そのショップのレジに向かう。
「レンタルレイアウト2時間お願いします」
店員が慣れた様子で『走らせるのは何番線にします?』と聞く。
「あいてる番線ならどこでも良いです」
そのメイの言葉の気迫に、店員が少し怖じ気づくほどだった。
そのレンタルレイアウトは、いつものようにのぞき込む買い物客がちらほらいる程度で、あとは運転テーブルに着いた子供が黙々と車両を走らせている、というより、暴走させているのだった。
スケールスピードといって、小さな模型はその分ゆっくり走らせた方が実感的で良いとされるのだが、幼い子どもたちはスロットレーシングを楽しむがごとくに車両をフルスピードで走らせている。明らかにオカシイ速度である。新幹線を追い抜く八高線電車もいる有様で。こうなると模型であっても可哀想に見えてしまうのだ。
そのくせその子たちはレールに車両を載せるのに、つまらないかっこつけでリレーラーという補助具を使わずに手だけで載せようとして、なかなか載せられない上に、その反対の手を不用意に線路に置いてしまう。
当然そこに他の人の車両がぶつかって、さっそく言い合いになっている。
そしてその様子をのぞき込むおじさんが、走っている車両について、独り言を言っている。よく聞くと『こんなのはありえないよなあ』『台無しだよなあ』『わかってないなあ』といった類いのケチ付けである。聞こえるか聞こえないかの声量でブツブツ言っているのがまた卑怯なところである。
そしてレイアウトのコーナーの向こうでは子供が『買って買ってー!』とお母さん相手にわがままを言って床に転がってギャン泣きしている。
まさに阿鼻叫喚だが、こういう店で良くある風景である。
「よし」
メイは運転テーブルに着くと、アタッシュケースから車両を出す。このケース、鉄道模型車両用の専用品である。
「なんですかそれ」
運転させていない子供が聞いてくる。この瞬間、「なんですか」といわれるのが自由形車両作りの趣味の醍醐味なのだ。メイはここで早速少し満足していた。
「これはオリジナルデザインの新在直通高速度試験車。TRY-Xって名付けてる。ミニ新幹線規格でいろんなマル秘ギミック満載。それとこっちは自由形のV形シリンダーのドイツ・ヘンシェル19.10形を再デザインした蒸気機関車の牽引するオリエントエクスプレス改。編成最後尾にはオリジナルの展望車付きなの」
「すごい! ほんとうにすごい! おねえさん、すごいモデラーなんだね!」
「まあ、それほどでもないけど」
「でも、今他の子がメチャメチャしてますよ。こんなカッコいいフルスクラッチ走らせたら、巻き添えで壊されちゃいますよ」
驚く彼に、メイは、言い切った。
「私、壊されないので」
その気迫に子供がすこしビビっていた。
すぐにメイは慣れた手つきで車両を並べる。リレーラーをつかってテキパキと載せる。
そして、引き込み線で電源のダイヤルをつまみ、少し通電させ、動力の調子をチェックする。
そのとき、他の子がスピードオーバーで派手に脱線させた車両が脱線のまま、メイの置いたTRY-Xにぶつかろうとしていた。
しかし、メイはそれに気付くと、ぱっとすぐにTRY-Xを発車させてそれを回避する。さっきまでそれを載せていた引込線に脱線した113系横須賀線のクハが突っ込んでいる。危機一髪だったが、メイは少しも動じないどころか、その脱線させた子とさっきまでスピード競争をしていた子の湘南新宿ラインE231系を追いかけ始める。
!!
進路上に線路に手を置きそうな男の子がいる!
