7-下

文字数 8,144文字

 その夜、二人のアイリーンから説明を聞いた。二人とも本物のアイリーンだった。雄斗(ゆうと)の同意なしに、非人道的な方法で採精されると決まった時、彼女は雄斗を研究所から救い出そうと決めた。研究所の混乱に乗じて逃亡させる。アイリーン本人はC国のエージェントだ。本来の任務は、雄斗をC国に連れ去る事。それならば、その任務を上手(うま)く利用して、研究所もC国も(だま)せないか。だが、一人では難しい。協力者が必要だった。
 元々、数年先には体を乗り替えようと計画して、クローンを成長させていた。まだ体齢(たいれい)十二歳だが、自分自身であれば、これ以上信頼出来る協力者はない。体を乗り替える場合、古い体は薬物で殺処分される。アイリーンはC国から支給されている活動資金を使って、体の乗り替えを実行する執行官(しっこうかん)を買収、身代わりの遺体(いたい)を準備させて、二人のアイリーンになった。大人のアイリーンはマイクロチップを壊して姿を隠し、研究所から逃亡した際に隠れる廃墟(はいきょ)、最終的に落ち着くこの場所の探索と資材の準備を行ない、C国に雄斗を連れ去る計画を利用して、今回の逃亡劇(とうぼうげき)を演出した。
「そうだったのか。だったら、元のアイリーンが研究所から僕を連れ出す役でも良かったのに。」
 雄斗は思ったままを口にする。そうすれば、本当のアイリーンか迷わなかったし、此処迄(ここまで)逃げて来るのも気持ちの上で楽だったろう。
冗談(じょうだん)じゃない。体力で(おと)る私に、避難先の準備や、eVTOLを落とすロケットランチャーを(かつ)げっていうの。」
 少女のアイリーンが不満をぶちまける。さっきからずっと不機嫌(ふきげん)だ。
御免(ごめん)、計画にどんな苦労があるのか分からなくて。」
「私も、こうやって自分が二人になって初めて分かった事もある。」大人のアイリーンは感慨深(かんがいぶか)そうに言う。「二人に分れるまでの記憶は共有しているけど、それ以降は別の存在。二人に分かれてから今迄(いままで)の経験も違うし、今考えている事も別々。同じ私の(はず)なのに。」
「そうね。」少女のアイリーンが大人のアイリーンを(にら)む。「なまじ持っている経験も感情もお互い知っているから厄介(やっかい)だわ。」
「性格も、好みも一緒なんてね。」
 大人のアイリーンが微笑(ほほえ)む。何だか彼女の方が余裕だ。大人だからだろうか。
 ここで暮らしていくとなると、三人で生計を立てていかなければならない。大人のアイリーンは、OR民コミュニティの中にある衣服を製作している工房で働き、少女のアイリーンが家事全般を担当すると言う。
「僕は?どんな仕事があるの?」
「ユウトは、特に決めてない。あまり派手に動かれて目立っても困るから。慣れてきてから考えて。」
 二人のアイリーンはそう言うが、つまりは当てにされていないと言う事だ。と言って、胸を張って出来ると言える事など無い。
此処(ここ)の人達と話をしても良いかい?」
 雄斗は、ロビーで車座(くるまざ)になって食事をした中年達を思い浮かべる。彼等に()けば何か出来(でき)る仕事がある(はず)だ。

 コミュニティの様子が分かって来た。朝早くに二階の住人達は出掛ける。つまり、何か仕事をしに行くのだ。三人で朝食を済ませ、大人のアイリーンが出掛けた後に、二階をぶらついてみたが、もう人の気配が無い。あの古い応接セットに座っているヨキと呼ばれた男を除いて。
 廊下を通ると、やっぱりヨキは部屋の応接セットに座って、廊下を通る雄斗を見ている。何だかじっと見られていると話し掛けづらい。その部屋の前を通り過ぎようとした時にヨキから声が掛かる。
「ちょっと。」
 仕方(しかた)なく、雄斗は立ち止まる。男はゆっくりと立ち上がり、そろそろと近づいて来る。左の足を引き()っている。
「あんた、此処(ここ)に来て、まだやる事が無いんだろ。どうだい、働く気はあるかい?」
 願っても無い申し出だ。だが、どんな仕事か分からない内に飛びつくのは危ない。どんな過去を持っているか分からない人間達が集っている。(あや)しい仕事だってあり得るだろう。
「…内容によります。」
 おずおずと答える。
「ふん。」ヨキは一度視線を床に落とすが、()ぐに顔を上げる。「畑仕事だ。嫌かな。」
