第9話 【KATO/カトー】ウッドランド ライケン暗緑ミックスをお求めのお客様

文字数 9,693文字

「ええと、京急大師線のR90メートルのカーブ、これをNゲージにそのまま縮小すると半径何ミリになりますかー」
 ここはとある都内の高校の教室。メイはここで生徒用の机に座っていた。
 周りは高校生がいっぱい。みんな高校鉄研で来年夏のレイアウトコンテスト目指すこの合同練習会に参加しているのである。メイは講師の先生とマスターが縁があるということで参加させて貰っているのである。
 そしてその出題にメイは少し慌てていた。私算数苦手なのよね! これ、ええっ、90メートルだから、1000倍して90000ミリ、それを150分の1にして……150が6個で900、桁が100桁だから、600ミリ? だよね?
 教室の中は沈黙に包まれている。
 あれ、誰も何で答えないの? 私間違ってるかも!
 その時、高校生の一人がすっと手を上げた。
 すごい! さすが現役! 進学校は違うわ!
「先生、その数字の隣のマーク、なんですか?」
 その高校生は、答えるのではなく質問だった。
「これ?」
 先生は、「ホントにこれ?」と何度も聴く。
「……頼むよ-! ここから『鉄道模型には数学も必要だ』って話をしたいのに、これじゃ一日かけてもたどり着けないよー!」
 崩れる先生の指すそのマークとは、「㎜」の記号だった……。
 ひいいい。「さんすう」のレベル……。とはいえ私も強くは言えないけど。
 メイも先生も頭を抱えているのだった。

  *

「ははは! メイもそこで算数苦手なのバレなくて良かったね!」
「ひどい。マスターまでまた私をバカにするー!」
 メイはそう、ぷんすかと怒りながら、作った一辺50ミリのサイコロを工作机の上で転がしている。
「その先生、コンクールで入賞したかったら部員に女子を入れろとか、先生や大人を味方にするためには鉄研の看板下ろしてジオラマ部にすると良い、とか過激でしたね」
「まあ、鉄研だとマイナスのイメージもたれてることあるもんなあ。でも女子かー。じゃあ、メイがいて、先生ゴキゲンだったんじゃない?」
「あ、そういえば」
「なんだその先生。ただのスケベだろ」
「ひどい! 女子は色彩表現上手くて根気に優れるから、できばえ良くするには手っ取り早いってことなんですよ。あれ、でもこれ誰かが言ってた……マスター!」
「そう。俺も言ってたよ?」
「じゃあ、マスターもスケベなのが証明されましたね」
「そうだよ。男の友達いるぐらいでいちいちカップリング妄想されても困るし」
「えええええ! マスター知ってたんですか!」
「そりゃ、あんなに嬉しそうにしてたんだもの」
「ひどいっ」
「ほんと、でもメイもこれで何とか水平垂直出せるようになったなー。誤差0.5㎜以内で作れたのか。そのサイコロ」
「ええ。最後の練習会の課題でした。いちおうニートのこれでも高校卒業してるんで、現役生には負けないつもりで頑張りました。おかげさまで一発でゲージをクリアできました!」
 マスターがそのサイコロを手に取ってみている。
「ふーん。やればできるじゃん」
「え、もう一度言って♡」
 メイが喜んで甘える。
「それはヤダ」
「ちぇっ、ケチ」
「はいはい俺はケチなオッサンですよー」
「でもNゲージでいえばR600ミリって言ったらものすごいユルいカーブですけど、本物ならR90メートルの京急大師線のカーブで制限25㎞のすごい急カーブ。そう考えると30センチちょっとの半径の普通のNゲージのカーブをトップスピードでばんばん走らせてるってのおかしい、って話で」
「そりゃそうだよなあ」
「ほかにも車両のライトの位置の違いとか拘るのにそれが走る風景にこだわりがないのはおかしくないか、とか。走っちゃえば見えないところに拘って、一番見える風景に関心ないのは変です。まして代々木なら代々木らしい風景は線路ではなく代々木タワーですもんね。だからレールは主役でなくて当たり前、って」
「当たり前じゃん」
「あと、レイアウトは大きいものから作れ、ってのも。渋谷のスクランブル交差点が未完成なのに小さなハチ公だけ出来てても見る人は渋谷と思ってくれない」
「そりゃそうだ」
「もう! マスター全部わかってるんですか! なら教えてくれればいいのに!」
「だって聞かないんだもの」
「ひどいっ。ほんと、ひどい冬の大雨の中遠くの高校まで行って散々じゃないですか。ネトゲでもやりながら暖かい家で過ごしてたほうが良かったかも」
「そうかもなあ」
「でもマスター、算数のことで思い出したけど、マスターうっかりミス多いのにお金のこととかしっかりしてますよね」
「俺、これでも個人事業主だよ? 当たり前じゃない」
「そりゃそうですけど」
「それに、世の中で一番怖いのは、お金、とくに借金だ。金のことで人は簡単に人を裏切る。金さえあれば人の代わりはどうせ見つかる。才能は金で買えるが、才能で金貰うなんてのはひどく稀なことだ。そして金がなければ、いいように足元を見られ、やりがいも善意も徹底的に搾取される。いろんなえらそうな人がどういおうと、この世は金なんだ。悲しくなるぐらい、金なんだ。善意にしろ誠意にしろ、金には絶対に勝てない」
 メイはそのマスターの言葉に、わずかな悔しさの色彩が乗っていることに気付いた。
 え? でもマスターはこの天の川鉄道模型社を才能で維持してるんじゃないの?
 しかし、マスターはそれを言った後、また工作机に戻って作業に集中していた。
 お金。だから高校生たちは、途方もない手間かけてでもペーパーで鉄道模型をつくろうとしていたな-。
 すごく精密なエバーグリーンのプラ材なんか、そういえば高校生のお小遣いじゃ買えないもんなー。あれすごく高いもんなー。使うとすぐに見栄えがイチゲキで良くなるけど。

