3-下

文字数 11,722文字

「昨日、アイリーンと公園に行って走ったんだ。」
 セイヤとの時間は、リハビリというよりも、筋トレの時間になっている。雄斗はその日のトレーニングを始めて()ぐ、セイヤに昨日から研究所の外に出られる(よう)になったと話した。
「そうか。サイガ博士に合格点を(もら)ったんだな。どうだ、長い距離走ってみた感想は。」
芝生(しばふ)の広場があってさ、思わずサッカーしたいなって思っちゃったよ。」
「ははは、そのくらいの元気があれば大丈夫だ。俺の仕事も、もう完了だな。」
「完了って?僕のリハビリの事?待ってよ、まだ前みたいに思いっ切り走れるようになったんじゃないから。」
 雄斗はトレーニングの手を止めて、セイヤに言い(つの)る。
「ここから先は、俺の手助けは必要ない。ユウトが自分でトレーニングして行けば到達出来る。筋トレの仕方(しかた)は理解したろ?」
「そうだけど…。まだまだだよ。もっと全身に筋肉を付けなきゃ。セイヤさんと比べたら、もやしみたいだ。」
「この体は」セイヤは自分の胸を(たた)く。「何度も生まれ変わって作り上げてきた体さ。そう簡単に出来(でき)(わけ)じゃない。…これから、ユウトも生まれ変われる人生が待っている。今(きた)えれば、その経験が遺伝子(いでんし)上の情報となって残る。最初は(わず)かな情報だったとしても、何度も生まれ変わる中で強化され、やがて、筋肉が発達する体質を獲得(かくとく)出来るんだ。頑張れよ。」
 セイヤは手を伸ばして、雄斗の背中を一つ(たた)く。
「一人で筋トレやっても面白(おもしろ)くないよ。」
 一番気兼(きが)ねなく、何でも話せる人なのに。
「アイリーンと一緒にやれば良い。彼女は四六時中(しろくじちゅう)ユウトと一緒に居るんだろ。」
「そんな事無い。…今だって別々じゃないか。」
 雄斗は、夜寝る時も別だと言い掛けて、変な突っ込みを受けそうでやめる。
「今度から一緒に来てやれば良い。彼女も自分の肉体を(きた)えている。ユウトよりも運動能力は上だぞ。比べてみれば良い。」
 そう言われてみれば、昨日公園で走った時も、アイリーンは平気な顔で雄斗と一緒に走っていた。
「俺は生まれ変わる予定だ。今度会うときは、ユウトよりも若い姿になっているさ。」
「え?早いんじゃない?体齢(たいれい)三十歳にはまだ届かないでしょ。」
「ま、そうだが、もう自分の体の成長は感じられない。俺にとっちゃ、この体を美しく作り上げるのが趣味みたいなもんだからな。」
「そうなんだ…。」
 きっと、雄斗のリハビリが終了するのを待っていたのだろう。この仕事が終わったら、生まれ変わろうと。
「なんだなんだ。もう会えないみたいに言うなよ。ちょっと若返って戻って来るって。また会えるから。あ、でも、そんときゃ少年の姿だし、()せっぽちの体で俺だって分からないかもな。こっちから声掛けてやるから、驚くなよ。」
 セイヤは、雄斗を指差(ゆびさ)して、片目を(つむ)る。
「絶対話し掛けてよね。」
「ああ、分かった。だけど、筋トレのインストは無理だ。自分の肉体を育てる方が先だからな。」
 セイヤは両手を腰に当てて仁王立(におうだ)ちになると、声を上げて笑った。

 雄斗が自室に戻った時、アイリーンは雄斗の部屋で昼食をテーブルに並べていた。
「お帰り。トレーニングはどうだった?」
 アイリーンはドアの開く音に振り返り、雄斗を認めると()ぐ家事に戻る。
「うん。」
 雄斗はそれ以上話さずテーブルに着く。
「あら、なんか元気ないじゃない。」
「今日でセイヤさんとのトレーニングは終了だって。アイリーンさんは知ってた?」
「いいえ。なぜ終わりなの?」
「良く分からない。外出出来るようになったからかな。それとも、セイヤさんが生まれ変わるからかな。」
「生まれ変わるって?セイヤが言ったの?」
「うん。もう、筋肉の成長が見込めないから若返るって。」
「そう。じゃ、それが理由かもね。自分のクローンの成長は止められないから、(あらかじ)め体を乗り替える時期は決めておくから。…どうぞ。」