メイは慌てずに減速し、自作のリモコンを操作する。小出力の電波のコマンドに反応して車体のスピーカーからオリジナルのミュージックホーンが鳴り、その男の子は驚いて手を引っ込めた。それを見て、メイはそのTRY-Xを再加速させる。
E231系はスケール換算で考えるとどうやっても新幹線より速く、リニアに近いスピードで爆走している。
だが、TRY-Xは車体を徹底的に低重心化していて、なおかつギア比を変えたモーター車のパワーでコーナリングスピードを稼げるので、どんどん間を詰めていく。
逃げようとその子供が電源のダイヤルを最大位置まで回している。しかし……逃げられない! メイの巧みな運転は、カーブの限界速度を守りながらその脱出速度を稼ぐ、スロットルレーシングの熟練テクニックそのものなのだ。そして動力部の高速性能重視へのギア比変更で、アリエナイほどピーキーに速くなっている。
しかも、メイはその時、また手元の自作リモコンをピッと押した。途端にTRY-Xの屋根上の回転灯が点灯した。回転させながら驀進するその様子は、高速道路で取り締まりをする屈強な高速機動隊のパトカーが違反車を追うような勇猛ぶりだ。
そして子供が唖然としているウチに、そのE231系の前にTRY-Xが回り込む。
「はい、そこの運転士さん、速度落として止まってくださーい!」
子供が思わずダイヤルを戻すと、それを路肩に追い詰めるパトカーのように前に出ていたTRY-Xの車体から上に向けてぱっと板状のモノが飛び出た。エアブレーキだ! またしてもメイのリモコン操作でそれは作動したのだった。ラジコンやドローン用の部品を駆使したギミック満載のTRY-Xである。メイはまるでスビード違反の交通取締のように暴走Nゲージ列車を止めることに成功した!
さっきまで文句言っていたおじさんは、その様子を見ていて唖然としていたが、すぐに別の番線を走っている車両に文句を付け始めている。はやくもこの空間を支配し始めたメイには勝てないと思ったのか、文句を付けないのがいかにも小物である。
「こんな編成ないよなあ。マイテとA寝台とシュプール客車をつなげて機関車で牽引するとか。アリエナイよ」
走らせている子供が、それに気圧されて、何も言えなくて半べそになっている。
「ええ、今は無いですね」
メイが即座に答える。
「でも昔は連結器さえあえば、工場入場回送なんかでいろんな珍ドコ編成がありましたよね。JR四国でも気動車とトロッコ列車つないだ例があるって。そのもっと昔はもう資料がないですからね。秋田なんかでも土崎工場に回送する20系客車を50系の客車列車につないで回送している写真が鉄道ジャーナルのバックナンバーにありましたね。特にこの子の編成はたしか1992年の『快速ナイスホリデー珍ドコ列車』の編成ですね。92年11月3日の運転だったように覚えています」
メイは返す刀でバッサリと両断し、そして走らせている子供に優しくアイコンタクトした。半べその子供が深く頷いている。
「よく調べてちゃんと車番まで再現してるのが素敵だねー」
この嫌み返しに、当然その嫌みケチつけおじさんは何も言えずに退散するしかない。
だが、もうひとりまだ暴走させている子がいる。京急2100形がこれまたリニア並みの爆走である。
そこにメイは持ち込んだもう一編成、V形シリンダーの蒸気機関車牽引のオリエントエクスプレスを走らせて近づけていく。
V形シリンダーの蒸気エンジンは整備も難しく、それを使う機関車は試作車が数両あるだけでほぼ実用化されてないのだが、メイはそれをフルスクラッチで超高速旅客牽引機として仕上げていた。繊細な足回りは3Dプリンタで作ったパーツを多用している。
それが京急2100形に追いついていく。
それを運転する子供は、その繊細かつ優美な機関車と、宝石のように丁寧に整備されつややかに輝く車体に室内灯フル装備のオリエントエクスプレス客車に、目を奪われていた。
そしてどの直後、自分のやっていることの恐ろしさにようやく気付いた。
自分の買った模型がいくつ買えるかわからないほどの超高級品が追いかけてくる!
ぶつけたら大変なことになる!