「いえ、別に。」
「どうだい、見に行ってみるかい?」
「あ、是非(ぜひ)。ちょっと待ってもらって良いですか?…同居。同居している子に出掛けて来るって言って来ます。」
「ああ。」
 応接セットに座って外を(にら)んでいる時は怖い感じだが、こうして話すと何だか(やさ)しいおじさんだ。食事会の時もそうだった。雄斗とアイリーンに色々気を(つか)ってくれていた。雄斗は急いで部屋に戻り、少女のアイリーンに事情を説明する。アイリーンは簡単には承知せず、雄斗と一緒に部屋を出てヨキの所まで来る。
「お世話になります。」アイリーンは礼儀をわきまえている。「仕事を見に行くとの事ですが、私も一緒に行って良いですか?」
 言葉は丁寧(ていねい)だが、アイリーンの目はヨキの日焼けして(あぶら)ぎった顔を(するど)く見つめている。
「ああ、(かま)わないよ。気に入ってくれれば、あんたも一緒に働いたら良い。」
 さも無い(よう)にヨキは言う。
 それからすぐ、三人は連れ立ってビルを後にする。
「俺も畑で働いているんだけどね。(ひざ)を悪くして、ここんとこ行けてないんだ。」道すがら、ヨキは自分の話をする。「(とし)だね。こんなに体が動かなくなるなんて想像していなかったなぁ。みんな年寄りでね。そんな連中(れんちゅう)でやっているから、あんた達みたいな若い体齢(たいれい)の人が参加してくれると、ほんと、助かるんだ。」
 雄斗とアイリーンは、ヨキの話を黙って聴きながら歩く。ヨキは他愛(たあい)の無いそんな話を終始(しゅうし)続けながら、ノロノロと歩いて行く。(しばら)く歩いた先、元は公園だったと思われる場所を開墾(かいこん)して、一面畑が広がっている。根菜(こんさい)葉物(はもの)、豆。それぞれ別の場所に、(うね)を作って植えられている。その間を数人の作業者が動き回っている。昨晩の食事会で見掛けた顔もある。
「化学肥料も農薬も使ってないから、収穫量は少ないし、虫に食われた物ばかり。害虫はああやって、人手で一つ一つ取り除いている。…ああ、別にオーガニックに(こだわ)っている(わけ)じゃなくて、肥料も農薬も手に入らないから。流石(さすが)此処(ここ)でそれを作るのは無理だから。」
 よく見れば、畑に適さないような土だ。素人(しろうと)の雄斗にも分かるくらいに悪い。運動場の様な色の土に、小石やタイルの破片が混じっている。
「俺たちゃ、栽培については素人だから。中には元、国の農産物管理庁に勤めてた(やつ)もいるけど、自分で農業やってた(わけ)じゃないから、そんなに上手(うま)出来(でき)ないよ。…どうだい、少し手伝っていくかい?」
 雄斗はヨキに(すす)められるまま、畑へと足を踏み入れる。
「なー、今度の新入りさん、お試しで手伝ってくれるってよぉ。」
 ヨキが畑で働く仲間に呼び掛ける。
「あー、助かるやぁ。」「おー、頼むなぁ。」
 そこここの人から雄斗に声が掛かる。(ひざ)の悪いヨキが苦労してしゃがみ込んで、雄斗に作業の仕方(しかた)を教える。
「こういう、葉っぱを裏返すと、裏に虫が付いている場合があるから、そしたら、(はし)()まんで、取って(つぶ)す…。」
 ぼんやり(なが)めていても仕方(しかた)ない。アイリーンも渋々(しぶしぶ)ながら手伝う。みんなと一緒に休憩し、持ち寄った料理を分けてもらって昼飯を済ませる。作業が終わったのは、陽が西に(かたむ)く頃だった。
 なんだ、自分が生まれた遠い昔と変わらないじゃないか。こうやってお互いに気遣(きづか)いながら暮らすんだ。
「あんた、何て呼んだら良い?」
 夕陽に背中から照らされ、長く伸びた自分の影を見ながら帰る道で、ヨキが雄斗に()く。アイリーンが雄斗に視線を向ける。その表情は硬い。でも、言ってはいけないとは訴えていない。
「ユウトと呼んで下さい。」
 雄斗は、アイリーンの顔を見ながら静かに答える。
「ユウトさんかい。そっちのおネエちゃんは?」
「…ユウトの妹で。」
 アイリーンは(うつむ)いて答える。何だか怒っている様な声だ。名前を言ってしまったのが気に入らないのか。
「妹さんかい。…珍しい。」
 珍しい?そうか、この時代に親子関係も家族関係もない。だから兄弟もあり得ないのか。
「ユウト、どうだったい?畑仕事、一緒にやってくれるかな。」