 アイリーンは食卓を準備し終えると、雄斗に食べるよう(うなが)す。言われるまま、雄斗はスプーンを手にする。
「アイリーンはいつ生まれ変わるつもりなの?」
「私?」アイリーンは雄斗の向かいに座り、自分の分の食事に手を付ける。「具体的なタイミングは決めてない。」
「自分のクローンって、乗り替えようと決めたら、直ぐ出来るものなの?」
「そんな右から左に、はいどうぞと言う(わけ)にはいかない。成長促進が出来る様になったと言っても、通常の五倍の速さ。一年かけても、五歳の体にしかならない。ある程度前から日程を決めてクローンの成長を行なう。私のクローンも今、成長中。まだ、十歳を少し超えたぐらいかな。これからは成長促進をやめて、通常の速度で成長させるところ。」
 雄斗はクローンの育成を想像してみる。きっと最初は、人工羊水(ようすい)の中で卵割(らんかつ)が進み、更に(はい)から胎児(たいじ)へと成長する。出生の時期を越えたら今度はどうやって育成するのだろう。成長促進という仕組(しく)みは想像すら出来ない。自分もそうやって、自身の肉体のクローンを作っておいて、病気が発症しそうになったら、乗り替えれば良いと言う事か。
「これから僕はどうなるんだろう。」
 つい思ったままが口を突く。
「え?」
 アイリーンの動きが止まる。不安そうな(ひとみ)が雄斗を見ている。
「あ、御免(ごめん)。気にしないで。こうやってコールドスリープから目覚めて、ここまで回復させてもらったけど、やがて、自分もこの街で一人で暮らしていくんでしょ。」
「…そうね。もう、心配が無くなれば、そうなるかもね。」
 アイリーンはスプーンを口に運びながら答える。何故(なぜ)か目を合わさない様にしていると思えて、どこか不安な気持ちになる。
「心配って何?病気の事?何か問題が有るのかな。」
 アイリーンもサイガ研究室の研究員だ。こうやって今は毎日雄斗と一緒に居るけれど、本当ならば、生体研究に没頭(ぼっとう)しているべき人なのだろう。雄斗が(かか)える遺伝子異常の深刻度について、きっと把握している(はず)だ。
「ああ、ユウトは遺伝子(いでんし)異常の件を気にしているのね。大丈夫よ、大丈夫。現代の科学を駆使(くし)すれば、ユウトが死ぬなんて有り得ないから。」
 アイリーンは雄斗を見て、にっこりと微笑(ほほえ)む。その笑顔では(ぬぐ)いきれない不安が、雄斗の頭の中で、また(ふく)らみ始めていた。

 次にサイガ研究室で検査を受ける時に()こうと決めていた。いつもの身体検査を受ける前に、雄斗はサイガ博士と向かい合って座るなり、質問を投げ掛ける。
「僕はいつまで研究所で生活しなけりゃいけないんですか?」
 サイガ博士は急な質問に面食(めんく)らったのか、両目を見開いて雄斗の顔を見つめている。
「何か、此処(ここ)の生活に不満があるかね?」
 少し上ずった、いつもより更に高い声で逆に質問してくる。
「ここまで回復させて(いただ)いた事は感謝しています。でも、もう充分一人で生活出来ます。いつまでも、皆さんの厄介(やっかい)になっているのは嫌です。」
 雄斗ははっきり言い切る。蘇生(そせい)してもらった直後は何も分からなかったが、今は、この時代の状況も飲み込めてきた。この時代に生きていくならば、しっかり自立しなければ。自分を送り出してくれた家族の期待を裏切れない。
「そうか…。まあ、君の気持ちも分かるけど、今すぐは無理だ。」
 サイガ博士はどこか落ち着かない。
「羊は大人(おとな)しく、草を()んでいれば良いんだ。」
 離れた席に座って二人の様子を見ているシュンが、雄斗にぎりぎり聞こえるぐらいの声で(つぶや)く。
「シュン!」
 誰よりも先に、アイリーンが怒りの声を上げる。
「まあ、ユウト。」サイガ博士はシュンを無視して、雄斗を(さと)しにかかる。「現代で暮らしていくには、君のIDが必要だ。その登録も済んでいない。そもそも、暮らしていく家も、仕事だって無いだろ?」
「はあ、そうですね。」
