2-下

文字数 10,745文字

 それからいリハビリの日々が始まった。毎日、サクラとセイヤと過ごす日々だ。朝になるとサクラがやって来る。雄斗(ゆうと)を起こして、着替えさせ、雄斗が苦労しながら歯磨(はみが)きと顔を洗っている間に、朝御飯を用意する。用意された朝御飯を、雄斗はこれまた苦労しながら口に運ぶ。雄斗が食事をしている間、サクラは雄斗の(かたわ)らで彼の介助(かいじょ)をする。朝食が終わって(しばら)くすると、セイヤがやって来る。その日のリハビリの始まりだ。雄斗を車椅子に乗せ換えて、リハビリルームに連れて行く。そこから昼飯(まで)、たっぷりリハビリの時間だ。セイヤは決して急がなかった。まずはマッサージ、そして、血行が良くなったところで、少しずつ四肢(しし)を動かす練習をする。長く続けず、雄斗が疲れてしまう前に休憩を挟んで、また続けられる。
 昼飯は、サクラがリハビリルームの隣の部屋(まで)お弁当を持ってくる。そこで、セイヤ、サクラと三人で昼飯を食べる。昼寝の時間を挟んで午後のリハビリになる。三時にはそれも終了し、自室に戻る。雄斗が午後のリハビリをやっている間に、サクラが雄斗の部屋の掃除を済ませておいてくれる。セイヤとはそこまでで、次の日まで会わない。サクラは、部屋の掃除を済ませると一旦(いったん)いなくなる。夕方にもう一度姿を見せて、雄斗に夕飯を食べさせて帰って行く。
 雄斗が生まれた時代からすれば遠い未来の(はず)なのに、人間の生活はそれ(ほど)変わっていない。雄斗の介助も、リハビリの相手も、部屋の掃除だって、機器は見慣(みな)れない最新の物らしい姿をしているが、操作するのは人間だ。何だが考えてみると不思議だったが、過去の人間である雄斗には、その方がストレスにならなかった。
 時々、検査用の採血だとか、健康状態を確認しにアイリーンが顔を見せるが、それ以外はほぼセイヤとサクラと三人で過ごす日々に、雄斗は徐々(じょじょ)に精神的な安定を取り戻していった。
 最初は筋肉大好きナルシストにしか見えなかったセイヤだったが、会話をする中でそれだけじゃない事も知れた。確かに自分大好き、筋肉大好きではあるが、いつも前向きな思考をしている。雄斗の状態を常に気遣(きづか)い、雄斗と同じ目線で話してくれる。まるで気の置けない兄さんの(よう)な存在に思えてくる。サクラも(やさ)しい女性だ。いつもにこやかに、柔らかい物腰(ものごし)で雄斗に接してくれる。二人の存在でどれだけ雄斗が救われているだろう。リハビリの日々が始まって一週間もしない内に、雄斗と二人は冗談を飛ばし合える間柄(あいだがら)になった。何だか、この二人ならば、何を()いても素直に答えてくれそうだ。
「ねえ、僕がコールドスリープしてから、どのくらい眠っていたのか分かる?」
 ある日、雄斗はまず一番知りたい情報からセイヤに(たず)ねる。
「何、気にしているんだ?それを知ってどうする。」
 セイヤは明るい。それだけで何だか救われる。
「僕には、コールドスリープで仮死(かし)状態に入って、次に気付いたらこの世界だったって感じだから、どのくらい()っているのか分からないんだ。他にこんな話が出来(でき)る人もいないし、なんか他の人には、僕が()いたらいけないかな、なんて思えて。」
 もしかしたら、時間が経過したのじゃなく、異世界に行ってたりしないだろうか。
「そんな気を回さなくても良いだろ。何でユウトが知っちゃいけないんだ。大丈夫だ。」
 セイヤが雄斗の肩をバンバンと(たた)く。
「じゃあ、教えてよ。どのくらい()っているか。」
 雄斗のセイヤを見る目は真剣だ。
「ん。そうしたいが、知らん。」
 え?