  *

 その数分後。
 その『すごく高い』エバーグリーンのプラ材をカゴいっぱいに買っているお客さんが、この天の川鉄道模型社に現れていた。
「納期厳しいから無理だって言ったら、そこをなんとかお願いします、って言われちゃって。仕方ないよねえ」
 彼はそう言いながらプラ整形済みの石垣板を、ならんでいる全部、手でわしっと掴むとそのまま全部カゴに入れた。
「納期に間に合わせるにはこういう材料も使わないといけないし、材料買いに行く時間もないからここがあるんで助かりますよー。ホント、こうしないと次の模型誌の表紙のジオラマ写真、なにもなしになっちゃうんだから。あの編集長もどうかしてるよねえ」
 メイは生返事しか出来なかった。
「もっとクオリティ上げたいけど、ここまで納期厳しいと抜ける手はどんどん抜いて見栄え良くしなくちゃいけないもんなあ。そういうテクニックは編み出しましたけどね。時間かけて良いの作るってのは贅沢ですよ。私、結局好きな模型仕事にしてるけど、こういうこと多くてすごくストレス溜まります。とは言っても苛ついて机叩きたくてもこの手先が商売道具ですからねえ」
 メイはまた生返事してしまった。
「好きなことを仕事にするってのも善し悪しですね。また親戚の『子供税』の季節も来るし。稼ぐために胃も身体もボロボロです」
「そうですか」
「でもなあ、時間とお金出来ても、鉄道模型でやれることはだいたいやっちゃったからなあ。メイさん、僕はもう、鉄道模型は行き詰まってると思うんですよ。コレクター相手にしても、モデラー相手にしても、いろんなメーカーの戦略ももう手がないと思うんですよ」
「そうかもしれませんね」
 メイはそう話しながら買っている彼の様子を見つめていた。
「あ、PECOのレール頼んでましたよね」
「いえ、それは篠原模型とかに頼んだ方が安くて早いですよ」
「そっかー。ここに在庫あれば少し高くても買うのになー。納期間に合わせるのに助かると思うんだけど。あと配線済みリード付きチップLEDはありません、よね」
「秋葉原の秋月電気のほうが安くて数も手に入りますよ。通販でもすぐに届くし」
 メイはそう案内する。
「そうかー。航空障害灯の点滅回路を外注したんだけどさ、あとからチップLED増やしたかったんだよね。でも仕方ないかー。あと車両用室内灯のリフレクターもない?」
「それならイベントでブライトチップス社のリフレクターを直接買うのがいいですよ。あそこのはものすごく奇麗に光りますから。平行光源みたいに光りますもんね」
「でもここには置いてない?」
「ええ。在庫してないです」
「なんでだろうなー。ああいうの使わないのは日本のNゲージユーザーのレベル、まだまだ低いなー、って思っちゃうよ」
「まあ、でも予算に応じて、ですかねえ」
 メイはこれにも生返事になってしまった。
「いいものに金を出さないのは良くないよ。安かろう悪かろうで我慢するなら、いっそのことやらない方がいい。ほんと、こんな状態で模型業界どうなっちゃうんだろうね。また冬の時代になっちゃうよ」
「半分そうなりかけてますよね」
「マイクロエースの今度出るロマンスカーEXEαの模型、6連、6両編成で36000円、4両で23000円、合計で10両フル編成組むと59000円だもんなあ。とはいえ仕方ないよね。自分でああいうの作るの大変な人もいるし。でもあそこ、中国での生産が無理になってから坂を転がるように値段上げては売れなくてまた値段上げるの悪循環になってるよね。ああやだやだ」
 彼はまだ買い物を続けている。
「それと『ミニネイチャー』はここにある?」
「ありますよ」
「あるだけ買うから全部出して」
 メイはマスターのほうを見るが、マスターは工房で工作していて何も言わない。