「はい、やります。やらせてください。」
 久し振りに前だけ見て踏み出せた気がしてワクワクする。
 でも、そんな良い気分も長くは続かない。部屋に戻ると、二人のアイリーンから雄斗はこっぴどく(しか)られる。
「ユウトは自分の立場の自覚が甘い。逃げている身だって自覚が無いの?」
「分かっているけど、みんな悪い人じゃないよ。」
「何を根拠にそう言うの?」「じゃあ、雄斗にサイガ博士やシュンはどういう人に見えていたの?サクラは?」
「…悪い人じゃないと…。でも、何か変だとは感じてたんだよ。」
「甘いじゃない。」「私が必死で雄斗を守ろうとしているのに!」
 二人は、元は一人だ。こういう時になると、簡単にシンクロするのだと、雄斗は思い知った。

 約束の日に闇医者(やみいしゃ)を訪ねてみると、この前は階段に(あふ)れていた患者達が居ない。閑散(かんさん)としたコンクリートの階段を、二人のアイリーンを(ともな)って雄斗は上る。診察室には闇医者だけが椅子に座って、雄斗の来訪を待っていた。
「今日は、患者さん居ないんですね。」
 雄斗は、闇医者と向かい合って、患者用の椅子に座る。
「定休日だからね。詳しい話を聞くつもりは無いが、話の流れによっちゃ、(あま)り人に聞かれたくない事も話さなきゃならないだろうと思って、今回だけこんな日に設定したんだ。次からは、普通の営業日に来てもらうよ。こっちも休みに働くつもりはないから。」医者は雄斗に付き()って来た二人のアイリーンを見上げる。「あれ、一人増えたな。」
 医者は、机の上に置いた紙を取り上げて、目を細めながら、細かい字を読む。
「血液検査の結果だけどね。薬との相性は良さそうだ。この前渡した薬を飲んでいれば、きっと病気の進行は抑えられると思うよ。まぁ、(やぶ)医者の言う事だ。(はず)れる事だってあるだろう。何処(どこ)まで信用するかは、自分達で判断してくれ。」
 自分を卑下(ひげ)した言い方なのに、態度は堂々(どうどう)としている。
「発症してから始めるより、今から飲み始めて、発症その物を抑制した方が良いだろう。毎日一錠、忘れずに飲んでくれるか。」
「はい。」
 すぐさま、雄斗は返事をする。
「月に一度、病気が始まる兆候(ちょうこう)がないか検査しよう。都合の良い日に来てくれ。ああ、日曜日は定休日だ。それ以外の日で来てくれ。」
 コミュニティでは曜日が生きている。なんだか安心する。
「はい。」
 月に一度の検査。研究所に居た頃を思い出す。サクラさんや博士は元気だろうか。勝手に自分の体をいじくられていたとアイリーンに言われたけど、今でもそんなに悪い人達だとは思えない。
「後は、耳の後ろの傷を見ておこうか。」
 医者は、雄斗の右耳の後ろの火傷痕(やけどあと)を、これも目を細めて仔細(しさい)に観察する。
「ふん…、ま、良いだろう。」医者は、二人のアイリーンを見上げる。「あんた達もだ。そっちのデカいお姉さんは、一番最初に一人で来た人だよな。あんたもマイクロチップを焼いちまったんだろ?」
 雄斗が席を立ち、少女のアイリーンから順に椅子に座って、耳の後ろを医者に()てもらう。
大抵(たいてい)の人間は、此処(ここ)に逃げて来てから、マイクロチップを処理するんだ。自分でどうこう出来る知識も手段も持っていないからな。」二人のアイリーンの傷口を観察しながら、医者は(ひと)り言の(よう)に話す。「でも、あんた達は自分で焼いちまった。これ、高周波を使ったんだろ?そんな、此処(ここ)だけピンポイントに高周波を当てるような装置を普通の人間は手に入れられないさ。…あんた達がどんな事情で此処に流れて来たのかは()かない。尋常(じんじょう)じゃないのが分かれば充分だ。…ま、良いだろう。化膿(かのう)していない様だ。」二人のアイリーンの診察を終え、自分の前に立ち並ぶ三人を見上げる。「もうちょっと状態が安定したら、取り出せないか検討しよう。組織が完全に癒着(ゆちゃく)してしまうと取り出せなくなるから。」
 三人が闇医者に礼を言って診察室を()そうとした時、医者が呼び止める。
「あんた達は、此処に居れば安全だと思っているかも知れないが、何処(どこ)にあんた達を害する者の目が光っているか分かったもんじゃない。用心する事だ。…済まんが、俺を巻き込まないでくれ。それだけだ。」