「知らないって、どういう事?」
「俺は聞かされていないんだ。ユウトがどのくらい昔の人なのか。」
 セイヤはすまなそうに言う。
「え、そうなんだ?じゃ、今年が何年なのか教えて下さい。西暦で。西暦って言い方で良いのかな?」
 雄斗は何だか(あせ)ってくる。
「いや、そんなの知らないなぁ。」
「えぇ、ちょっと、揶揄(からか)わないでよ。」
「いやいや、揶揄っているつもりは無い。真面目(まじめ)な話さ。」
「そんな(わけ)ないでしょ。今が何年か分からなきゃ、日常生活困るじゃない。」
「…いや。」
 セイヤは(あわ)てる雄斗の顔を、真顔(まがお)で見つめて首を振る。
「え…。」
 最初はまさかそんな訳が無い、絶対冗談か嘘だと決めつけていたが、段々セイヤが正直に言っていると分かってきて、言葉を失う。
「うん、まあ、ユウトには信じられないかも知れないけど。」固まってしまった雄斗の様子を見て、セイヤはすまなそうに話し始める。「今の世界じゃ、今年が何年かなんて、気にする人は居ない。年だけじゃない。今日が何月何日かだって気にしない。それを知って何になる?…そうか、ユウトは生命が有限の時代に生きていたから、今がいつかを知るのが必要だったんだ。でも俺達は違う。いつまでも生きていられるんだ。だったら、今がいつかを知る必要なんてないだろ?」
「それでも、人との約束とか困るでしょ。未来の時間に会おうとしたら、どうやって約束するんですか?」
「未来かぁ!(すご)い表現だね。そりゃ、俺達も、ユウトの言う未来の予定を約束する事だってある。でもそれは、五日後とか、一ヶ月後とかそういう表現で十分だろ。細かい時間まで指定したければ、お互いのスケジュールに情報を入力すれば良い。」
「スケジュール…。」
「そう、みんなアプリケーションを持っている。…ユウトは、まだ持っていないけど、大丈夫、此処(ここ)で暮らしていくなら、みんなインストールするから。」
「じゃあ、誰も僕が何年間眠っていたのか分からないんだ。」
「ん~、きっとサイガ博士なら分かるんじゃないか。()いてみれば良い。」
 セイヤは全開の笑顔をみせた。

 雄斗はサクラにも聞いてみた。雄斗に与えられた部屋で彼女と二人きりになる夕食の時間を(ねら)って、話を切り出す。
「ねえ、この研究所の人達はみんな若く見えるけど、いくつなのかな。」
 セイヤの時と同じ質問をしても、同じ答えが返って来るだろう。雄斗は攻め方を変える。
「え~、ユウトには若く見える?きっと本当の(とし)を聞いたら、驚いちゃうわよ。」
 サクラは雄斗の夕飯の支度(したく)をしながら答える。
「サクラさんは、僕と(おな)(どし)くらいに見える。」
 けど、言っている事もやっている事もしっかりしていて、きっと雄斗より年上だろう。
「あら、レディに歳を()くなんて失礼ね。」
御免(ごめん)なさい。」
 サクラは、夕飯の支度(したく)の手を止め、ベッドにいる雄斗の(そば)まで(あゆ)み寄る。
「そう言う、素直な所は好きよ。」
 雄斗の目の前で(ささや)いて微笑(ほほえ)む。予想もしない展開に雄斗の心がざわつく。
「みんな若く見えるのは、生まれ変わっているからよ。」戸惑(とまど)う雄斗の反応を楽しんで、夕飯の支度に戻りながら、サクラは付け加える。「何度も何度も…。好きなだけ生まれ変われるから。」
 雄斗は、何だか質問なんかどうでも良い気になってくる。
「生まれ変わるって、どういうこと?」
「ん~?そのまんま。新しい自分を若い時からやり直すって事。ユウトは今いくつ?」
「コールドスリープに入った時は十七歳でした。」
 自分には(とし)()くなと言っておきながら、サラッと雄斗の歳を訊いてくる。相手がサクラだと、そんな事は気にならない。
「ふうん。」サクラが天井を見上げて考える。「たぶん、私もそのくらいかな、この体は。私達も歳を取るんだよ。どんどん()けてっちゃう。でね、そうしたら、新しい若い体に生まれ変わるの。そうやっているんだよ。」
「え、じゃあ、結婚して子供が出来(でき)て、その子が大きくなったら…」
「アハハハ。」
