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文字数 12,248文字

 サクラにお礼も別れの挨拶(あいさつ)出来(でき)ない事が雄斗の心残りだった。彼女の代わりにアイリーンが彼の世話をした。アイリーンが言っていた(よう)に、彼女は雄斗の隣の部屋で寝起きし、朝雄斗を起こしに来てそのまま朝食の準備をし、リハビリの間に部屋の掃除をして、その後は彼が就寝する(まで)、雄斗の部屋で雄斗と一緒に居る様になった。
 最初にアイリーンを見た時は、東洋人離れしたスタイルと顔立ちの美しさに()かれた。雄斗は()ぐに彼女の名前を覚えた。その後は、リハビリの最中(さいちゅう)、サイガ博士の研究室に呼ばれる時に迎えに来るのがいつもアイリーンだった。その時の彼女の雰囲気には、どこか冷たい、人を寄せ付けないものがあった。
 だけど、こうして四六時中(しろくじちゅう)顔を合わせる様になって、初めて彼女の素顔を知った。日常のアイリーンは、少し抜けたところのある明るい女性だ。()ました顔で家事をしていたかと思えば、椅子に足をぶつけたり、洗濯物を干さずに忘れ、次に洗濯しようとして気付いたりする。それでもアイリーン本人は、何でも出来るしっかり者のつもりでいる。雄斗と他愛(たあい)ない話をすれば、アイリーンはころころとよく笑う。日常生活ではそんな(ふう)に仲良く接しているくせに、研究内容や雄斗の健康に関する話になると、急に冷静になり難しい単語を並べて雄斗との間に距離をとる。そんな不思議な二面性を持っていた。そうやって、アイリーンという人間を良く知ってしまうと、最初に(いだ)いていた彼女に対する不信や苦手意識はどこかに消えていき、警戒する事も、距離を置く事も、直ぐにしなくなってしまった。アイリーンが気持ちをストレートに表現するから、雄斗も思ったままを言葉にした。
 雄斗に対する日頃のケアの仕方(しかた)もサクラと違っていた。サクラとの時は、寝たきり状態から始まったから仕方ないかも知れないが、雄斗に出来るだけ負担を掛けず、サクラが(すべ)ての家事を仕切っていた。アイリーンは雄斗と一緒にするのを好んだ。料理も、掃除も、何かしら雄斗に手伝わせた。
此処(ここ)から出られたら、雄斗は一人で暮らす事になるんだから、何でも出来る様にならなきゃ駄目(だめ)。」
 雄斗が少しでも面倒臭(めんどくさ)そうな顔を見せれば、必ず彼女はそう言ってたしなめる。特に料理は、雄斗にどんどん新しい事をさせる。
「ユウト、これやって。」
 二人並んでキッチンに立つと、アイリーンから指示が飛ぶ。今日は、真空包装した透明ポリ袋の中から見慣れない野菜の束を取り出して、適当な大きさに切れと言う。
 雄斗は、小さめの包丁を握って課題に挑戦する。
 アイリーンが小さく悲鳴を上げる。見れば、レトルトの料理を皿から(こぼ)している。
「あ~あ、料理少なくなっちゃったよ。」
 雄斗の声にアイリーンはふくれっ面で見返す。人にはああしろ、こうしろと言う(くせ)に、自分が言われるのは気に入らない。
「良いもん。これ、私が食べるから。」
 雄斗の食事の準備はするけれど、帰る場所の有ったサクラは、雄斗の分しか作らなかった。けれど、アイリーンは隣に住み込んでしまった。朝、昼、晩、いつも雄斗と一緒に食事する。
「ユウトはちゃんと切れているの。」自分の失敗を(たな)に上げて、雄斗の手元を(のぞ)き込む。「あ~、長さがバラバラじゃない。」
「いいの。腹に入っちゃえば同じだよ。」
「私のだって、()いちゃえばお(しま)い。」
「違うよ。アイリーンさんのは、拭いても、量は元に戻らない。」
 アイリーンが不満気(ふまんげ)な視線を雄斗に投げる。
「早く皿に盛り付けて。折角(せっかく)温めたのが冷めちゃうわ。」
 アイリーンは負けず嫌いだ。雄斗なんかに負けるのは許せないのだろう。雄斗は思わず苦笑(にがわら)いする。