 雄斗の視線は、シュンをコソコソと(とが)めているアイリーンに(そそ)がれている。
「まずは、君をこの国の国民として正式に登録しなければ。(あせ)らずに待っていてくれ。きっと自由にこの国で暮らしていける日が来るから。」
 シュンが言った言葉の全部は聞き取れなかった。けれど、それが要求を言い出した自分に対する非難(ひなん)なのは理解出来る。じゃあ、何故(なぜ)?何故、この人達は自分を助け出したのだろう。
「何故ですか?何故こんな大変な思いをして、僕を助けてくれるんですか?」
「それは、前に説明しただろ?そう、アイリーンから説明が無かったかな。」
 どう見ても、サイガ博士は(あわ)てている。
「ユウト。これは国家プロジェクトなの。」横からアイリーンが口を(はさ)む。「過去に忘れられてしまった人を救済するプロジェクト。あなたは、こうして復活する権利を持っていた。なのに、あのままなら、理不尽(りふじん)にそれが(かな)えられずに終わってしまうところだった。今のあなたは、あなたの(ため)になされるこの活動を享受(きょうじゅ)して良いの。」
 強い口調(くちょう)だ。受け入れてくれていると言うよりも説得されている。
「僕の(ため)に皆さんが動いてくれるのは、本当に有難(ありがた)いと思っています。それだから、黙って従っていろと言うなら、そう言って下さい。でも、この先、自分がどうなって行くのか不安なんです。出来る範囲で良いですから、それは教えて下さい。」
「そうだね。」サイガ博士はいつもの落ち着いた口調に戻っている。「君の気持ちは分かった。そうしよう。少し時間をくれないか。」
「…分かりました。」
 雄斗の返事に、研究室内の空気が(ゆる)気配(けはい)を彼は感じた。

 公園に行って運動するのは、最初に外出が許可されて以降日課になっていた。
「今日は、南公園に行こう。あそこはアップダウンがあって、トレーニングになるから。」
 最初に行った中央公園より研究所から離れているが、緩やかな台地の傾斜を含んだ南公園はトレーニングに向いている。研究所の出口で、雄斗はアイリーンに提案する。
「良いわ。」走り(やす)い服装と(くつ)に着替えたアイリーンは髪をポニーテールにまとめて、走る気満々だ。「どうせなら、此処(ここ)から走って行く?」
「よし、そうしよう。」
 まだ、持久力には不安がある。でも、アイリーンに挑戦されている様で、受けずにはいられない。二人は、軽いステップで走り出す。都会の街中でジョギングする姿は、元々雄斗が暮らしていた時代なら珍しくない。けれどこの時代、雄斗とアイリーンがそういう人と出会う機会は無い。昼間の時間帯を仕事に()てている人が多いからとアイリーンは言っていたが、きっとそればかりではない。体を(きた)えるなら、もっと効率的なやり方をするのが普通とも、アイリーンは言っていた。室内で器械(きかい)を使ったトレーニング。セイヤと一緒にやっていた様なものだろう。その効果は理解出来るが、それだけやるトレーニングでは面白くない。別に筋肉隆々(りゅうりゅう)の体を作りたい訳じゃないし、外を走る方が格段にストレス解消になる。今日も、風を切って進む心地良(ここちよ)さを感じながら、アイリーンと並んで舗道(ほどう)を進む。
 角を曲がったところで、前方の人だかりに気付く。あれだけ大勢(おおぜい)の人がひと所にいるのを見るのは、この時代では初めてだ。彼等は、何かを取り囲んでいる。彼等の中心に何があるのか知りたくて、スピードを緩めると雄斗はその群衆に近付く。人だかりの外周から首を伸ばして(のぞ)いてみるが、何も見えない。ビルの壁のすぐ横で、舗道(ほどう)を円形に取り囲む彼等の視線は、舗道上の一点に集中している。
「あの、何があるんですか?」
 雄斗は勇気を出して、すぐ隣に立っている、自分と(おな)い年くらいにみえる男性に声を掛ける。
「ああ、飛び降り自殺だ。」
 男は、(こと)()げに答える。
 え?(にわ)かには信じられない。まさか、そんな事が起きるのか?