 急にサクラが大声を上げて笑う。雄斗は驚いて、(しゃべ)るのをやめる。
「今の人達はそんな事しないわ。個人の権利が尊重されているもの。人が死なない世界よ。子供を作ったりしない。勿論(もちろん)、結婚もしない。それぞれの人権を尊重して生きているの。」
「え、じゃあ、結婚したいとか誰も思わないの?自分の子供が欲しいとか。」
「そう言う事は、VRで経験出来るから。そうしたい人はVRで体験すれば良いのよ。」
「VR?…あ、バーチャルリアリティーって事か!」
「ユウトの時代もVRは存在したの?」
「うん、あった。」
「じゃ、話が早いわね。今は現実に可能な事を(ほとん)どVRで経験出来る。だから、自分のやりたい事はVRで経験しながら、それぞれが相手の人権を尊重して生きているの。」
「そうなんだ。」
 人が死なない、誰もが若々しい姿で街を闊歩(かっぽ)し、お互いに笑顔で挨拶(あいさつ)()わしながら行き()う街並みを想像してみる。
「どう、素晴(すば)らしいでしょ。」
「じゃ、サクラさんはどんな体験をVRでしているの?どんな事が趣味?」
 雄斗は、勢い込んで質問する。
「さあ、夕食が出来たわ。テーブルに来て食べて頂戴(ちょうだい)。」
 サクラが、ベッド(まで)雄斗を(むか)えに来る。サクラに手伝ってもらって、雄斗は車椅子に移り、テーブルに移動する。テーブルには、暖かそうな料理が並んでいる。料理は雄斗のいた時代と違っているけれど、使っている食材は想像がつく。馴染(なじ)みの食材にほっとする。
「サクラさん、料理が得意だから、いい奥さんになると思うんだけどな。」
「あらそう?それって()めてくれているのかしら。」
「そうだよ。女性らしいって事。料理もVRで習うのかな。サクラさん、付き合っている彼氏はいないの?(やさ)しくて女性らしいサクラさんを、男ならみんな好きになると思う。」
「さっきも言ったでしょ。今は個人の権利を尊重する社会なの。お互い他人の生活に干渉(かんしょう)しないわ。異性と付き合いたければ、VRで十分だもの。」
「え~、そんなの味気(あじけ)ない。」
「ユウトもその内、VRを体験するでしょ。現実と変わらない経験に驚くわよ。」
「そうなんだ。いつも、サクラさんはどんなVRを使っているの。」
「ユウト、個人は尊重されなければならない。」サクラは急に真面目(まじめ)な顔になると、雄斗を正面から見つめる。「他人のプライベートに立ち入らない。」
 それまでの柔らかい物腰(ものごし)とは一線を(かく)す、冷徹(れいてつ)に主張する声に、雄斗は言葉を失い、サクラを凝視(ぎょうし)する。
「さ、食べて頂戴(ちょうだい)。」
 雄斗は言われるまま、スプーンを手に取った。

 サクラが帰り、一人寝る前にベッドに横たわりながら、雄斗は考えていた。このところ、毎日リハビリで体を使っているから、()ぐに眠くなって前後不覚に眠りに落ちる日ばかりだったが、今日はなんだか直ぐに眠れそうになかった。照明を落とし、薄暗い部屋の中で天井を見つめる。
 いつも(やさ)しく雄斗に接してくれていたサクラの冷たい表情、突き放すような言葉が、まだ雄斗の心をざわつかせている。あの時だけだ。()ぐにサクラはいつものサクラに戻って、雄斗に優しく接してくれたし、そのときは、それ(ほど)ショックを受けたとは感じなかった。だけど、こうやって一人になってみると、あの時のサクラの表情が脳裏(のうり)(よみがえ)ってくる。
 この世界に目覚めてから今迄(いままで)の日々を思い返す。最初は何だか分からなかった。体だけじゃなくて、脳みその働きも不十分だったのか、ぼうっとしたまま、周囲で起きている出来事を受け止めていた。それから、この研究所で関わる人達を覚えた。そして、サクラやセイヤとは仲良くなったつもりでいた。それは自分の勘違(かんちが)いだったのか。確かにみんな雄斗に気を(つか)ってくれる。此処(ここ)で生活出来る(よう)に、言わなくてもサポートしてくれる。でも何故(なぜ)だろう、時々自分は(ひと)りだと思い知らされる。薄暗い部屋。窓のないこの部屋で、自分は飼われているのと変わらないのじゃないか?