「なんで、こんな手間をかけるの?」自分が切った野菜を皿に盛りながら雄斗はアイリーンに()く。「この野菜だって、こうやって、真空包装されて来ると言う事は、最初から切り(そろ)えて置けば良いのに。」
「うん?そんな事が気になる?」もうすっかりいつものすましたアイリーンに戻っている。「わざとそうしているの。何故(なぜ)だと思う?」
 アイリーンは料理の皿をテーブルに運びながら、悪戯(いたずら)そうな目で雄斗を振り返る。
「え、何で?切っちゃうと野菜が(いた)むとか?」
「そうじゃないわ。食事だけじゃない。掃除や洗濯だってわざと手間が掛かるようにしてある。」
「そう言われてみれば」雄斗は野菜を盛った皿を持ってテーブルに行き、自分の席に座る。「僕が暮らしていた時代でも、勝手に掃除するロボットがいたのに、この時代に来たら自分の手で掃除機を使っている。洗濯だって、わざわざ最上階に干しに行ってるよね。それって、わざとなの?」
 テーブルを(はさ)んで雄斗の向かいに座ったアイリーンが、面白(おもしろ)そうにしながら(うなず)く。
「技術的には、料理や掃除はロボットにお任せに出来るし、洗濯だって、装置に衣類を入れれば洗濯乾燥まで自動に出来る。でも、そうしたら、どうなると思う?」
 なんだか、質問攻めだ。
「どうなるって…、(らく)になるじゃないか。」
「そうね。楽になるわ。そうしたら、人間はどうするの?」
「どうする?…どうもしないよ。」
()いた時間で自分の余暇(よか)を楽しむかしら?ユウトなら、時間が出来たら何をしたい?」
「そうだな、今だったら、走れる様になる(まで)トレーニングかな。」
「ストイックね。じゃ、昔暮らしていた時だったら?」
「ゲームしてたかな。」雄斗は即答する。「あの当時ハマっていたゲームがあって、しょっちゅう、そればかりしていた。懐かしいな。…そう言えば、この時代にはゲームってないの?」
「ゲームってどうやってやるの?」
「ああ、このくらいの装置があって」雄斗は自分の両手でコントローラーの大きさを空中に描いて見せる。「その装置についているボタンやスティックを操作して遊ぶんだ。」
「じゃあ、モニターを見て、操作する感じね。」
「そう。」
 雄斗は(うなず)く。
「今はもっとすごい。指を介す必要は無いわ。脳で自分が動かそうと思えば、現実の世界にある物の様に、動かすことが出来る。」
「ああ、前にセイヤさんから聞いた。VRだね。脳神経と直接(つな)いで、仮想世界で動けるだけじゃなくて、感覚も戻って来るっていう。」
「そう。現実世界での経験と何ら違いが無いくらいの経験が出来る。」
 セイヤとのやり取りが思い起こされる。あの時、セイヤは美女に囲まれて、美女を思い通りにするのが好みだと言っていた。アイリーンはVRでどんな事をしているのだろう。(のど)まで質問が出かかったが、何だか綺麗(きれい)容姿(ようし)に隠された(やみ)(あば)く気がしてやめた。
「そのVRでみんな時間を使ってしまう。最低限の事だけやって、あとは全て機械任せ。自分の体は放り出して、仮想世界で活躍する事にのめり込んでいく。そんな事していたら、廃人になっちゃうのは、ユウトでも想像出来るでしょ?」
 麻薬の様な物だろうか。仮想世界の中なら、自由に設定して、自分をオールマイティに仕上げられる。そんな気持ちの良い思いが出来る仮想世界から現実に戻れば、欠点だらけの(おの)が肉体と能力を突き付けられる。仮想世界にのめり込む人間が居ても、何も不思議じゃない。
 雄斗はゆっくりと(うなず)く。
「だから、一日最低七時間は現実世界で仕事に()くように法律で決まっている。その上、VRで身体能力を使うと、脳の運動処理能力は上がっていく。けれど、実際の自分の肉体は経験を積んでいないから、筋肉も運動神経も経験を積まない。その差が広がり過ぎると、一個の人間としての調和がとれなくなって壊れちゃうの。脳の命令に自分の体が追従出来なくて、歩く事すらままならない障害を起こしたりする。それを防ぐために、自分の体の技巧(ぎこう)や筋力を日常の中で使う機会を作る様になっているって(わけ)。」