 雄斗は人だかりの後ろから、体を左右に振って、何とか視界を確保しようとする。
「ユウト、行こう。」
 アイリーンが後ろから雄斗の腕を取る。
「ちょっと待って。」
 アイリーンの催促(さいそく)(さえぎ)る。(ひど)く胸がざわつく。男の言う事は本当なのか、なんとか、その物を確認したい。人だかりの隙間(すきま)に体を()じ込んで、周囲の人に小言(こごと)を言われながらも前に進む。見えた。男が倒れている。想像したような血まみれの体ではない。さっきまで歩いていた人が、そのまま倒れた(よう)な姿。ただ、頭部(あた)りに血だまりが出来ている。そして、頭は半分地面に食い込んでいるかの様に無くなっている。
「行こう!」
 アイリーンがもう一度雄斗の腕を取って後ろに強く引っ張る。
 もう見た。何が起きているのか、この目で確かめた。そこには確かに自殺した人がいた。
 アイリーンに引っ張られるまま、人だかりを抜け出す。アイリーンは雄斗の腕を(つか)んで、ずんずんと歩いて行く。
「飛び降り自殺だって言ってた。」
 腕を引かれながらアイリーンに話し掛ける。アイリーンに答える気配はない。
「この時代は、誰も死なないんじゃなかったの。」
「意思のある者だけ。生きたいという意思のある者だけの話。」
 アイリーンは前を向いている。
「何でも(かな)うって、望む物はVRで何でも叶うって言っていたじゃないか。それなのになんで自殺なんか。」
「それを私に()かれても答えられない。理由なんか私、知らない。」
 そうかも知れない。自殺志願者の気持ちは、それを望まない人にとって見当もつかないだろう。だとしても、素直に受け取れない。こんな場面に出くわしても、アイリーンは驚きもしなかった。(ただ)、雄斗をその場から遠ざけた。何故(なぜ)?何かが秘密にされている気がしてならない。
 アイリーンは雄斗の腕を放す。二人は舗道(ほどう)の上で立ち止まる。
「自殺する人は珍しくないの?」
「どうして、そんな事を()くの?」
「良いから、教えてよ。」
「…珍しいわ。でも、ああいう(ふう)に自分で命を()つ人が(ごく)たまに居るの。ユウトが生まれた時代には居なかった?」
「居たよ。自分は見た事は無いけど、それはもう、沢山(たくさん)の人が自殺していたらしい。…ねえ、なんで僕は助け出されたの?」
「え?それは前に説明したでしょ。」
「なんで今になってコールドスリープで取り残された人を救う事にしたの?もう随分(ずいぶん)前に施設は放棄(ほうき)されてたんでしょ?なんで今だったの?」
「それは、政府がプロジェクトを立ち上げて…」
「そうじゃなくて!」
 自分の苛立(いらだ)ちが抑えられない。アイリーンは、突然爆発した雄斗の様子を驚いた顔で見ている。
「ちゃんと教えてよ。コールドスリープ施設が放棄されていたのは、もっと前から分かっていた事でしょ。もっと前に動き出せば、助けられた人は沢山(たくさん)いた(はず)だ。」
「でも、その頃はそうならなかったのよ…」
「じゃあ、何故(なぜ)今はなったんだ。僕ぐらいしか救い出せない可能性の低いプロジェクトがなんで進んでいるんだ。それよりも、ああやって」雄斗は後方の人だかりを指差(ゆびさ)す。「自分の命を絶つ人を助けた方が沢山(たくさん)の命を救えるじゃないか。」
 アイリーンは、(うった)える雄斗の顔を硬い表情でただ見つめていた。

 翌日、アイリーンは何でも説明出来(でき)る人を連れて来ると言って、一人の男性を雄斗の部屋に連れて来た。
「こちら、タクさん。ユウトのプロジェクトのリーダーを(つと)めている人。」
 アイリーンに紹介されるその男は、以前に一度、研究所の中で声を掛けられた中年風の男性だ。
「やあ、ユウト君。」