「承知しました」
 メイはガラスケースの中からそれを取り出す。ほんのひとかけで1000円以上もする樹木や茂みの材料。それを20種類も!
「そう。これでないと草木の表現がイマイチなんだよね。普通のスポンジとかで作ってるのいるけどさ、あれ、とても木に見えないのあるよね」
「まあ、そういうのもありますよね」
「レイアウトの山肌にスポンジ直接貼り付けて大仏さんの頭みたいにしちゃってるのとか。ああいうの見ると悲しくなるよね」
 メイは答えられない。
「あ、あと工具もそろそろ刃がヘタってきたから換えの買わないと」
 と彼はシモムラアレックの鉄道模型専用ノコギリ『職人気質』をほいっとカゴに入れた。3300円もするのに!
「高いけど高い分だけいいの作れるからねえ」
 メイはいつの間にか、この前の高校で苦労しながら三角定規で製図し、手でアートナイフ使ってケント紙をカットして爪楊枝でボンドをつけて組み立ててる高校鉄研のみんなを思い出してしまっていた。
「ホビーの王様にはそれにふさわしい道具だね。その人の本気度は道具を見ればわかる。あ、ライケンも取りあえず買っておくよ。隙間埋めるのにはちょうどいい。安いし」
 ライケンとは模型ジオラマ用に茂みの形にした加工済みのコケである。
「今暗緑ミックスしかないんですけど」
「じゃあ、それもあるだけでいいよ。全部包んで」
 でいい?
 メイの中で、とうとう忍耐の糸が切れ始めた。
「ほんと、好きでも大変だよ。プロのモデラーはね」
 メイは包んでレジを打ちながら、口にした。
「模型、お好きなんですね」
「そりゃ好きだよ。胃をすり減らすほど、ね」
 彼は笑う。
「でも」
 メイは、ついに言った。
「それ、ほんとに楽しいんですか?」
 マスターはカウンター後ろ、工房の工作机で工作に集中したまま何も言わないが、彼は少し動じている。
「いや、楽しい以上に、仕事だからね。ぼくがいないと模型雑誌、表紙なくなっちゃうし」
「そうですか」
 メイはお会計を済ませ、お金を受け取り、お釣りを渡しながら言った。
「納期厳しいんですね」
「そうだよ。他にこんな無理でもやってのけるモデラーいないと思うし。ぼくぐらいだと思うよ」
「それは無理言ってもやってくれる人がいるから元請け、甘えてますよねえ」
「そうだよねえ」
「変な業界ですよねえ」
「そうだよ。おかしいよね」
「模型の世界が変化して行ってる、って事かも知れませんね」
「そうだね」
「その甘えを許してる方も、結局はその変化を憂いてるんですよね。変化すると食い扶持なくなるから」
 彼はメイの言葉の刃にようやく気付いた。
「お金かけても結局手抜きでリアルでなくて、口ではリアルを追求するのにそれでも楽しくなくて、それなのに『レベルの低い』ユーザーに支えられてるって、なんなんでしょうね。代わりがいない、って言いながら、代わりのいないような安さと無理な納期で請けて、手抜きしまくるってのも。それ、本当にステキな模型なんでしょうか」
 彼はたじろいでいる。
「模型なんて人それぞれだし、お金のかけ方も手間のかけ方もそれぞれだから鉄道模型は趣味の王様なんだと思います。私は人のことをとやかく言うより、自分の模型を拙く下手でも愛してる方がホントにステキな模型人だと思います。架線柱一本買うお金なくてダイソーの綿棒の軸から熱意でそれ作っちゃう高校生だって、立派な模型人だと思いますよ」
 彼は手提げ袋いっぱいの高価な模型材料を持ったまま、立ち尽くす。
「少なくとも、なにかを比較して幸せになれるとは思えません。失礼しました」
 メイの言葉に彼は言葉もない。
 だが、彼は「また来ます」となんとか喉の奥から絞り出して、逃げるように店から出ていった。