「なんだか、面倒(めんどう)な世界だな。」
「そうかもね。此処(ここ)から出られる様になったら、もっとそう思うかも。」アイリーンは笑って見せる。「さ、食べましょ。私が折角(せっかく)温めたのに、冷めちゃう。」
 雄斗は(うなが)されるまま、スプーンを持って食事を始める。
 最低七時間の仕事が義務付けられている。
 アイリーンにとって、こうやって雄斗と食事をする時間もその範疇(はんちゅう)なんだろうか。サクラは?サクラは朝来て、夜には帰って行った。だからきっと、サクラにとって、雄斗との時間は(まぎ)れもなく仕事だったのだろう。自分で介護福祉士だって言っていたし。ならば、アイリーンにとってもこれは仕事だろう。雄斗は、変に期待しない様に気を付けようと考えながら食事をした。

 雄斗は研究所の最上階で空を見ていた。此処(ここ)は、屋根が透明になっている。その上、小部屋に仕切られていない広々とした空間だ。自分の事は自分でやるようになって、洗濯物を干しに、雄斗は最上階に一人で上がって来る様になった。今もこうして、最上階に上がって来て、自分の洗濯物を干した後、空を見上げてぼんやりと立っている。屋根全面が透明な樹脂板で出来ている。四方は壁で囲われているから、外気は入って来ない。だから、風は感じられない。それでも、見上げる青い空に浮かんだ白い雲は、昔自分が生きていた時代と何も変わらない。
「こんな所でサボっている。」
 背後でアイリーンの声がする。雄斗の姿が見えないので、探しに来たのだろう。雄斗は、近づいて来るアイリーンの姿を確認して、また空を見上げる。
「早く外に出たい?」雄斗の隣に来て、アイリーンも空を見上げる。「良い天気ね。」
「僕が暮らしていた時代もこんな青空だった。」
「当たり前じゃない。数百年くらいじゃ、地球は変わらないわ。」
「僕はこれで良いのかな。」
「何?急にどうしたの?」
「うん。おかしいかな。…おかしいね。」
 雄斗は空を見上げるのをやめ、足元の洗濯籠(せんたくかご)を取り上げる。
「ちょっと。何か言いたいんでしょ。ちゃんと言いなさいよ。」
「別に、話したい事がある(わけ)じゃないんだけど…。ちょっと不安なのかな。」
 階下に降りて行こうとする雄斗の腕をアイリーンが(つか)む。
「待って。此処(ここ)で話しましょ。あそこ、座らない?」
 アイリーンが指差す先には、観葉植物の(はち)を取り囲む様に、そこだけ椅子が置かれている。雄斗はアイリーンの提案に素直に従う。
「それで、何を悩んでいるの?」
 席に座るなり、アイリーンが問い掛ける。
「悩んでいるって言うのかな。多分、ただ不安なんだと思う。」
「じゃ、何が不安なの?」
「アイリーンさんは、どうやって今の研究者になったの?」
「え?そうね…、人の細胞や遺伝子(いでんし)の研究をしていたの。いろいろな職業があるし、科学分野に限っても、いろんな研究があるのに、どうしてそれを選んだかは、もう、昔の事過ぎて忘れた。でも、そうやって、生まれ変わりながら研究を続けてきた。この研究所でサイガ博士の研究を手伝う様になったのは、ユウトの様な人を探して蘇生(そせい)させるプロジェクトが始まってから。」
「研究をずっとやっているって事は、大学に行って、そう言う事を学んだんだよね。」
「きっとそうね。もう、今では大学は研究施設としての機能しか存在しないけど。」
「研究施設?じゃ、生徒は取らないの?」
「え?あ、そうか。ユウトはまだ、生まれて十七年しか()っていないから。」
「アイリーンさんはどのくらい生きてきたんですか?」
「女性に(とし)()くなんて、失礼よ。」
「確か、サクラさんにも同じ事を言われた。」
「ユウトは勉強がしたいのね。」
「別に勉強したい訳じゃないけど、高校の途中でコールドスリープしてしまったから、中途半端(ちゅうとはんぱ)なんだ。このままじゃ、この世界で生きて行けるのかどうか…。」