京急2100系の子は、ようやくスピードを落とした。その身体が震えている。メイはその子にアイコンタクトすると、その特別なオリエントエクスプレスをペースカーのように扱い、彼を適正なスケールスピードに誘導していく。
子供はそのスケールスピードの美しさに気づいたようだ。それをまねて、他の子も速度を下げ始めた。
そしてお店の店員が察して店の照明を少し暗くした。オリエントエクスプレスの室内灯が夜汽車のようにキラキラと輝き、デパートで通りがかった人が次々と魅入って、最後には店の周りに人だかりが出来ていた。
ギャン泣きしていた子も、メイの走らせている車両を見るのに夢中になって、泣くのを忘れている。そしてただ親にほしがったところで手に入りようがないものがあるのだと思い知らされているかのようだ。
そしてメイは、みんなに展望車のテールランプを魅せるようにゆっくりと減速させて停車させ、手際よく片付け。その2つの編成をアタッシュケースに収納した。
そしてリレーラーとクリップボードを返却し、その店でいくつか整備用の補充パーツと、改造の種にするジャンク車両を買って帰ることにした。
天の川鉄道模型社は鉄道模型店なのだが、社割、社員割引はないのだ。こういう量販店の方が品揃えが良いのは致し方のないところである。というか、今の時代に個人経営の小売店に品揃えを要求するのが間違っているとメイは思う。
お会計の後、メイに店の人が深く一礼していた。そこまでと思うが、彼らにとってもこれはどうにかしたかったのだろう。事実、それが解決したのだった。
その模型の鮮やかな運転に目を奪われた人には、メイが『神様』に見えたかのごとくのシーンであった。
事実ツイッターにムービーを上げている者もいたようだ。
それを背に、ゼロハリ風味の車両ケース片手に颯爽と帰って行くメイの後ろ姿。
まさに、時代劇のようで、いわゆる無双シーンでもあった。
かわって次の日は、天の川鉄道模型社の営業日である。
「ありゃー、ヘッタクソだなー。また垂直水平が甘いよ」
工房で声が上がる。
「えー、これでもだめですか! がんばったのに!」
「甘い甘い。まだ水は入る。工作も仕事もとどめを刺すのが大事だ」
いつものようにマスターにやっぱりダメ出しされてるメイだった。
貸しレでは 神様だけど ド下手くそ 店に帰れば 素人同然
(メイちゃんココロの狂歌)
*
いつもの代々木上原・天の川鉄道模型社。
「今日は、お客さんが来るんだ」
マスターが真顔で言い出した。
「来るから良いじゃないですか。商売繁盛で何よりですよ。ヒマしてるより良いと思いますけど」
「いや、そういうことじゃなくて。正直、ちょっとめんどくさい客なんだ」
「え、どんな人です?」
「今は言えない」
メイは怪訝な顔になった。
「あ、まさか。離婚で落ち込んでて私が地雷踏んだ人みたいな?」
「違うよ」
「親友の同僚を失って買い物依存になってるのを私が地雷踏んだ銀行頭取?」
「違うよ」
「自信を失っててそれをまた地雷踏んだ孤高の凄腕アルミ缶モデラー?」
「違うよ」
「じゃあ、あのくそ生意気な凄腕中学生モデラーだ!」
「違う違う。ドサクサに紛れてここまでのダイジェストにしちゃだめだ」
「えー、なんでー」
「そんなことやってると、著者に読者サービスとして水着回やらされちゃうよー。うちの著者、ド変態だから」
「あ、それヤバい。確かにド変態ですもんね。私、あぶない水着は絶対イヤですよ!」
(著者注:昨今、まだまだ変態としても修業が足りないことを痛感しております)
↑↑↑著者さん、だからそっちの方向じゃないってば。もー。
そんなバカなやりとりを見ろしているネコのテツローである。
「テツロー、もう少しで処分されるところでしたもんね。今じゃすっかりなじんでフクフクになって」
「そう。オスの三毛って珍しいから幸運を招くって珍重されてるのに、なんで処分寸前になってたのか、イミわかんないよ。前のオーナーがどうかしてるよ。多分」
その時だった。
「こんにちわ」
やってきた背広の客に、テツローが「フーッ!!」と威嚇の声を上げる。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら、なぜテツローがこんなに珍しく機嫌悪いのか、まだわからないメイだった。
「なかなか良い店だよな。この内装もセンスがあって。カフェコーナーとか洒落てて良いよな」
彼はカバン片手の目立たない背広姿だが、テツローがおびえるほどのなにかは確かに持っている。そんな不思議な男性だった。
「ああ。俺の秘密基地ってところだ」