 低く落ち着いたトーンの声は、研究所の中では異色だ。
「こんにちは。」
 雄斗は軽く会釈(えしゃく)をする。
「あら?会った事あるの?」
 アイリーンは二人の様子を交互に見る。
「ああ、この前、この研究所の中ですれ違った時に少し話した。」
 タクは、アイリーンに事情を説明しながら、いつも食事に使っているテーブルの椅子に勝手に座る。
「そう。じゃ、お互いの自己紹介は()らないわね。」
「ああ。…ユウト君は、何か()きたい事があるんだって?」
「…はい。」
 何だか気が抜けない。この人の(まと)わりつく様な視線の前で、少しでも(すき)を見せたら付け込まれそうな気がしてならない。
「今日は時間がたっぷりある。君の気が済むまで質問に答えるよ。」タクはアイリーンを振り返る。「…アイリーンはちょっと席を(はず)していてくれるか。」
「了解。」
 お道化(どけ)てみせたアイリーンは、さっさと部屋を出て行く。タクはベッドに座っている雄斗に手招(てまね)きする。雄斗はゆっくりと、テーブルまで進んでタクと対座する。
「さあ、他に聞いている者は居ない。何でも()いてくれ。」
 こうやって(かま)えられてしまうと、(かえ)って質問を切り出しにくい。訊きたい事は山程(やまほど)ある。山程ある(はず)なのに、頭に浮かんでこない。
「昨日、自殺した人を見ました。」
 まずは、まだ頭にこびり付いて離れない話から始める事にする。
「僕はこの時代に来て、人が死なない世界だと聞いていました。でも、そうじゃなかった。何故(なぜ)、自殺する人がいるんですか。」
「自殺する理由は人それぞれだろう。」タクは無表情に雄斗の話す様子を見ていたのに、視線を(はず)してから話し始める。「もし、君がこの世界は誰も死ぬ人のいない理想郷(りそうきょう)(よう)な話を聞いていたのだとしたら、それは誇張(こちょう)というものだ。すまないが、今訂正(ていせい)させてもらう。」
「誰もが死なずに済む世の中じゃないって事ですか。」
「望めば、誰もが死なずに済む。死にたくないのに、死ぬ事は無い。逆に言えば、死にたいと思う人を止められない。ユウト君は死にたい(わけ)じゃないんだろ?」
 雄斗は首を横に振る。
 そうじゃない。訊きたいのはそんな事じゃない。雄斗の中で沸々(ふつふつ)苛立(いらだ)ちが()き上がってくる。
「何で助けないんですか。」
「自殺したい人は、助けてくれる事を望んでいるかな。今は、個人の意思が尊重される時代だ。」
「分からないけど、救って欲しいと思っている人だっていると思います。」
「そうかも知れない。」
「何で、そういう人を放っておいて、僕みたいな人間を助けるんですか。」
「君は生きたいだろ?この時代に蘇生(そせい)したのは迷惑だったかい?」
「そうじゃなくて…。」
 そう言う事じゃない。まるで苛立(いらだ)つ雄斗の気持ちをはぐらかす様に、冷静なまま受け流してくる。
「…救っていただいたのは感謝しています。こんな何の取り()も無い僕のために、アイリーンさんや博士や…沢山(たくさん)の人が助けてくれます。でも、僕一人にそれだけの人とお金を掛けられるのに、何故(なぜ)自殺する人は見殺しなんですか。(あま)りに違い過ぎます。この時代に適応出来(でき)るか分からない人間を助けるよりも、現代に生きている人を助けた方がきっと良い(はず)なのに。」
「君は一つ勘違いをしている。」タクの(ねば)り付く様な視線が雄斗に向けられる。「どちらかを選択する必要はない。救えるなら両方救うんだろ。我々は、一人として死んで良いとは思っていない。(すべ)ての人を救うために働いているんだ。」
 タクの言葉には今迄(いままで)と違う力がこもっている。タクはそこで一旦(いったん)話を切ると、周囲を見回す。