 それを見送ったあと、メイはマスターに謝った。
「マスター、すみません。大口のお客さん追い出しちゃいました」
 マスターは溜息を吐いた。
「ほんと、大損害だよ」
 メイは、やっちゃったー、と思った。また地雷踏んだー!
 でも今回は、自分でそれを踏みつけよう、と思ったんだけれども。
「メイちゃん、もうクビ」
 メイはああ、やっぱり、と思った。
 ああ、これでまたニートに逆戻りだ……。さよなら、天の川鉄道模型社。
「って言うと思った?」
 マスターは笑う。
「ええっ!!」
「こんなことで店は簡単に雇ってる店員をクビには出来ないよ。それこそ労基署からペナルティー食らうよ。クビにする、解雇は懲戒解雇という明らかな犯罪したとかの解雇、経営苦しいから辞めてちょうだいの整理解雇、そのほかの普通解雇の3つあるけど、ザックリ言えば全部、世の中的にそりゃしょうがないよなあっていう解雇以外は全て無効なんだ。労働契約法16条。今のメイの行為、それほどひどかった?」
「いや、私的にはひどいかなー、って」
「ほんとメイは優しいね。俺はひどくないと思うよ。だって俺でもさすがにあそこまでだと、程度はあっても嫌味言いそうになるし。それにメイ、あのとき、ちゃんとお会計のあとで言ってるもんな。そういうとこ、メイって無意識に抜け目ないよね」
「それ、褒めてるんだか呆れてるんだかわかりません!」
「でも彼、最後にまた来ます、って言ってたし。ウチの店、客観的にはなんの損害もないよ。ってことはクビに出来ないって事。逆にこのことでメイに辞められたら困るからね。雇われてる側は無条件で辞めることが出来る。意思表示しっかりすれば辞められる。会社とか雇い主が引き留めても、禁止しても法律はそうなってる。自己都合退職は即日でも有効だよ。逆にクビにする方は30日前に予告するか、30日分以上の平均賃金払わないと普通はクビに出来ない」
「そうなんですか。働く人って、守られてるんですね」
「そりゃそうさ。でも働くってのはそんな簡単に割り切れない。だからいろんな人が割り切れずに無理に仕事続けて、心と体に無理してそれ壊して、サイアク死んじゃうこともある」
「過労死ってそういう事ですね」
「でも、そうしたくなるのもわかる。だって、お金は際限なく欲しくなるし、お金はなんでも出来ちゃうもの。ヘタすりゃ人だって殺せちゃうもの」
「ええっ、でもそんな事したら捕まりますよね」
「だけど殺された方はそれじゃ遅いでしょ。殺されたあとに犯人捕まっても殺されたのが復活するわけないし。せいぜい遺族が復讐心少し緩和される程度で」
「……そうですよね」
「お金はそういうものすごく恐ろしいものなんだ。何気ないお札見て、このお札が世に出て、どういう人の手から手にリレーされてここに来たか考えてごらん。それだけで壮絶な物語だよ?」
「こわくなっちゃいました!」
「あれ、だからメイはレジ打つの苦手なのかと思ってたけど。レジってその思いがどっさり入ってるわけだから」
「ひええええ」
 メイは震えた。
「なんか疲れちゃいました」
「そうかもなあ」
「でも、高校生が頑張ってるの見てたら、何なんだろうなと思って、止められなくなりました。やっぱりあの練習会、行って正解でした」
 メイはそう言うと、改めた。
「マスター、ありがとう」
 マスターはうなずいている。
「ほんと、マスター、すごい」
 メイがそう言うと、マスターは答えた。
「もう一度言って」
 メイは、笑った。
「それはいや」