 昔()た映画を思い出す。サブスクリプションを使って自室で観た。宇宙船に乗って地球に帰還(きかん)する。長い旅の間、乗組員は眠った状態で過ごす。地球に帰って来たと思ったら、そこは猿が支配していて、人間は家畜(かちく)の様に(あつか)われている。結局そこは、未来の地球だった。
 ついつい、今の自分の境遇(きょうぐう)と重ねてしまう。自分は宇宙船に乗っていた(わけ)じゃないから、此処(ここ)(まぎ)れもなく地球だし、自分と接するのはちゃんとした人間だけど、多分(たぶん)自分は、あの宇宙船の乗組員と同じ孤独と混乱を感じている。映画の主人公は猿に捕まり、(おり)に閉じ込められた。今の自分はそうじゃないのか?映画では、最後に猿との闘争(とうそう)に打ち()ち、恋人を連れて自由になった。自分はどうなるのだろう。この未来の人達の本当の仲間になれて、自由になれるのだろうか。自分が愛する人、愛してくれる人に出会えるのだろうか。

「昨日、サクラさんを怒らせちゃった。」
 次の日、リハビリの休憩中に雄斗はセイヤに打ち明けた。
「なんだい?何をやらかした?」
 雄斗は、昨晩のサクラとのやり取りを話して聞かせる。
「ハハハハ。」
 セイヤは遠慮(えんりょ)なしに声を上げて笑う。
「僕は、そんなに非常識な事しちゃったのかな。」
「現代は、プライベートを尊重するからな。他人には過度に干渉しないのがルールさ。ユウトだって、自分の欠点を言われたり、裸を見られるのは(いや)だろ。」
「うん。仮死(かし)状態から起きたばかりの時、セイヤさんとサクラさんに僕の裸は隅々(すみずみ)まで全部見られちゃったけど、(すご)い恥ずかしかったよ。」
「フフン、そう言う(わけ)さ。」
「でも、それじゃ、人を好きになったり、嫌いになったりしないのかな。」
「おいおい、俺達だって人間だぜ。人を好きになる事だってある。一晩中一緒に過ごすって事もな。」セイヤは片目を(つむ)って見せる。「でも、それはVRでだ。生身(なまみ)の人間同士ではやらない。」
 またVRか。
「VRで?それじゃ、二次元の世界じゃないか。実体が無いのは嫌だな。」
「二次元?実態が無い?ユウト、ほんとにVRが分かっているのか?」
「知ってるよ。」雄斗は両手で楕円(だえん)を作って見せる。「こんなゴーグルみたいなのを頭に()けて、立体に見えるって(やつ)。」
「おい、何言っているんだ。」セイヤは小さく溜息(ためいき)()く。「…ま、ユウトは大昔の人だからな。いいか、そんな装置は使わない。実際に体で経験するのと同じ経験をするんだ。」
「?」
 雄斗には言っている意味が理解出来(でき)ない。セイヤはそれを察して、休憩時間を過ぎているのに、説明を続ける。
「脳と直接接続するのさ。さっき、ユウトが言ったやり方じゃ、外からの刺激は目を通して入って来るって仕組(しく)みだろ?こっちからアプローチするときはどうするんだ?(たと)えば触ろうとしたら?」
「触る?そのVRで見えている物に?」
「そう。」
「マニピュレータを操作するか、グローブを()めて…」
「それじゃ、触った感覚は無いだろ。」
「そりゃ、あくまでバーチャルだから。」
 セイヤは首を横に振る。
「いや、違う。」セイヤが自分の頭を人差し指でつつく。「ここで考えるんだ。触ろうって。自分の手を動かす(わけ)じゃない。そうすると、VRの世界の俺の手が動いて、相手に触れる。そうすると、頭の中に触っている感触も伝わって来る。岩に触れれば、ごつごつした冷たい岩の感触が、肌に触れれば、柔らかくて暖かい(なめ)らかな肌の感触がさ。」
 雄斗の反応がまだ薄いのを見て取ると、セイヤは更に説明を続ける。
「えっと、何て言ったかな…、ちょっと待って。…そう、シナプス。人工シナプスってやつを使うんだ。こいつが俺達の体の中に()め込んである。」
「え?」
 装置を自分の体の中に入れてあるのか?