 最後に医者はにやりと笑った。

「それで?」
 大きなモニターに(うつ)されたスケジュール表の前に立つサイガ博士に向けて、タクは無慈悲(むじひ)に説明を求める。
「つまり、Y染色体だけを取り出して、他者の未分化細胞に移植(いしょく)しても、上手(うま)くいかないと言う事だ。だから、対象の精子をそのまま使い、女性から採取した卵に受精させて、人工胎盤(たいばん)を用いた育成に切り替えた。」
 サイガ博士は滔々(とうとう)と説明するが、余裕が無いのは隠し切れない。
「それじゃあ、今の男達は救えないじゃないか。お(えら)いさん達に、済まないがお前達の未来は(あきら)めてくれと説明しろと言うのか。」
 タクは怒りを抑えているのが、誰が見ても丸わかりだ。
 勝手に方向転換したんだ、そりゃあ、そう言われるさ。
 二人のやり取りを(わき)で見ながら、シュンはそう思っても口には出さない。
「そうです。」サイガ博士は開き直る。「我々は自らの欲望を優先し、生命の使命をないがしろにしてしまった。その(むく)いを受けるのです。僕も、あなたも。」
 博士はタクを(にら)み付ける。シュンから見れば、強がっているだけで、コケ(おど)しにもなっていない。
「何を馬鹿な事を言っているんだ。…それで、人工授精した卵の生育は問題ないのか?」
 案の(じょう)、タクは博士の言葉を歯牙(しが)にもかけない。
「シュン君。」
 サイガ博士がシュンに振って来る。
「あ、順調に成長しています。受精後三週になる(はい)が三十例、いずれも問題無いです。なにしろ、最初のケースなので、成長促進処理は行なわず、通常育成で誕生(まで)持って行く予定です。」
 会議がどういう展開になろうが、現状を()かれるのは分かっていた。シュンは(あらかじ)め準備していたメモ通りに話す。
「通常育成か。随分(ずいぶん)余裕のある事をやっているんだな。」
 タクは不満気(ふまんげ)だ。
「成長促進処理を行なうと」行きがかり上、シュンが回答する。「問題が発生した場合に、原因の切り分けが困難になります。結局は、この方が効率的と判断しました。」
「ふん。」タクはそれ以上突っ込んだ質問をせずに、矛先(ほこさき)を博士に戻す。「それで、対象の精子のストックはまだあるんだろうな。対象が消えてしまって、こんな段階で研究がストップするなんて言わないでくれ。」
「大丈夫。」博士は余裕を取り戻す。「冷凍保存したストックが充分にある。」
「分かった。」タクはそこまで報告を聞き終わると、席を立つ。「また来週、報告をお願いする。」
 博士ら二人を残して、一人研究所のミーティングルームを後にする。研究所の廊下を出口に向かって歩きながら、タクは一人考える。
 サイガ博士のグループに、これ以上研究を継続させるのは無理かも知れない。結果的にアイリーンの不在が痛手だ。彼女の遺伝子(いでんし)に関する専門知識が、この研究グループの(かなめ)だったと言う事だ。別の手段を考えないといけない。
 タクは、研究所の敷地内のエアポートからeVTOLに乗り込み、自分のオフィスを目指す。
〈局長。〉
 人工シナプスの通信マイクロチップに連絡が入る。
「なんだ。」
〈対象の生存が確認出来ました。〉
 やはり、国内に(ひそ)んでいたか。
「それで、何処(どこ)にいる。」
〈OR民のコミュニティにアイリーンと共に潜伏(せんぷく)しています。〉
 なるほど、そう言う事か。
「分かった。彼等が新しい動きをしないか、当面は監視を続けろ。」
〈了解しました。〉
 C国に逃亡するつもりなら、この前のタイミングがベストだった。逃亡途中で事故が起きて、運良くコミュニティに辿(たど)り着くのは、あまりに好都合過ぎる。あれは、不慮(ふりょ)の事故なんかじゃない。最初からこうやって姿をくらますのが目的だったのだろう。二人で愛の巣でも作ったつもりか。()(かく)、彼等が国外に逃亡する気が無いのなら、これはこれで使い道があるだろう。
 タクは、この状況をどう生かせば良いか、(しばら)く考えてみようと決めた。

 毎日、朝早く起きて同じ階の住人達と畑仕事に出掛ける。住人達は、畑の事など何も知らない雄斗に一つ一つ作業を教えてくれる。研究所に居た時とは違う、やる事がある毎日が、雄斗の精神を安定させてくれる。