 それからあと、注文品をやりながら時間が過ぎていく。
「あのプロの彼、若いけど、腕はいいんだ」
「知ってるんですか?」
「知らなきゃうちの店の会員にしないよ。彼の造形センスは日本で一番か二番、片手で足りる数しかいないレベルなんだ。ただ、安くて納期キツい仕事ばかりやって、だんだん自分の首を絞めてる。それでも自分はプロだ、ってブライドで。あれも『やりがい搾取』の類型だよ」
「最近聞きますね。『やりがい搾取』って言葉」
「ああ。いつのまにかこの国はそれが当たり前になってしまった。俺はこの国を我が国と呼ぶには悲しすぎて、この国と言いたくなる。こんだけゲスな搾取しながら何が「美しい国」なんだと思っちゃうし。ああ言えばこう言う、って感じでまともに給料も払わない。金も出さずに文句言うのが当たり前。金も貰わずに働いて喜んで貰って嬉しい、って、そりゃ喜ぶよ相手は。タダほど安いものはないって奴が多すぎる。そしていつのまにか、ほんとにタダが一番安いものになった。そして見てなきゃ何してもいい、バレなきゃなにしてもいい。みんなでやれば仕方がない。悪いことしてても潰れれば困ることになってる会社は潰れない。その困るかどうかの判断は誰がしてる? でも誰もその疑問は言えない。空気で言えない。空気読め、筋通せで犯罪もまともに告発できない。なぜならそれを言えないのがみんなの『絆』だから!」
「ひいい、マスター、それは『リーガル・ハイ』の見過ぎですよ!」
「はは。最近ネットでよく再放送見てるからも。でもそうでしょ?」
「……そうですよね」
「まあ、それでもお金稼がなくちゃ生きていけない。それ厭で田舎暮らしすると今度は田舎の恐ろしさを味わう。田舎の農協なんか何やってるかわかんないよ?」
「そんな例が」
「だって、金融機関なのに、どういう奴がそこで働いてるか、小学校からの思い出辿ればゾッとするしかないでしょ」
「そういえば」
「横領不正融資何があっても不思議じゃないけど、それ追及するはずの組合員も思えば、でしょ?」
「ひえええ」
「だいたいさ、小学のときに気が利かなくて、中学の時に馬鹿なイジメとかして、高校卒業して成人式にアホな事やって炎上するような奴らがさ、普通に商店やったりしてるんだよ? 算数出来なくても高校卒業して大学も行けちゃうんだよ? それがあのめんどくさい消費税の申告の計算まともに出来ると思う? それいいことに税務署もやりたい放題出来ちゃうじゃん。その大ボスの財務省なんかさらにやりたい放題だよね。「国の借金は一般的な4人家族のローンに例えると」って彼ら言うじゃん。それ聞いてじゃあ破産するしかないですね! というと、「いや国家財政はそういうものじゃない」って。じゃあそもそも例えるなよ、と思わない? 頭良くても気が利かない、頭が100円電卓なんじゃねえの、みたいな奴もいっぱいいたじゃん。そういう奴も生きる権利も大学行く権利もあるし、ヘタすりゃ国家財政扱っちゃうんだよ? 自由社会ってそういう事。でもほかの制度もろくなもんじゃない。
 ほんとの行き詰まりってのは、こういうことだよ。自分の運命の行き詰まりと社会の行き詰まり混同してどうすんの。まあ、そういう混同はよくあるけどね。