「心配なんだ。そうね。まず、一つ言えるのは、勉強が出来なくても、()ける職業は山の様にある。もう一つ言えるのは、学校に行かないと勉強出来ない訳じゃない。VRのコンテンツに仮想学校もあるから、そこで自分の学びたい事を学べるわ。最後にもう一つ。ユウトも永遠の命を手に入れられる。そうすれば、好きなだけ知識も技能も身に付けられる。私も、生まれ変わりながら、研究を発展させているのよ。」
「僕は、この研究所の中しか知らない。本当にこの世界で暮らしていけるのか、時々不安になる。」
「そうかぁ。もう日常生活に問題無いくらい運動機能は回復しているから、もうすぐ研究所の外に出るのも許される(はず)よ。そうしたら、私とこの世界を見て歩きましょ。そうすれば、その不安はもう少し改善出来るかも知れない。」
 そう言えば、サクラも一緒に外に行こうと言ってくれていた。
「そうだと良いけど…。自分で未来行きを選択したのに、その未来で結局馴染(なじ)めずに終わっちゃったら、僕の選択を尊重して送り出してくれた父さんや母さんに合わせる顔が無い。」
 雄斗は、両手で項垂(うなだ)れた頭を(かか)える。
「ご両親か。ユウトはそんな事を気にするんだね。」
「そんな事?当たり前だろ。僕を育ててくれたのに、親孝行も出来ずに我儘(わがまま)言って未来に来たんだ。(ひと)りでもしっかり生きて行かなけりゃ。」
「お父さん、お母さんが恋しい?」
「そんなんじゃない…って言いたいけど、そうなのかな。この世界で目覚めて、毎日トレーニングに明け暮れて…。時々、思い出すんだ。昔の事。あんなにだるいと思っていた毎朝の通学とか、学校の友達とか。何でもない自分の家の風景とか。リビングの壁にかかっていた時計まで思い出す。」
「そう。」
「アイリーンさんはそういう事ない?今、僕と一緒に研究所で寝泊まりしているけど、家族が恋しいとか。」
「家族…。もう、分からなくなっちゃった。私が生まれたのは、何百年も前。私の母親は、C国の人間だった。父親はこの国の人。間に生まれたのが私。でも、顔も思い出せない。」
「写真とか、残っていないの?」
 アイリーンは首を横に振る。
「きっとその頃の私は、それが大切だとは思っていなかったのでしょ。」
「他の家族は?兄弟とかは?」
「もう何百年も昔の事。どんな人と血縁関係にあったかなんて、分からなくなっちゃってる。私達は長い時間生きている。その間に新しいスキルも知識も身に着けていく。でも、脳の容量は限界があるの。新しい事を会得(えとく)するには、古い、もう使わなくなった物事を捨て去って行かなけりゃならない。理性では忘れちゃいけないと思える事でも、使わなければ、脳は勝手に上書きしていってしまう…。前にも話したでしょ、今は個人が尊重される社会。一人一人が自立して生活している。人とのつながりはシンプルなのが一番なんだよ。」
「こんな未熟(みじゅく)な自分が、(えら)そうな口を()くのは間違っているのかも知れないけど」雄斗は視線を床に落としたまま、ぼそぼそと(つぶや)き始める。「それは悲しいです。アイリーンさんのお母さんは、アイリーンさんが生まれた時にきっと喜んだと思います。小さなアイリーンさんが少しずつ大きくなっていくのを、大きな愛情と希望で支えてくれたと思います。それは忘れちゃいけないんだと、新しく覚えるどんな知識よりも大切な事なんだと思います。」
 雄斗は自分が何かに苛立(いらだ)ってくるのを自覚している。不思議なくらい言葉が(あふ)れてくる。
「ユウトがそんなに家族を大切に思っているとは知らなかった。じゃ、コールドスリープを選択した時は、(つら)かったでしょ。」
 雄斗はギクリとする。何故(なぜ)だか全身に汗が()き出してくる。
 (つら)かった?自分は辛かったか?あの時は自分の置かれた状態から逃げる事しか考えていなかった。家族との別れについてちゃんと考えていたか?家族はどうしていた?自分との別れをどう受け止めていたんだ?父さんは?母さんは?奈那は?