 雨になれば、畑仕事はお休み。一日が(ひま)になる。大人のアイリーンは雨でも縫製(ほうせい)の仕事に出掛ける。部屋の掃除は少女のアイリーンの役割。邪魔(じゃま)な雄斗は(しばら)く部屋の外に居ろと言われて追い出された。雄斗は、二階の階段前のスペースに出て、軒先(のきさき)から地面に落ちる(しずく)をぼんやりと(なが)めている。
「やみそうにないねぇ。」
 声に振り向けば、知らぬ間にヨキが(かたわ)(まで)やって来ている。
「そうですねぇ。」
 雄斗は灰色の雲で(おお)われた空を見上げる。
「ま、今日はお休み。長い人生、一日休んだってバチは当たらない。」
 一日。人生一度きりの自分と、何度も体を乗り替えて、今此処(ここ)辿(たど)り着いたこの人とでは、その重みは違う。
「ヨキさんって、おいくつなんですか?」
「過去の事は()かない…って言うのが、此処の約束なんだけどねぇ。」
「あっ、すいません。僕つい、何も考えずに。」
「ま、良いさ。訊きたくなるよね。」ヨキは笑って見せる。「体齢(たいれい)かい?それとも生まれてから今迄(いままで)の年月?どっちもはっきり覚えていないなぁ。この体は、六十歳ぐらい。生まれてからは…、五、六百歳ってところかな。ユウトの体齢はいくつだい?」
「体齢ですか…。」
「十六歳ってところかな。」
「実は僕…生まれ替わっていないんです。」
「ええ、どういう事?クローン体がそのまま逃げて来たのかい?」
 ここで詳しい話をして良いのだろうか。第一、こんな話、信じてもらえるだろうか。アイリーンに知れたら、また(ひど)く怒られそうだ。でも、此処に来て二ヶ月以上過ぎた。何も悪い事は起きない。この人達を、もう少し信用しても良いんじゃないか。
 雄斗の中で葛藤(かっとう)し、雨を見たまま黙り込む。
(わけ)アリだね。みんな訳アリだから、言わなくて良いんだ。」
「はい、すいません。」
「俺はシティの行政機関に勤めていたんだ。」雄斗と並んで雨を見ながら、(おもむろ)にヨキは語り出す。「仕事は別に気にする(ほど)の物じゃなかった。毎日同じ時間にオンラインに(つな)いで、寄せられている市民からのコメントに目を通して、(しか)るべき部門に繋ぐ。…苦情、連絡、申請、提案。雑多な中身だ。人々の中にしまい切れなくなった感情の産物を扱っているんだって思ったよ。別にそれは良い。仕事以外の時間に、自分で好きな事をして生きていくんだって、そうやって生きてきたんだ。あんたはどうしてだか知らないが、俺は疲れたんだ…。そうやって何べんも生まれ変わって、VRにすがって生きていて、何が変わるんだろうって。此処に来た(やつ)は、結構そういう疑問に(とら)われて、ドロップアウトしちゃった奴が多いよ。…もう、良いかな、そろそろ良いかなって、みんなそう思って自分で自分の人生のエンドロールを準備しに、此処に来るんだ。」
 ヨキは遠い目をして雨空を見上げている。
「…僕は、病気を発症する確率が80%だと宣言されたんです。」なんだろう。ヨキの話を聞いていて、こんな事を話す気になっている。「それは、ずっと昔の事で、病気を(なお)せる方法が見つかる(まで)コールドスリープする事に決めて、…それで、仮死(かし)状態から目覚めたらこの時代になっていました。…だから、僕は生まれ変わったことが無いんです。」
「ほう。」
 ヨキが驚いた顔で雄斗の方を見る。
「世の中はまるっきり変わっていて、知っている人もいなくて、どうして良いか分からなくて…」
「…頑張ったね。」
 ヨキの方を見れば、(やさ)しい笑顔で雄斗を見ている。
「そんな…、もっと何か出来(でき)たんじゃないかって…」
 雄斗は(うつむ)く。
「そうじゃないさ、あんた、頑張ったんだよ。精一杯、その時出来る事をやったんだ。知らない世界に一人放り出されれば誰だって迷うさ。あんた、その中で努力したんだ。顔を上げて、胸を張って良いんだ。」
 何故(なぜ)だろう、涙があふれてくる。隠し切れない涙が、ぽたぽたと床に向かって両眼から落ちていくのが見える。
 ヨキはそう言ったきり、雄斗をそこに残して、自室に帰って行った。
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