「少し長い話になるが、君は聴いてくれるかい?この前、君は途中で逃げ出してしまったが、今日は君の部屋だ。聴きたくないなら、私が部屋を出て行こう。」
 そんな言われ方をしたら、答えは決まっている。
「いえ、大丈夫です。」
 タクは(わず)かに片頬(かたほお)を上げて、(ゆが)んだ笑顔を作る。
「飲み物を(もら)っても良いかな。」周囲を見回して見つけたキッチンを指差(ゆびさ)す。「君も何か飲むかい?」
 言われて、雄斗が腰を浮かすと、それを手で制して、タクが立ち上がる。
「良いから、君は座っていなさい。このくらいの事は私がしよう。」
 タクは湯を()かし、コーヒーを()れながら話を続けた。それは、雄斗が探し求めていた歴史の断片だ。彼の話は以下の様な内容だった。
 いつの時代も、人間が追い求めたものは不老不死(ふろうふし)だ。(いく)ら研究を重ねても、結局、生物の老化を防ぎ、死なずに済む様には出来なかった。それはつまり、生物の根源を否定する事だったからだ。なぜ生命は生まれ、死ぬのか。それは、個体としての生命ではなく、(しゅ)としての生命を(つな)いでいくためだ。我々が生きる地球の環境は常に変化していく。その変化に適応して種を繋いでいくには、前の世代が経験した事を元に生命を再構成する必要がある。生命サイクルが長い人間では分かりにくいが、ウイルスや細菌ならば理解しやすい。彼等は、世代交代を繰り返して、それまで適応出来なかった新しい宿主(しゅくしゅ)の体内に適応し、生存出来なかった抗生物質のある環境でも生き残れる様になる。そうやって、変化した環境で生き残れる体を獲得するために、生まれ変わらなければならない。それでも人間は不老不死を求める。自我(じが)を永遠に(たも)つ手段を求める。
 現在の形、自分の細胞でクローンを作りだして、乗り替える形が完成する(まで)に長い試行錯誤(しこうさくご)の歴史がある。自分の体細胞(たいさいぼう)からクローンを作る技術は出来ていたが、二つの問題があった。一つは、成長が促進(そくしん)出来ない事。未分化の細胞に戻して細胞分裂を(うなが)しても、細胞は普通の人間と同じスピードで成長していく。細胞を取り出して、五年が過ぎたら、五歳の子供になっているに過ぎない。元の自分との年齢差は埋まって行かない。もう一つは、意識を移植出来ない事。自分に限りなく近い存在を作り出しても、それは別の個体に過ぎない。結局、自分のクローンを作っても、人工的に自分の子供を作った様な物だ。
 こうした研究が行き詰っている間も、人々の欲望は待っていられない。別の方法、つまりは人体のサイボーグ化技術が人間の欲求を満たす手段となった。この方法のキーテクノロジーだったのが、『人工シナプス』だ。例えば、自分の(おとろ)えた腕の代わりを機械に置き換えるならば、自分の意思通りに動いてくれなければならない。人間の神経細胞と機械の制御信号のインターフェイスになる装置が開発された。運動神経細胞からの『動かせ』という情報を機械信号に置き換え、腕に付いている触覚(しょっかく)センサーからの『触っている』という信号を感覚神経細胞に伝える。微細(びさい)精緻(せいち)なこの装置の完成によって、人体のサイボーグ化は飛躍的(ひやくてき)に前進した。
 けれど、これも問題があった。それ以外の(すべ)ての臓器を機械に置き換えたとしても、脳が生命体である限り、いずれ死が訪れる。脳まで機械化してしまうのか?それでも生命と呼べるのか?議論が繰り返された。結局、電子回路内に仮想自我(かそうじが)が構成出来る様になると、見切り発車に近い形で、自身を完全機械化する人々が現れた。それら先駆者(せんくしゃ)が人生を謳歌(おうか)しているかの(よう)に見えたため、(せき)を切った様に完全機械化する人間が増えた。