「驚く(ほど)の事じゃない。」セイヤは親指と人差し指を近づけて()まむような形を作る。「こんな小さい(やつ)が耳の後ろに入れてあるだけさ。」
 そう言って、自分の金髪を()き上げて耳の後ろを見せる。何もおかしい所がある(よう)には見えない。目を()らしてみると、耳の後ろの側頭部(そくとうぶ)(わず)かに(ふく)らんでいる様だ。
「外とは通信で(つな)がっている。これで何でも実際に目の前で繰り広げている様に体感出来るって(わけ)さ。(すご)いだろ?…一回これを経験しちまったら、すぐ()みつきになるぜ。」
 今度は、雄斗の肩に(うで)を回し、顔を近づけて声を落として話し続ける。
「ユウトだってやりたい事があるだろ?(たと)えば、良い女を(はべ)らせて好きにするとか、それとも、変態プレイがしてみたいか?」
 びっくりして、雄斗は上体を引く。見れば、セイヤが意味有り()に片目を(つむ)る。
「俺は、ハーレムが好きなんだよ。美女をこう、何人も(はべ)らせて、その日の気分で好きな様に出来(でき)るんだぜ。どうだ?やってみたいだろ?」
 セイヤの(あま)りの変わりように驚いて雄斗は反応出来ない。
「良いか、VRだからだ。VRだから、自分の好きな様に出来るんだ。これが現実の女だったらどうだと思う?もっと(やさ)しくしろだの、人権無視だの、こっちの思い通りなんかになる訳が無い。VRの中の女は俺の思い通りだ。好きな時に好きな場所で好きな女を思い通りに出来る。男のロマンだと思わないか?」
 勢いに押されて、雄斗は小さく(うなず)く。
「だろ?それを実感出来るんだ。現実に起きているのとまるで変わらない。そりゃそうだ。神経と直接(つな)がっているんだから。」セイヤが興奮して鼻息を(あら)くしている。
 自分の目の前にいるセイヤは、いつもの快活な青年とはまるで別人だ。この人の中には、こんな欲望が隠れているのか。
「悪い悪い。驚かせ過ぎちゃったな。VRなら制限がない。現実には出来ない経験をリアルに体験出来るところが魅力(みりょく)なんだ。だからやっている内に、どんどん過激になっていっちまう。ま、その内ユウトも出来る様になるから、そうしたら、なんでもやってみるんだな。」
 セイヤは雄斗に回していた腕でポンポンと肩を(たた)く。
「さて、リハビリに戻ろう。」
「ちょっと、ユウト。」
 二人が女性の声に振り向くと、リハビリルームにアイリーンが入って来るところだ。
「検査結果についてサイガ博士から話があるから、私に付いて来てくれる。セイヤ、今日のリハビリはここまでにして。」
 セイヤは片手を上げて承知した(むね)を態度で示す。
「ユウト、じゃ、また明日な。」
 雄斗は、慎重(しんちょう)に歩いて車椅子に座る。アイリーンが車椅子を押してくれる。
 サクラさんやセイヤさんに質問したけれど、結局、自分が知りたかったことを()けていない。廊下を移動しながら、今度はアイリーンにも質問してみる。
「あの、僕は一体、どのくらい仮死状態だったのですか?今は一体、僕が生まれた時代からどのくらい()っているんですか?」
 雄斗は、車椅子を押すアイリーンを振り返らない。
「あら、ユウトに教えていなかったかしら?大体八百年ってところね。」
「八百年?え?はっぴゃく…ねん?」
 アイリーンがさらりと言った言葉を、反復する(たび)に雄斗の声が大きくなる。
 時間の大きさを想像してみる。元々暮らしていた時代から八百年(さかのぼ)ったら、鎌倉時代だ。鎌倉時代に庶民(しょみん)がどんな暮らしをしていて、自分の先祖が何処(どこ)にいたのかなんて知らない。そんな時代まで先祖を辿(たど)るのは無理だ。それなら八百年()った今の世界で、父さんと母さん、それに奈那どころか、その末裔(まつえい)を探すのすら不可能なんじゃないだろうか。
「そんな長い間眠っていたのに、こうやって蘇生(そせい)する事だけでも奇跡でしょ。ユウトはとっても幸運なんだから。」
「それじゃ、えっと、何で僕を起こしたんですか?」