 コールドスリープを決めた日から、実際に眠るまでの間の家族の表情を思い返す。父さんとは朝一緒に家を出て話し合った。いつもはそんなのした事も無かったのに。母さんは、病院で本当は雄斗がコールドスリープ出来なければ良いと言った。奈那は最後まで泣いていた…。アイリーンを責められない。自分も同じだ。
「戻りましょう。」
 雄斗はそれだけ()げると席を立ち、階段に向かった。

 その日は、月に一度の精密検査の結果が出る日だった。アイリーンに(うなが)されてサイガ研究室に向かう。研究室のドアを開けるとそこにサクラがいた。
「サクラさん。」
 久し振りにサクラに会った。けれど、アイリーンに追い出される様に姿を消してから、実際にはまだ一ヶ月も()っていない。今度会ったら色々話そうと思っていたのに、実際にこうして会えたのに、急には言葉が何も出て来ない。
「ユウトは、筋肉がついたんじゃない?」
 サクラは、雄斗を頭の先からつま先まで(なが)めまわして、何事(なにごと)も無かったかの様に無邪気(むじゃき)に笑う。
「ああ、今もセイヤさんにトレーニングをお願いしているんだ。上半身の筋力をつけないと、バランスが悪いから。」
「そう。もう、研究所の外に出られる頃ね。憶えてる?外に出られる(よう)になったら、一緒に行こうって言ったの。」
「うん、憶えてるよ。」
「サクラと行けるのはいつかしら。」話にアイリーンが割り込む。「さ、サイガ博士の前に行って。」
 アイリーンに背中を押されて、雄斗はサイガ博士の前の椅子に座る。まだサクラにお礼が言えていない。振り返る雄斗に、サクラは微笑(ほほえ)んで小さく手を振ってくれる。雄斗は少し安心する。そのままサクラは研究室のドアから出て行く。
 きっとまた会える。
 雄斗は気持ちを切り替える。
「えーと。」サイガ博士はモニターを操作して、データを見ている。「筋肉量はだいぶ増えたね。」
 彼の言葉は、雄斗に話し掛けているのか、(ひと)り言なのか判然としない。
「これなら良いだろう。順調だ。もう、外出しても良いよ。」
 今度は、ちゃんと雄斗を見て、親指を上向きに立てる。
「ユウト、良かったね。」雄斗の背後からアイリーンが声を掛ける。「早速(さっそく)明日は、私と一緒に研究所の外に行ってみましょ。」
「研究所から外に出て良いんですか?」
 雄斗の念押(ねんお)しに、博士が大きく(うなず)く。
「ただし、一人では駄目だ。現代に慣れていないだろ。何かあったら大変だ。必ず、アイリーンと一緒に行く(よう)に。」
 何かあったら?そんな物騒(ぶっそう)な社会なんだろうか。
「分かりました。」
 雄斗は多少不安を感じながら返事をした。

 早速(さっそく)次の日に、アイリーンに案内されて、研究所の外に足を踏み出す。現代の事情はさっぱり分からない。アイリーンにどんな服装をして行けば良いか()いたが、スウェットの上下みたいな、研究所の中で着ている服装のままで良いという。
「みんな、人の事は気にしていないから。」
 気楽にそう言うが、(まった)く想像が出来ない世界に踏み出すのは緊張する。自分だけ周囲から浮いてしまって、注目が集まってしまうのは御免(ごめん)だ。アイリーンの言う事をそのまま信じて良いのか、外に出るまで不安でいっぱいだ。
 研究所の建物の周りは、広い芝生(しばふ)の庭になっている。その庭を抜けて、正門から研究所の外に出る。タイルがきれいに敷き詰められた舗道(ほどう)がどこまでも続いている。その道をアイリーンと並んで歩く。研究所の周りは郊外なのか、人気(ひとけ)が無い。(しばら)く歩くと中層ビルが立ち並ぶエリアに出る。
「人が住んでいるエリアを『シティ』って言うの。この(あた)りが、シティの中心になるわ。」
 此処(ここ)がシティの中心?確かに人通りは多い。皆すました顔をして、通り過ぎていく。周囲の建物は官公庁のビル街みたいに見える。味気(あじけ)ない装飾(そうしょく)抜きの四角い建物ばかり。地上階に何かの店が入っているが、どれも地味(じみ)だ。色鮮(いろあざ)やかな看板(かんばん)も、客の目を引く飾り付けも無い。未来の都市といえば、もっと立体的に複合していて、高層ビルの間には、空中を突き抜ける高速道が縦横(じゅうおう)に伸び、地面から浮いて走る車や、空中を走り抜けるUFOの様な乗り物が飛び()っていると想像していた。