「たしかにそうだな。こういう店をもつのは、多くのモデラーの憧れだもんな。あちこち素敵で、見ていて飽きない。陳列からバックヤードまで。工房部分もすべてが良い店だ」
「ありがとう」
「この揃ったフィギュアも。お前、好きだったもんな。このキャラ」
「まあな」
「でも店の子は全然違う雰囲気で」
「そりゃそうだ」
マスターは言った。
「でも、うちの子、なかなか優秀でいい子なんだせ」
えっ、私のこと? メイは戸惑った。
「マスター、よく聞こえなかったー」
冗談のようにメイが聞く。
「ヤダよ」
拒絶するマスターとメイのペアのコミカルさに、彼は笑っていた。
「ただ、それでも一つだけ気に入らないところがあって」
「えっ、なんでしょう?」
彼の言葉に、メイが聞く。
「あのころの写真をまだ飾ってるのが気に入らない」
「そうか。いい写真だと思うけどなあ」
そういうマスターの工作机の奥に写真が飾られていた。なにかの記念撮影の写真である。でも、まだセピア色にはなっていない。そこまで昔のものではないようだ。
「よくはないさ。若気の至りそのものだ。そんなもの、若いウチに脱ぎ捨てておきたかったのに。いまさらあんな時代を思い出したくない」
彼は深く後悔しているようだ。
「そうか。俺としては、あのことがあっても、あのことは無駄じゃないと思っていたんだが。あの写真しか探してもなかったし」
「そうはいかないさ。今思い出しても、苦い思い出だ。だから写真もできるだけ撮らないようにしていたんだ」
「わかるよ。あのことは、ある意味ヒドかったな」
メイはなんの話をしているか、さっぱり見えない。
「あれから15年か。早いもんだな」
「ああ。月日は矢のごとく駆け抜けていく」
「注文してたパーツ、手に入ったか?」
「入ってるけど、なんでこんなのウチで買うんだ? ネット通販や量販店の方が安くて確実に手に入るのに。予備の動力台車なんて」
「それとここは全く別だからな。あと、作りたいモノが出来て」
「戦争でも始めるのか?」
「それに近いかも知れない」
わからん……聞いてて、さっぱりわからん。
メイは目を白黒させてるしかない。
「なあ、また同じところに戻らないか。今ならお前の才覚でいくらでも何でも出来るぞ」
「それがイヤだったから、この店を作ったんだぜ。わざわざなんで戻る理由がある?」
「そうか。あそこでは切れ者で有名だったのに、今は模型屋の主人か。もったいないな」
「職業に貴賎はない。俺は俺でこの仕事、気に入っているんだ」
「そうだろうな」
彼は息を吐いた。
そして、そのカバンの中のケースから、マイクロSDカードを一枚出した。
「もし何かあったら、これ使ってくれ」
「あ、いや、受け取れないよ。こんなもの」
「そういうと思ったが、受け取って貰う」
「すまん、勘弁してくれ」
「それはできない。これを我々のもとにまた持って帰るわけには、いかないんだ」
しばらくそんなやりとりがつづいた。
「あの!!」
メイが大きな声を上げて割って入った。
「マスターは受け取りたくない、あなたは持って帰れない。そういうことですよね!」
「まあ、そうだけど」
「そうだね」
「じゃあ、私が預かります。これでいい?」
マスターと彼は同時に驚いている。
「なんだそれ。ジブリ映画のシーンじゃあるまいし」
「いや、案外いいスキームかも知れない」
彼はマイクロSDをケースに入れた。
「じゃあ、預かってくれ」
「はい、預かりました。お預かり票とかいります?」
メイが聞く。
「いや、これが存在してるだけでマズいから、いらないよ。いざとなったら読み取って、そこから先は好きにして良い。ただ、マスターになにかあったときに限るけど」
「わかりました」
「メイ、いいのか?」
マスターはまだ驚いている。
「だって、せっかくお二人に出したコーヒー、言い合ってるうちに、すっかりアイスコーヒーになってますもん」
メイはそう言うと、「入れなおしてきます」とカップを下げ、冷蔵庫の方に歩いて行った。
「なかなか良い子じゃないか」
「そういう関係じゃないよ」
マスターはやるせない顔になっていた。
「じゃあどういう関係だ?」
ちらりとキッチンから見たマスターの顔は、これまでメイが見たことのない顔だった。
「友人から預かってる。でもその細かいことは言えない。お前相手ならなおさらだ」
「そうか」
彼は寂しそうに言った。
「今から時間が逆になってくれればどんなにいいか」
「無理なモノは無理なんだ。受け入れるしかないよ」
「わかってるさ。でも、そう思いたくもなる」
男二人で、カフェコーナーで溜息を揃ってついていた。