 自分の病気の情報を把握(はあく)していなかった。病気が(なお)せる世の中になったから起こしてくれた(わけ)じゃない。
「前にサイガ博士が言っていたと思うけど…、私達は、遠い昔にコールドスリープした人達を助ける仕事をしているの。コールドスリープに使っていた施設は壊れてしまったから、仮死状態を続けるのは、とっくに不可能になってる。だから、まだ救える可能性がある命を救おうとしているの。」
 雄斗は黙って考えた。あれは、現実だった(はず)だ。雄斗がカプセルから出られたとき、サイガ博士は、雄斗が救世主(きゅうせいしゅ)だと言った。今アイリーンが話す理由とはしっくりこない。
 車椅子は、サイガ博士の研究室の(とびら)を通って中に入る。そこには博士とシュンがいる。
「やあ、ユウト君。リハビリは順調かな。」
 自分の椅子に腰かけて、雄斗が来るのを待っていた博士が、車椅子の雄斗の姿をみて声を掛ける。いつもの(よう)甲高(かんだか)く力強い声。
「はい、でもまだ、長い距離は歩けないです。」
「短い距離ならば、大丈夫なんだね?」
「あ、二、三歩ぐらいは(つか)まらなくても歩ける様になりました。」
「そうか、じゃ、後は筋肉が付いていけば問題ない。元々歩いていたんだし、運動機能に問題無いから。」
 サイガ博士が笑顔を作る。雄斗の車椅子はアイリーンに押されて、サイガ博士と対面する位置(まで)進んで止まる。
「ユウトのゲノムを調べたよ。君の言っていた問題のある部分というのが、大体想像出来た。」
 博士は、モニターを直接操作して、A、T、G、Cの文字がランダムに並んだ表を表示させる。
「多分、この部分だね。」博士は表示された表の一部を拡大する。「この並びが体内のエネルギー変換に関わっているんだ。正常な体内では、十分に糖分(とうぶん)があれば、優先的にエネルギー源として使われるんだが、君の場合、何かの拍子(ひょうし)に、糖分があってもたんぱく質をエネルギーに使ってしまう様になる。体の中の筋肉を消費してまでね。」
 博士はここで話を切った。雄斗には返す言葉がない。
 そうだ。きっと博士は自分が(かか)えている異常のメカニズムを正確に読み当てている。それなら(なお)す方法もあるんじゃないか?
「でも、残念だが」博士の表情が(くも)る。演技だと思うくらいあからさまに。「現代においても、遺伝子配列との因果(いんが)関係は解明されていない。」
 話の意図が上手(うま)く伝わっていないと感じた博士は言葉を()す。
「つまりね、残念だが、この病気の治療法は、現代でも確立出来ていないんだ。」
「え?」初めて雄斗の表情が変わる。「病気、治せないって事ですか。」
 博士は雄斗をしっかりと見つめて(うなず)く。
「何で…、僕がいた時代から八百年経っているんですよね。」
「ああ。…誰かに教えてもらったかな。」
「私がさっき。」
 雄斗の背後でアイリーンが答える。
「それでも、治せないなんて…」
 雄斗の目が泳いでいる。
「我々は、違う道を進んでしまったんだ。生まれ変わるっていう選択をね。」
 博士の言葉に雄斗は反応しない。最早(もはや)さっきの言葉で頭の中がいっぱいだ。
「発症する前の自分の細胞を残しておいて、新しく生まれ変われば良いだけさ。」
 離れた所にあるデスクに座って、彼等のやり取りを傍観(ぼうかん)していたシュンが口を(はさ)む。サイガ博士はシュンを一瞥(いちべつ)する。
「そう、だから、絶望する必要は無いんだ。まずは、元のように普通の生活が出来(でき)る体力を取り戻す事に専念しよう。生まれ変わる技術は確立している。君もその恩恵に(あずか)れるんだから。」
「…僕が生きていた時代の先生は」消えそうな声で雄斗は視線を落としたまま話す。「発症を(おさ)える薬があるって言っていました。今もその薬は有りますか?」
「薬?」
サイガ博士は視線をアイリーンに向ける。アイリーンは黙ったまま、小さく首を横に振る。
「…ああ、大丈夫、君が望むならば、薬は用意出来るさ。安心してくれ。」博士はもう一度、雄斗に微笑(ほほえ)みかける。「精密検査の結果は問題ないよ。それ以外でユウトの体に悪い所は無い。うん、とっても良い。だから、普通の生活が出来る(よう)になって、新しい人生をエンジョイしようじゃないか。」