「高い建物は無いんだね。」雄斗はキョロキョロと物珍(ものめずら)しそうに周囲を見回す。「僕が生きていた昔でも高いタワーがあったのに。」
「必要ないわ。飛行体の飛翔(ひしょう)エリアに、建物が突出しているのは危険だから。」
「飛行体?みんな空を飛ぶんだ。」
 雄斗は、飛んでいる物を探し出そうと、しきりと青空に目を()らす。
「長い距離を移動するときは、eVTOL(電動垂直離着陸機)を使用する。みんな個人で所有している。」
「そうなんだ。見てみたいな。」
「じゃ、今度乗せてあげる。それ以外は徒歩ね。」
「えぇ!極端(きょくたん)だね。空を飛ばなければ歩くの。」
「みんなそうしているでしょ。」
 確かに、研究所から此処迄(ここまで)歩いて来たが、歩行者以外に見掛けなかった。第一、車道と歩道の区別が無い。自分が生きていた頃の都会の様に、人が飛ぶ(いきお)いで歩いていない。かと言って、のんびり歩いている訳でもない。どこか余裕があるところを感じさせながら、通り過ぎていく。
「何だか、のんびりしている感じ。」
「のんびり?そんな事、他の人に言ったら、気分を害すから気を付けなさい。外を歩いている人達は、夫々(それぞれ)目的を持って行動している(はず)だから。」
「目的って、何か仕事をしているって事?」
 アイリーンは小さく二、三度(うなず)く。
「そうなんだ。僕が暮らしていた時代のサラリーマンに比べると、余裕がある様に見えちゃったから。」
「そうかもね。私達は無限に時間を持っているから、(あわ)てなくても良い場面は多いんじゃないかしら。」
 無限の時間。それが人間に与える恩恵(おんけい)(はか)り知れないのだろう。それにしても、すれ違う人という人が雄斗の方に視線を投げて過ぎて行く。何だろう。やっぱり服装がおかしいからか?雄斗がこの時代の人じゃないと分かるのだろうか?
(まわ)りの人が気になる?」
 アイリーンはフフと鼻で笑う。
「何か、みんなこっちを見ている感じがして…。どこか変かな?」
 自分の服装を点検してみる。
「きっと、ユウトだけを見ている(わけ)じゃないと思うわ。私とユウトの二人を見ているのよ。」
「なんで?」
「現代人は一人で行動するものなの。仕事や用事が無い限り、他人とは関わらない。だから、こうやって二人で会話しながら歩いているのが珍しいのよ。」
「ふーん。」
 確かに、すれ違う人はどの人も一人で歩いている。勿論(もちろん)会話している人なんか一人もいない。
「どう、ちょっとその辺のショップで何か食べない?現代の買い物と外食を経験してみるのも良いでしょ。」
「うん。いろんな事を知りたい。」
 雄斗はアイリーンに(みちび)かれて、近くのビルの中に入ってみる。
 店内は、日光を取り込んでいる上に、研究所と同じ天井からの全面照明でとても明るい。広い空間には適当に散らしてテーブルと椅子が置かれ、それらの間にある観葉植物の(はち)が、アクセントと視線を(さえぎ)る役割をしている。雄斗が暮らしていた時代から何百年も()っている(はず)なのに、あの時代のコーヒーショップを再現しているかの様に、未来感が無い。
「何にする?」
 周囲を見回す雄斗に、アイリーンが注文の選択を(うなが)す。見れば、正面の壁の上部に大きなサンプル写真が掲示されている。文字が読めない。日本語というよりも、どちらかと言えば、アルファベットの様に見える。
「じゃ、あれ。」
 雄斗は、写真の一つを指差(ゆびさ)す。軽食と飲み物がセットになっている(やつ)だ。アイリーンが軽く(うなず)く。
「Aセット二つ。」
 その場でアイリーンが声に出す。雄斗は周囲を見回すが、見えるのは雄斗達と同じ客と(おぼ)しき人ばかりで、アイリーンの言葉に反応する者は居ない。
 どうなっているんだ?