 やりがい搾取ならいくらでもある。正直、才能は金で買えるけど才能で金を稼ぐのは難しい。だからみんな才能を安売りするしかない。ますます才能で稼ぎにくくなる。悪循環。共産主義はめちゃめちゃだったけどさ、資本論の一部分、金持ちは金持ちのまま、貧乏人は貧乏のままってのだけは正解だったの。あとはそれをひっくり返す革命しかないけど、それだってお金なきゃ出来ない。金持ち同士が争ってるのに自分が金持ちになれると勘違いした貧乏人がのせられてやっちゃうのが革命。でも気付けば貧乏人は貧乏人のまま。たまに例外があってもそれは宝くじと同じレベル。努力でも才能でもその壁はどうにもなんないの。だからみんな物語やゲームの無双シーン好きになっちゃうの。それにそんな行き詰まってるのやだから魔法とか異世界やりたいの。でもそれを少しも批判なんかできない。みんな、この行き詰まりに対してまともに対決しようとすればするほど虚しいやりがい搾取にハマるだけだもん。出口なんかない。わかりきってるそれ今さら突きつけても何の意味もない」
 メイは、じっと聞いていた。
「出口ないって、ホントですか? そんなのに耐えられるんですか? 私は耐えられそうにない」
「耐えられるわけないさ。だから電車に飛び込む、パチやスロ、ネトゲやガチャでお金溶かす。中には禁止薬物や犯罪に逃げるのもいる。まともに考えたら発狂もんだよ。だから俺もこうして模型やってるわけだし」
「そんな……寂しいこと言わないでください」
「でも、みんな、それで逃げながらも、待ってるのさ」
「え、なにをですか?」
「なにかが変わってくれることを」
「まさか、それは、戦争?」
「それは半分。でも、本当は」
 マスターは、言った。
「みんな発明を待ってるの。この悩みが全然馬鹿らしい、って思えるような鮮やかな発明を。その鮮やかな発明は、鉄道もそうでしょ。鉄道の発明でそれまで何日もかかってた旅が数分で、楽にすむ。鉄道事故も同時に発明しちゃったけど、鉄道がなかったときの苦しみは、すっかり解決してしまった」
「そうですよね」
「鉄道模型ひとつでも、そういう人類史、文明を考えることも出来るのさ」
 メイはうなずいた。
「だから、鉄道も、鉄道模型も面白いし、趣味の王様なんだよ。大人だけでなく、高校生がやる意味のあることだ。というわけで」
 メイは怪訝な顔になった。
「聞き役ご苦労さん。俺もムカつくことがあったし、著者もいろいろあったらしいからな」
「えええー! 二人でこの原稿と私をはけ口にしたんですか!?」
「聞いてくれる人ってのはありがたいもんだよ。今の世の中、みんなこんなの抱えてたまんないのよ」
「ひどい!」
「だから、聞き代、ご褒美にハーゲンダッツ」
「もうっ! ハーゲンダッツでなんでもすまさないでください!」
「じゃ、いらないの?」
「くっ、食べたいです!」
 メイは悔しそうに言う。
「でしょ。一緒に食べよう。作業もめど付いたし」
 マスターは工房の冷蔵庫からアイスを取り出した。
「じゃ、私、紅茶入れます」
 メイが座卓を準備する。
「ありがとう」
 そして二人で楽しくおやつを食べながら、メイは思った。
 こんな日々、もっと続いて欲しいなあ。ほんとうに。


 だが、それを引き裂くものは、すでに近くに迫っていたのだった。
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登場人物紹介

照月メイ

 19歳。ニートだったところを縁あって天の川鉄道模型社にバイトとして雇われ、メイド服まがいのコスチュームを着て店員をしている。仕事は接客とカスタム模型制作補助。ネトゲと深夜アニメ大好きでレジ打ちが苦手。

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