 脳の機械化が一つの分岐点(ぶんきてん)だった。電子回路上の情報のやり取りで自我の満足が得られるなら、重たい機械の躯体(くたい)は必要ない。更に進んで、彼等は自らの機械で出来た体を捨て、情報ネットワークの中の仮想世界に暮らす仮想生命体に過ぎなくなってしまった。自己の満足だけの追求の結果、最早(もはや)生物と呼べない存在、いや、存在すら仮想でしかなくなってしまった。こうしてもたらされたものは、無視出来ないレベルの人口減少だった。
 一方、長い研究の()てに、クローン技術の問題は解決を見た。人体の成長を促進する技術が確立され、更に研究が進んで、自分の脳内の記憶や意識、性格までも、新しい肉体に移植する技術も出来上がった。こうして、今迄(いままで)の自分を維持したまま、若い肉体に乗り替える事が可能になった。我々は、永遠の命を手に入れた。自分の経験が蓄積(ちくせき)されたゲノムで新しい自分の体を再生する事で、環境の変化に対応し、自身のそれまでの経験を生かす事も出来る。生まれ変わりは、同じ人間の再生ではなく、新しい自分の誕生だ。
 それは予想されていた社会現象を伴った。子供が生まれなくなったのだ。自分が永遠に生きていけるならば、自分の子供を作る必要は無い。それまでの少子化傾向はこれで決定的になった。しかし、死ぬ人がいない(わけ)じゃない。不慮(ふりょ)の事故や自殺で突然亡くなる人はいる。徐々(じょじょ)にだが、確実に人口は減っていく。今や、世界の人口は二千万人だ。
 それで君を救うプロジェクトが意味を持ってくる。政府はあらゆる手段を(こう)じて、人類を維持していかなければならない…。
 タクの話は、たっぷり一時間かかった。最初に、この前は逃げ出したなどと言われてしまったから、雄斗は我慢(がまん)して聞いていたが、(あま)りの情報量に途中から付いていけなくなっていた。
 タクは散々(さんざん)話す間に、()れたコーヒーを飲み干していた。彼は話し終わると、もう一杯コーヒーを淹れに立った。
「どうだい、これで君の疑問は解消されたかな。アーカイブに歴史の情報が無いと探していたそうだが。」
 タクの言う出来事(できごと)は、サクラとの間で()わした会話だ。彼がそれを知っていると言う事は、サクラが話したと言う事だ。話したとなれば、タクにだけじゃないだろう。きっと、雄斗の状況を共有する場がどこかで持たれていて、その席で報告されているのだろう。
「難しい事は分かりませんでしたが」発言を(うなが)されて、雄斗は注意深く話す。「何故(なぜ)僕をこんなに手間をかけてまで救ってくれるのかは分かりました。でも、だったら、自殺する人が出ない様な対策もすべきなんだと思います。」
 半分部外者の、それも若造(わかぞう)が、こんな意見を言うのは思い上がりかも知れない。でも、今の雄斗はそれを言わずにはいられない。
「ユウト君。『生きる』ってどういう事か分かるかい?」
 湯沸(ゆわか)しポットの前でタクは振り返る。まるで禅問答(ぜんもんどう)のような(ばく)とした質問にどう答えるべきか分からず、雄斗は黙ってタクを見返す。
「『生きる』って事は、殺し続ける事さ。分かるかい?」
 タクの静かな物言(ものい)いが、(かえ)って薄気味悪(うすきみわる)(ひび)く。
 何だ?その言葉の裏に、何が隠れている。
「…例えば、毎日君は食事をしている。」コーヒーをカップに注ぎながら、タクは話し続ける。「それは元々、別の生物だ。その命を犠牲(ぎせい)にして、君は命を(つな)ぐ。…君の暮らしていた古い時代には、ベジタリアンと呼ばれる人達が存在したそうだが、それは…、連想し(やす)い死を回避しているに過ぎない。他者の命を(しょく)している本質は何も変わっていない。」