「ユウト、こっち。」
 雄斗がきょろきょろしている間に、アイリーンは歩き出している。その場に取り残された雄斗に気付いて、アイリーンが呼んでいる。アイリーンのお(とも)の様に後ろを付いて行き、()いている席に向かい合って腰掛ける。そもそも、四人掛けのテーブルなど無い。どれも、一人か二人用のテーブルばかりだ。
「注文出来(でき)たの?」
 雄斗は不安が(ぬぐ)いきれない。
「ええ、待っていれば持って来るわ。」
「どういう仕組(しく)み?」
「あの辺で声に出して言えば、注文は完了。個人認識してくれるから、後は好きな所で待っていれば、持って来てくれる。それだけ。」
「お金は?後払い?」
「個人認識してくれるから、勝手に引き落とされるわ。」
「僕の分は?」
「心配?大丈夫。私の(おご)りだから。」
「…ありがとう。」
 店の中は、隣の席の人の吐息(といき)まで聞こえそうなくらい静まり返っている。何だか落ち着かない。この雰囲気に慣れていないからだろうか。街中を歩いていた時の様に、二人連れの雄斗達を奇異(きい)な目でみんな盗み見ていないだろうか。周囲の客の様子を(うかが)う。けれど、どの客も椅子に座ったまま、目を閉じてじっとしている。まるで、瞑想(めいそう)にでも(ふけ)っている様だ。
 アイリーンがクスリと笑う。
「やっぱり、周りが気になるかな?」
「何だか、静か過ぎて、話すのも勇気がいる。」
 雄斗は座ったまま前屈(まえかが)みになり、出来るだけ小さな声で(しゃべ)る。
「別に平気よ。」そう言うと、アイリーンは顔を天井に向けて大声を出す。「今日は、ユウトの初めての外出!」
「ちょっ、やめてよ。」
 (あわ)てて小声で抗議する。
御免(ごめん)、御免。でも、誰も気にしないでしょ。」
 アイリーンは小さく両手を広げて見せる。雄斗は素早(すばや)く周囲の客の様子に目を走らせる。
「何で、みんな瞑想(めいそう)しているの?」
「メイソウ?」
「目を(つむ)ったまま、身動きしないでいる。」
 あれでは、せっかく注文した飲み物がテーブルの上で冷めてしまう。
「ああ、みんなVRに接続しているのよ。」
「何も持たずに?」
「そう。人工シナプスで(つな)いでいるから。」
「あ、そう言えば、セイヤに聞いた。」
「マイクロチップが私達の体の中に埋め込まれているから、何処(どこ)でも自分の意思で接続出来る。」アイリーンは手近な客を指差(ゆびさ)す。「ああやって、目を閉じて、身動きしていない状態の時は、大抵(たいてい)VRに接続しているの。自身の体との神経伝達は切っているから、身動きしない。私達がいくら騒いでも、聴覚もVR側と接続しているから、彼等は認識出来(でき)ない状態ね。」
 何だか、鵜呑(うの)みには出来ない話だ。そんな事をしていて、本当に大丈夫なのだろうか。
「じゃ、誰かが来て、財布を盗んでも、分からないって事?」
 アイリーンが声を上げて笑う。
「サイフ?それって、お金を入れる携帯容器の事?そんな物は、もう無い。IDで管理されているから。」
「ID?」
「個人識別番号ね。」
 女性が一人、注文のAセットを運んで来て、テーブルの上に置く。急に現れた女性に驚いて、雄斗は彼女を見上げる。無表情に作業を済ませると、そのまま遠ざかって行く。
「さ、どうぞ。」
 アイリーンが雄斗に(すす)めてくれる。
「今の、普通に人だよね。」
 相変(あいか)わらず、こそこそと話す。
「ええ、そう。」
 無関心そうにアイリーンは答える。
「ロボットとかが持って来るのかと思った。」
 雄斗は肩の力を抜く。アイリーンが口角(こうかく)を上げて笑顔になる。
「それは昔の話。今はそれ、やめた。」
「え?ロボットが持って来た時もあったんだ。僕の時代は、従業員は人間しかあり得なかったけど。どうして、人間に戻ったの?」
「経済活動のため。」
「?」