「もう、この病気の治療法は研究されていないんですか?」
 雄斗の気持ちは少しも持ち上がって来ない。
「うん、そうだね。誰も病気で死なない社会になってしまった。特定の病気の治療法は研究されていない。」
 博士は、それまでの明るい(しゃべ)り方とは違い、毅然(きぜん)とした態度で言い放つ。
 話はそれ以上続かなかった。見るからに雄斗のテンションが落ちてしまっていて、これ以上別の話をしてもしょうがないとサイガ博士が判断した。車椅子をアイリーンが押して、雄斗は自室に帰った。
 雄斗との面会を終え、アイリーンが雄斗の車椅子を押して研究室から出て行くと、()ぐにシュンが口を開く。
遺伝子(いでんし)治療について話さなくて良かったんですかね。」
「ん?教えない方が良いだろう。話がややこしくなる。」
 サイガ博士は、モニターに向かって仕事を進めながら答える。
「でも、いずれ知りますよ。セイヤやサクラとは仲良くなった様だから。それに、たとえ彼等が話さなくても、いずれ外の世界と関われば、誰かが教えるでしょう。」
 シュンも自分の仕事を進めながら、離れたデスク間を声だけが飛び()う。
「後になれば何を言い出しても(かま)わない。今、そんな知識を与えて、遺伝子治療をしてくれとせがまれるのは厄介(やっかい)だ。プロジェクトが終わらないまでも、完成する目途(めど)が立った後なら、ユウトの意思で何でも好きにさせてやれば良いだろ。」
「ふん、そういう事ですか。()(かく)、今は何も手がついていない自然のままの遺伝子が大切ですね。」
「そうだ。」
 二人はそれ以上話す事も無く、仕事に没頭(ぼっとう)した。

 夕食中も、それが終わってサクラが帰った後も、雄斗の頭の中では、さっきサイガ博士に言われた言葉が鳴り(ひび)いていた。
 この病気を治す手段はない。
 自分は一体、コールドスリープを選択して何を得たのだろう。何故(なぜ)あの時、コールドスリープを選択したのだろう。コールドスリープから目覚めたら、どんな世界が待っていて、そこで自分はどんな生活を送ると想像したんだっけ。多分(たぶん)未来の自分なんか何も想像すらしていなかった。今から思い返せば、そもそもあんまり良く考えもせずに決断した様に思える。何でそうなったんだ?
 雄斗は、自分にとって、ついこの間の出来事(できごと)を思い出そうと努力する。
 確かあの時、あの現在から逃げ出したかったのだ。好きだった遠藤さんに彼氏がいたからじゃない。それも、理由の一つではあったけど、もっと大きな理由は、自分が病気になって、もしかしたら、症状を抑えられなくて、どんどん()せこけて動けなくなっていく。自分の友達は、みんな明るい将来が待っていて、就職して、結婚して、家族が出来て…。自分だけ取り残されて、その上、友達は会う(たび)にきっと(あわ)れみをもって自分を見る。それは耐えられない。必ず発症する(わけ)じゃないとしても、そうなってしまってから後悔しても、もうどうにもならない。だから、新しい可能性に()けたんだ。
 父さん、母さん。(ひと)りぼっちだ。
 連絡出来(でき)ないどころか、残っている物は何もない。自分の頭の中にある記憶だけ。とても想像出来ないけれど、父さんも母さんも、奈那でさえ、はるか昔に居なくなってしまった世界に、自分は一人取り残されている。どうやって勇気を振り絞れば良い?これから自分がどうなって行くのかも分からない中で、何を頼りに頑張れば良い?
『俺の子だからな。』
 あの日、父さんは、そう言って笑った。僕は父さんの子だ。此処(ここ)で、こんな所で、(くじ)けて死んでしまう訳には行かない。もう少し。今は(つら)くても、もう少し頑張れば、きっと道は開ける。だから今は頑張って、あの選択をして良かったと思える様にするんだ。
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