 タクはコーヒーカップを口に運び、キッチンで立ったまま一口飲む。
「自分が、死の連続の上に生き(なが)らえているという現実を突き付けられ、それに耐えられなくなった時、人は自殺するのだとしたら、どうやってそれを救えばいい?」
 タクは立ったまま、一気にコーヒーを(のど)に流し込む。
 なんて答えれば良いのか。急にそんな事を()かれても、答えなど持っていない。
「まずは、ユウト君も死を踏み台にして生き抜いていく覚悟を決める事だ。」タクは(から)のカップを食洗器に放り込む。「今日はこのくらいにしよう。また、疑問が生じたらいつでも言ってくれ。私は、君の味方だ。」
 タクはそう言いながら、部屋の出入り口に歩いて行き、大きくドアを開けると、片手を上げて挨拶(あいさつ)し、姿を消した。
 『君の味方だ』
 タクは、最後にそう言った。味方がいると言う事は、敵もいると言う事か?それは考え過ぎだろうか。沢山(たくさん)の話を聞かされたが、結局、最後に新しい疑問が雄斗の頭の中に生まれていた。

 雄斗がタクと自室で話している間、アイリーンはサイガ博士の研究室で博士やシュンと話していた。
「A国が(あや)しい動きをしているそうです。」
 シュンの報告を聞いてサイガ博士は鼻で笑う。
奴等(やつら)は見付けられていないから(あせ)っているのだろ。仮想世界への移住で人口減少が最も激しかったから、存続の危機なんじゃないか。」
「『プロジェクトY』という名で各国から情報を集めているとの話です。」
「あからさまなネーミングじゃないか!」今度は声を上げて博士は笑う。「奴等、隠すつもりもないのか。」一頻(ひとしき)り一人で笑った後、サイガ博士は真顔(まがお)に戻る。「情報統制はしているが、我が国のセキュリティレベルでは、情報が流出するのは時間の問題だと思った方が良いな。第一、ユウトは自由に出歩いている。」
「相手がユウトの存在を知ったら、何かしてきますかね。」
「恐らくな。…アイリーン、ユウトとの関係構築(こうちく)の進度は?」
 博士とシュンの視線が、立ったまま議論に参加しているアイリーンに注がれる。
「大丈夫。十分出来ています。」
 彼女の答えは簡潔(かんけつ)だ。
「よし、次の段階に進もう。」博士の目が(あや)しい光を帯びる。「正常な機能を(そな)えているか確認してくれ。」
「それ…、本当にやるんですか?」
 さっきとは違い、アイリーンの言葉に力が無い。
「何だ、あんなに自信有り()だったのが、どうした。」
 揶揄(からか)(よう)にシュンが口を挟む。
「別に、自信がなくなった(わけ)じゃない。(ただ)、研究の推進に確認の段階が必要なのか疑問です。」
 アイリーンはサイガ博士に訴える。
「何でそう思う?」
 サイガ博士のぎらつく視線がアイリーンを(とら)えている。
「確認しなくても、実験すれば白黒はっきりします。いずれ実験するならば、手間をかける必要は無いと思います。」
()(ほど)…。」そう言ってはいるが、アイリーンの意見を考慮(こうりょ)する気など(はな)から無い。博士が一言ずつ、はっきり相手に判るように発音する。「我々のプロジェクトの最終目標は理解しているね。」
「…はい。生き物としての人類の復活です。」
 アイリーンは、観念(かんねん)する。
「そう。Yの復活だけでは不十分なんだ。彼が我々の期待通りの能力を有する対象なのかは重要な事だ。」
「…はい。」
「アイリーン、(すみ)やかに次の段階に進んでくれ。良い結果を期待している。」
 博士は力強く声を張り上げた。

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