それをメイは見た。
「マスターとあなたは、親友ってコトですか」
「え、親友?」
マスターと彼は目を見合わせた。
「親友、ではないよなあ」
「ああ。その発想はなかった」
「じゃ、何なんです?」
「うーん、なんて言ったらいいか」
「まあ、簡単に言えば」
彼が言った。
「追うものと追われるものだったのさ」
メイはまた目を白黒させた。
「やっぱり意味がわかりません」
「ああ、まだわかんないほうがいいよ」
マスターは隠そうとしている。
「そうだな。経緯を話すには長すぎる話だからな」
「それが親友じゃないなんて」
マスターは、肩を鳴らしていった。
「それがその困った事情ってやつさ」
「あ、そうだ、それとコレとは別で、こういうもの作ったんだ」
そう言って彼はカバンから車両ケースを出した。
「拝見します、って、うわっ」
メイは見るなりのけぞった。
「これ、『或る列車』じゃないですか! それも最近できたJR九州の気動車の奴じゃなくて、みなとみらいの原鉄道模型博物館になったブリル社製のまぼろしの豪華列車! でもあれはずっと大きな1番ゲージだけど、これはNゲージですよね。どっかのメーカーで生産した試作品ですか?」
「いや、これ、フルスクラッチだ」
「ええっ。手で作ってこんなカチっと仕上げた編成ものを仕上げるなんて」
「ああ。普通の人間の能力では無理だ」
「3Dプリンタでもなさそうだし……どうやってこれを」
「それは教えられないよ」
「……デスヨネー」
確かに凄腕なんだろうけど…。
「まあ、やり方はなくはない。難しいけど出来る」
マスターはそう言う。
「出来るけど、酷く難しい。それを彼はやってのけるんだ」
そのマスターの言葉に、不思議な感情が乗っていた。
なんだろう、この感覚。
……ああ、そうか。
寂しいんだ。とても。
マスターも彼も。
「まあ、たしかに寂しいかもな」
「ああ。世の中には上には上がいる。青天井に」
男二人は、息を吐いた。
「そして、人の正当な評価なんて、人間には不可能だ」
「まあ、それをあのとき、要求されたよな」
「なんとも言いがたいよ」
そのとき、ケータイが鳴った。
その彼の胸ポケットだ。
そのケータイを取り出して、通話はせずにナンバーだけを見て、彼は帰り支度を始めた。
「本省から呼び出しだ」
「こんな時間に? 国会会期中でもないのに?」
「ああ。働き方改革なんて言っても、自分とこのそれが全く出来てないって話だ。情けないことだ」
そう嘆きながら、彼はコートを着て、「また来るよ」といって帰って行った。
見送った後、メイはマスターに聞いた。
「マスター、昔、あの彼と一緒に仕事してたの?」
「ノーコメント」
模型作りから目を離さずにマスターは答える。
「本省って言うから、霞ヶ関?」
「ノーコメント」
「まさか、FBIとかCIA、NSAとか?」
「ノーコメント」
「それとも……あ、そうだ、マスターはスパイとかなんじゃない!?」
マスターは笑った。
「だって、このお店、ほんとに経営大丈夫なのかな、って働いてても思うし!」
「ひどいな。それに俺、そんな勤勉じゃないよ。俺にポルコ・ロッソみたいなこと言わせないでくれ」
「『紅の豚』だ! ジブリの!」
「あれはアニメ。実際はそんなかっこよくないよ」
「実際?」
「たぶんね」
「たぶん?」
メイが追及する。
「それより掃除と納期の近いデカール用のPCでのトレスを急ぎでやってくれ。忙しいんだぜ。本当は」
「あ、逃げた!」
「それどころじゃない。締め切りは怖いぞ」
「借金も怖いですよね」
メイはそう言いながらPCに向かう。このごろデカール作成係を頼まれるようになったメイである。
「もっと怖いよ。幽霊なんか少しも怖くないさ。借金と締め切りはすごく怖いぞ」
マスターもハンダごての手を休めない。
そして、二人がかりでなんとか注文品の作業が終わった。
マスターはその注文品の発送のために宅配の事業所に行くというので、メイが戸締まりをしてSECOMのスイッチを入れて、帰宅した。
そして部屋に戻って、メイはベッドの上に転がった。
「今回は地雷処理も地雷踏んづけることもなくて、平和だったなー」
メイはそんな独り言を言いながら、着替えている。
「もう被害担当艦はやだもん。お客さん相手は楽しいけど」
そして、見つめた。
「でも、なんだろ、このSDカード」
メイは考えていた。
なんだろう。本当に。
まさか……まさかよね。
「ま、いっか」
メイはそのSDカードを自分の部屋の机の中にしまい、その日は眠ったのだった。
そのSDカードの正体も知らずに。
〈続く〉