「頭脳労働も含めて、多くの分野を人工知能やロボットに置き換える事は可能よ。事実、そうしていた時期もあったから。この前話さなかった?それより、今はこれを味わう事に専念しましょ。」
 アイリーンは、Aセットを一つ、自分の前に引き寄せる。話していると何だか周囲に迷惑をかけている(よう)に思えて、雄斗も飲食に集中するのは賛成だ。
 軽食を満喫(まんきつ)した後、アイリーンと雄斗は店を出て公園に向かう。そこには太陽が降り注ぐ大きな芝生(しばふ)の広場がある。公園の(ふち)に沿って背の高い木々が植えられていて、公園を取り囲む周囲のビル群が気にならない様に出来(でき)ている。こんなに広い広場なのに、誰の姿も無い。若者ばかりのこの時代、住人の(ほとん)どは、昼間の時間に仕事に従事しているせいかも知れない。まるでアイリーンと雄斗のプライベート空間の様だ。自然と雄斗は気持ちが高揚(こうよう)してくる。コールドスリープから目覚めて今迄(いままで)、閉ざされた建物の中に押し込められてきた。今彼は、(まぶ)しい太陽光が降り注ぐ、制約の無い大地を踏みしめている。
「こりゃ、(すご)いや。ね、走って良いかな。」
 体が動きたくてうずうずしている。小走(こばし)りになりながら、雄斗はアイリーンを振り返る。
「走れるようになってまだ日が浅いんだから、無理しないでね。」
 アイリーンは笑顔で答える。雄斗は、正面に見える立ち木を目指して、広い芝生を突っ切って行く。
 今、生きている。僕の体が生きている。
 心臓が高鳴(たかな)る。呼吸が(あら)くなる。
 久し振りだ。自分は毎日こんな(ふう)に部活をやっていた。そうだ。自分が生まれた時代が(はる)か昔になった世界に僕は居る。
 広場の中央付近で立ち止まる。大して走っていないのに、呼吸が乱れて苦しい。
「どう?走ってみて。」
 声に振り向けば、すぐ後ろにアイリーンが追い付いている。
「うん。やっぱり気持ちが良い。」
 雄斗はアイリーンに笑い掛ける。笑う。未来に来てから笑った事があっただろうか、こんなに晴々(はればれ)と。
「これからは、勝手に外に出ても良いんだよね。」
 雄斗の問いに、アイリーンは小さく肩をすくめてみせる。
「完全にフリーとはいかないわ。迷子になられちゃ困るでしょ。私と一緒ならOKよ。」
「そう。一人は駄目なんだ。」
「一人で出掛けたい?」
 雄斗は首を横に振る。
「そうでもない。アイリーンさんの都合が良い時間帯を教えて。」
 アイリーンが鼻で笑う。
「私の都合のいい時間?寝ている時以外ユウトと一緒に居るでしょ?ユウトと一緒に居る時間ならいつでもOKよ。」
「そうか。…ありがとう。」雄斗は視線を芝生(しばふ)の上に落とす。それから、今度は水色の空を振り仰ぐ。「あ~、サッカーがしたい。ボールないかな。」
「サッカー?現実世界でやってみたい?ボールはどのくらいの大きさの物を準備すれば良い?良ければ手配するけど。」
 手配。つまり、研究所の費用で買ってくれるという事だ。
「…いい。サッカーは一人じゃ出来(でき)ない。相手がいないや。」
 雄斗はアイリーンに笑って見せる。
「公園は気に入った?」
「うん。広くて気持ちが良い。此処(ここ)で走って体を(きた)え直す。」
「シティの中には他にも公園があるから、今度違う公園にも行ってみましょ。」
「うん、そうだね…、それが良い。次は別の公園に案内してよ。」
 アイリーンは黙って二度(うなず)く。
「もう少し走る。」
「じゃ、私も。」
「アイリーンさん、走るの早い?」
「馬鹿にしないで。生まれ変わりながら、肉体を(きた)えているのよ。ユウトになんか負けないから。」
 雄斗が走り出すと、アイリーンも彼に付いて走り出した。
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